まぜまぜ(^^♪ひふみ神示 その2

ブースカ明日香さんを真似て書いてみました(^^) スマホでしたら、横画面にすると見やすいかと思います。 5/11改題しました。

まぜまぜ 二四一~二七〇

ひふみ神示 まぜまぜの第二四一帖~第二七〇帖


第八巻 磐戸(一八十)の巻
全二十一帖・通し番号(二三七)~(二五七)のうち(二四一)~(二五七)
自 昭和十九年十二月三十日
至 旧昭和十九年旧十一月三十日 


第九巻 キの巻
全十七帖・通し番号(二五八)~(二七四)のうち(二五八)~(二七〇)
自 昭和十九年十二月三十日
至 旧昭和十九年旧十一月三十日 

 


241>270
磐戸の巻、第五帖 (二四一)

 

天(あま)さかり地(くに)さかります御代となるぞ、
臣民の心の中にいけおいた花火 愈々ひらくとききたぞ、
赤い花火もあるぞ、青いのもあるぞ、黄なのもあるぞ、
それぞれのミタマによりて、その色ちがふのざぞ、
ミタマ通りの色出るのざぞ。

金は金ぞ、鉄は鉄ぞ、鉛は鉛として磨いてくれよ、
金のまねするでないぞ。

地つちの軸 動くぞ、
フニャフニャ腰がコンニャク腰になりて
どうにもこうにもならんことになるぞ、
其の時この神示、心棒に入れてくれよ、
百人に一人位は何とか役に立つぞ、
あとはコンニャクのお化けざぞ。

一月三日、Θのひつ九のか三。

 


キの巻、第十三帖 (二七〇)

 

世に落ちておいでなさる御方(おんかた)
御一方(おんひとかた)
竜宮の音姫殿 御守護遊ばすぞ、
この方、天晴れ表に表れるぞ、
これからは神徳貰はんと一寸先へも行けんことになったぞ、
御用さして呉れと申しても
メグリある金(かね)は御用にならんぞ、
メグリになるのざ。

自分の物と思ふのが天の賊ぞ、
これまで世に出ておいでになる守護じん
九分九厘迄 天の賊ぞ。

偉い人 愈々とんでもないことになるぞ、
捕はれるぞ、痛い目にあわされるぞ、
今に目覚めるなれど其の時では遅い遅い。

おかみも一時は無くなるのざ、
一人々々何でも出来る様になりて居りて呉れと申してあること
近うなりたぞ、
ひ(火)の大神 気付けて呉れよ、
どえらいことになるぞ。

一厘のことは云はねばならず云ふてはならず、
心と心で知らしたいなれど、
心でとりて下されよ、
よく神示読んでさとりて呉れよ、
神たのむのざぞ。

三月十六日、ひつぐの神。

 


242>269
磐戸の巻、第六帖 (二四二)

 

北、南、たから出す時近づいたぞ、
世の元からの仕組であるからめったに間違ひないぞ、
これから愈々臣民にはわからなくなれど仕上げ見て下されよ、
何事も神の申すこと聞いて すなほになるのが一等ざぞ、
神示(ふで)出ぬ時近ふなりたぞ、
神示出なくなりたら口で知らすぞ、
神示早う腹に入れぬと間に合はんことになりてくるぞ、
西も東もみな宝あるぞ、
北の宝はシホミツざぞ、
南の宝はシホヒルざぞ、
東西の宝も今にわかりてくるぞ、
此の宝あっぱれ、この世の大洗濯の宝であるぞ。

一月四日、Θのひつ九のか三。

 

 

キの巻、第十二帖 (二六九)


みぐるしき霊(たま)には みぐるしきもの写るぞ、
それが病の元ぞ、
みぐるしき者に、みぐるしきタマあたるぞ、
それで早う洗濯掃除と申してくどう気付けておいたのぞ。

神のためしもあるなれど、所々にみせしめしてあるぞ、
早う改心して呉れよ、
それが天地への孝行であるぞ、
てんし様への忠義であるぞ、
鎮魂(ミタマシズメ)には神示読みて聞かせよ、
三回、五回、七回、三十回、五十回、七十回で始めはよいぞ、
それで判らぬ様なれば お出直しで御座る。

三月十五日、ひつぐの神。

 


243>268
磐戸の巻、第七帖 (二四三)

 

人民のイクサや天災ばかりで、
今度の岩戸ひらくと思ふてゐたら大きな間違ひざぞ、
戦や天災でラチあく様なチョロコイことでないぞ、
あいた口ふさがらんことになりて来るのざから、
早うミタマ磨いてこわいもの無いやうになっておりてくれよ、
肉体のこわさではないぞ、
タマのこわさざぞ、
タマの戦や禍は見当とれまいがな、
真通理(まつり)第一と申すのざ、
神のミコトにきけよ、
それにはどうしてもミタマ磨いて神かかれる様にならねばならんのざ。

神かかりと申しても
其処らに御座る天狗や狐や狸つきではないぞ。

まことの神かかりであるぞ。

右行く人、左行く人とがむるでないぞ。

世界のことは皆、
己の心にうつりて心だけのことより出来んのざぞ、
この道理わかりたか、
この道はマナカゆく道とくどう申してあること忘れるなよ、
今迄の様な宗教や教の集団(ツドヒ)はつぶれて了ふぞ、
神がつぶすのではないぞ、自分でつぶれるのざぞ、
早うこの神示、魂にしてマコトの道に生きてくれよ、
俳句は俳句と申してあるが、
天理は天理、金光は金光だけの教であるぞ。

この神の申すこと、
天のミチぞ、地のミチぞ、人のミチざぞ。

今度の岩戸ひらきの大望(たいもう)すみたとて、
すぐによいことばかりではないのざぞ、
二度とないことであるから臣民では見当とれんから、
肚の底から改心して、
すなほに、神の申す通りにするのが何より結構なことざぞ。

一月七日、Θのひつ九か三。

 


キの巻、第十一帖 (二六八)

 

一二三(ひふみ)とは限りなき神の弥栄であるぞ、
一(ひ)は始めなき始であるぞ、
ケは終りなき終りであるぞ、
神の能(はたらき)が一二三であるぞ、
始なく終なく弥栄の中今(なかいま)ぞ。

一二三は神の息吹であるぞ、
一二三唱えよ、
神人共に一二三唱へて岩戸開けるのざぞ、
一二三にとけよ、
一二三と息せよ、
一二三着よ、
一二三食(お)せよ、
始め一二三あり、
一二三は神ぞ、
一二三は道ぞ、
一二三は祓ひ清めぞ、
祓ひ清めとは弥栄ぞ、
神の息ぞ、てんし様の息ぞ、臣民の息ぞ、けもの、草木の息ぞ。

一であるぞ、二であるぞ、三であるぞ、
ケであるぞ、レであるぞ、ホであるぞ、
「🌀」(うず2回巻き)であるぞ、

「🌀」(うず3回巻き)であるぞ。

皆の者に一二三唱へさせよ、
五柱 御働きぞ、八柱 十柱 御働きぞ、
五十連(いつら)ぞ、意露波(いろは)ぞ、
判りたか。

三月十四日、ひつ九ノか三。

 


244>267
磐戸の巻、第八帖 (二四四)

 

神の国の昔からの生神の声は、
世に出てゐる守護人の耳には入らんぞ、
世に出てゐる守護人は九分九厘迄 外国魂ざから、
聞こえんのざぞ。

外国の悪の三大将よ、いざ出て参れよ、
マトモからでも、上からでも、下からでも、
横からでも、いざ出てまゐれよ。

この神の国には世の元からの生神が
水ももらさぬ仕組してあるから、
いざ出て参りて得心ゆくまでかかりて御座れ。

敗けてもクヤシクない迄に攻めて御座れよ、
堂々と出て御座れ、どの手でもかかりて御座れ。

その上で、敗けてこれはカナワンと云ふ時迄かかりて御座れよ。

学、勝ちたら従ってやるぞ、
神の力にカナワンこと心からわかりたら
末代どんなことあっても従はして
元の神のまことの世にして、
改心さして、万劫末代 口説(くぜつ)ない世に致すぞよ。

一月九日、Θの一二のか三。

 


キの巻、第十帖 (二六七)

 

山の谷まで曇りてゐるぞ、
曇りた所へ火の雨降るぞ、
曇りた所には神は住めんぞ、
神なき所 愈々ざぞ。

ひどい事あるぞ、
神がするのでないぞ、
臣民 自分でするのざぞ。

一日一日のばして改心さすやうに致したなれど、
一日延ばせば千日練り直さなならんから、
神は愈々鬼となって
規則通りにビシビシと埒(らち)あけるぞ、
もう待たれんぞ、
何処から何が出て来るか知れんぞと申してあろがな。

花火に火つけよ、
日本の国の乱れて来たのは来られんものを来らしたからぞ。

三千年の昔に返すぞ、
三万年の昔に返すぞ、
三十万年の昔に返さなならんかも知れんぞ。

家内和合出来ん様では、この道の取次とは申されんぞ、
和が元ざと申してあろが、
和合出来ぬのはトラとシシぞ、
どちらにもメグリあるからざぞ、
昼も夜もないのざぞ、
坊主 坊主くさくてはならんぞ。

三月十三日、一二Θ。

 


245>266
磐戸の巻、第九帖 (二四五)

 

富士と鳴門の仕組わかりかけたら、いかな外国人でも改心するぞ、
それ迄に神の国の臣民 改心して居らぬと気の毒出来るぞ。

天狗や狐は誰にでもかかりてモノいふなれど、
神は中々にチョコラサとはかゝらんぞ、
よき代になりたら神はモノ云はんぞ。

人が神となるのざぞ、
この神は巫女(みこ)や弥宜(ねぎ)にはかからんぞ、
神が誰にでもかかりて、
すぐ何でも出来ると思ふてゐると思ひが違ふから気つけておくぞ。

かみがかりに凝るとロクなことないからホドホドにして呉れよ。

この道は中行く道と申してあろがな。

戦すみたでもなく、すまぬでもなく、上げもおろしもならず、
人民の智や学や算盤では、
どうともできんことになるのが目の前に見へてゐるのざから、
早う神の申す通り素直に云ふこときけと申してゐるのざぞ。

長引く程、国はヂリヂリになくなるぞ。

米あると申して油断するでないぞ、
タマあると申して油断するでないぞ。

命(いのち)あると申して油断するでないぞ。

この神示よく読めば楽になって人々から光り出るざぞ、
辰の年はよき年となりてゐるのざぞ、
早う洗濯してくれよ。

一月十一日、Θのひつ九Θ。

 


キの巻、第九帖 (二六六)

 

悪いこと待つは悪魔ぞ、
何時 建替、大峠が来るかと待つ心は
悪魔に使はれてゐるのざぞ。

この神示 世界中に知らすのざ、
今迄は大目に見てゐたが、もう待たれんから見直し聞き直しないぞ、
神の規則通りにビシビシと出て来るぞ、
世界一平に泥の海であったのを、
つくりかためたのは国常立尊であるぞ、
親様を泥の海にお住まひ申さすはもったいないぞ、
それで天におのぼりなされたのぞ。

岩の神、荒の神、雨の神、風の神、地震の神殿、この神々様、
御手伝ひでこの世のかため致したのであるぞ、
元からの竜体持たれた荒神様でないと
今度の御用は出来んのざぞ、
世界つくり固めてから臣民つくりたのであるぞ、
何も知らずに上に登りて、神を見おろしてゐる様で、
何でこの世が治まるものぞ。

天と地の御恩といふことが神の国の守護神に判りて居らんから難儀なことが、
愈々どうにもならん事になるのぞ、
バタバタとなるのぞ。

臣民 生れおちたらウブの御水を火で暖めてウブ湯をあびせてもらふであろが、
其の御水はお土から頂くのざぞ、
たき火ともしは皆 日の大神様から頂くのざぞ、
御水と御火と御土でこの世の生きあるもの生きてゐるのざぞ、
そんなこと位 誰でも知ってゐると申すであろが、
其の御恩と云ふ事知るまいがな、
一厘の所 分かるまいがな。

守護神も曇りてゐるから神々様にも早うこの神示読んで聞かせてやれよ、
世間話に花咲かす様では誠の役員とは云はれんぞ、
桜に花咲かせよ。

せわしくさしてゐるのざぞ、
せわしいのは神の恵みざぞ、
今の世にせわしくなかったら臣民くさって了ふぞ、
せわしく働けよ。

三月十一日、ひつぐの神。

 


246>265
磐戸の巻、第十帖(二四六)

 

悪の仕組は、日本魂をネコソギ抜いて了ふて、
日本を外国同様にしておいて、一呑みにする計画であるぞ。

日本の臣民、悪の計画通りになりて、
尻の毛まで抜かれてゐても、まだキづかんか、
上からやり方かへて貰はねば、
下ばかりでは何うにもならんぞ。

上に立ちてゐる人、日に日に悪くなりてきてゐるぞ。

メグリある金でも物でも持ちてゐたらよい様に思ふてゐるが、
えらい取違ひであるぞ。

早う神の申すことききて下されよ。

世界の何処さがしても、
今では九九(ここ)より外に、
神のマコトの道知らす所ないのざぞ。

此の道の役員、
上から見られん所によきことないと今度の御用、
なかなかにつとまらんぞ、
洗濯急げよ、掃除急げよ、
家の中が治まらんのは女にメグリあるからぞ、
このことよく気付けておくぞ、
村も国々も同様ぞ。

女のメグリはコワイのざぞ。
節分からは八回拍手うちて下されよ。
神はげしくなるぞ。

一月十二日、Θのひつ九のΘ。

 


キの巻、第八帖 (二六五)

 

今迄のして来た事が、
成程 天地の神の心にそむいてゐると云ふこと心から分りて、
心からお詫びして改心すれば、この先末代身魂をかまうぞ、
借銭負うてゐる身魂はこの世にはおいて貰へん事に規則定まったのざぞ、
早う皆に知らしてやれよ。

タテコワシ、タテナホシ、一度になるぞ、
建直しの世直し早うなるも知れんぞ、遅れるでないぞ。

建直し急ぐぞ、建直しとは元の世に、神の世に返す事ざぞ、
元の世と申しても泥の海ではないのざぞ、
中々に大層な事であるのざぞ。

上下グレンと申してあることよく肚に入れて呉れよ。

三月十一日、ひつぐの神。

 


247>264
磐戸の巻、第十一帖 (二四七)

 

心にメグリ積むと動物のイレモノとなるぞ、
神のイレモノ、動物等に自由にされてゐて、
それでマコトの神の臣民と申されるか、
判らんと申してあまりであるぞ。

ゴモク吐き出せよ、
其儘(そのまま)にしておくと段々大きくなりて
始末にゆかんことになりて、
しまいには灰にするより、手なくなるぞ、
石流れて、木の葉沈むと申してあろが、
今がその世ざぞ。

改心してキレイに掃除出来たら、
千里先きにゐても、ひつきの神とたのめば何んなことでもさしてやるぞ、
この神は世界中何処へでも届く鼻もってゐるのざぞ、
この世つくりたこの神ざ、
この世にわからんこと一つもないのざぞ、
神の御用さへつとめて下されたら、
心配ごとが嬉し嬉しのこととなる仕組ざぞ、
日本臣民ばかりでないぞ、
何処の国の民でも同様に助けてやるぞ、
神にはエコがないのぞ。

一月十三日、Θの一二か三。

 


キの巻、第七帖 (二六四)

 

物、自分のものと思ふは天の賊ぞ、
皆てんし様の物ざと、
クドウ申してあるのにまだ判らんか。

行(おこない)出来て口静かにして貰ふと、
何事もスラリとゆくぞ、
行(ぎょう)が出来ておらんと何かの事が遅れるのざぞ、
遅れるだけ苦しむのざぞ。

神の国の半分の所にはイヤな事あるぞ、
洗濯出来た臣民に元の神がうつりて、
サア今ぢゃと云ふとこになりたら、
臣民の知らん働きさして悪では出来ん手柄さして、
なした結構な事かとビックリ箱あくのざぞ。

天と地との親の大神様のミコトでする事ぞ、
いくら悪神じたばたしたとて手も出せんぞ、
この世 三角にしようと四角にしようと元のこの方等の心のままぞ。

後から来た守護神 先になるから、
今の役員さうならん様に神示で知らしてあるのざから、
よく裏の裏まで読んで肚に入れて、
何一つ分らん事ない様にして呉れよ、今に恥づかしい事になるぞ。

元の大和魂の誠の身魂揃ふたら、
人は沢山なくても この仕組成就するのざと申してあろが、
末代動かぬ世の元の礎きづくのざから、
キマリつけるのざから、気つけおくぞ。

キが元と申してあろがな、
上は上の行、中は中、下は下の行ひ、作法あるのざぞ、
マゼコゼにしてはならんぞ、
この中からキチリキチリと礼儀正しくせよ。

三月十一日、ひつ九の神。

 


248>263
磐戸の巻、第十二帖 (二四八)

 

マコトの者は千人に一人ざぞ、
向ふの国にはまだまだドエライ仕組してゐるから
今の内に神の申すこと聞いて、神国は神国のやりかたにして呉れよ。

人の殺し合ひ許りではケリつかんのざぞ、
今度のまけかちはそんなチョロコイことではないのざぞ、
トコトンの処まで行くのざから神も総活動ざぞ、
臣民 石にかじりついてもやらねばならんぞ、
そのかわり今後は万劫末代のことざから
何時迄もかわらんマコトの神徳あたへるぞ。

云はれぬこと、
神示に出せぬことも知らすことあるぞ。

一月十三日、Θの一二のか三。

 


キの巻、第六帖 (二六三)

 

道場開き結構でありたぞ、皆の者 御苦労ぞ、
知らしてある様に道開いて下されよ、
天と地と合せ鏡ぞ、一人でしてはならんぞ。

桜咲く所、桜と共に花咲くぞ、
夏マケ、秋マケ、となったら冬マケで泣きあげてはならんぞ、
戦すんでからが愈々のイクサぞ、
褌しめよ、役員も一度は青なるのざぞ、土もぐるのざぞ、
九、十、気付けて呉れよ。

神示よく読めよ、肝腎のこと判りては居らんぞ、
一のことぞ。
一ゝゝゝ三(ひふみざぞ)。

三月十一日、ひつぐの神。

 


249>262
磐戸の巻、第十三帖 (二四九)


コトちがふから、精神ちがふから、
ちがふことになるのざぞ、
コト正しくすれば、正しきこととなるのざぞ。

日本の国は元の神の血筋のまじりけのないミタマで、
末代 世治めるのざ。

何事も末代のことであるから、末代動かん様に定めるのざから、大望であるぞ。

上の臣民この儘で何とか彼んとかいける様に思ふてゐるが、其の心われよしざぞ。

今度は手合して拝む許りでは駄目ざと申してあろが、
今度は規則きまりたら、
昔より六ヶ敷くなるのざぞ、まけられんことになるのざぞ、
神魂(カミタマシ)の臣民でないと神の国には住めんことになるのざぞ。

この世治めるのは地の先祖の生神の光出さねば、
この世治まらんのざぞ、
今度はトコトン掃除せねば、少しでもまぢり気(け)ありたら、
先になりて また大きな間違ひとなるから、
洗濯々々とくどう申してゐるのざ。

神は一時は菩薩とも現はれてゐたのざが、
もう菩薩では治まらんから、
愈々生神の性来現はしてバタバタにらちつけるのざぞ、
今の学ある者 大き取り違ひいたしてゐるぞ。

国常立尊大神と現はれて、
一時は天もかまひ、地の世界は申すに及ばず、天へも昇り降りして、
Θ(モト)のΘ(ニホン)のΘ(カミ)の光り
クッキリ現はさなならんと仰せあるぞ、
早う洗濯せんと間に合はんぞ。

この道の役員、吾は苦労して人助けるのざぞ、
その心でないと我出して吾のこと思ふてゐるとグレンざぞ。

仏もキリストも何も彼もスカリと救はねばならんのざ、
殺して救ふのと、生かして御用に使ふのとあるぞ、
今度はハッキリ区別するのざぞ、昔からの因縁ざぞ。

この方のもとに参りて、
昔からの因縁、この先のこと克く聞いて得心出来たら、
肚の底から改心してマコトの御用結構につとめあげてくれよ。

逃げ道つくってはならんぞ、二つ三つ道つくってはならんぞ。

ますぐに神の道に進めよ。

神の道は一筋ざと申してあろが。

何なりとそれぞれの行せねばマコトのことは出来んのざぞ、
世界の片八四浜辺からいよいよが始まると知らしてあること近うなりたぞ、
くどい様なれどさっぱりと洗濯してくれよ、
神の国は神のやり方でないと治まらんから
今までの法度(はっと)からコトから、
やりかたかえて、
今迄はやりかた違ってゐたから、神のお道通りに致しますと
心からお詫びせねば、する迄 苦しむのざぞ、
この苦しみは筆にも口にもない様なことに、
臣民の心次第でなるのざから、くどう申してゐるのざぞ、
何も彼も神にささげよ、てんし様にささげよと申してあろがな、
それが神国の民の心得ぞ、
否(いや)でも応(おう)でもそうなって来るのざぞ。

神国の政治経済は一つざと申してあろうがな、
今の臣民に判る様に申すならば、
臣民働いてとれたものは、何でも神様にささげるのざ、
神の御社は幸でうづもれるのざぞ、
御光輝くのざぞ、光のまちとなるのざぞ。

神からわけて下さるのざぞ、
其の人の働きによってそれぞれに恵みのしるし下さるのざぞ、
それがお宝ぞ、お宝 徳相当に集まるのざぞ、
キンはいらんと申してあろがな、
元の世になる迄に、さうした事になって
それからマコトの神の世になるのざ。

神の世はマツリあるだけぞ、
それ迄にお宝下さるのざぞ、
お宝とは今のお札(さつ)の様なものざぞ。

判る様に申すなら、
神の御社と臣民のお役所と市場と合した様なものが、
一時は出来るのざぞ、嬉し嬉しとなるのざぞ、
マコトのマツリの一(ハジメ)ざぞ。

このことよく肚に入れて一二三(ひふみ)として説いて、
早う上の守護人殿にも、下の守護人殿にも知らして、
安心して、勇んで暮す様にしてやりて下されよ。

それも臣民の心次第、
素直な人、早う嬉しくなりて、心勇むぞ、
さびしくなりたら たづねて御座れと申してあろがな。

一月十三日、Θの一二か三。

 


キの巻、第五帖 (二六二)


この神示は心通りにうつるのざぞ、
思ひ違ふといくら神示読んでも違ふことになるぞ、
心違ふと今度はどんなに偉い神でも人でも気の毒出来るぞ、
この方クヤム事嫌いぞ。

次の世となれば、
これ迄の様に無理に働かなくても楽に暮せる嬉し嬉しの世となるのざが、
臣民 今は人の手に握ってゐるものでもタタキ落して取る様に
なりてゐるのざから神も往生ざぞ、
神は臣民楽にしてやりたいのに楽になれて、
自分でした様に思ふて神をなきものにしたから今度の難儀となって来たのざぞ、
其処にまだ気付かんか、キが元ざと申してあろがな、
早う気付かんと間に合はんぞ。

この神は従ふ者にはおだやかざが、
さからふ者には鬼となるのざぞ。

三月十日、一二の神。

 


250>261
磐戸の巻、第十四帖 (二五〇)

 

生味(しょうみ)の、生き通しの神が、
生味を見せてやらねばならんことに、何れはなるのざが、
生神の生味ははげしいから、
今の内に綺麗に洗濯しておけと申すのざ、
皆にまつろひておけと申すのざ。

可哀さうなは兵隊さんざぞ、神に祈りてやりて呉れよ。

幽界人(がいこくじん)よ、
日本の国にゐる幽界魂(がいこくたま)の守護人よ、
愈よとなりて生神の総活動になりたら、
死ぬことも生きることも出来ん苦しみに一時はなるのざから、
神から見ればそなた達も子ざから早う神の下にかえりてくれよ、
いよいよとなりて来たのざぞ、くどうきづけるぞ。

一月十三日、Θの一二のか三。

 


キの巻、第四帖 (二六一)

 

カミの大事の肝腎の所が違ふた事になりてゐるから、
其の肝腎要(かんじんかなめ)の所 元に戻さな何程人間が、
いくら学や智でやりてもドウにもならんぞ、
元の先祖の神でないと、此処と云ふ所 出来んぞ、
神の国の元の因(もと)のキのミタマを入れて練り直さな出来んのざぞ、
肝腎がひっくり返りてゐるぞ、早う気付かんと、間に合はんぞ、
もちと大き心持ちなされよ、
世界の事ざから、世界の御用ざから、大き心でないと御用出来んぞ。

これからは神が化けに化けて心引くことあるから其のつもりでゐて呉れよ、
三、四月気付けて呉れよ。

三月九日、ひつ九の神ふで。

 


251>260
磐戸の巻、第十五帖 (二五一)

 

この方の道、悪きと思ふなら、出て御座れ、よきかわるきか、
はっきりと得心ゆくまで見せてやるぞ。

何事も得心させねば、根本からの掃除は出来んのざぞ、
役員 気つけて呉れよ。皆和合して呉れよ。

わるき言葉、息吹が此の方一番邪魔になるぞ、
苦労なしにはマコト判らんぞ、
慾はいらぬぞ、慾出したら曇るぞ。

めくらになるぞ、おわびすればゆるしてやるぞ、
天地に御無礼ない臣民一人もないのざぞ。

病治してやるぞ、神息吹つくりてやれよ、
神いぶきとは一二三書いた紙、
神前に供へてから分けてやるもののことざぞ。

腹立つのは慢心からぞ、守護神よくなれば肉体よくなるぞ、
善も悪も分からん世、闇の世と申すぞ。

天照皇太神宮様(テンショウコウタイジングウサマ)の岩戸開きは、
だました、間違ひの岩戸開きぞ、
無理にあけた岩戸開きざから、開いた神々様に大きなメグリあるのざぞ、
今度はメグリだけのことはせなならんぞ、
神にはわけへだて無いのざぞ、
今度の岩戸開きは
ちっとも間違ひない、まぢりけのない、マコトの神の息吹でひらくのざぞ。
まぢりありたら、にごり少しでもありたら、
またやり直しせなならんから くどうきつけてゐるのざぞ。

何時迄もかわらんマコトでひらくのざぞ。

一月十四日、旧十一月三十日、Θの一二Θ。

 


キの巻、第三帖 (二六〇)


雨の神、風の神、地震の神、岩の神、荒の神様にお祈りすれば、
この世の地震、荒れ、逃(のが)らせて下さるぞ、
皆の者に知らしてやりて下されよ、
この方 イの神と現われるぞ、
キの神と現われるぞ、
シチニの神と現はれるぞ、
ヒの神と現はれるぞ、
ミの神と現はれるぞ、
イリ井の神と現はれるぞ、
五柱の神様 厚くおろがめよ、
十柱の神 厚くおろがめよ。

三月八日、ひつぐの神しらすぞ。

 


252>259
磐戸の巻、第十六帖 (二五二)


世の元からの生神が揃うて現はれたら、
皆腰ぬかして、目パチクリさして、もの云へん様になるのざぞ。

神徳貰うた臣民でないと中々越せん峠ざぞ、
神徳はいくらでも背負ひきれん迄にやるぞ、
大き器もちて御座れよ、
掃除した大きいれものいくらでも持ちて御座れよ、
神界にはビクともしぬ仕組出来てゐるのざから安心して御用つとめてくれよ。

今度はマコトの神の力でないと何も出来はせんぞと申してあろが、
日本の国は小さいが天と地との神力強い、
神のマコトの元の国であるぞ。

洗濯と申すのは何事によらん、
人間心すてて仕舞て、智恵や学に頼らずに、
神の申すこと一つもうたがはず生れ赤子の心のうぶ心になりて、
神の教 守ることぞ。ミタマ磨きと申すのは、
神からさづかってゐるミタマの命令に従ふて、
肉体心すてて了ふて、神の申す通りそむかん様にすることぞ。

学や智を力と頼むうちはミタマは磨けんのざ。
学越えた学、智越えた智は、神の学、神の智ざと云ふこと判らんか、
今度の岩戸開きはミタマから、
根本からかへてゆくのざから、
中々であるぞ、天災や戦ばかりでは中々らちあかんぞ、
根本の改めざぞ。

小さいこと思ふてゐると判らんことになると申してあろがな、
この道理よく肚に入れて下されよ、
今度は上中下三段にわけてあるミタマの因縁によって、
それぞれに目鼻つけて、
悪も改心さして、
善も改心さしての岩戸開きざから、
根本からつくりかへるよりは何れだけ六ヶ敷いか、
大層な骨折りざぞよ。

叱るばかりでは改心出来んから喜ばして改心さすことも
守護神にありてはあるのざぞ、
聞き分けよい守護神殿 少ないぞ、
聞き分けよい悪の神、早く改心するぞ、
聞き分け悪き善の守護神あるぞ。

この道の役員は昔からの因縁によってミタマ調べて引寄せて御用さしてあるのざ、
めったに見当くるわんぞ、
神が綱かけたら中々はなさんぞ、
逃げられるならば逃げてみよれ、
くるくる廻って又始めからお出直しで御用せなならん様になって来るぞ。

ミタマ磨け出したら病神などドンドン逃げ出すぞ。

出雲(いずも)の神様 大切申せと知らしてあること忘れるなよ。

子(ネ)の歳真中にして前後十年が正念場、
世の立替へは水と火とざぞ。

ひつじの三月三日、五月五日は結構な日ぞ。

一月十四日、Θの一二のか三。

 


キの巻、第二帖 (二五九)

 

神示読めば何も彼も判る様になりてゐること分らぬか、
おはりの御用 御苦労であったぞ、
奥の奥のこと仕組通りになりてゐる、
臣民心配するでないぞ、
一の宮は桜咲く所へつくれよ、わかりたか、
天之日津久神奉賛会でよいぞ、
オホカムツミの神と申しても祀り呉れよ、
祭典(まつり)、
国民服(※)の左の胸に八(や)たれのシデ二本つけて キヌのシデつけて当分奉仕してよいぞ。

道場は一の宮と一つ所でよいぞ、
イイヨリの御用 タニハの御用 御苦労であったぞ。

皆の者 愈々ざぞ、今から弱音では何も出来んぞ、
春マケ、夏マケ、秋マケ、冬マケ、ハルマゲドンと申してあろが、
愈々ざぞ、褌しめよ、グレンざぞ。

二月二十六日、ひつぐの神。
(※戦時中に着用した成人男子の洋服)

 


253>258
磐戸の巻、第十七帖 (二五三)

 

この神はよき臣民にはよく見え、悪き臣民には悪く見へるのざぞ、
鬼門の金神とも見へるのざぞ、
世はクルクルと廻るのざぞ、仕合せ悪くとも悔やむでないぞ、
それぞれのミタマの曇りとりてゐるのざから、
勇んで苦しいこともして下されよ、
上が裸で下が袴はくこと出て来るぞ。

神が化かして使うてゐるのざから、
出来あがる迄は誰にも判らんが、
出来上がりたら、何とした結構なことかと皆がびっくりするのざぞ、
びっくり箱にも悪いびっくり箱と、
嬉し嬉しのびっくり箱とあるのざぞ、
何も知らん臣民に、知らんこと知らすのざから、
疑ふは無理ないなれど、
曇りとれば、すぐうつる、もとの種もってゐるのざから、
早うこの神示読んで洗濯して呉れよ、
どんな大峠でも楽に越せるのざぞ、
神の道は無理ない道ざと知らしてあろが。
ミタマの因縁おそろしいぞ。
上下わき上がるが近うなりたぞ。

一月十四日、Θの一二か三。

 


キの巻、第一帖 (二五八)

 

節分からは手打ち乍ら、ひふみ祝詞 宣(の)りて呉れよ、
拍手は元の大神様の全き御働きぞ、
タカミムスビカミムスビの御働きぞ、
御音(おんおと)ぞ、和ぞ、大和(だいわ)のことぞ、言霊ぞ、
喜びの御音ぞ、悪はらう御音ぞ。

節分境に何も彼も変りて来るぞ、何事も掃除一番ぞ。

一月二十九日、Θのひつくの神しるす。

 


254>257
磐戸の巻、第十八帖 (二五四)

 

今度の御用は世におちて苦労に苦労した臣民でないと中々につとまらんぞ、
神も長らく世におちて苦労に苦労かさねてゐたのざが、
時節到来して、天晴(あっぱれ)世に出て来たのざぞ、
因縁のミタマ世におちてゐるぞと申してあろがな、
外国好きの臣民、今に大き息も出来んことになるのざぞ、
覚悟はよいか、改心次第で其の時からよき方に廻してやるぞ。

改心と申して、人間の前で懺悔するのは神国のやり方ではないぞ、
人の前で懺悔するのは神きづつけることになると心得よ、
神の御前にこそ懺悔せよ、懺悔の悪きコトに倍した、よきコトタマのれよ、コト高くあげよ、
富士晴れる迄コト高くあげてくれよ、
そのコトに神うつりて、何んな手柄でも立てさせて、
万劫末代名の残る様にしてやるぞ。

この仕組判りたら上の臣民、逆立ちしておわびに来るなれど、
其の時ではもう間に合はんから くどう気付けてゐるのざぞ。

臣民、かわいから嫌がられても、此の方申すのざ。

悪と思ふことに善あり、善と思ふ事も悪多いと知らしてあろがな、
このことよく心得ておけよ、
悪の世になってゐるのざから、
マコトの神さへ悪に巻込まれて御座る程、
知らず知らずに悪になりてゐるのざから、
今度の世の乱れと申すものは、五度の岩戸しめざから見当とれん、
臣民に判らんのは無理ないなれど
、それ判りて貰はんと結構な御用つとまらんのざぞ、
時が来たら、われがわれの口でわれが白状する様になりて来るぞ、
神の臣民はづかしない様にして呉れよ、
臣民はづかしことは、神はづかしのざぞ。

愈よ善と悪のかわりめであるから、
悪神暴れるから巻込まれぬ様に褌しめて、
この神示よんで、神の心くみとって御用大切になされよ。

一月十四日、Θの一二のか三。

 


磐戸の巻、第二十一帖 (二五七)

 

元の大和魂にかへれと申すのは、今の臣民には無理ぢゃな、
無理でも、神に心向ければ出来るのざぞ、
どうしても今度は元のキの儘の魂にかへらんとならんのぞ、
かんじんの神示むやみに見せるではないぞ。

仕組こわれるぞ、
今に神示に書けないことも知らさなならんから、
みみから知らすから、肚から肚へと伝へて呉れよ。

節分からははげしくなりて、はげしき神示はかかせんぞ。

天明 神示の御用はこれでしばらく御用すみぞ、
その代りみみ掃除しておいてくれよ。

旧十一月三十日、Θの一二 。
(磐戸の巻了)

 


255>256

磐戸の巻、第十九帖 (二五五)

 

向ふの国いくら物ありても、人ありても、
生神が表に出て働くのざから、
神なき国は、いづれは往生ざぞ。

この神の申すことよく肚に入れて、
もうかなはんと申す所こらへて、
またかなはんと申す所こらへて愈よどうにもならんといふ所こらへて、
頑張りて下されよ、
神には何も彼もよくわかりて帳面に書きとめてあるから、
何処までも、死んでも頑張りて下されよ、
其処迄 見届けねば、この方の役目果たせんのざ、
可哀さうなれど神の臣民殿、
こらえこらえてマコト何処迄も貫きて下されよ、
マコトの生神がその時こそ表に出て、
日本に手柄さして、神の臣民に手柄たてさして、
神からあつく御礼申してよき世に致すのであるぞ、
腹帯しっかり締めてくれよ。

重ねて神が臣民殿にたのむぞよ、
守護神殿にたのむぞよ。

一月十四日、Θのひつ九のか三。

 


磐戸の巻、第二十帖 (二五六)

 

いくさ何時も勝と許りはかぎらんぞ、
春まけとなるぞ、
いざとなれば昔からの生神様総出で御働きなさるから
神の国の神の道は大丈夫であるなれど、
日本臣民 大丈夫とは申されんぞ、
その心の通りになること忘れるなよ、
早うミタマ磨いてくれよ、
も少し戦すすむと、
これはどうしたことか、こんなはづではなかったなあと、
どちらの臣民も見当とれん、
どうすることも出来んことになると知らしてあろが、
さうなってからでは遅いからそれ迄に、この神示よんで、
その時にはどうするかと云ふこと判りて居らんと仕組成就せんぞ、
役員の大切の役目ざぞ、
われの思いすてて了ふて早うこの神示、
穴のあく程うらの裏まで肚に入れておいてくれよ、
この神示の終りに、神強く頼むぞよ。

旧十一月三十日、Θの一二のΘ。