まぜまぜ(^^♪ひふみ神示 その2

ブースカ明日香さんを真似て書いてみました(^^) スマホでしたら、横画面にすると見やすいかと思います。 5/11改題しました。

まぜませ 一二一~一五〇

ひふみ神示 まぜまぜの第一二一帖~第一五〇帖

 

第四巻 天つ巻
全三十帖・通し番号(一〇八)~(一三七)のうち(一二一)~(一三七)
自 昭和十九年八月三十一日
至 昭和十九年九月 十四日 

 

第五巻 地(くに)つ巻
全三十六帖・通し番号(一三八)~(一七三)のうち(一三八)~(一五〇)
自 昭和十九年九月十五日
至 昭和十九年十月十一日 

 


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天つ巻、第十四帖(一二一)

 

海一つ越えて寒い国に、まことの宝 隠してあるのざぞ、
これからいよいよとなりたら、
神が許してまことの臣民に手柄いたさすぞ、
外国人がいくら逆立ちしても、
神が隠してゐるのざから手は着けられんぞ、
世の元からのことであれど、いよいよが近くなりたら、
この方の力で出して見せるぞ、びっくり箱が開けて来るぞ。

八月の七日、ひつくのか三。

 


地つ巻、第十三帖 (一五〇)

 

赤い眼鏡かければ赤く見えると思うてゐるが、
それは相手が白いときばかりぞ、
青いものは紫にうつるぞ。

今の世は色とりどり眼鏡とりどりざから
見当とれんことになるのざぞ、
眼鏡はづすに限るのぞ、
眼鏡はづすとは洗濯することざぞ。

上ばかりよくてもならず、
下ばかりよくてもならんぞ。

上も下も天地そろうてよくなりて世界中の臣民、
けものまで安心して暮らせる
新(あら)の世に致すのざぞ、
取り違へするなよ。

九月二十三日、一二Θ。

 


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天つ巻、第十五帖(一二二)

 

神の国には神の国のやり方あるぞ、
支那には支那、オロシヤにはオロシヤ、
それぞれにやり方がちがふのざぞ、
教もそれぞれにちがってゐるのざぞ、
元は一つであるなれど、
神の教が一等よいと申しても、
そのままでは外国には通らんぞ、
このことよく心にたたんでおいて、
上に立つ役員どの気つけて呉れよ、
猫に小判何にもならんぞ、
神の一度申したことは一分もちがはんぞ。

八月七日、一二Θ。

 


地つ巻、第十二帖 (一四九)

 

この道は道なき道ざぞ。

天理も金光も黒住も今はたましひぬけて居れど、
この道入れて生きかへるのぞ、
日蓮親鸞も耶蘇も何もかもみな脱け殻ぞ、
この道でたま入れて呉れよ、
この道は「ゝ」ぞ、
〇の中に「ゝ」入れて呉れと申してあろうが。

臣民も世界中の臣民も国々もみな同じことぞ、
「ゝ」入れて呉れよ、
〇を掃除して居らぬと「ゝ」はいらんぞ、
今度の戦は〇の掃除ぞと申してあらうがな、
まつりとは調和(まつり)合はすことと申してあろうがな、
この道は教でないと云ふてあらうが、
教会やほかの集ひでないと申してあらうがな、
人集めて呉れるなと申してあらうがな。

世界の臣民みな信者と申してあらうが、
この道は道なき道、時なき道ぞ、光ぞ。

この道でみな生き返るのざぞ。

天明 阿房になりて呉れよ、
我(が)すてて呉れよ、
神かかるのに苦しいぞ。

九月二十三日、一二Θ。

 


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天つ巻、第十六帖(一二三)

 

今度の戦済みたら
てんし様が世界中知ろしめして、
外国には王はなくなるのざぞ。

一旦戦おさまりても、
あとのゴタゴタなかなか静まらんぞ、
神の臣民ふんどし締めて神の申すことよく腹に入れて置いて呉れよ、
ゴタゴタ起りたとき、何うしたらよいかと云ふことも、
この神示(ふで)よく読んで置けば分るやうにしてあるのざぞ。

神は天からと宙からと地からと力(ちから)合はして、
神の臣民に手柄立てさす様にしてあるのざが、
今では手柄立てさす、神の御用に使ふ臣民一分(いちぶ)もないのざぞ。

神の国が勝つばかりではないのざぞ、
世界中の人も草も動物も助けてみな喜ぶやうにせなならんのざから、
臣民では見当取れん永遠(とことは)につづく神世に致すのざから、
素直に神の申すこときくが一等ざぞ。

人間の知恵でやれるなら、やって見よれ、
あちらへ外れ、こちらへ外れて、ぬらりくらりと鰻つかみぞ、
思ふやうにはなるまいがな、
神の国が本の国ざから、神の国からあらためるのざから、
一番つらいことになるのざぞ、覚悟はよいか、
腹さへ切れぬ様なフナフナ腰で大番頭とは何と云ふことぞ、
てんし様は申すもかしこし、
人民さま、犬猫にも済むまいぞ。
人の力ばかりで戦してゐるのでないこと位 分って居らうがな、
目に見せてあらうがな、これでも分らんか。

八月七日、一二Θ。

 


地つ巻、第十一帖 (一四八)

 

世界丸めて一つの国にするぞと申してあるが、
国はそれぞれの色の違ふ臣民によりて一つ一つの国作らすぞ。

その心々によりて、それぞれの教作らすのぞ。
旧きものまかりて、また新しくなるのぞ、
その心々(こころこころ)の国と申すは、心々の国であるぞ、
一つの王で治めるのざぞ。

天つ日嗣の実子様が世界中照らすのぞ。

国のひつきの御役も大切の御役ぞ。

道とは三つの道が一つになることぞ、
みちみつことぞ、もとの昔に返すのざぞ、
つくりかための終りの仕組ぞ、終は始ぞ、
始は霊(ひ)ぞ、富士 都となるのざぞ、
幽界(がいこく)行きは外国行きぞ。

神の国光りて目あけて見れんことになるのざぞ、
臣民の身体からも光が出るのざぞ、
その光によりて その御役 位、分るのざから、
みろくの世となりたら何もかもハッキリして うれしうれしの世となるのぞ、
今の文明なくなるのでないぞ、
たま入れていよいよ光りて来るのぞ、
手握りて草木も四つあしもみな唄ふこととなるのぞ、
み光にみな集まりて来るのざぞ、
てんし様の御光は神の光であるのざぞ。

九月二十と一日、一二か三。

 


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天つ巻、第十七帖(一二四)

 

昔から生き通しの活神様のすることぞ、
泥の海にする位 朝飯前のことざが、
それでは臣民が可哀そうなから
天の大神様にこの方が詑びして一日(ひとひ)一日と延ばしてゐるのざぞ、
その苦労も分らずに臣民勝手なことばかりしてゐると、
神の堪忍袋切れたら何んなことあるか分らんぞ、
米があると申して油断するでないぞ、
一旦は天地へ引き上げぞ。

八月七日、一二Θ。

 


地つ巻、第十帖 (一四七)

 

何事も方便と申して自分勝手なことばかり申してゐるが、
方便と申すもの神の国には無いのざぞ。

まことがことぞ、まの事ぞ、ことだまぞ。

これまでは方便と申して逃げられたが、
も早 逃げること出来ないぞ、
方便の人々早う心洗ひて呉れよ、
方便の世は済みたのざぞ、
いまでも仏の世と思うてゐるとびっくりがでるぞ、
神の国、元の神がスッカリ現はれて富士の高嶺から天地(あめつち)へのりとするぞ、
岩戸しめる御役になるなよ。

九月の二十日、ひつ九のか三。

 


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天つ巻、第十八帖(一二五)

 

何時も気つけてあることざが、神が人を使うてゐるのざぞ、
今度の戦で外国人にもよく分って、
神様にはかなはん、何うか言ふこときくから、
夜も昼もなく神に仕へるからゆるして呉れと申す様になるのざぞ、
それには神の臣民の身魂掃除せなならんのざぞ、
くどい様なれど一時(いちじ)も早く一人でも
多く改心して下されよ、神は急ぐのざぞ。

八月七日、一二のΘ。

 


地つ巻、第九帖 (一四六)

 

ひつくの神にひと時拝せよ、
神のめぐみ身にも受けよ、
からだ甦るぞ、
神の光を着よ、
み光をいただけよ、食べよ、
神ほど結構なものないぞ、
今の臣民 日をいただかぬから病になるのざぞ、
神の子は日の子と申してあらうがな。

九月二十日、ひつ九のか三。

 


126>145
天つ巻、第十九帖(一二六)

 

神の力が何んなにあるか、
今度は一度は世界の臣民に見せてやらねば納まらんのざぞ、
世界ゆすぶりて知らせねばならん様になるなれど、
少しでも弱くゆすりて済む様にしたいから、
くどう気つけてゐるのざぞ、
ここまで世が迫りて来てゐるのぞ、
まだ目醒めぬか、神は何うなっても知らんぞ、
早く気つかぬと気の毒出来るぞ、
その時になりては間に合はんぞ。

八月七日、一二Θ。

 


地つ巻、第八帖 (一四五)

 

祓ひせよと申してあることは何もかも借銭なしにする事ぞ。

借銭なしとはめぐりなくすることぞ、
昔からの借銭は誰にもあるのざぞ、
それはらってしまふまでは誰によらず苦しむのぞ、
人ばかりでないぞ、家ばかりでないぞ、
国には国の借銭あるぞ。

世界中借銭なし、何しても大望(たいもう)であるぞ。

今度の世界中の戦は世界の借銭なしぞ、世界の大祓ひぞ、
神主お祓ひの祝詞(のりと)あげても何にもならんぞ、
お祓ひ祝詞は宣(の)るのぞ、
今の神主 宣(の)ってないぞ、口先ばかりぞ、祝詞も抜けてゐるぞ。

あなはち、しきまきや、くにつ罪、みな抜けて読んでゐるではないか、
臣民の心にはきたなく映るであろうが、
それは心の鏡くもってゐるからぞ。

悪や学にだまされて肝心の祝詞まで骨抜きにしてゐるでないか、
これでは世界はきよまらんぞ。

祝詞はよむものではないぞ、
神前で読めばそれでよいと思うてゐるが、
それ丈では何にもならんぞ。

宣るのざぞ、いのるのざぞ、なりきるのざぞ、とけきるのざぞ、
神主ばかりでないぞ、皆心得ておけよ、
神のことは神主に、仏は坊主にと申してゐること根本の大間違ひぞ。

九月十九日、ひつ九Θ 。

 


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天つ巻、第二十帖(一二七)

 

神の世と申すのは、今の臣民の思ふてゐるやうな世ではないぞ、
金(きん)は要らぬのざぞ、
お土からあがりたものが光りて来るのざぞ、
衣類たべ物、家倉まで変るのざぞ。

草木も喜ぶ政治と申してあらうがな、
誰でもそれぞれに先の分る様になるのぞ。

お日様もお月様も海も山も野も光り輝いて水晶の様になるのぞ。

悪はどこにもかくれること出来ん様になるのぞ、
ばくち、しょうぎは無く致すぞ。

雨も要るだけ降らしてやるぞ、
風もよきやうに吹かしてやるぞ、
神をたたえる声が天地にみちみちて
うれしうれしの世となるのざぞ。

八月の七日、ひつ九のか三ふで。

 


地つ巻、第七帖 (一四四)

 

神にまつらふ者には生も死もないのぞ、
死のこと、まかると申してあろうがな、生き通しぞ、
なきがらは臣民残さなならんのざが、
臣民でも昔は残さないで死(まか)ったのであるぞ、
それがまことの神国の臣民ぞ、みことぞ。

世の元と申すものは天も地も泥の海でありたのざぞ。

その時からこの世初まってから生き通しの神神様の御働きで
五六七(みろく)の世が来るのざぞ。

腹が出来て居ると、腹に神づまりますのざぞ、
高天原ぞ、神漏岐(かむろぎ)、神漏美(かむろみ)の命(みこと)忘れるでないぞ。

そこから分りて来るぞ。

海をみな船で埋めねばならんぞ、
海断たれて苦しまん様にして呉れよ、
海めぐらしてある神の国
きよめにきよめておいた神の国に、
幽国(がいこく)の悪わたり来て神は残念ぞ。

見ておざれ、神の力現はす時来たぞ。

九月十八日、ひつ九Θ。

 


128>143
天つ巻、第二十一帖(一二八)

 

みろく出づるには、はじめ半(なか)ばは焼くぞ、
人、二分は死、みな人、神の宮となる。

西に戦争(いくさ)しつくし、神世とひらき、
国毎に、一二三(ひふみ)、三四五(みよいづ)たりて百千万(ももちよろず)、
神急ぐぞよ。

八月七日、ひつくのかみふみぞ。

 


地つ巻、第六帖 (一四三)

 

神の国八つ裂きと申してあることいよいよ近づいたぞ、
八つの国一つになりて神の国に攻めて来るぞ。

目さめたらその日の生命(いのち)おあづかりしたのざぞ、
神の肉体、神の生命 大切せよ。

神の国は神の力でないと治まったことないぞ、神第一ぞ、
いつまで仏や基(キリスト)や色々なものにこだはってゐるのぞ。

出雲の神様 大切にありがたくお祀りせよ、
尊い神様ぞ。

天つ神、国つ神、みなの神々様に御礼申せよ、
まつろひて下されよ、結構な恐い世となりて来たぞ、
上下ぐれんぞ。

九月十七日、一二のΘ。

 


129>142
天つ巻、第二十二帖(一二九)

 

十柱の世の元からの活神様 御活動になりてゐること分りたであろうがな、
けものの入れものには分るまいなれど、
神の臣民にはよく分りてゐる筈ぞ。

まだだんだんに烈しくなりて外国の臣民にも分る様になりて来るのざぞ。

その時になりて分りたのではおそいおそい、
早う洗濯いたして呉れよ。

八月の九日、ひつ九のか三。

 


地つ巻、第五帖 (一四二)

 

片輪車でトンテントンテン、骨折損の草臥(くたびれ)儲けばかり、

いつまでしてゐるのぞ、
神にまつろへと申してあろうがな、
臣民の智恵で何出来たか、早う改心せよ。

三月三日、五月五日は結構な日ぞ。

九月十六日、ひつ九のか三。

 


130>141
天つ巻、第二十三帖(一三〇)

 

我がなくてはならん、我があってはならず、
よくこの神示(ふで)よめと申すのぞ。

悪はあるが無いのざぞ、善はあるのざが無いのざぞ、
この道理分りたらそれが善人だぞ。

千人力の人が善人であるぞ、
お人よしではならんぞ、それは善人ではないのざぞ、神の臣民ではないぞ、
雨の神どの風の神どのにとく御礼申せよ。

八月の九日、一二Θ。

 


地つ巻、第四帖 (一四一)

 

この神示いくらでも出て来るのざぞ、
今の事と先の事と、三千世界、何も彼も分るのざから、
よく読みて腹に入れておいて呉れよ、
この神示 盗まれぬ様になされよ、
神示とりに来る人あるから気つけて置くぞ。

この道は中行く道ぞ、左も右りも偏ってはならんぞ、
いつも心にてんし様拝みておれば、
何もかも楽にゆける様になりてゐるのざぞ、
我れが我れがと思うてゐると、
鼻ポキリと折れるぞ。

九月十六日、ひつくのか三。

 


131>140
天つ巻、第二十四帖(一三一)

 

今の臣民めくら聾ばかりと申してあるが、その通りでないか、
この世はおろか自分の身体のことさへ分りては居らんのざぞ、
それでこの世をもちて行く積りか、
分らんと申しても余りでないか。

神の申すこと違ったではないかと申す臣民も今に出て来るぞ、
神は大難を小難にまつりかへてゐるのに分らんか、
えらいむごいこと出来るのを小難にしてあること分らんか、
ひどいこと出て来ること待ちてゐるのは邪(じゃ)のみたまぞ、
そんなことでは神の臣民とは申されんぞ。

臣民は、神に、わるい事は小さくして呉れと毎日お願ひするのが務めぞ、
臣民 近慾(ちかよく)なから分らんのぞ、
慾もなくてはならんのざぞ、
取違ひと鼻高とが一番恐いのぞ。

神は生れ赤子のこころを喜ぶぞ、
みがけば赤子となるのぞ、
いよいよが来たぞ。

九月十日、ひつ九のかみ。

 


地つ巻、第三帖 (一四〇)

 

人民同士の戦では到底かなはんなれど、
いよいよとなりたら神がうつりて手柄さすのであるから、
それまでに身魂みがいておいて呉れよ。

世界中が攻め寄せたと申しても、誠には勝てんのであるぞ、
誠ほど結構なものないから、誠が神風であるから、
臣民に誠なくなりてゐると、何んな気の毒出来るか分らんから、
くどう気つけておくのざぞ、腹掃除せよ。
九月の十六日、ひつ九のか三。

 


132>139
天つ巻、第二十五帖(一三二)

 

今に臣民 何も言へなくなるのざぞ、
神烈しくなるのざぞ、目あけて居れんことになるのざぞ。

四つン這ひになりて這ひ廻らなならんことになるのざぞ、
のたうち廻らなならんのざぞ、
土にもぐらなならんのざぞ、
水くぐらなならんのざぞ。

臣民可哀さうなれど、かうせねば鍛へられんのざぞ、
この世始まってから二度とない苦労ざが、
我慢してやり通して呉れよ。

九月十日、ひつくのか三。

 


地つ巻、第二帖(一三九)

 

今は闇の世であるから夜の明けたこと申しても、誰にも分らんなれど、
夜が明けたらなる程さうでありたかとビックリするなれど、
それでは間に合はんのざぞ、
それまでに心改めておいて下されよ、
この道信ずれは、すぐよくなると思うてゐる臣民もあるなれど、
それは己の心のままぞ、
道に外れたものは誰れ彼れはないのざぞ、
これまでのやり方スックリと変へねば世は治まらんぞと申してあるが、
上の人 苦しくなるぞ、途中の人も苦しくなるぞ、
お〇(かみ)のいふこときかん世になるぞ。

九月の十六日、ひつ九のか三。

 


133>138
天つ巻、第二十六帖(一三三)

 

天の日津久の神と申しても一柱ではないのざぞ、

臣民のお役所のやうなものと心得よ、

一柱でもあるのざぞ。

 

この方はオホカムツミノ神とも現はれるのざぞ、

時により所によりてはオホカムツミノ神として祀りて呉れよ、

青人草の苦瀬(うきせ)なほしてやるぞ。

天明は神示(ふで)書かす御役であるぞ。

九月十一日、ひつ九Θ。

 


地つ巻、第一帖 (一三八)


地つ巻 書き知らすぞ、
世界は一つの実言(みこと)となるのぞ、
それぞれの言の葉はあれど、実言(みこと)は一つとなるのであるぞ。

てん詞様の実言(みこと)に従ふのざぞ、
命(みこと)の世近づいて来たぞ。

九月十五日、一二Θ。

 


134>137
天つ巻、第二十七帖(一三四)

 

石物いふ時来るぞ、草物いふ時来るぞ。

北おがめよ、北光るぞ、北よくなるぞ、
夕方よくなるぞ、暑さ寒さ、やはらかくなるぞ、
五六七(みろく)の世となるぞ。

慌てずに急いで呉れよ。

神神様みなの産土(うぶすな)様 総活動でござるぞ、
神神様まつりて呉れよ、
人人様まつりて呉れよ、
御礼申して呉れよ。

九月十二日、一二か三。

 


天つ巻、第三十帖(一三七)

 

富士とは火の仕組ぞ、渦うみとは水の仕組ぞ、
今に分りて来るのぞ。

神の国には、政治も経済も軍事もないのざぞ、
まつりがあるだけぞ。

まつらふことによって何もかもうれしうれしになるのざぞ。
これは政治ぞ、これは経済ぞと申してゐるから
「鰻つかみ」になるのぞ、
分ければ分けるほど分からなくなって手におへぬことになるぞ。

手足は沢山は要らぬのざぞ。

火垂(ひだり)の臣(おみ)と水極(みぎり)の臣(おみ)とあればよいのざぞ。

ヤとワと申してあろうがな、その下に七七ゝゝゝゝと申してあろうがな。

今の臣民 自分で自分の首くくるやうにしてゐるのぞ、
手は頭の一部ぞ、手の頭ぞ。

頭、手の一部でないぞ、この道理よく心得ておけよ。

神示は印刷することならんぞ、
この神示説いて臣民の文字で臣民に読める様にしたものは
一二三(ひふみ)と申せよ。

一二三は印刷してよいのざぞ。
印刷結構ぞ。

この神示のまま臣民に見せてはならんぞ、
役員よくこの神示見て、
その時によりその国によりて それぞれに説いて聞かせよ。

日本ばかりでないぞ、国々ところところに仕組して神柱つくりてあるから、
今にびっくりすること出来るのざぞ、
世界の臣民にみな喜ばれるとき来るのざぞ。

五六七(みろく)の世近づいて来たぞ。

富士は晴れたり日本晴れ、富士は晴れたり日本晴れ。

善一すぢとは神一すぢのことぞ。

この巻を「天つ巻」と申す、
すっかり写して呉れよ、すっかり伝へて呉れよ。

九月十四日、ひつ九のか三。
(天つ巻了)

 

 

135>136
天つ巻、第二十八帖(一三五)

 

おそし早しはあるなれど、一度申したこと必ず出て来るのざぞ。

臣民は近慾で疑ひ深いから、何も分らんから疑ふ者もあるなれど、
この神示一分一厘ちがはんのざぞ。

世界ならすのざぞ、神の世にするのざぞ、
善一すじにするのざぞ、誰れ彼れの分けへだてないのざぞ。

土から草木生れるぞ、草木から動物、虫けら生れるぞ。

上下ひっくり返るのざぞ。

九月の十三日、ひつ九のか三。

 


天つ巻、第二十九帖(一三六)

 

この方オホカムツミノ神として書きしらすぞ。

病あるかなきかは手廻はして見れば直ぐ分かるぞ、
自分の身体中どこでも手届くのざぞ、
手届かぬところありたら病のところ直ぐ分るであろうが。

臣民の肉体の病ばかりでないぞ、心の病も同様ぞ、
心と身体と一つであるからよく心得て置けよ、
国の病も同様ぞ、頭は届いても手届かぬと病になるのぞ、
手はどこへでも届くやうになりてゐると申してあろが、
今の国々のみ姿見よ、
み手届いて居るまいがな、手なし足なしぞ。

手は手の思ふ様に、足は足ぞ、これでは病直らんぞ、
臣民と病は、足、地に着いておらぬからぞ。

足 地に着けよ、
草木はもとより、犬猫もみなお土に足つけて居ろうがな。

三尺上は神界ぞ、お土に足入れよ、
青人草と申してあろうがな、
草の心に生きねばならぬのざぞ。

尻に帆かけてとぶようでは神の御用つとまらんぞ、
お土踏まして頂けよ、
足を綺麗に掃除しておけよ、足よごれてゐると病になるぞ、
足からお土の息がはいるのざぞ、
臍(へそ)の緒の様なものざぞよ、
一人前になりたら臍の緒切り、
社(やしろ)に座りて居りて三尺上で神につかへてよいのざぞ、
臍の緒切れぬうちは、いつもお土の上を踏まして頂けよ、
それほど大切なお土の上 堅めているが、
今にみな除きて了ふぞ、
一度はいやでも応でも裸足(はだし)でお土踏まなならんことになるのぞ、
神の深い仕組ざから あり難い仕組ざから
喜んでお土拝めよ、土にまつろへと申してあろうがな、
何事も一時に出て来るぞ、お土ほど結構なものないぞ、
足のうら殊に綺麗にせなならんぞ。

神の申すやう素直に致されよ、この方 病直してやるぞ、
この神示よめば病直る様になってゐるのざぞ、
読んで神の申す通りに致して下されよ、
臣民も動物も草木も病なくなれば、
世界一度に光るのぞ、岩戸開けるのぞ。

戦も病の一つであるぞ、国の足のうら掃除すれば国の病直るのぞ、
国、逆立ちしてると申してあること忘れずに掃除して呉れよ。

上の守護神どの、下の守護神どの、中の守護神どの、
みなの守護神どの改心して呉れよ。

いよいよとなりては苦しくて間に合はんことになるから、
くどう気つけておくのざぞ。

病ほど苦しいものないであらうがな、
それぞれの御役忘れるでないぞ。

天地唸るぞ、でんぐり返るのざぞ、
世界一どにゆするのざぞ。

神はおどすのではないぞ、
迫りて居るぞ。

九月十三日、一二 Θ。