まぜまぜ(^^♪ひふみ神示 その2

ブースカ明日香さんを真似て書いてみました(^^) スマホでしたら、横画面にすると見やすいかと思います。 5/11改題しました。

まぜまぜ 九〇~一二〇

ひふみ神示 まぜまぜの第九一帖~第一二〇帖

第三巻 富士(普字)の巻 / (ふじのまき)
全二十七帖・通し番号(八一)~(一〇七)のうち(九一)~(一〇七)
自 昭和十九年八月 十日
至 昭和十九年八月三十日 

第四巻 天つの巻
全三十帖・通し番号(一〇八)~(一三七)のうち(一〇八)~(一二〇)
自 昭和十九年八月三十一日
至 昭和十九年九月 十四日 

 


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富士の巻、第十一帖 (九一)

神土(かみつち)は
白は、「し」のつく、
黄は「き」のつく、
青赤は「あ」のつく、
黒は「く」のつく山々里々から出て来るぞ、
よく探して見よ、
三尺下の土なればよいぞ、
いくらでも要るだけは出てくるぞ。

八月二十日、 Θのひつ九のか三。

 


天つ巻、第十三帖(一二〇)


空に変りたこと現はれたなれば
地に変りたことがあると心得よ、
いよいよとなりて来てゐるのざぞ。

神は元の大神様に延ばせるだけ延ばして頂き、
一人でも臣民助けたいのでお願ひしてゐるのざが、
もうおことはり申す術(すべ)なくなりたぞ。

玉串 神に供へるのは衣(ころも)供へることぞ、
衣とは神の衣のことぞ、
神の衣とは人の肉体のことぞ。

臣民をささげることぞ、
自分をささげることぞ、
この道理分りたか。
人に仕へるときも同じことぞ、
人を神として仕へねばならんぞ、
神として仕へると神となるのざから、
もてなしの物出すときは、
祓ひ清めて神に仕へると同様にして呉れよ、
喰べ物 今の半分で足りると申してあるが、
神に献げたものか祓ひ清めて神に献げると
同様にすれば半分で足りるのぞ、
てんのゐへん気つけて居れよ。
神くどう気つけて置くぞ。

神世近づいたぞ。

九月六日、一二のか三。

 


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富士の巻、第十二帖 (九二)

 

御土は神の肉体ぞ。

臣民の肉体もお土から出来てゐるのぞ、
この事分りたら、お土の尊いことよく分るであろがな。

これからいよいよ厳しくなるぞ、
よく世の中の動き見れば分るであろが、
汚れた臣民あがれぬ神の国に上がってゐるではないか。

いよいよとなりたら神が臣民にうつりて手柄さすなれど、
今では軽石のような臣民ばかりで神かかれんぞ。

早う神の申すこと、
よくきいて生れ赤子の心になりて
神の入れものになりて呉れよ。
一人改心すれば千人助かるのぞ、
今度は千人力与えるぞ、
何もかも悪の仕組は分りているぞ、
いくらでも攻めて来てござれ、
神には世の本からの神の仕組してあるぞ、
学や知恵でまだ神にかなふと思ふてか、
神にはかなはんぞ。

八月の二十一日、Θのひつ九のか三。

 


天つ巻、第十二帖(一一九)

 

遠くて近きは男女だけではないぞ、
神と人、天と地、親と子、
喰べる物も遠くて近いがよいのざぞ、
カミそまつにすればカミに泣くぞ、
土尊べば土が救って呉れるのぞ、
尊ぶこと今の臣民忘れてゐるぞ、
神ばかり尊んでも何にもならんぞ、
何もかも尊べば何もかも味方ぞ、
敵とうとべば敵が敵でなくなるのぞ、
この道理分りたか。

臣民には神と同じ分霊(わけみたま)さづけてあるのざから、
みがけば神になるのぞ。
神示は謄写(とうしゃ)よいぞ、
初めは五十八、
次は三百四十三ぞ、よいな。

八月の五日、ひつくのか三。

 


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富士の巻、第十三帖 (九三)

 

何もかもてんし様のものではないか、
それなのにこれは自分の家ぞ、
これは自分の土地ぞと申して
自分勝手にしているのが神の気に入らんぞ、
一度は天地に引き上げと知らしてありたこと忘れてはならんぞ、
一本の草でも神のものぞ、
野(ぬ)から生れたもの、
山から取れたもの、
海の幸もみな神に供へてから
臣民いただけと申してあるわけも、
それで分るであろうがな。

この神示よく読みてさへ居れば
病気もなくなるぞ、
さう云へば今の臣民、
そんな馬鹿あるかと申すが
よく察して見よ、必ず病も直るぞ、
それは病人の心が綺麗になるからぞ、
洗濯せよ掃除せよと申せば、
臣民 何も分らんから、
あわててゐるが、
この神示よむことが洗濯や掃除の初めで終りであるぞ、
神は無理は言はんぞ、神の道は無理してないぞ、
よくこの神示読んで呉れよ。

よめばよむほど身魂みがかれるぞ、
と申しても仕事をよそにしてはならんぞ。

臣民と申すものは馬鹿正直ざから、
神示よめと申せば、
神示ばかり読んだならよい様に思うてゐるが、
裏も表もあるのぞ。

役員よく知らしてやれよ。

八月二十二日、 Θのひつ九のか三のお告。

 


天つ巻、第十一帖(一一八)

 

この神示 言波としてよみて呉れよ、
神々様にもきかせて呉れよ、
守護神どのにも聞かして呉れよ、
守護神どのの改心まだまだであるぞ、
一日が一年になり百年になると
目が廻りて真底からの改心でないと
お役に立たんことになりて来るぞ。

九月四日、一二(ひつぐ)か三。

 


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富士の巻、第十四帖 (九四)

 

臣民にわかる様にいふなれば、
身も心も神のものざから、
毎日毎日 神から頂いたものと思えば
よいのであるぞ、
それでその身体(からだ)を
どんなにしたらよいかと云ふこと分かるであろうが、
夜になれば眠ったときは
神にお返ししてゐるのざと思へ、
それでよく分かるであろうが。

身魂みがくと申すことは、
神の入れものとして神からお預りしてゐる、
神の最も尊いとことしてお扱いすることぞ。

八月二十三日、Θの一二のか三。

 


天つ巻、第十帖 (一一七)

 

一二三の裏に〇一二、
三四五の裏に二三四、
五六七の裏に四五六の御用あるぞ。
五六七すんだら七八九ぞ、
七八九の裏には六七八あるぞ、
八九十の御用もあるぞ。

だんだんに知らすから、
これまでの神示(ふで)よく心に入れて、
ジッとして置いて呉れよ。

九月の三日、ひつ九のか三。

 


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富士の巻、第十五帖 (九五)

 

一二三は神食。
三四五は人食、
五六七は動物食、
七八九は草食ぞ、
九十は元に、
一二三の次の食、
神国弥栄ぞよ。

人、三四五食に病ないぞ。

八月二十四日、Θ一二Θふみ。

 


天つ巻、第九帖 (一一六)

 

ひふみの秘密
出でひらき鳴る、
早く道展き成る、
世ことごとにひらき、
世、なる大道で、
神ひらき、世に神々満ちひらく、
この鳴り成る神、ひふみ出づ大道、
人神出づはじめ。

九月二日、ひつぐのかみ。

 


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富士の巻、第十六帖 (九六)

 

あらしの中の捨小舟ぞ、
どこへ行くやら行かすやら、
船頭さんにも分かるまい、
メリカ、キリスは花道で、
味方と思うた国々も、
一つになりて攻めて来る、
梶(かじ)も櫂(かい)さへ折れた舟、
何うすることもなくなくに、
苦しい時の神頼み、
それでは神も手が出せぬ、
腐りたものは腐らして
肥料になりと思へども、
肥料にさへもならぬもの、
沢山出来て居らうがな、
北から攻めて来るときが、
この世の終り始めなり、
天にお日様一つでないぞ、
二つ三つ四つ出て来たら、
この世の終りと思へかし、
この世の終りは神国の始めと思へ臣民よ、
神々様にも知らすぞよ、
神はいつでもかかれるぞ、
人の用意をいそぐぞよ。

八月二十四日、Θの一二か三。

 


天つ巻、第八帖 (一一五)

 

あらしの中の捨小船と申してあるが、
今その通りとなりて居ろうがな、
何うすることも出来まいがな、
船頭どの、苦しい時の神頼みでもよいぞ、
神まつりて呉れよ、神にまつはりて呉れよ、
神はそれを待ってゐるのざぞ、
それでもせぬよりはましぞ、
そこに光あらはれるぞ。

光現はれると道はハッキリと判りて来るのぞ、
この方にだまされたと思うて、
言ふ通りにして見なされ、
自分でもビックリする様に
結構が出来てるのにビックリするぞ。
富士の御山に腰かけて、この方 世界中まもるぞ。

かのととり、結構な日と申してあるが、
結構な日は恐い日であるぞ。

天から人が降る、人が天に昇ること、
昇り降りでいそがしくなるぞ。

てんし様 御遷(うつ)り願ふ時近づいて来たぞよ。

奥山に紅葉(もみじ)ある内にと思へども、
いつまで紅葉ないぞ。

九月の二日、ひつくΘ

 


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富士の巻、第十七帖 (九七)

 

九十が大切ぞと知らしてあろがな、
戦ばかりでないぞ、
何もかも臣民では見当とれんことになりて来るから、
上の臣民 九十に気つけて呉れよ、
お上に神祀りて呉れよ、
神にまつらうて呉れよ、
神くどう申して置くぞ、
早う祀らねば間に合はんのざぞ、
神の国の山々には皆神祀れ、
川々にみな神まつれ、
野にもまつれ、
臣民の家々にも落つる隈なく神まつれ、
まつりまつりて弥勒(みろく)の世となるのぞ。

臣民の身も神の宮となりて神まつれ、
祭祀(まつり)の仕方 知らしてあろう、
神は急(せ)けるぞ。

八月二十五日、Θのひつ九Θ。

 


天つ巻、第七帖 (一一四)

 

二二(ふじ)は晴れたり日本晴れ、
二本のお足であんよせよ、
二本のお手手で働けよ、日本の神の御仕組、
いつも二本となりてるぞ、
一本足の案山子(かかし)さん、
今更 何うにもなるまいが、
一本の手の臣民よ、
それでは生きては行けまいが、
一本足では立てないと、
云ふこと最早分ったら、
神が与えた二本足、
日本のお土に立ちて見よ、
二本のお手手 打ち打ちて、
神おろがめよ あめつちに、
響くまことの拍手に、
日本の国は晴れるぞよ、
二二(ふじ)は晴れたり日本晴れ、
二二(ふじ)は晴れたり、岩戸あけたり。

九月一日、ひつ九のか三。

 


98>113

富士の巻、第十八帖 (九八)


神々様みなお揃ひなされて、
雨の神、風の神、地震の神、岩の神、あれの神
五柱七柱、八柱、十柱の神々様がチャンとお心合はしなされて、
今度の仕組の御役きまりて
それぞれに働きなされることになりたよき日ぞ。
辛酉(かのととり)はよき日と知らしてあろがな。

これから一日々々烈しくなるぞ、
臣民 心得て置いて呉れよ、
物持たぬ人、物持てる人より強くなるぞ、
泥棒が多くなれば泥棒が正しいと云ふことになるぞ、
理屈は悪魔と知らしてあろが、
保持(うけもち)の神様ひどくお怒りぞ、
臣民の食ひ物、足りるやうに作らしてあるに、
足らぬと申してゐるが、足らぬことないぞ、
足らぬのは、やり方わるいのざぞ、
食ひて生くべきもので人殺すとは何事ぞ。

それぞれの神様にまつはればそれぞれの事、
何もかなふのぞ、神にまつはらずに、
臣民の学や知恵が何になるのか、
底知れてゐるのでないか。

戦には戦の神あるぞ、
お水に泣くことあるぞ、
保持の神様 御怒りなされてゐるから早やう心入れかへてよ、
この神様お怒りになれば、
臣民 日干しになるぞ。

八月の辛酉の日、ひつくのか三さとすぞ。

 


天つ巻、第六帖 (一一三)

 

天(あめ)は天の神、
国は国の神が治(し)らすのであるぞ、
お手伝ひはあるなれど。

秋の空のすがすがしさが、
グレンと変るぞ、
地獄に住むもの地獄がよいのぞ、
天国ざぞ、逆様はもう長うはつづかんぞ、
無理通らぬ時世(ときよ)が来たぞ、
いざとなりたら残らずの活神(いきがみ)様、
御総出ざぞ。

九月の一日、ひつくのか三。

 


99>112

富士の巻、第十九帖 (九九)

 

神世のひみつと知らしてあるが、
いよいよとなりたら
地震かみなりばかりでないぞ、
臣民アフンとして、
これは何とした事ぞと、
口あいたまま何うすることも出来んことになるのぞ、
四ツン這ひになりて着る物もなく、
獣となりて、這ひ廻る人と、空飛ぶやうな人と、
二つにハッキリ分かりて来るぞ、
獣は獣の性来いよいよ出すのぞ、
火と水の災難が何んなに恐ろしいか、
今度は大なり小なり知らさなならんことになりたぞ。

一時は天も地も一つにまぜまぜにするのざから、
人一人も生きては居れんのざぞ、
それが済んでから、身魂みがけた臣民ばかり、
神が拾ひ上げて弥勒(みろく)の世の臣民とするのぞ、
どこへ逃げても逃げ所ないと申してあろがな、
高い所から水流れるやうに時に従ひて居れよ、
いざといふときには神が知らして
一時は天界へ釣り上げる臣民もあるのざぞ。

人間の戦や獣の喧嘩位では何も出来んぞ、
くどう気附けておくぞ、
何よりも改心が第一ぞ。

八月の二十六日、 Θのひつくのかみ。

 


天つ巻、第五帖 (一一二)

 

牛の喰べ物たべると牛の様になるぞ、
猿は猿、虎は虎となるのざぞ。

臣民の喰べ物は定まってゐるのざぞ、
いよいよとなりて何でも喰べねばならぬやうになりたら
虎は虎となるぞ、
獣と神とが分れると申してあろがな、
縁ある臣民に知らせておけよ、
日本中に知らせておけよ、
世界の臣民に知らせてやれよ、
獣の喰ひ物くふ時には、
一度 神に献げてからにせよ、
神から頂けよ、
さうすれば神の喰べ物となって、
何たべても大じょうぶになるのぞ、
何もかも神に献げてからと申してあることの道理
よく分りたであろがな、
神に献げきらぬと獣になるのぞ、
神がするのではないぞ、
自分がなるのぞと申してあることも、
よく分ったであろがな、
くどう申すぞ、
八から九から十から百から千から万から
何が出るか分らんから神に献げな生きて行けん様に
なるのざが、
悪魔にみいられてゐる人間
いよいよ気の毒出来るのざぞ。

八月の三十一日、ひつくのか三。

 


100>111

富士の巻、第二十帖 (一〇〇)

 

今のうちに草木の根や葉を
日に干して貯へておけよ、
保持(うけもち)の神様お怒りざから、
九十四は五分位しか食べ物とれんから、
その積りで用意して置いて呉れよ。

神は気もない時から知らして置くから、
この神示よく読んで居れよ。

一握りの米に泣くことあると知らしてあろがな、
米ばかりでないぞ、
何もかも臣民もなくなるところまで行かねばならんのぞ、
臣民ばかりでないぞ、
神々様さへ今度は無くなる方あるぞ。

臣民と云ふものは目の先ばかりより見えんから、
呑気なものであるが、
いざとなりての改心は間に合はんから、
くどう気つけてあるのぞ。

日本ばかりでないぞ、
世界中はおろか三千世界の大洗濯と申してあろうがな、
神にすがりて神の申す通りにするより他には道ないぞ、
それで神々様を祀りて
上の御方からも下々からも
朝に夕に言霊がこの国に満つ世になりたら神の力現はすのぞ。
江戸に先ず神まつれと、
くどう申してあることよく分かるであろがな。

八月の二十七日、Θのひつ九のか三。

 


天つ巻、第四帖 (一一一)

 

この方は元の肉体のままに生き通しであるから、
天明にも見せなんだのざぞ、
あちこちに臣民の肉体かりて予言する神が沢山出てゐるなれど、
九分九厘は分りて居れども、
とどめの最后は分らんから、
この方に従ひて御用せよと申してゐるのぞ。
砂糖にたかる蟻となるなよ。

百人千人の改心なれば、
どんなにでも出来るなれど、
今度は世界中、
神々様も畜生も悪魔も餓鬼も外道も三千世界の大洗濯ざから、
そんなチョロコイ事ではないのざぞ。

ぶち壊し出来ても建直し分かるまいがな。

火と水で岩戸開くぞ、
知恵や学でやると、グレンと引繰り返ると申しておいたが、
さう云へば知恵や学は要らんと臣民早合点するが、
知恵や学も要るのざぞ。

悪も御役であるぞ、
この道理よく腹に入れて下されよ。

天の神様 地に御降りなされて、
今度の大層な岩戸開きの指図なされるのざぞ、
国々の神々様、うぶすな様、
力ある神々様にも御苦労になっているのざぞ。

天照皇太神宮様初め神々様、
あつくまつりて呉れと申してきかしてあろがな、
神も仏もキリストも元は一つぞよ。

八月三十一日、ひつ九のΘ。

 


101>110

富士の巻、第二十一帖 (一〇一)

 

神の申すこと何でも素直にきくやうになれば、
神は何でも知らしてやるのぞ。

配給のことでも統制のことも、
わけなく出来るのぞ、
臣民みな喜ぶやうに出来るのぞ、
何もかも神に供へてからと申してあろがな、
山にも川にも野(ぬ)にも里にも家にも、
それぞれに神祀れと申してあろがな、
ここの道理よく分らんか。

神は知らしてやりたいなれど、
今では猫に小判ぞ、
臣民 神にすがれば、
神にまつはれば、
その日からよくなると申してあろが、
何も六ヶ敷いことでないぞ、
神は無理言はんぞ、
この神示読めば分る様にしてあるのざから
役員早う知らして縁ある臣民から知らして呉れよ。

印刷出来んと申せば何もしないで居るが、
印刷せいでも知らすこと出来るぞ、
よく考へて見よ、
今の臣民、学に囚へられて居ると、
まだまだ苦しい事出来るぞ、
理屈ではますます分らんやうになるぞ、
早う神まつれよ、
上も下も、上下揃えてまつりて呉れよ、
てんし様を拝めよ、
てんし様にまつはれよ、
その心が大和魂ぞ、益人のます心ぞ、
ますとは弥栄のことぞ、神の御心ぞ、
臣民の心も神の御心と同じことになって来るぞ、
世界中一度に唸(うな)る時が近づいて来たぞよ。

八月の二十八日、 Θのひつ九のかみふで。

 


天つ巻、第三帖 (一一〇)

 

一日のひのまにも天地引繰り返ると申してあろがな、
ビックリ箱が近づいたぞ、
九、十に気付けと、くどう申してあろがな、
神の申すこと一分一厘ちがはんぞ、
ちがふことなら こんなにくどうは申さんぞ、
同じことばかり繰り返すと臣民申して居るが、
この方の申すこと みなちがってゐることばかりぞ、
同じこと申していると思ふのは、
身魂曇りてゐる証拠ぞ。

改心第一ぞ。
八月三十一日、一二Θ。

 


102>109

富士の巻、第二十二帖 (一〇二)

 

まつりまつりと、くどく申して知らしてあるが、
まつり合はしさへすれば、
何もかも、うれしうれしと栄える仕組で、
悪も善もないのぞ、
まつれば悪も善ぞ、まつらねば善もないのぞ、
この道理分りたか、
祭典と申して神ばかり拝んでゐるやうでは何も分らんぞ。

そんな我れよしでは神の臣民とは申せんぞ、
早うまつりて呉れと申すこと、
よくきき分けて呉れよ。

われがわれがと思ふてゐるのは調和(まつり)てゐぬ証拠ぞ、
鼻高となればポキンと折れると申してある道理よく分らうがな、
この御道は鼻高と取りちがひが一番邪魔になるのぞと申すのは、
慢心と取りちがひは調和(まつり)の邪魔になるからぞ。

ここまでわけて申さばよく分かるであろう、
何事も真通理(まつり)が第一ぞ。

八月の二十九日、Θの一二Θ。

 


天つ巻、第二帖(一〇九)

 

これまでの改造は膏薬(こうやく)張りざから、
すぐ元にかへるのぞ。

今度は今までにない、
文(ふみ)にも口にも伝えてない改造ざから、
臣民界のみでなく神界も引っくるめて改造するのざから、
この方らでないと、そこらにござる守護神さまには分らんのぞ、
九分九厘までは出来るなれど、
ここといふところで、オジャンになるであろうがな、
富や金(きん)を返したばかりでは、
今度は役に立たんぞ、
戦ばかりでないぞ、
天災ばかりでないぞ、
上も潰れるぞ、
下も潰れるぞ、
つぶす役は誰でも出来るが、
つくりかためのいよいよのことは、
神々様にも分りては居らんのざぞ、
星の国、星の臣民 今はえらい気張り様で、
世界構うやうに申してゐるが、
星ではダメだぞ、
神の御力でないと何も出来はせんぞ。

八月三十一日、一二Θ。

 


103>108

富士の巻、第二十三帖 (一〇三)

 

世界は一つになったぞ、
一つになって神の国に攻め寄せて来ると申してあることが出て来たぞ。

臣民にはまだ分るまいなれど、今に分りて来るぞ、
くどう気つけて置いたことのいよいよが来たぞ。

覚悟はよいか、臣民一人一人の心も同じになりて居ろがな、
学と神の力との大戦ぞ、
神国(かみぐに)の神の力あらはす時が近うなりたぞ。

今あらはすと、助かる臣民 殆んどないから、
神は待てるだけ待ちてゐるのぞ、
臣民もかあいいが、元をつぶすことならんから、
いよいよとなりたら、
何んなことありても、ここまでしらしてあるのざから、
神に手落ちあるまいがな。

いよいよとなれば、分っていることなれば、
なぜ知らさぬのぞと申すが、
今では何馬鹿なと申して取り上げぬことよく分ってゐるぞ。

因縁のみたまにはよく分るぞ、
この神示読めばみたまの因縁よく分るのぞ、
神の御用する身魂は選(よ)りぬいて引張りて居るぞ、
おそし早しはあるなれど、いづれは何うしても、
逃げてもイヤでも御用さすようになりて居るのぞ。

北に気つけよ、東も西も南も何うする積りか、
神だけの力では臣民に気の毒出来るのぞ、
神と人との和のはたらきこそ神喜ぶのぞ、
早う身魂みがけと申すことも、
悪い心 洗濯せよと申すことも分かるであろう。

八月三十日、 Θの一二か三。

 


天つ巻 / (あつまき)、第一帖 (一〇八)

 

二二は晴れたり日本晴れ、
二二に御社(みやしろ)してこの世治めるぞ。

五大州ひっくり返りてゐるのが神には何より気に入らんぞ。

一の大神様まつれ、
二の大神様まつれよ、
三の大神様まつれよ、
天の御三体の大神様、
地の御三体の大神様まつれよ、
天から神々様 御降りなされるぞ、
地から御神々様おのぼりなされるぞ、
天の御神、地の御神、
手をとりてうれしうれしの御歌うたはれるぞ。

Θの国は神の国、神の肉体ぞ、
汚(けが)してはならんとこぞ。

八月の三十一日、一二のか三。

 


104>107

富士の巻、第二十四帖 (一〇四)

 

富士(二二)を目ざして攻め寄する、
大船小船あめの船、
赤鬼青鬼黒鬼や、
おろち悪狐を先陣に、
寄せ来る敵は空蔽(おお)ひ、
海を埋めて忽(たちま)ちに、
天日(てんぢつ)暗くなりにけり、
折しもあれや日の国に、
一つの光 現はれぬ、これこそ救ひの大神と、
救ひ求むる人々の、
目にうつれるは何事ぞ、
攻め来る敵の大将の、大き光と呼応して、
一度にドッと雨ふらす、
火の雨何んぞたまるべき、
まことの神はなきものか、
これはたまらぬ兎も角も、
生命あっての物種と、兜を脱がんとするものの、
次から次にあらわれぬ、
折しもあれや時ならぬ、
大風起こり雨来り、大海原には竜巻や、
やがて火の雨 地(つち)震ひ、
山は火を吹きどよめきて、
さしもの敵も悉く、この世の外にと失せにけり、
風やみ雨も収まりて、
山川静まり国土の、ところところに白衣(しろきぬ)の、
神のいぶきに甦る、御民の顔の白き色、
岩戸ひらけぬしみじみと、
大空仰ぎ神を拝み、地に跪(ひざまづ)き御民らの、
目にすがすがし富士の山、
富士は晴れたり日本晴れ、
普字は晴れたり岩戸(一八十)あけたり。

八月の三十日、Θの一二のΘ。

 


富士の巻、第二十七帖 (一〇七)

 

神の堪忍袋 切れるぞよ、
臣民の思ふやうにやれるなら、やりて見よれ、
九分九厘でグレンと引繰り返ると申してあるが、
これからはその場で引繰り返る様になるぞ。

誰れもよう行かん、臣民の知れんところで何してゐるのぞ、
神には何も彼も分りてゐるのざと申してあろがな、
早く兜脱いで神にまつはりて来いよ、
改心すれば助けてやるぞ、
鬼の目にも涙ぞ、まして神の目にはどんな涙もあるのざぞ、
どんな悪人も助けてやるぞ、どんな善人も助けてやるぞ。

江戸と申すのは東京ばかりではないぞ、
今の様な都会みなエドであるぞ、
江戸は何うしても火の海ぞ。

それより外やり方ないと神々様申して居られるぞよ。

秋ふけて草木枯れても根は残るなれど、
臣民かれて根の残らぬやうなことになりても知らんぞよ、
神のこのふみ早う知らしてやって呉れよ。

八と十八と五月と九月と十月に気つけて呉れよ、
これでこの方の神示の終わりぞ。

この神示は富士(二二)の巻として
一つに纒(まと)めておいて下されよ、
今に宝となるのざぞ。

八月の三十日、Θのひつ九Θ。
(富士の巻了)

 


105>106

富士の巻、第二十五帖 (一〇五)

 

世界中の臣民はみなこの方の臣民であるから、
殊に可愛い子には旅させねばならぬから、
どんなことあっても神の子ざから、
神疑はぬ様になされよ、
神疑ふと気の毒出来るぞ。

いよいよとなりたら、
どこの国の臣民といふことないぞ、
大神様の掟通りにせねばならんから、
可愛い子ぢゃとて容赦出来んから、
気つけてゐるのざぞ、
大難を小難にまつりかへたいと思へども、
今のやり方は、まるで逆様ざから、
何うにもならんから、いつ気の毒出来ても知らんぞよ。

外国から早く分りて、
外国にこの方祀ると申す臣民 沢山出来る様になりて来るぞ。

それでは神の国の臣民 申し訳ないであろがな、
山にも川にも海にもまつれと申してあるのは、
神の国の山川ばかりではないぞ、
この方 世界の神ぞと申してあろがな。

裸になりた人から、その時から善の方にまわしてやると申してあるが、
裸にならねば、なるやうにして見せるぞ、
いよいよとなりたら苦しいから今の内ざと申してあるのぞ。

凡てをてんし様に献げよと申すこと、
日本の臣民ばかりでないぞ、
世界中の臣民みな てんし様に捧げなならんのざぞ。

八月の三十日、 Θのひつ九のか三。

 


富士の巻、第二十六帖 (一〇六)

 

戦は一度おさまる様に見えるが、
その時が一番気つけねばならぬ時ぞ、
向ふの悪神は
今度はΘの元の神を根こそぎに無きものにして仕まふ計画であるから、
その積りでフンドシ締めて呉れよ、
誰も知れんやうに悪の仕組してゐること、
神にはよく分りてゐるから心配ないなれど、
臣民助けたいから、神はじつとこらへてゐるのざぞ。

八月の三十日、Θのひつ九のΘ。