まぜまぜ(^^♪ひふみ神示 その2

ブースカ明日香さんを真似て書いてみました(^^) スマホでしたら、横画面にすると見やすいかと思います。 5/11改題しました。

まぜませ 六一~九〇

ひふみ神示 まぜまぜの第六十一帖~第九十帖


第二巻 下(四百)つ巻 / (しもつまき)
全三十八帖・通し番号(四三)~(八〇)のうち(六一)~(八〇)
自 昭和十九年七月十二日
至 昭和十九年八月 三日 

 

第三巻 富士(普字)の巻 / (ふじのまき)
全二十七帖・通し番号(八一)~(一〇七)のうち(八一)~(九〇)
自 昭和十九年八月 十日
至 昭和十九年八月三十日 

 

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下つ巻、第十九帖 (六一)


苦しくなりたら何時でもござれ、
その場で楽にしてやるぞ、
神に従へば楽になって逆らへば苦しむのぞ。
生命も金も一旦天地へ引き上げ仕まうも知れんから、
さうならんやうに心の洗濯第一ぞと申して、
くどう気附けてゐることまだ分らんか。

七月の二十三日、一二のか三。

 

 

富士の巻、第十帖(九〇)


いよいよ戦烈しくなりて
喰ふものもなく何もなくなり、
住むとこもなくなりたら行く所なくなるぞ。

神の国から除かれた臣民と神の臣民と
何ちらがえらいか、その時になりたらハッキリするぞ、

その時になりて何うしたらよいかと申すことは
神の臣民なら誰でも神が教えて手引張ってやるから、
今から心配せずに神の御用なされよ、
神の御用と申して自分の仕事をなまけてはならんぞ。

何んな所にゐても、神がスッカリと助けてやるから、
神の申すやうにして、今は戦して居りて呉れよ。

てんし様 御心配なさらぬ様にするのが
臣民のつとめぞ。
神の臣民 言(こと)に気をつけよ、
江戸に攻め来たぞ。

八月の十九日、 Θのひつ九のかΘ 。

 


62>89
下つ巻、第二十帖 (六二)


上(うえ)、中(なか)、下(しも)
の三段に身魂をより分けてあるから、
神の世となりたら
何事もきちりきちりと面白い様に出来て行くぞ。

神の世とは神の心のままの世ぞ、
今でも臣民 神ごころになりたら、
何でも思ふ通りになるぞ。

臣民 近慾(ちかよく)なから、
心曇りてゐるから分らんのぞ。
今度の戦は神力と学力のとどめの戦ぞ。

神力が九分九厘まで負けた様になったときに、
まことの神力出して、ぐれんと引繰り返して、
神の世にして、
日本のてんし様が世界まるめてしろしめす世と致して、
天地神々様にお目にかけるぞ。

てんし様の光が
世界の隅々まで行きわたる仕組が
三四五(みよいづ)の仕組ぞ、
岩戸開きぞ。

いくら学 力強いと申しても
百日の雨降らすこと出来まいがな。

百日雨降ると何んなことになるか、
臣民には分るまい、
百日と申しても、神から云へば瞬きの間ぞ。

七月の二十三日、ひつ九のΘ 。

 


富士の巻、第九帖 (八九)


神界は七つに分かれてゐるぞ、
天つ国三つ、地(つち)の国三つ、
その間に一つ、天国が上中下の三段、
地国も上中下の三段、中界(ちうかい)の七つぞ、
その一つ一つがまた七つに分かれてゐるのぞ、
その一つがまた七つずつに分れてゐるぞ。
今の世は地獄の二段目ぞ、
まだ一段下あるぞ、
一度はそこまで下がるのぞ、
今一苦労あると、くどう申してあることは、
そこまで落ちることぞ、地獄の三段目まで落ちたら、
もう人の住めん所ざから、
悪魔と神ばかりの世にばかりなるのぞ。

この世は人間にまかしてゐるのざから、
人間の心次第ぞ、
しかし今の臣民のやうな腐った臣民ではないぞ、
いつも神かかりてゐる臣民ぞ、
神かかりと直ぐ分かる神かかりではなく、
腹の底にシックリと神鎮まってゐる臣民ぞ、
それが人間の誠の姿ぞ。

いよいよ地獄の三段目に入るから、
その覚悟でゐて呉れよ、
地獄の三段目に入ることの表(おもて)は
一番の天国に通ずることぞ、
神のまことの姿と悪の見られんさまと、
ハッキリ出て来るのぞ、
神と獣と分けると申してあるのはこのことぞ。
何事も洗濯第一。

八月の十八日、 Θの一二Θ。

 


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下つ巻、第二十一帖 (六三)


「ゝ」ばかりでもならぬ、
「〇」ばかりでもならぬ。
Θがまことの神の元の国の姿ぞ。
元の神の国の臣民はΘでありたが、
「ゝ」が神国に残り
「〇」が外国で栄へて、
どちらも片輪となったのぞ。
「ゝ」もかたわ 「〇」もかたわ、
「ゝ」と「〇」と合はせて まことのΘ(かみ)の世に致すぞ。

今の戦は「ゝ」と「〇」との戦ぞ、
神の最後の仕組と申すのは「〇」に「ゝ」入れることぞ。

「〇」も五ぞ 「ゝ」も五ぞ、
どちらも、このままでは立ちて行かんのぞ。

一厘の仕組とは「〇」に神の国の「ゝ」を入れることぞ、
よく心にたたみておいて呉れよ。

神は十柱五十九柱のからだ待ちてゐるぞ。

五十と九柱のミタマの神々様お待ちかねであるから、
早うまゐりて呉れよ。

今度の御役大層であるが、
末代残る結構な御役であるぞ。

七月の二十四日、一二のか三。

 


富士の巻、第八帖 (八八)


山は神ぞ、川は神ぞ、海も神ぞ、
雨も神、風も神ぞ、天地みな神ぞ、
草木も神ぞ、
神祀れと申すのは神にまつらふことと申してあろが、
神々まつり合はすことぞ、
皆何もかも祭りあった姿が神の姿、
神の心ぞ。

みなまつれば何も足らんことないぞ、
余ることないぞ、
これが神国の姿ぞ、
物足らぬ物足らぬと臣民泣いてゐるが、
足らぬのでないぞ、
足らぬと思ふてゐるが、
余ってゐるではないか、
上(かみ)の役人どの、まづ神祀れ、
神祀りて神心となりて神の政治せよ、
戦などは何でもなく鳧(けり)がつくぞ。

八月十七日、 Θの一二のか三。

 


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下つ巻、第二十二帖 (六四)


岩戸開く仕組 知らしてやりたいなれど、
この仕組、言ふてはならず、
言はねば臣民には分らんし、
神苦しいぞ、
早う神心になりて呉れと申すのぞ、
身魂の洗濯いそぐのぞ。
二三三二二(アイカギ)、
「ゝ」「〇」「「Θ」」、
コノカギハイシヤトシカテニギルコトゾ、

 

一二Θ (ひつくのかみ)、七月の二十八日。

 


富士の巻、第七帖 (八七)


悪の世であるから、
悪の臣民 世に出てござるぞ、
善の世にグレンと引繰り返ると申すのは
善の臣民の世になることぞ。

今は悪が栄えてゐるのざが、
この世では人間の世界が一番おくれてゐるのざぞ、
草木はそれぞれに神のみことのまにまになってゐるぞ。

一本の大根でも一粒の米でも何でも貴くなったであろが、
一筋の糸でも光出て来たであろがな、
臣民が本当のつとめしたなら、
どんなに尊いか、今の臣民には見当とれまいがな、
神が御礼申すほどに尊い仕事出来る身魂ぞ、
殊に神の国の臣民みな、
まことの光あらはしたなら、
天地が輝いて悪の身魂は目あいて居れんことになるぞ。

結構な血筋に生まれてゐながら、
今の姿は何事ぞ、
神はいつまでも待てんから、
いつ気の毒出来るか知れんぞ。

戦恐れてゐるが臣民の戦位、
何が恐いのぞ、
それより己の心に巣くうてる悪のみたまが恐いぞ。

八月十六日、 Θのひつくのか三。

 


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下つ巻、第二十三帖 (六五)


世が引繰り返って元の神世に返ると
いふことは、
神々様には分って居れど、
世界ところどころにその事
知らし告げる神柱あるなれど、
最後のことは
九(こ)の神でないと分らんぞ。

この方は天地をキレイに掃除して
天の大神様に
お目にかけねば済まぬ御役であるから、
神の国の臣民は神の申す様にして、
天地を掃除して
てんし様に奉らなならん御役ぞ。

江戸に神早う祀りて呉れよ、
仕組通りにさすのであるから、
臣民 我を去りて呉れよ。

この方祀るのは天(あめ)のひつくの家ぞ、
祀りて秋立ちたら、
神いよいよ烈しく、
臣民の性来(しょうらい)によって、
臣民の中に
神と獣と
ハッキリ区別せねばならんことになりて来たぞ、
神急けるぞ。

七月の三十日、ひつ九のか三。

 


富士の巻、第六帖 (八六)


今は善の神が善の力弱いから
善の臣民苦しんでゐるが、
今しばらくの辛抱ぞ、
悪神総がかりで善の肉体に取りかからうとしてゐるから
よほどフンドシしめてかからんと負けるぞ。

親や子に悪の神かかりて苦しい立場にして
悪の思ふ通りにする仕組立ててゐるから
気をつけて呉れよ。

神の、も一つ上の神の世の、
も一つ上の神の世の、
も一つ上の神の世は戦済んでゐるぞ、
三四五(みよいづ)から
五六七(みろく)の世になれば
天地光りて何もかも見えすくぞ。

八月のこと、八月の世界のこと、
よく気つけて置いて呉れよ、
いよいよ世が迫りて来ると、
やり直し出来んと申してあろがな。

いつも剣の下にゐる気持で心ひき締めて居りて呉れよ、
臣民 口でたべる物ばかりで生きてゐるのではないぞ。

八月の十五日、
ひつくΘ と Θのひつ九のか三しるさすぞ。

 


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下つ巻、第二十四帖 (六六)


一が十にと申してありたが、
一が百に、一が千に、一が万になるとき
いよいよ近づいたぞ。

秋立ちたらスクリと厳しきことになるから、
神の申すこと一分一厘ちがはんぞ。

改心と申すのは、
何もかも神にお返しすることぞ、
臣民のものといふもの何一つもあるまいがな、
草の葉一枚でも神のものぞ。

七月の三十日、ひつくのか三。

 


富士の巻、第五帖 (八五)


喰うものがないと申して臣民不足申してゐるが、
まだまだ少なくなりて、
一時は喰う物も飲む物もなくなるのぞ、
何事も行(ぎょう)であるから喜んで行して下されよ。

滝に打たれ、蕎麦粉(そばこ)喰うて行者は行してゐるが、
断食する行者もゐるが、
今度の行は世界の臣民みな二度とない行であるから、
厳しいのぞ、
この行 出来る人と、よう我慢出来ない人とあるぞ、
この行 出来ねば灰にするより外ないのぞ、
今度の御用に使ふ臣民
はげしき行さして神うつるのぞ。

今の神の力は何も出ては居らぬのぞ。

この世のことは
神と臣民と一つになりて出来ると申してあろがな、
早く身魂みがいて下されよ。

外国は「〇」、神の国は「ゝ」 と申してあるが、
「ゝ」は神ざ、「〇」 は臣民ぞ、
「〇」 ばかりでも何も出来ぬ、
「ゝ」ばかりでもこの世の事は何も成就せんのぞ、
それで神かかれるやうに早う大洗濯して呉れ
と申してゐるのぞ、
神急(せ)けるぞ、
この御用大切ぞ、
神かかれる肉体 沢山要るのぞ。

今度の行は「〇」 を綺麗にする行ぞ、
掃除出来た臣民から楽になるのぞ。

どこに居りても掃除出来た臣民から、
よき御用に使って、
神から御礼申して、
末代名の残る手柄立てさすぞ。
神の臣民、掃除洗濯出来たらこの戦は勝つのぞ、
今は一分もないぞ、一厘もないぞ、
これで神国の民と申して威張ってゐるが、
足許からビックリ箱があいて、
四ツん這ひになっても助からぬことになるぞ、
穴掘りて逃げても、
土もぐってゐても灰になる身魂は灰ぞ、
どこにゐても助ける臣民 行って助けるぞ、
神が助けるのでないぞ、
神助かるのぞ、
臣民も神も一緒に助かるのぞ、
この道理よく腹に入れて呉れよ、
この道理分りたら神の仕組はだんだん分りて来て、
何といふ有難い事かと心がいつも春になるぞ。

八月の十四日の朝、 Θのひつ九のΘ。

 


67>84
下つ巻第二十五帖 (六七)


今度の戦で何もかも埒ついて
仕まふ様に思うてゐるが、
それが大きな取違ひぞ、
なかなかそんなチョロッコイことではないぞ、
今度の戦で埒つく位なら、
臣民でも致すぞ。

今に戦も出来ない、
動くことも引くことも、
進むことも何うすることも出来んことになりて、
臣民は神がこの世にないものといふ様になるぞ、
それからが、いよいよ正念場ぞ、
まことの神の民と獣とを
ハッキリするのはそれからぞ。

戦出来る間はまだ神の申すこときかんぞ、
戦出来ぬ様になりて、
始めて分かるのぞ、
神の申すこと、
ちっとも違はんぞ、
間違ひのことなら、
こんなにくどうは申さんぞ。

神は気(け)もない時から知らしてあるから、
いつ岩戸が開けるかと云ふことも、
この神示(ふで)
よく読めば分かる様にしてあるのぞ、
改心が第一ぞ。

七月の三十日、ひつくのか三のふで。

 


富士の巻、第四帖 (八四)


一二三(ひふみ)の仕組が済みたら
三四五(みよいづ)の仕組ぞと申してありたが、
世の本の仕組は
三四五の仕組から五六七(みろく)の仕組となるのぞ、
五六七の仕組とは弥勒(みろく)の仕組のことぞ、
獣と臣民とハッキリ判りたら、
それぞれの本性出すのぞ、
今度は万劫末代のことぞ、
気の毒出来るから洗濯大切と申してあるのぞ。
今度お役きまりたら そのままいつまでも続くのざから、
臣民よくこの神示(ふで)よみておいて呉れよ。

八月十三日、 Θのひつくのか三。

 


68>83
下つ巻、第二十六帖 (六八)


神の国を真中にして世界分けると申してあるが、
神祀るのと同じやり方ぞ。

天(あめ)のひつくの家とは
天のひつくの臣民の家ぞ。

天のひつくと申すのは天の益人のことぞ、
江戸の富士と申すのは、
ひつくの家の中に富士の形作りて、
その上に宮作りてもよいのぞ、
仮でよいのぞ。

こんなに別訳(ことわけ)てはこの後は申さんぞ。
小さい事はサニワで家来の神々様から知らすのであるから、
その事忘れるなよ。

仏(ぶつ)も耶蘇(やそ)も、世界中まるめるのぞ。
喧嘩して大き声する所にはこの方鎮まらんぞ、
この事忘れるなよ。

七月の三十一日、一二Θ 。

 

 

富士の巻、第三帖(八三)


メリカもギリスは更なり、
ドイツもイタリもオロシヤも
外国はみな一つになりて
神の国に攻め寄せて来るから、
その覚悟で用意しておけよ。

神界ではその戦の最中ぞ。

学と神力との戦と申しておろがな、
どこから何んなこと出来るか、
臣民には分かるまいがな、
一寸先も見えぬほど曇りて居りて、
それで神の臣民と思うてゐるのか、
畜生にも劣りてゐるぞ。

まだまだわるくなって来るから、
まだまだ落ち沈まねば
本当の改心出来ん臣民 沢山あるぞ。

玉とは御魂(おんたま)ぞ、
鏡とは内に動く御力ぞ、
剣とは外に動く御力ぞ、
これを三種(みくさ)の神宝(かむたから)と申すぞ。

今は玉がなくなってゐるのぞ、
鏡と剣だけぞ、
それで世が治まると思うてゐるが、
肝腎の真中ないぞ、
それでちりちりばらばらぞ。

アとヤとワの詞(四)の元要るぞと申してあろがな、
この道理分らんか、
剣と鏡だけでは戦勝てんぞ、
それで早う身魂みがいて呉れと申してあるのぞ。

上下ないぞ、上下に引繰り返すぞ、
もう神待たれんところまで来てゐるぞ、
身魂みがけたら、
何んな所で何んなことしてゐても心配ないぞ、
神界の都にはあくが攻めて来てゐるのざぞ。

八月の十二日、 ΘのひつくのΘ。

 


69>82
下つ巻、第二十七帖 (六九)


この方は祓戸(はらへど)の神とも現はれるぞ。

この方祀るのは富士に三と所、
海に三と所、江戸にも三と所ぞ、
奥山、中山、一の宮ぞ。

富士は、榛名(はるな)に祀りて呉れて
御苦労でありたが、これは中山ぞ、
一の宮と奥の山にまた祀らねばならんぞ、
🌀海の仕組も急ぐなれどカイの仕組早うさせるぞ。

江戸にも三と所、
天明の住んでゐるところ奥山ぞ。

あめのひつくの家、中山ぞ、
此処が一の宮ざから気つけて置くぞ。

この方祀るのは、真中に神の石鎮め、
そのあとにひもろぎ、
前の右左にひもろぎ、
それが「あ」と「や」と「わ」ぞ、
そのあとに三つ七五三とひもろ木立てさすぞ。

少しはなれて四隅にイウエオの言霊石
置いて呉れよ。

鳥居も注連(しめ)もいらぬと申してあろがな、
このことぞ。

この方祀るのも、役員の仕事も、
この世の組立も、
みな七七七七と申してきかしてあるのには気がまだつかんのか、
臣民の家に祀るのは神の石だけでよいぞ、
天のひつくの家には、
どこでも前に言ふ様にして祀りて呉れよ。

江戸の奥山には八日、秋立つ日に祀りて呉れよ、
山九日、一の宮には十日に祀りて呉れよ。

気つけてあるのに神の神示(ふで)よまぬから分らんのぞ、
このこと、よく読めば分るぞ。

今の様なことでは神の御用つとまらんぞ、
正直だけでは神の御用つとまらんぞ。

裏と表とあると申して気つけてあろがな、
シッカリ神示読んで、
スキリと腹に入れて呉れよ。

よむたび毎に神が気つける様に声出してよめば、
よむだけお蔭あるのぞ。

七月の三十一日、一二Θ。

 

 

富士の巻、第二帖(八二)


か一(かい)の八マに立ちて、
一(ひ)れ二(ふ)りて祓ひて呉れよ、
ひつくの神に仕へている臣民、
代る代るこの御役つとめて呉れよ。

今は分かるまいなれど結構な御役ぞ。

この神示(ふで)腹の中に入れて置いてくれと申すに、
言ふ事きく臣民少ないが、
今に後悔するのが、
よく分りてゐるから神はくどう気つけて置くのぞ、
読めば読むほど神徳あるぞ、
どんな事でも分かる様にしてあるぞ、
言ふこときかねば一度は種だけにして、
根も葉も枯らして仕まうて、
この世の大掃除せねばならんから、
種のある内に気つけて居れど、
気つかねば気の毒出来るぞ。

今度の祭典(まつり)御苦労でありたぞ、
神界では神々様 大変の御喜びぞ、
雨の神、風の神殿ことに御喜びになりたぞ。

此の大掃除一応やんだと安緒する。
この時、富士(二二)鳴門がひっくり返るぞ、
早やう改心して呉れよ。

八月の十一日、 ΘのひつくのΘ。

 


70>81
下つ巻、第二十八帖 (七〇)


またたきの間に天地引繰り返る様な大騒動が出来るから、
くどう気つけてゐるのざ、
さあといふ時になりてからでは間に合はんぞ、
用意なされよ。

戦の手伝ひ位なら、どんな神でも出来るのざが、
この世の大洗濯は、われよしの神ではよう出来んぞ。

この方は元のままの身体(からだ)持ちてゐるのざから、
いざとなれば何んなことでもして見せるぞ。

仮名ばかりの神示と申して馬鹿にする臣民も出て来るが、
仕まひにはその仮名に頭下げて来ねばならんぞ、
かなとは Θ(カミ)の七(ナ)ぞ、神の言葉ぞ。

今の上の臣民、
自分で世の中のことやりてゐるように思うているが、
みな神がばかして使ってゐるのに気づかんか、
気の毒なお役も出て来るから、
早う改心して呉れよ。

年寄や女や盲、聾ばかりになりても、
まだ戦やめず、神の国の人だねの無くなるところまで、
やりぬく悪の仕組もう見て居れんから、
神はいよいよ奥の手出すから、
奥の手出したら、今の臣民ではようこたえんから、
身魂くもりてゐるから、
それでは虻蜂取らずざから、
早う改心せよと申してゐるのぞ、
このことよく心得て下されよ、
神せけるぞ。

八月二日、ひつ九のか三。

 


富士の巻、第一帖(八一)


道はいくらもあるなれど、
どの道通っても、よいと申すのは、
悪のやり方ぞ、
元の道は一つぞ、
初めから元の世の道、
変らぬ道があれば、よいと申してゐるが、
どんなことしても我さへたてばよいように申してゐるが、
それが悪の深き腹の一厘ぞ。

元の道は初めの道、神のなれる道、
神のなかの「ゝ」なる初め、
「ゝ」は光の真中
Θは四の道、
此の事、気のつく臣民ないなれど。

「一が二」わかる奥の道、
身魂掃除すれば此のことわかるのざ、
身魂磨き第一ぞ。

八月十日、 Θの一二Θ 。

 


71>80
下つ巻、第二十九帖 (七一)


神の土出ると申してありたが、
土は五色の土ぞ、
それぞれに国々、
ところどころから出るのぞ。

白、赤、黄、青、黒の五つ色ぞ、
薬のお土もあれば喰べられるお土もあるぞ、
神に供へてから頂くのぞ、
何事も神からぞ。

八月二日、一二Θ 。

 


下つ巻、第三十八帖 (八〇)


富士は晴れたり日本晴れ、
これで下つ巻の終りざから、
これまでに示したこと、よく腹に入れて呉れよ。

神が真中で取次ぎ役員いくらでもいるぞ、
役員はみな神柱ぞ。

国々、ところどころから訪ねて来るぞ、
その神柱には みつげの道知らしてやりて呉れよ、
日本の臣民みな取次ぎぞ、役員ぞ。

この方は世界中丸めて大神様にお目にかけるお役、
神の臣民は世界一つに丸めて
てんし様に献げる御役ぞ。

この方とこの方の神々と、
神の臣民一つとなりて世界丸める御役ぞ。

神祀りて呉れたら
いよいよ仕組知らせる神示(ふで)書かすぞ、
これからが正念場ざから、
ふんどし締めてかかりて呉れよ。
秋立ちたら神烈しくなるぞ、
富士は晴れたり日本晴れ、
てんし様の三四五(みよいづ)となるぞ。

八月の三日、ひつくのか三。
(下つ巻了)

 


72>79
下つ巻、第三十帖 (七二)


八のつく日に気つけて呉れよ、
だんだん近づいたから、
辛酉(かのととり)はよき日、よき年ぞ。
冬に桜咲いたら気つけて呉れよ。

八月二日、ひつくのかみ。

 


下つ巻、第三十七帖 (七九)


世が変りたら天地光り人も光り草も光り、
石も物ごころに歌ふぞ、
雨もほしい時に降り、
風もほしい時に吹くと
雨の神、風の神 申して居られるぞ。

今の世では雨風を臣民がワヤにしているぞ、
降っても降れず、
吹いても吹かん様になりてゐるのが分らんか。

盲つんぼの世の中ぞ。

神のゐる場所塞いで居りて
お蔭ないと不足申すが、
分らんと申しても余りであるぞ。
神ばかりでもならず、
臣民ばかりではなおならず、
臣民は神の入れものと申してあろが、
あめのひつくの民と申すのは、
世界治めるみたまの入れもののことぞ、
民草とは一人をまもる入れものぞ、
ひつくの臣民は神がとことん試しに試すのざから、
可哀そうなれど我慢して呉れよ、
その代り御用つとめて呉れたら、
末代名を残して、神からお礼申すぞ。

何事も神は帳面につけとめてゐるのざから間違ひないぞ、
この世ばかりでないぞ、
生れ代り死に代り鍛へてゐるのぞ、
ひつくの臣民 落ちぶれてゐると申してあろがな、
今に上、下になるぞ、
逆立ちがおん返りて、
元のよき楽の姿になるのが近づいたぞ、
逆立ち苦しかろがな、
改心した者から楽にしてやるぞ、
御用に使ふぞ。

八月三日、ひつ九のか三。

 


73>78
下つ巻、第三十一帖 (七三)


この神に供へられたものは、
何によらん私することならんぞ、
まゐりた臣民にそれぞれ分けて喜ばして呉れよ、
臣民喜べば神も喜ぶぞ、
神喜べば天地光りて来るぞ、
天地光れば富士(二二)晴れるぞ、
富士は晴れたり日本晴れとはこの事ぞ。

このやうな仕組でこの道ひろめて呉れよ、
それが政治ぞ、経済ぞ、
真通理(マツリ)ぞ、分りたか。

八月の三日、ひつ九のか三。

 


下つ巻、第三十六帖 (七八)


神をそちのけにしたら、
何も出来上がらんやうになりたぞ。

国盗りに来てグレンと引繰り返りて居らうがな、
それでも気づかんか。

一にも神、二にも神、三にも神ぞ、
一にも天詞様、二にも天詞様、三にも天詞様ぞ。

この道つらいやうなれど貫きて呉れよ、
だんだんとよくなりて、
こんな結構なお道かと申すやうにしてあるのざから、
何もかもお国に献げて自分の仕事を五倍も十倍も精出して呉れよ。

戦位 何でもなく終るぞ。

今のやり方ではとことんに落ちて仕まうぞ、
神くどう気つけて置くぞ。

国々の神さま、臣民さま改心第一ぞ。

八月三日、ひつ九のか三。

 


74>77
下つ巻、第三十二帖 (七四)


この道ひろめて金儲けしようとする臣民
沢山に出て来るから、役員気つけて呉れよ、
役員の中にも出て来るぞ、
金(かね)は要らぬのざぞ、
金いるのは今しばらくぞ、
生命は国にささげても
金は自分のものと頑張ってゐる臣民、
気の毒出来るぞ、
何もかも天地へ引き上げぞと知らしてあること
近づいて来たぞ、金かたきの世来たぞ。

八月三日、一二 Θ。

 


下つ巻、第三十五帖 (七七)


何もかも持ちつ持たれつであるぞ、
臣民喜べば神も喜ぶぞ、
金(きん)では世は治まらんと申してあるのに
まだ金追うてゐる醜(みぐる)しい臣民ばかり、
金は世をつぶす本ぞ、
臣民、世界の草木まで喜ぶやり方は
Θの光のやり方ぞ。

臣民の生命も長うなるぞ、
てんし様は生き通しになるぞ、
御玉体(おからだ)のままに神界に入られ、
またこの世に出られる様になるぞ、
死のないてんし様になるのぞ、
それには今のやうな臣民のやり方ではならんぞ、
今のやり方ではてんし様に罪ばかりお着せしてゐるのざから、
この位 不忠なことないぞ、
それでもてんし様はおゆるしになり、
位までつけて下さるのぞ、
このことよく改心して、
一時(ひととき)も早く忠義の臣民となりて呉れよ。

八月の三日、ひつ九のΘ。

 


75>76
下つ巻、第三十三帖 (七五)


親となり子となり夫婦となり、
兄弟(はらから)となりて、
生きかわり死にかわりして御用に使ってゐるのぞ、
臣民同士、世界の民、
みな同胞(はらから)と申すのは喩へでないぞ、
血がつながりてゐるまことの同胞ぞ、
はらから喧嘩も時によりけりぞ、
あまり分らぬと神も堪忍袋の緒切れるぞ、
何んな事あるか知れんぞ、
この道の信者は神が引き寄せると申せば
役員ふところ手で居るが、
そんなことでこの道開けると思ふか。

一人が七人の人に知らせ、
その七人が済んだら、
次の御用にかからすぞ、
一聞いたら十知る人でないと、
この御用つとまらんぞ、
うらおもて、よく気つけよ。

因縁の身魂はどんなに苦しくとも
勇んで出来る世の元からのお道ぞ。

七人に知らしたら役員ぞ、
神が命ずるのでない、
自分から役員になるのぞと申してあろがな、
役員は神のぢきぢきの使ひぞ、
神柱ぞ。
肉体男なら魂(たま)は女(おみな)ぞ、
この道 十(と)りに来る悪魔あるから気つけ置くぞ。

八月の三日、ひつ九のか三。

 


下つ巻、第三十四帖 (七六)


臣民はすぐにも戦すみてよき世が来る様に思うてゐるが、
なかなかさうはならんぞ、
臣民に神うつりてせねばならんのざから、
まことの世の元からの臣民 幾人もないぞ、
みな曇りてゐるから、
これでは悪の神ばかりかかりて、
だんだん悪の世になるばかりぞ、
それで戦すむと思うてゐるのか、
自分の心よく見てござれ、
よく分るであろがな、
戦すんでもすぐによき世とはならんぞ、
それからが大切ぞ、
胸突き八丁はそれからぞ、
富士に登るのにも、
雲の上からが苦しいであろがな、
戦は雲のかかってゐるところぞ、
頂上(いただき)までの正味のところはそれからぞ。

一、二、三年が正念場ぞ。
三四五(みよいづ)の仕組と申してあろがな。

八月の三日、ひつくのか三。