まぜまぜ(^^♪ひふみ神示 その2

ブースカ明日香さんを真似て書いてみました(^^) スマホでしたら、横画面にすると見やすいかと思います。 5/11改題しました。

まぜませ 三三一~三六〇

ひふみ神示 まぜまぜの第三三一帖~第三六〇帖

 

※4/30 19:00 夜明けの巻、第十二帖・第十三帖

       アメの巻、第一帖 の通し番号を振りなおしました。


第十二巻 夜明け(四あけ)の巻

全十三帖・通し番号(三二一)~(三三三)のうち(三三一)~(三三三)

全十四帖・通し番号(三二一)~(三三四)のうち(三二一)~(三三四)


自  昭和二十年 七月二十一日
至  昭和二十年 八月  十日 


第十三巻 アメの巻

全十七帖・通し番号(三三四)~(三五一)のうち(三三四)~(三五一)

全十七帖・通し番号(三三五)~(三五一)のうち(三三五)~(三五一)


自  昭和二十年 十月十三日
至  昭和二十年十二月十九日 


第十四巻 カゼの巻
全十四帖・通し番号(三五二)~(三六五)のうち(三五二)~(三六〇)
自  昭和二十 年十二月二十五日
至  昭和二十一年 二月 十六日

 


331>360
夜明けの巻、第十一帖 (三三一)

 

岩戸開きのはじめの幕 開いたばかりぞ。
今度はみづ逆さにもどるのざから、
人民の力ばかりでは成就せんぞ。

奥の神界では済みてゐるが、中の神界では今最中ざ。

時待てと申してあろが。

人民 大変な取違ひしてゐるぞ。
次の世の型 急ぐ急ぐ。

八月六日、アメのひつぐのかみ。

神示読まないで智や学でやろうとて、
何も、九分九厘で、終局(りんどまり)ぞ。
我(われ)が我(われ)ががとれたら判って来るぞ。

慢心おそろしいぞ。

 


カゼの巻、第九帖 (三六〇)

 

土地分け盗りばかりか、
天まで分け盗って自分のものと、威張ってゐるが、
人民の物一つもないのぢゃ。

大引上げにならんうちに捧げた臣民 結構ぞ。
宮の跡は S となるぞ。
ナルトとなるぞ。
天の言答(一八十)は開いてあるぞ。
地の言答(一八十)、人民 開かなならんぞ、
人民の心次第で何時でも開けるのざぞ。

泥の海になると、
人民思ふところまで一時は落ち込むのぢゃぞ、覚悟はよいか。

神国には神国の宝、神国の臣民の手で、元の所へ納めなならんのざ。

タマなくなってゐると申してあらうがな。

何事も時節到来致してゐるのざぞ、
真理(ふじ)晴れるばかりの御代となってゐるのぢゃぞ。

人民 神に仕へて下さらんと神のまことの力出ないぞ、
持ちつ持たれつと申してあらうがな、神まつらずに何事も出来んぞ、
まつらいでするのが我よしぞ、天狗の鼻ざぞ。

まつらいでは真暗ぞ、真暗の道で、道開けんぞ。

神は光ぞと申してあらうが、てん詞(し)様よくなれば、皆よくなるのざぞ。

てん詞(し)様よくならんうちは、誰によらん、
よくなりはせんぞ、この位のことなぜにわからんのぢゃ、
よくなったと見えたら、それは悪の守護となったのぢゃ。

神がかりよくないぞ、やめて下されよ、迷ふ臣民出来るぞ。

程々にせよと申してあらうが。皆々心の鏡掃除すれば、
それぞれに神かかるのぢゃ。

肉体心で知る事は皆粕(カス)ばかり、迷ひの種ばかりぢゃぞ、
この道理判りたであらうがな、くどう申さすでないぞ。

二月の十六日、ひつ九のΘ。

 


332>359
夜明けの巻、第十二帖 (三三二)

 

あら楽(たぬ)し、あなさやけ、元津御神の御光の、輝く御代ぞ近づけり。
岩戸開けたり野も山も、
草の片葉(かきは)も言(こと)止(や)めて、
大御光に寄り集ふ、誠の御代ぞ楽しけれ。

今一苦労二苦労、とことん苦労あるなれど、
楽しき苦労ぞ目出度けれ。

申、酉すぎて戌の年、亥の年、子の年 目出度けれ。

一二三(ひふみ)の裏の御用する身魂も今に引き寄せるから、
その覚悟せよ。
覚悟よいか。
待ちに待ちにし秋来たぞ。
八月の七日、アメのひつくのかみ。

ひふみ、よいむなや、こともちろらね、
しきる、ゆゐつわぬ、そおたはくめか、
うをえ、にさりへて、のます、あせえほれけ、

八月八日、秋立つ日、アメの一二のおほかみ。

 


カゼの巻、第八帖 (三五九)

 

世界中自在に別け取りしてゐた神々様、早う改心第一ぞ。

一(ひとつ)の王で治めるぞ。
てん詞様とは天千様のことぞと申してあろがな、
この方シチニの神と現はれるぞと申してあろがな、
天二(てんぷ)様のことざぞ。

行なしではまことのことわからんぞ、出来はせんぞ、
神の道 無理ないなれど、行は誰によらずせなならんぞ。

この方さへ三千年の行したぞ、
人民にはひと日も、ようせん行の三千年、相当のものざぞ。

海にはどんな宝でも竜宮の音秘(オトヒメ)殿 持ちなされてゐるのざぞ、
この世の宝 皆この方つくりたのざぞ、
神の道 無理ないと申して楽な道でないぞ、
もうこれでよいと云ふことない道ざぞ。

日本の人民もわたりて来た人民も、
世持ちあらした神々様も人民も、
世界の人民 皆思ひ違ふぞ、
九分九分九厘と一厘とで、物事成就するのざぞよ。

世をもたれん天地の大泥棒をこの世の大将と思ってゐて、
それでまだ眼覚めんのか、よく曇りなされたなあ、
建替は今日の日の間にも出来るなれど、
あとの建直しの世直し、中々ざから、
人民に少しは用意出来んと、おそくなるばかりぢゃ、
それでカタ出せ出せと申してゐるのぢゃぞ。

あれこれとあまり穢れてゐる腸(はらわた)ばかりぢゃから、
一度に引出して、日に干してからでないと、
洗濯出来ん様になりて御座るぞ。

ひぼしこばれん人民あるから、
今のうちから気付けてゐるのぢゃぞ。

けんびき痛いぞ、あまりにも狂ふて御座るぞ。
元の根元の世より、も一つキの世にせなならんのざから、
神々様にも見当取れんのぢゃ、
元の生神でないと、今度の御用出来んぞ。

二月十六日、ひつ九のΘ。

 


333>358

夜明けの巻、第十三帖(三三三)

ひふみ、よいむなや、こともちろらね、

しきる、ゆゐつわぬ、そおたはくめか、

うをえ、にさりへて、のます、あせえほれけ、

 

八月八日、秋立つ日、アメの一二のおほかみ。

 

 

 
カゼの巻、第七帖 (三五八)


神にすがり居りたればこそぢゃと云ふとき、眼の前に来てゐるぞ。

まだ疑うてゐる臣民人民 気の毒ぢゃ、我恨むより方法ないぞ。

神の致すこと、人民の致すこと、神人共に致すこと、
それぞれに間違ひない様に心配(くば)りなされよ。

慢心鼻ポキンぞ、神示よく読んで居らんと、みるみる変って、
人民心ではどうにもならん、見当取れん事になるのざぞ、
神示はじめからよく読み直して下されよ、
読みかた足らんぞ、
天の神も地の神もなきものにいたして、好き勝手な世に致して、
偽者の天の神、地の神つくりてわれがよけらよいと申して、
我よしの世にしてしまふてゐた事 少しは判って来たであらうがな。

愈々のまことの先祖の、世の元からの生神、生き通しの神々様、
雨の神、風の神、岩の神、荒の神、地震の神ぞ、
スクリと現れなさりて、
生き通しの荒神様 引連れて御活動に移ったのであるから、
もうちともまたれん事になったぞ、
神示に出したら直ぐに出て来るぞ、
終りの始の神示ざぞ、夢々おろそかするでないぞ、
キの神示ぢゃ、
くどい様なれどあまり見せるでないぞ。

二月十六日、ひつぐのΘ。

 

 

334>357 

夜明けの巻、第十三帖 (三三四)

 

あら楽し、すがすがし、世は朝晴れたり、昼晴れたり、夜も晴れたり。

あらたのし、すがすがし、世は岩戸明けたり、待ちに待ちし岩戸開けたり、

此の神示の臣民と云ふても、人間界ばかりでないぞ。

 

神界幽界のことも言ふて知らしてあると、申してあろが。

 

取違ひ慢心一等恐いと申してあろが。

 

祭典(まつり)、国民服もんぺでもよいぞ。

 

天明まつりの真似するでないぞ。

役員まつりせい。

何も云ふでないぞ。

言ふてよい時は知らすぞよ、判りたか。

 

仕へる者無き宮、産土様の横下にいくら祀ってもよいぞ。

 

天明は祈れ。祈れ。天に祈れ、地に祈れ、引潮の時引けよ。

満潮の時進めよ。

大難小難にと役員も祈れよ。

 

口先ばかりでなく、誠祈れよ。

 

祈らなならんぞ。

 

口先ばかりでは悪となるぞ。

わかりたか。

今度は借銭済(な)しになるまでやめんから、

誰によらず借銭無くなるまで苦し行せなならんぞ、

借銭なしでないと、お土の上には住めん事に今度はなるぞ。

 

イシの人と、キの人と、ヒの人と、ミヅの人と、できるぞ。

 

今にチリチリバラバラに一時はなるのであるから、その覚悟よいか。

 

毎度知らしてあること忘れるなよ。

神示 腹の腹底まで浸むまで読んで下されよ。

神頼むぞ。

悟った方 神示とけよ。

といて聞かせよ。

役員 皆とけよ。

信ずる者皆人に知らしてやれよ。

神示読んで嬉しかったら、知らしてやれと申してあらうが。

 

天明は神示書かす役ぞ。

アホになれと申してあろが、まだまだぞ、

役員 気付けて呉れよ。

 

神示の代りにミ身に知らすと申してある時来たぞ。

愈々の時ぞ。

神示で知らすことのはじめは済みたぞ。

実身掃除せよ。

ミ身に知らすぞ。

実身に聞かすぞ、聞かな聞く様にして知らすぞ。

 

つらいなれど、がまんせよ。

ゆめゆめ利功出すでないぞ。

判りたか、百姓にもなれ、大工にもなれ、絵描きにもなれ。

 

何んにでもなれる様にしてあるでないか。

役員も同様ぞ。

まどゐつくるでないぞ、金とるでないぞ。

神に供へられたものはみな分けて、喜ばしてやれと申してあろが。

 

此の方 喜ぶこと好きぞ、好きの事栄えるぞ。

いや栄へるぞ。

信者つくるでないぞ。

道伝へなならんぞ。

取違へせん様に慢心せん様に、生れ赤児の心で神示読めよ。

神示いただけよ。

日本の臣民 皆勇む様、祈りて呉れよ。

世界の人民 皆よろこぶ世が来る様 祈りて呉れよ、てんし様まつれよ。

みことに服(まつ)ろへよ。

このこと出来れば他に何も判らんでも、峠越せるぞ。

御民いのち捨てて生命に生きよ。

 

「鳥鳴く声す 夢さませ、見よ あけ渡るひむかしを、

空色晴れて沖つ辺に、千船行きかふ靄(もや)の裡(うち)。」

 

「いろは、にほへとち、りぬるをわかよ、たれそ、つねならむ、

うゐのおくやま、けふこ、えてあさき、ゆめみしゑひもせすん。」

 

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「アオウエイ。カコクケキ。サソスセシ。タトツテチ。ナノヌネニ。

ハホフヘヒ。マモムメミ。ヤヨユエイ。ラロルレリ。ワヲウヱヰ。」

 

アイウエオ。ヤイユエヨ。ワヰヱヲ。カキクケコ。サシスセソ。

タチツテト。ナニヌネノ。ハヒフヘホ。マミムメモ。ヤイユエヨ。

ラリルレロ。ワヰウヱヲ。五十九柱ぞ。

 

此の巻 夜明けの巻とせよ。

この十二の巻よく腹に入れておけば何でも判るぞ。

無事に峠越せるぞ。

判らん事は自分で伺へよ。

それぞれにとれるぞ。

 

天津日嗣皇尊(あまつひつぎすめらみこと)弥栄(やさか)いや栄(さか)。

あら楽し、あら楽し、あなさやけ、あなさやけ、おけ。

 

一二三四五六七八九十百千卍(ひふみよいつむゆななやここのたりももちよろず)。

 

秋満つ日に、アメのひつ九かみしるす。

(夜明けの巻了)

 

 

 

 

カゼの巻、第六帖 (三五七)

 

江戸の仕組 江戸で結ばんぞ。

この道開くに急いではならんぞ、

無理して下さるなよ、

無理急ぐと仕組壊れるぞ。

 

まだまだ敵出て来るなれど、

神心になれば敵、敵でなくなるぞ、

敵憎んではならんぞ、敵も神の働きぞ。

 

神は六ヶ敷いこと云はんぞ、

神に心皆任せてしまうて、

肉体慾 捨ててしまふて、それで嬉し嬉しぞ。

 

神が限りなき光り、よろこび与へるのざぞ。

 

いやならいやでそなたのすきにしてやりてござれ、

一旦天地へ引上げと申してある通りになるぞ。

 

一度の改心六ヶ敷いからくどう申してあるのざぞ。

 

今までほかで出て居たのは皆 神示先(ふでさき)ぢゃ、

ここは神示(ふで)ぢゃ、

何時もの如く思って居ると大変が足元から飛び立つのざぞ、

取返しつかんから気付けてゐるのぢゃ。

 

何れは作物(つくりもの)取らしておくから、

沢山取れたら更に更に愈々ざと心得よ。

 

神の国治めるのは物でないぞ、まことざぞ、

世界治めるのもやがては同様であるぞ、

人民マコトと申すと何も形ないものぢゃと思ってゐるが、

マコトが元ざぞ。

 

タマとコト合はしてまつり合はして真実(マコト)と申すのぢゃ。

「〇」と「ゝ」 をまつりたものぢゃ、

物無くてならんぞ、タマなくてならんぞ、

マコト一つの道ざと申してあろがな、わかりたか。

 

ミタマ相当にとりて思ふ様やりてみよ、

行出来ればその通り行くのぢゃ、

神に気に入らん事スコタンばかりぢゃから、

引込み思案せずに堂々とやりて下されよ。

 

こんな楽な世になってゐるのぢゃ、

屁(へ)も放(ひ)れよ、沈香もたけよ、

ふらふらして思案投首この方嫌ひぢゃ。

 

光る仕組、中行く経綸(しくみ)となるぞ。

 

二月十六日、一二のΘ。

 

 

335>356 

アメの巻、第一帖 (三三五)

 

天の日津久の大神(あめの一二のΘ)のお神示(ふで)であるぞ、

特にお許しもろて書きしらすぞ。

 

十二の巻 説いて知らすのであるぞ、

此の巻アメの巻と申せよ、

此の度は昔から無かりた事致すのであるから

人民には判らん事であるから素直に致すが一等ざぞ、

惟神(かんながら)の道とか神道とか日本の道とか今の臣民申してゐるが、

それが一等の間違ひざぞと申してあろが、

惟神(かんながら)とは神人共に融け合った姿ざぞ。

 

今の臣民 神無くして居るではないか、

それで惟神も神道もないぞ、

心大きく、深く、広く持ちて下されよ、

愈々となるまでは落しておくから見当とれんから、

よくこの神示読んでおいて下されよ。

 

世界ぢゅうに面目ない事ないよにせよと申してあろが。

足元から鳥立ちてまだ目覚めんのか、

神示(ふで)裏の裏までよく読めと申してあろがな。

 

此の道は只の神信心とは根本から違ふと申してあろが、

三千世界の大道ざぞ。

 

所の洗濯と身魂の洗濯と一度になる所あるぞ、

「イスラ」の十二の流れの源泉(みなもと)判る時来たぞ。

 

命がけで御用つとめてゐると思ふて邪魔ばかり致しておろがな、

金や学や智では大峠越せんぞ。

 

神はせよと申すことするなと申すこともあるのぞ、

裏の裏とはその事ぞ、

よく心得て下さりて取違ひいたすでないぞ。

 

手のひら返すぞ返さすぞ、

此の度の岩戸開きは人民使ふて人民助けるなり、

人民は神のいれものとなって働くなり、

それが御用であるぞ、

いつでも神かかれる様に、

いつも神かかっていられるようでなくてはならんのざぞ。

神の仕組 愈々となったぞ。

 

十月十三日、ひつ九のかみ。

 

 

カゼの巻、第五帖 (三五六)

 

我が名呼びておすがりすれば、

万里先に居ても云ふこときいてやるぞ、

雨の神、風の神、岩の神、荒の神、地震の神、

と申してお願ひすれば、

万里先に居ても、この世の荒れ、地震のがらせてやるぞ、

神々様に届く行で申せよ。

 

こんなよき世は今迄になかりたのぢゃ、

膝元(ひざもと)に居ても言葉ばかりの願ひ聞こえんぞ、

口と心と行と三つ揃った行い、

マコトと申して知らしてあろが。

 

時節来てゐるなれど、わからん人民多い故

物事遅くなりて気の毒なるぞ、

今暫くの辛抱なるぞ、神は人民に手柄立てさしたいのぢゃ、

許せるだけ許してよき世に致すのぢゃ、

ここまで開けたのも神が致したのぢゃ、

今の文明なくせんと申してあろうが、

文明残してカスだけ無(のう)にいたすのぢゃ、

取違ひ慢心致すなよ。

 

日本の国いくら大切と申しても、世界中の臣民とはかへられんから、

くにひっくりかへること、まだまだあるかも知れんぞ、

くにの軸 動くと知らしてあろがな。

 

此の神示キの儘であるから心なき人民には見せるでないぞ、

あまりきつくて毒になるから、

役員 薄めて見せてやれよ、

一日も早く一人でも多く助けてやりたいのぢゃ、

神まつり結構ぞ、

神まつらいでいくら道説いても肚にはいらんぞ、

肚に入らん道は悪の道となるのぢゃ、

頭ばかりで道歩めん道理わからんか、

改心足らんぞ。

 

二月十六日、一二Θ。

 

 

336>355

アメの巻、第二帖 (三三六)

 

 

天の大神様は慈悲深くて何んな偉い臣民にも底知れぬし、

地の大神様は力ありすぎて、人民には手におへん見当取れん、

そこで神々様を此の世から追い出して悪神の云ふこと聞く人民許り

となりてゐたのであるぞ。

 

七五三(しめ)は神々様をしめ込んで出さぬ為のものと申してある事

これで判るであろがな、

鳥居は釘付けの形であるぞ、

基督(キリスト)の十字架も同様ぞ、

基督信者よ改心致されよ、

基督を十字架に釘付けしたのは、

そなた達であるぞ、懺悔せよ、

〇とは外国の事ぞ、Θが神国の旗印ぞ、

神国と外国との分けへだて誤ってゐるぞ。

 

大き心持てよ、かがみ掃除せよ、

上中下三段に分けてある違ふ血統(ちすじ)を段々に現すぞよ、

びっくり箱あくぞ、

八九の次は「+」であるぞよ。

 

何事もウラハラと申してあろが、

ひとがひとがと思ってゐた事 我の事でありたであろがな、

よく神示読んでおらんと、キリキリ舞ひせんならんぞ、

日本が日本がと思って居た事 外国でありた事もあるであろがな、

上下ひっくり返るのざぞ、判りたか。

 

餓鬼までも救はなならんのであるが、

餓鬼は食物やれば救はれるが、

悪と善と取違へてゐる人民、守護神、神々様 救ふのはなかなかであるぞ、

悪を善と取違へ、天を地と信じてゐる臣民人民なかなかに改心六ヶ敷いぞ。

 

我と改心出来ねば今度は止むを得ん事出来るぞ、

我程偉い者ないと天狗になりてゐるから気を付ける程

悪ふとりてゐるから、

こんな身魂は今度は灰ざぞ、

もう待たれん事になったぞ。

 

十月の十四日、ひつ九のかみしるす。

 

 

カゼの巻、第四帖 (三五五)

 

岩戸開けたり野も山も、草のかき葉もことやめて、

大御光により集ふ、楽しき御代とあけにけり、

都も鄙(ひな)もおしなべて、枯れし草木に花咲きぬ、

今日まで咲きし草や木は、一時にどっと枯れはてて、つちにかへるよすがしさよ、

ただ御光の輝きて、生きの生命(いのち)の尊さよ、

やがては人のくにつちに、うつらん時の楽しさよ、

岩戸開けたり御光の、二二(ふじ)に九(こ)の花どっと咲く、

御代近づきぬ御民等よ、

最后の苦労 勇ましく、打ち越し呉れよ共々に、

手引きあひて進めかし、光の道を進めかし。

 

ウタのまどひつくれよ。目出度(めでたき)夜明けぞ。

 

旧一月一日、一二Θ。

 

337>354 

アメの巻、第三帖 (三三七)

 

草木は身を動物虫けらに捧げるのが嬉しいのであるぞ。

 

種は残して育ててやらねばならんのざぞ、

草木の身が動物虫けらの御身(みみ)となるのざぞ、

出世するのざから嬉しいのざぞ、

草木から動物虫けら生れると申してあろがな、

人の身(み)神に捧げるのざぞ、

神の御身(みみ)となること嬉しいであろがな、

惟神のミミとはその事ぞ、

神示よく読めば判るのざぞ、

此の道は先に行く程 広く豊かに光り輝き嬉し嬉しの誠の惟神の道で御座るぞ、

神示よく読めよ、

何んな事でも人に教へてやれる様に知らしてあるのざぞ、

いろはに戻すぞ、

一二三(ひふみ)に返すぞ、

一二三(ひふみ)が元ぞ、

天からミロク様みづの御守護遊ばすなり、

日の大神様は火の御守護なさるなり、

此の事 魂までよくしみておらぬと御恩判らんのざぞ。

 

悪も善に立ち返りて御用するのざぞ。

 

善も悪もないのざぞと申してあろがな、

Θの国真中に神国になると申してあろがな、

日本も外国も神の目からは無いのざと申してあろうが、

神の国あるのみざぞ、判りたか。

 

改心すれば「ゝ」(たま)の入れかへ致して其の場からよき方に廻してやるぞ、

何事も我がしてゐるなら自由になるのであるぞ。

 

我の自由にならんのはさせられてゐるからざぞ、

此の位の事判らんで神の臣民と申されんぞ、

国々所々に宮柱太敷キ立てよ、たかしれよ。

 

此の先は神示に出した事もちいんと、

我の考へでは何事も一切成就せんのざぞ、

まだ我出して居る臣民ばかりであるぞ。

 

従ふ所には従はなならんぞ、

従へばその日から楽になって来るのざぞ、

高い所から水流れる様にと申して知らしてあろがな。

 

十月の十五日、ひつ九のかみ。

 

 

カゼの巻、第三帖 (三五四)

 

愈々の大建替は国常立の大神様、豊雲野の大神様、

金の神様、竜宮の乙姫様、先づ御活動ぞ。

 

キリギリとなりて岩の神、雨の神、風の神、荒の神様なり、

次に地震の神様となるのざぞ。

 

今度の仕組は元のキの生き神でないとわからんぞ、

中津代からの神々様では出来ない、わからん深い仕組ざぞ、

猿田彦殿、天鈿女命(あめのうずめのみこと)殿、

もとのやり方では世は持ちて行けんぞ。

 

今一度 悪栄えることあるぞ、

心して取違ひない様にいたされよ。

口と心と行ひとで神示とけよ、堂々説けよ。

 

一月四日、一二のかみ。

 

 

338>353

アメの巻、第四帖 (三三八)

 

世界の臣民 皆手引き合って行く時来た位 申さいでも判ってゐるであろが、

それでもまだまだ一苦労二苦労あるぞ、

頭で判っても肚で判らねば、

発根(ほっこん)の改心出来ねば、

まだまだ辛い目に会ふのざぞ、

人民 自分で首くくる様なことになるのざぞ、判りたであろ。

 

天の御三体の大神様と ちのおつちの先祖様でないと

今度の根本のお建替出来んのざぞ、

判りても仲々判らんであろがな。

 

洗濯足らんのであるぞ。

 

今度はめんめにめんめの心改めて下されよ、

神は改めてあるが、

神から改めさすのでは人民可哀想なから

めんめめんめで改めて下されよ、

改まっただけ おかげあるのざぞ。

 

今度の岩戸開いたら末代の事ざぞ、

天地の違ひに何事も違ふのざぞ。

 

信者引張りに行って呉れるなよ、

神が引き寄せるから、

役員の所へも引き寄せるから、

訪ねて来た人民に親切尽くして喜ばしてやれと申してあろが、

人民喜べば神嬉しきぞと申してあろが、

草木喜ばしてやれよ、

神示よく読めばどうしたら草木動物喜ぶかと云ふことも知らしてあるのざぞ、

今迄の心 大河に流してしまへば何もかもよく判って嬉し嬉しとなるのざぞ、

まだまだ世界は日に日にせわしくなりて云ふに云はれん事になって来るのざから、

表面(うわつら)許り見てゐると判らんから、

心大きく世界の民として世界に目とどけてくれよ、

元のキの神の子と、

渡りて来た神の子と、

渡りて来る神の子と三つ揃ってしまはねばならんのぞ、

アとヤとワと申してあるが段々に判りて来るのざぞ。

 

実地のことは実地の誠の生神でないと出来はせんぞ、

臣民はお手伝ひぞ、

雨風さへどうにもならんであろうが、

生物 何んで息してゐるか、

それさへ判らいで居て何でも判ってゐると思ってゐるが鼻高ぞと申すのざ、

今の内に改心すれば名は現はさずに許してよき方に廻してやるぞ、

早う心改めよ。

 

十月十六日、ひつ九のか三。

 

 

カゼの巻、第二帖 (三五三)

 

二柱の神あると申してあろが、旗印も同様ぞ、

かみの国の旗印と、Θ(もとつかみ)の国の旗印と同様であるぞ、

●であるぞと知らしてあろがな、●にも二通りあるのざぞ、

スメラ●の旗印と

f:id:satonory4949:20200125135408g:plainf:id:satonory4949:20200125135415g:plain●と申して知らしてあろがな、

今は逆ざぞと申してあろがな、

このことわからいでは、今度の仕組分らんぞ、神示分らんぞ、岩戸開けんぞ。

 

よく旗印みてよと申してあろがな、

お日様 赤いのでないぞ、赤いとばかり思ってゐたであろがな、

まともにお日様みよ、みどりであるぞ、

お日様も一つでないぞ。

ひとりまもられているのざぞ。

さむさ狂ふぞ。

 

一月の一日、ひつ九のΘ。

 

 

339>352

アメの巻、第五帖 (三三九)

 

神示に書かしたら日月の神(一二のΘ)が天明に書かすのであるから

其の通りになるのであるぞ、

皆仲よう相談して悪き事は気付け合ってやりて下され、

それがまつりであるぞ、

王(おー)の世が

 

f:id:satonory4949:20200125135523g:plain(さかさまのおー)の世になって居るのを今度は元に戻すのであるから、

 

その事 早う判っておらんと一寸の地の上にもおれん事になるぞ、

今度の戦(いくさ)すみたら

世界一平一列一体になると知らしてあるが、

一列一平 其の上に神が居ますのざぞ、

神なき一平一列は秋の空ぞ、

魔の仕組、神の仕組、早う旗印見て悟りて下されよ、

神は臣民人民に手柄致さして万劫末代、名残して世界唸らすのざぞ、

これ迄の事は一切用ひられん事になるのざと申してあろ、

論より実地見て早う改心結構、

何事も苦労なしには成就せんのざぞ、

苦労なしに誠ないぞ、

三十年一切(ひときり)ぞ、

ひふみ肚に入れよ、

イロハ肚に入れよ、アイウエオ早ようたためよ、

皆えらい取違ひして御座るぞ、

宮の跡は草ボウボウとなるぞ、

祭典(まつり)の仕方スクリと変へさすぞ、

誠の神の道に返さすのざから、

今度は誠の生神でないと人民やらうとて出来はせんぞ。

 

十月十七日、ひつ九のかミ。

 

 

カゼの巻、第一帖 (三五二)

 

用意なされよ。いよいよざぞ、愈々九🌀三(くるぞ)。

神のみこと知らすぞ。

知らすぞ、眼覚めたら起き上がるのざぞ。

起きたらその日の命頂いたのざぞ。

 

感謝せよ、大親に感謝、親に感謝せよ、

感謝すればその日の仕事与へられるぞ。

 

仕事とは嘉事(よこと)であるぞ、

持ち切れぬ程の仕事与へられるぞ。

 

仕事は命ざぞ。

仕事喜んで仕へ奉れ。

 

我出すと曇り出るぞ。

 

曇ると仕事わからなくなるぞ。

 

腹へったらおせよ。

 

二分は大親に臣民腹八分でよいぞ。

 

人民食べるだけは与へてあるぞ。

 

貪(むさぶ)るから足らなくなるのざぞ。

 

減らんのに食べるでないぞ。

 

食(おせ)よ。

 

おせよ。

 

一日一度からやり直せよ。

 

ほんのしばらくでよいぞ。

 

神の道 無理ないと申してあろが。

 

水流れる様に楽し楽しで暮せるのざぞ、

どんな時どんな所でも楽に暮せるのざぞ。

 

穴埋めるでないぞ、穴要るのざぞ。

 

苦しいという声 此の方嫌ひざ。

 

苦と楽 共にみてよ、苦の動くのが楽ざぞ。

 

生れ赤児みよ。

 

子見よ、神は親であるから人民守ってゐるのざぞ。

 

大きなれば旅にも出すぞ、旅の苦 楽しめよ、楽しいものざぞ。

 

眠くなったら眠れよ、それが神の道ぞ。

 

神のこときく道ざぞ。

 

無理することは曲ることざぞ。

 

無理と申して我儘無理ではないぞ、

逆行くこと無理と申すのざ。

 

無理することは曲ることざ、曲っては神のミコト聞こへんぞ。

 

素直になれ。

火降るぞ。

 

相手七と出たら三と受けよ、

四と出たら六とつぐなへよ、

九と出たら一とうけよ、

二と出たら八と足して、

それぞれに十となる様に和せよ。

 

まつりの一つの道ざぞ。

 

 

f:id:satonory4949:20200125135617g:plain(おう)の世f:id:satonory4949:20200125135655g:plain(おう)の世にせなならんのざぞ、

 

 

今はf:id:satonory4949:20200125135617g:plain (をう)の世ざぞ、

f:id:satonory4949:20200125135617g:plain(わう)の世f:id:satonory4949:20200125135617g:plainの世となりて、

 

 

 

f:id:satonory4949:20200125135617g:plain(おう)の世に「ゝ」入れて

f:id:satonory4949:20200125135655g:plain(おう)の世となるのざぞ。

 

 

 

 

タマなくなってゐると申してあろがな、

タマの中に仮の奥山移せよ、

急がいでもよいぞ、

臣民の肉体 神の宮となる時ざぞ、

当分 宮なくてもよいぞ。

 

やがては二二(ふじ)に九(コ)の花咲くのざぞ、

見事二二(ふじ)に九(こ)の火(ほ)が鎮まって、

世界治めるのざぞ、それまでは仮でよいぞ、

臣民の肉体に一時は鎮まって、

此の世の仕事仕組みて、天地でんぐり返して光の世といたすのぢゃ。

 

花咲く御代近づいたぞ。

用意なされよ、用意の時しばし与えるから、

神の申すうち用意しておかんと、

とんでもないことになるのざぞ。

 

f:id:satonory4949:20200125135655g:plainの世輝くと

f:id:satonory4949:20200125135942g:plainとなるのざぞ、

f:id:satonory4949:20200125135942g:plainと申して知らしてあろがな。

 

 

 

 

 

役員それぞれのまとひつくれよ、

何れも長(おさ)になる身魂でないか。

 

我軽しめる事は神軽くすることざ、わかりたか。

 

おのもおのも頭領であるぞ、釈迦ざぞ。

キリストざぞ。

その上に神ますのざぞ、

その上 神又ひとたばにするのざぞ、

その上に又「ゝ」でくくるぞ、

その上にも「ゝ」あるのざぞ、

上も下も限りないのざぞ。

 

奥山 何処に変っても宜いぞ、

当分 肉体へおさまるから何処へ行ってもこの方の国ぞ、肉体ぞ、

心配せずに、グングンとやれよ、

動くところ、神力 加はるのざぞ、

人民のまどひは神無きまどひぞ、神無きまどひつくるでないぞ、

神上に真中(まなか)に集まれよ。

 

騒動待つ心 悪と申してあること忘れるなよ、

神の申した事ちっとも間違ひないこと、

少しは判りたであろがな。

 

同じ名の神 二柱あるのざぞ、善と悪ざぞ、

この見分けなかなかざぞ、

神示よめば見分けられるように、

よく細かに解(と)いてあるのざぞ、

善と悪と間違ひしてゐると、くどう気付けてあろがな、

岩戸開く一つの鍵ざぞ、

名同じでも裏表ざぞ、裏表と思ふなよ、

頭と尻 違ふのざぞ。

 

千引(ちびき)の岩戸開けるぞ。

 

十二月二十五日、ひつぐのかミ。

 

 

340>351

アメの巻、第六帖 (三四〇)

 

神示よく読めと、神示よく肚に入れと申してあるが、

神示肚に入れると胴すわるのざぞ、

世界から何んな偉い人が出て来て何んな事尋ねても教へてやれる様になるのざぞ、

神示胴に入れて頭下げて天地に働いて下されよ、

まつりて下されよ、

素直になれば其の場から其場其場で何事も神が教へてやるから、

力つけて導いてやるから、何んな神力でも授けてやるぞ。

 

一二三四五六七八九十百千卍

(ひとふたみよいつむゆななやここのたりももちよろず)

授け申して神人となるぞ。

 

我さえよけらよいとまだ思って御座る臣民まだで御座るぞ、

自分一人で生きてゆけんぞ、

神許りでも生きてゆけんぞ、

爪の垢でもだてについてゐるのではないのざぞ、

判らんと申しても余りで御座るぞ、

まつりせよ、地(つち)にまつろへよ、天(あめ)にまつろへよ、

人にまつろへよ、草木動物にまつろへよ、と、

くどう知らしてあるのに未だ判らんのか、

神拝む許りがまつりでないぞ。

 

待ちに待ちし日の出の御代となりにけり、

一二三(ひふみ)いろはの世はたちにけり。

 

身慾信心してゐる臣民人民、

今に神示聞けぬ様に いれものつんぼになるのざぞ、

きびしくなって来るぞ、

毒にも薬にもならん人民、今度は役に立たんのざぞ、

悪気ない許りでは一二(ひつき)の御民とは申されんぞ。

 

あら楽し、黒雲一つ払ひけり、次の一つも払ふ日近し。

 

淋しくなりたら神示尋ねて御座れ、

神示読まねば益々判らん事になったであろうが、

天国に底ない様に地獄にも底ないぞ、何処までも落ちるぞ、

鼻高の鼻折らな人民何んと申しても神承知出来ん。

 

十一月二十三日、ひつ九のかミ。

 

 

アメの巻、第十七帖 (三五一)

 

天地の先祖、

元の神の天詞(てんし)様が王の王と現はれなさるぞ、

王の王はタマで御現はれなされるのざぞ。

 

礼拝の仕方 書き知らすぞ、

節分から始めて下されよ、

 

先づキ整へて暫し目つむり心開きて

一拝二拝八拍手せよ、

 

又キ整へて

一二三四五六七八九十(ひとふたみよいつむゆななやここのたり)と

言(こと)高くのれよ、

 

又キ整へてひふみ三回のれよ、

 

これはこれは喜びの舞、清めの舞、祓の歌であるぞ。

 

世界の臣民 皆のれよ、身も魂も一つになって、

のり歌ひ舞へよ、

身魂(みたま)全体で拍手するのざぞ、

 

終って又キ整へて

一二三四五六七八九十、

一二三四五六七八九十百千卍(ももちよろず)と

言(こと)高くのれよ、

 

神気整へて

天(アメ)の日月の大神様 弥栄ましませ弥栄ましませ

と祈れよ、

これは祈るのざぞ、

 

九二(くに)のひつくの神様 弥栄ましませ弥栄ましませと祈れよ、

終りて八拍手せよ、

 

次に

雨の神様、風の神様、岩の神様、荒の神様、地震の神様、

百々(もも)の神様、世の元からの生神様、

産土(うぶすな)の神様に御礼申せよ、

 

終りてから神々様のキ頂けよ、

 

キの頂き方 前に知らしてあろがな、

 

何よりの臣民人民の生(いき)の命の糧(かて)であるぞ、

病なくなる元の元のキであるぞ、

 

八度繰り返せと申してあろ、

暫くこのやうに拝めよ、

神代になる迄にはまだ進むのざぞ、

それまではその様にせよ、

此の方の申す様にすればその通りになるのざぞ、

 

さまで苦しみなくて大峠越せるぞ、

大峠とは王統消(わうとうけ)すのざぞ。

 

新しき元の生命(いのち)と成るのざぞ。

神の心となれば誠判るぞ。

誠とはマとコトざぞ、

神と人民 同じになれば神代ざぞ、

神は隠身(かくりみ)に、

人民 表に立ちて此の世治まるのざぞ。

 

雀の涙程の物 取り合ひ へし合ひ 何して御座るのぞ、

自分のものとまだ思ってゐるのか。

 

御恩とは五つの音の事ざぞ、

御音(恩)返さなならんのざぞ、

此の事よく考へて間違はん様にして下されよ。

 

此の巻は雨の巻ぞ、

次々に知らすからミタマ相当により分けて知らしてやれよ、

事分けて一二三(ひふみ)として知らしてやるのもよいぞ。

 

役員皆に手柄立てさしたいのぢゃ、

臣民人民 皆にそれぞれに手柄立てさしたいのぢゃ、

待たれるだけ待ってゐるのぢゃ、

一人で手柄は悪ぢゃ、分けあってやれよ、手握りてやれよ。

 

石もの云ふぞ、

十六の八の四の二の一目出度や目出度やなあ。

 

神の仕組の世に出でにけり、

あなさやけ、あな面白や、

五つの色の七変はり八変はり九(ここ)の十々(たりたり)て

百千万(ももちよろず)の神の世弥栄。

 

十二月十九日、ひつ九のかミ。

(アメの巻了)

 

 

341>350 

アメの巻、第七帖 (三四一)

 

神の心の判りた臣民から助ける御用にかゝりて呉れよ、

助ける御用とは清めの御用で御座るぞ、

天地よく見て悟りて呉れよ。

 

三四五(みよいづ)の御用は出来上がりてしまはんと

御用してゐる臣民にはさっぱり判らんのであるぞ、

つかわれてゐるから判らんのであるぞ、

出来上がりてから これは何んとした結構な事でありたかとビックリするのざぞ。

アメのひつ九のか三とはアメの一二の神で御座るぞ、

アメの Θ(つきひ)の神で御座るぞ、元神で御座るぞ、

ムの神ぞ、ウの神ぞ、元のままの肉体持ちて御座る御神様ぞ、

つちのひつ九のおん神様ぞ、

つちのΘ(ひつき)の御神様と今度は御一体となりなされて、

今度の仕組 見事成就なされるので御座るぞ、

判りたか、九二つちの神 大切申せとくどう知らしてあろがな、

今迄の臣民人民、

九二の御先祖の神おろそかにしてゐるぞと申して知らしてあらう、

神は千に返るぞ、

九二つちつくること何んなに難儀な事か人民には判るまいなれど、

今度さらつの世にするには人民もその型の型の型位の難儀せなならんのざぞ。

 

それでよう堪(こば)れん臣民 沢山にあるのざぞ、

元の神の思ひの何万分の一かの思ひせんならんのざぞ、

今度 世変りたら、臣民 此の世の神となるのざぞ。

 

国の洗濯はまだまだ楽であるが、

ミタマの洗濯 中々に難しいぞ、

人民 可哀想なから延ばしに延ばして御座るのざぞ、

幾ら言ひ聞かしても後戻り許りぢゃ、

言ひ聞かして改心出来ねば改心する様致すより

もう手ない様になってゐるのざ。

 

何時どんな事あっても神は知らんぞ、

上から下までも誰によらん今迄の様な我儘させんぞ、

役員 馬鹿にならなならんぞ、大のつく阿呆になれよ、

 

f:id:satonory4949:20200125140143g:plainのつく阿呆にあやまって呉れるなよ、

阿呆でないと今度の誠の御用なかなかざぞ。

 

命捨てて命に生る時と申してあろがな、

非常の利巧な臣民人民アフンで御座るぞ、

今にキリキリ舞するのが目に見へんのか。

 

何時も変らぬ松心でおれと申して御座ろがな、

建替へ致したら世界は一たん寂しくなるぞ、

神が物申して居る内に改心せなならんぞ、

後悔間に合はんと申してあろがな。

 

十一月二十三日、ひつ九のかミ。

 

 

アメの巻、第十六帖 (三五〇)

 

此の世と申しても臣民の世ばかりでないぞ、

神の世界も引くるめて申してゐるのぢゃぞ、

勇んでやって下されよ、

勇む所 此の方 力添え致すぞ。

 

心配顔 此の方 嫌ひぞ、歌唄ひ下されよ、

笑ひて下されよ、笑へば岩戸開けるぞ。

 

今の人民キリキリ舞しながら

まだキリキリ舞する様もがいて御座るぞ。

 

つ千に返ると申してあろがな、

早う気付いた臣民人民 楽になるぞ。

 

神の守護と申すものは人民からはちっとも判らんのであるぞ、

判る様な守護は低い神の守護ざぞ、悪神の守護ざぞ、

悪神の守護でも大将の守護ともなれば人民には判らんのざぞ、

心せよ、

何んな事あっても不足申すでないぞ、

不足悪ざぞ、

皆 人民の気からぞと くどう申してあろがな、

人民キから起って来たのざぞ、

我の難儀、我が作るのざぞ、

我恨むより方法(ほか)ないぞ、

人民の心さへ定まったら、

此の方 自ら出て手柄立てさすぞ、手柄結構ざぞ。

 

此の世の物 一切 神の物と云ふ事まだ判らんのか、

一切取り上げられてから成程なァと判ったのでは

おそいから嫌がられても、くどう同じ様な事申してゐるのざぞ、

人民の苦しみ此の方の苦しみざぞ、

人民も此の方も同じものざぞ、此の道理判りたか、

此の方 人民の中に居るのざぞ、

別訳(ことわけ)て申してゐるのざぞ。

 

まだまだ大き戦激しきぞ、

是で世よくなると思ってゐると大間違ひとなるのざぞ、

是からが褌(ふんどし)ざぞ、

よき世となれば褌要らんのざぞ、

フラリフラリと風に吹かれるヘチマぢゃ、

ヘチマ愉快で嬉しひなあ、

風の間に間に雨の間に間にユタリユタリと嬉しかろがな、

何も彼も嬉し真から楽しき世ざぞよ。

 

誠が神であるぞ、コトが神であるぞ、

元であるぞ、道であるぞ、日であるぞ月であるぞ。

 

始めコトありと申してあろがな、

キであるぞ、まつりであるぞ。

 

十二月十九日、一二Θ。

 

 

342>349 

アメの巻、第八帖 (三四二

 

大難小難にと祈れと申してくどう知らしてあろがな、

如何様にでも受け入れてよき様にしてやる様仕組てある神の心判らんか、

天災待つは悪の心、邪と知らしてあるがまだ判らんのか、

くにまけて大変待ちゐる臣民 沢山あるが、

そんな守護神に使はれてゐると気の毒になりて来るぞ、

よく神示読んで下されよ。

 

今の守護神、悪の血筋眷属であるぞ、

悪も御役ながら奥表に出ては誠おさまらんぞ、

悪結構な世は済みて、

善結構、悪結構、卍(ホトケ)結構、基(ヤソ)結構、

儒(コトゴトク)結構の世となりなる神の仕組

近くなって来たぞ。

 

世の元からの仕組、中行く仕組、天晴(アッパレ)三千世界結構であるぞ、

心の不二も晴れ晴れとなるぞ、結構々々。

 

甘くてもならんぞ、辛(カラ)くてもならんぞ、

甘さには辛さいるぞ、

天の神様許りではならんのざ、

くどう申して此処迄知らしてゐるにまだ判らんのか、

心さっぱり大河に流して神示読んで下されよ、

何時迄も神待たれんぞ、

辛さには甘さかげにあるのざぞ、

此の道理よく判るであろがな、

水の味 火の味 結構ぞ、

恐い味ない様な結構な恐さであるぞ、喜びであるぞ、

苦しみであるぞ、此の道理よく判りたか。

 

神の御恵み神の御心判りたか、

御心とは三つの御心ぞ、一と十と「ゝ」とであるぞ、

御心結構ぞ、

世の元の神の仕組の現はれて三千世界光り輝く、

あなさやけ。

 

十一月二十七日、ひつくのか三。

 

 

 

アメの巻、第十五帖 (三四九)

 

四八音(ヨハネ)世に出るぞ、

五十音(イソネ)の六十音(ムソネ)と現はれるぞ、

用意なされよ。

 

それまでにさっぱりかへてしもうぞ、

天も変るぞ地も変るぞ。

 

此の方等が世建直すと申して此の方等が世に出て威張るのでないぞ、

世建直して世は臣民に任せて此の方等は隠居ぢゃ、隠れ身ぢゃぞ。

 

字から世持ちて嬉し嬉しと申すこと楽しみぞ、

子供よ、親の心よく汲み取りてくれよ。

 

此の神示読まいでやれるならやりてみよれ、

彼方(あちら)でこつん 此方(こちら)でくづれぢゃ、

大事な仕組 早う申せば邪魔はいるし、

申さいでは判らんし、

何にしても素直に致すが一番の近道ざぞ、

素直になれんのは小才があるからざぞ。

 

鼻高ぢゃからざぞ。

 

神の国神の国のやり方あると申してあろがな、

よきは取り入れ悪きは捨てて皆気付け合って神の国神の国ぢゃぞ、

金は金ぢゃ、銀は銀ぢゃぞと申してあろがな、

盲ならんぞ、カイの御用もオワリの仕組も何も彼も裏表あるのざぞ、

裏と表の外(ほか)に裏表あるぞ、

ウオヱであるぞ、アとヤとワざぞ、

三つあるから道ざぞ、

神前に向って大きくキを吸ひ肚に入れて下座に向って吐き出せよ、

八度繰り返せよ、

神のキ頂くのざぞ、

キとミとのあいの霊気頂くのざぞ。

 

ひふみがヨハネとなり、五十連(イツラ)となりなって十二の流れとなるのざぞ、

ムがウになるぞ、ンになるぞ、

ヤとワとほりだして十二の流れ結構ざぞ。

 

知らしてあろがな、是

迄の考へ方やり方致すなら建替ではないぞ、

何も彼も上中下すっかりと建替へるのざぞ、

外国は竜宮の音秘(オトヒメ)様ぐれんと引繰り返しなさるのざぞ、

竜宮の音秘(オトヒメ)様、雨の神様の御活動 激しきぞ。

 

今度 次の大層が出て来たら愈々ざぞ。

最後の十十👁(トドメ)(透答命)ざぞ、今度こそ猶予ならんのざぞ、

キリキリであるから用意なされよ、

三四月気付けよ、キきれるぞ。

 

信心なき者ドシドシ取り替へるぞ、

此の中、誠一つに清め下されよ、

天明まだまだざぞ、

世の元の型まだまだざぞ、

神の仕組 成就せんぞ、

神人共にと申してあろがな、

神厳しきぞ、ぬらりくらりぬるくって厳しきぞ、と申してあろがな。

 

役員多くなくても心揃へて胴(十)すへて居りて下されよ、

神がするのであるから此の世に足場作りて居りて下されよ、

神無理申さんぞと申してあろがな、

けれどもちっとも気許しならんのざぞ。

 

身魂相当に皆させてあろがな、掃除早うせよ、

己の戦まだすんでゐないであろが、

洗濯掃除 早う結構ぞ、

此の方の神示元と判り乍ら他の教で此の道開かうとて開けはせんのざぞ、

鏡曇ってゐるから曲って写るのざぞ、

一人の改心ではまだまだぞ、

一家揃って皆改心して手引き合ってやれよ、

外国人も日本人もないのざぞ、外国々々と隔て心悪ぢゃぞ。

 

十二月十九日、一二Θ。

 

 

343>348 

アメの巻、第九帖 (三四三)

 

神の智と学の智とは始は紙一重であるが、

先に行く程ンプ出来て来て天地の差となるぞ、

Θの神の薬のやり方 悪の神の毒のやり方となるぞ、

神の御用が人の御用ぞ、人の御用が神の御用であるなれど、

今の臣民 神の御用するのと人の御用するのと二つに分けてゐるが、

見苦しき者にはこれからは御用致させん事にきまりたから気付けておくぞ、

何事も順正しくやりて下されよ、

神は順であるぞ、

順乱れた所には神の能(はたらき)現はれんぞ。

 

何もせんでゐて、よき事許り待ちてゐると物事後戻りになるぞ、

神の道には後戻りないと申してあろがな、

心得なされよ、

一(ハジメ)の火 消へてゐるでないか、

まだ判らんか、

都会へ都会へと人間の作った火に集まる蛾(が)の様な心では今

度の御用出来はせんぞ、

表面(うわつら)飾りてまことのない教への所へは人集まるなれど、

誠の道伝へる所へは臣民なかなか集まらんぞ、

見て御座れよ、

幾ら人少なくても見事なこと致して御目にかけるぞ、

縁ある者は一時に神が引寄せると申してあろがな、

人間心で心配致して呉れるなよ。

 

目眩(めまひ)する人も出来るぞ、

ふんのびる人も沢山に出来て来るぞ。

 

行けども行けども白骨許りと申してあろがな、

今のどさくさにまぎれて悪魔はまだえらい仕組致して上にあがるなれど、

上にあがりきらん内にぐれんぞ、

せめて三日天下が取れたら見物であるなれど、

こうなることは世の元から判ってゐるから もう無茶な事は許さんぞ。

 

軽い者程 上に上に上がって来るぞ、

仕組通りなってゐるのざから臣民心配するでないぞ。

 

今度 神の帳面から除かれたら永遠に世に出る事出来んのであるから、

近慾に目くれて折角のお恵みはづすでないぞ、

神 キつけておくぞ。

 

人の苦しみ見てそれ見た事かと申す様な守護神に使はれてゐると気の毒出来るぞ、

世建替へて先の判る世と致すのぢゃぞ、

エスの神宝(かんだから)と、

3S(スリーエス)の神宝とあるぞ、

毒と薬でうらはらであるぞ。

 

五と五では力出んぞ、

四と六、六と四、三と七、七と三でないと力生れんぞ、力生れるから、

カス出来るのざから掃除するのが神の大切な仕事ぞ、

人民もカスの掃除する事 大切な御役であるぞ、

毒と薬と薬と毒で御座るぞ、

搗(つ)きまぜて こねまぜて天晴(あっぱれ)此の世の宝と致す仕組ざぞ、判りたか。

 

一方の3Sより判らんから、

人民 何時も悪に落ち込むのぢゃ、

此の道は中行く道と申して知らしてあろがな、

力余ってならず、力足らんでならず、

しかと手握りてじっと待ってゐて下されよ、

誠の教ばかりでは何もならんぞ、

皆に誠の行(オコナイ)出来んと此の道開けんぞ、

理屈申すでないぞ、

幾ら理屈立派であっても行(オコナイ)出来ねば悪であるぞ、

此の世の事は人民の心次第ぞ。

 

十一月二十七日、ひつくのか三。

 

 

アメの巻、第十四帖 (三四八)

 

一番尊い所 一番落してあるのぢゃ、

此の事判りて来て天晴れ世界唸(うな)るのぢゃ、

落した上に落して もう落す所無い様にして上下引繰り返るのぢゃ、

引繰り返すのでないぞ、引繰り返るのぢゃぞ、此の事 間違へるでないぞ。

 

此の道 難しい道でないぞ、

欲はなれて、命はなれてなる様にしておりて下されたら

それでよいのぢゃ。

 

今が神国の初めぞ、

今までのことすっかり用ひられんのに

未だ今迄の事云ふて今迄の様な事考えてゐるが、

それが盲聾(めくらつんぼ)ざぞ、

今迄の事自慢すると鼻ポキンぞ、

皆 鼻ポキン許りぢゃなあ。

 

まだまだ俘虜(とりこ)になる者 沢山あるなれど、

今度の俘虜(とりこ)まだまだぞ、

何れ元に帰って来るから、

元に帰って又盛り返して来るなれど、

またまた繰り返すぞ、

次に又捕へられる者 出て来るのざぞ、

次はひどいのざぞ、是も因縁ざぞ。

 

神の国は誰が見ても、どう考へても、二度と立ち上がられん、

人民 皆外国につく様になって、

此の方の申した事、神示に書かした事、

皆 嘘(うそ)ざと申す所まで世が落ちてしまうてから始めて神力現れるのざぞ、

人民臣民 早合点して御座るが九分九分九厘と申してあろがな、

事務所作らいでもよいぞ、事務所作るのは表の仕組ぞ、

裏の御用 事務所禁物ぞ、

それぞれの役員殿の住むとこ皆それぞれの事務所でないか、

よく相談してやりて下され、段々判りて来るぞ。

 

表と裏とあななひぞ、あななひの道と申してあろ、

引寄せる身魂は、天で一度改めて引寄せるのであるぞ、

今お役に立たん様に臣民の目から、役員の目から見えても袖にするでないぞ、

地でも改めしてまだまだ曇り取らなならんぞ、

磨けば皆結構な身魂許りぢゃぞ、

人民の肚さへたら天もさへるぞ、

心鎮(しづ)もれば天も鎮もるぞ、神勇むぞ。

 

我(が)はぢっと奥に鎮めて表面(うわべ)には気(け)も出されんぞ、

我の無い様な事では、我で失敗(しくじ)た此の方の御用出来ないのざぞ、

毒にも薬にもならん人民 草木にかへしてしまふぞ。

 

此の神示 無闇(むやみ)に見せるでないぞ、

神示は出ませんと申せよと申してある事 忘れるでないぞ。

 

天の規則 千でやる事になってゐるのざぞ、

今度 規則破りたら暗い所へ落ち込んで末代浮ばれんきつい事になるのざから、

神くどう気付けておくぞ。

 

次に世に出る番頭殿 まだ神なきものにして御座るから一寸先も判らんぞ、

先判らずに人間の勝手な政治して世は治まらん道理ぢゃぞ、

三日天下でお出直しぞ、その次もその次も又お出直しぢゃ、

此の神示よく見てこの先何うなる、其の先どうなると云ふ事、

神はどんな事計画しておいでますと云ふ事判らいで政治ないぞ、

すればする程 悪うなるぞ、

神にはこうなる事判って呑んでゐるのざから、

何んなことあっても心配ないなれど、

それでは臣民 可哀想なから、

此の神示ウタにして印刷して世によき様にして皆に知らしてやれよ、

表の集団でよいぞ、

神は天からも地からも日も夜も九十(コト)で知らしてゐるのに、

九十(コト)聞く身魂ないから、

九十(コト)きく御身(みみ)曇りてゐるから、

人民は判らんなれど、余り判らんでは通らんぞ、

早う洗濯掃除せよと申してゐるのざ。

 

人の十倍も今の仕事して其の上で神の御用するのが洗濯ぞ、

掃除ぞと申して知らした事忘れたか、

字に足つけよと申した事判らんのか、

百姓になれ、大工になれと申した事判らんのか、

 

f:id:satonory4949:20200125140353g:plain(てん)の地もあるぞ、天の百姓、大工もあるのざぞ。

 

 

 

善と悪と小さく臣民分けるから判らんのざぞ、

大きく目ひらけよ。

松食(お)せよ、松おせば判らん病直るのぢゃぞ、

松心となれよ、

何時も変らん松の翠(みどり)の松心、

松の御国の御民幸あれ。

 

十二月十八日、ひつ九のかみ。

 

 

344>347 

アメの巻、第十帖 (三四四)

 

天の岩戸開いて地の岩戸開きにかかりてゐるのざぞ、

我一(いち)力では何事も成就せんぞ、

手引き合ってやりて下されと申してあること忘れるでないぞ。

 

霊肉共に岩戸開くのであるから、

実地の大峠の愈々となったらもう堪忍して呉れと何んな臣民も申すぞ、

人民には実地に目に物見せねば得心せぬし

、実地に見せてからでは助かる臣民少ないし神も閉口ぞ。

 

ひどい所程 身魂に借銭あるのぢゃぞ、

身魂(みたま)の悪き事してゐる国程 厳しき戒(いまし)め致すのであるぞ。

 

五と五と申してあるが五と五では力出ぬし、

四と六、六と四、三と七、七と三ではカス出るしカス出さねば力出んし、

それで神は掃除許りしてゐるのざぞ、

神の臣民それで神洲清潔する民であるぞ、

キが元と申してあるが、

キが餓死(うえじに)すると肉体餓死するぞ、

キ息吹けば肉息吹くぞ、

神の子は神のキ頂いてゐるのざから食ふ物無くなっても死にはせんぞ、

キ大きく持てよと申してあるが、キ

は幾らでも大きく結構に自由になる結構な神のキざぞ。

 

臣民 利巧(りこう)なくなれば神のキ入るぞ、

神の息通ふぞ、

凝りかたまると凝りになって動き取れんから苦しいのざぞ、

馬鹿正直ならんと申してあろがな、

三千年余りで身魂の改め致して因縁だけの事は否でも応でも致さすのであるから、

今度の御用は此の神示読まいでは三千世界のことであるから、

何処(ドコ)探しても人民の力では見当取れんと申してあろがな、

何処探しても判りはせんのざぞ、

人民の頭で幾ら考へても智しぼっても学ありても判らんのぢゃ。

 

ちょこら判る様な仕組なら こんなに苦労致さんぞ、

神々様さえ判らん仕組と知らしてあろが、

何より改心第一ぞと気付けてあろが、

神示肚にはいれば未来(さき)見え透くのざぞ。

 

此の地(つち)も月と同じであるから、

人民の心 其の儘に写るのであるから、

人民の心悪くなれば悪くなるのざぞ、

善くなれば善くなるのぞ。

 

理屈 悪と申してあろが、

悪の終りは共食ぢゃ、共食ひして共倒れ、

理屈が理屈と悪が悪と共倒れになるのが神の仕組ぢゃ、

と判ってゐながら何うにもならん事に今に世界がなって来るのざ、

逆に逆にと出て来るのぢゃ、

何故そうなって来るか判らんのか、神示読めよ。

 

オロシヤの悪神の仕組 人民には一人も判ってゐないのざぞ。

 

神にはよう判っての今度の仕組であるから仕上げ見て下されよ、

此の方に任せておきなされ、

一切心配なく此の方の申す様にしておりて見なされ、

大舟に乗って居なされ、

光の岸に見事つけて喜ばしてやるぞ、

何処に居ても助けてやるぞ。

 

雨の神、風の神、地震の神、荒の神、岩の神様に祈りなされよ、

世の元からの生き通しの生神様 拝(おろ)がみなされよ。

 

日月の民を練りに練り大和魂の種にするのであるぞ、

日月の民とは日本人許りでないぞ、

大和魂とは神の魂ぞ、大和の魂ぞ、

まつりの魂ぞ、取違ひせん様に気付けおくぞ。

 

でかけのみなとは九九(ココ)ぢゃぞ、

皆に知らしてやりて下されよ、幾ら道進んでゐても後戻りぢゃ、

此の神示が出発点ぞ、出直して神示から出て下されよ、

我張りてやる気ならやりて見よれ、

九分九分九厘で鼻ポキンぞ、

泣き泣き恥ずかしい思いしてお出直しで御座るから気付けてゐるのぢゃ、

足あげて顔の色変へる時近付いたぞ。

 

世建替へて広き光の世と致すのぢゃ、

光の世とは光なき世であるぞ、

此の方の元へ引寄せて目の前に楽な道と辛い道と作ってあるのぢゃ、

気付けてゐて下されよ、何(ど)ちら行くつもりぢゃ。

 

十一月二十七日、一二Θ。

 

 

アメの巻、第十三帖 (三四七)

 

世界中から神示通りに出て来て足元から火が付いても、

まだ我張りてゐる様では今度は灰にするより方法(ほか)ないぞ。

 

恐しなっての改心では御役六ヶ敷いぞ。

 

因縁あるミタマでも曇りひどいと、御用六ヶ敷い事あるぞ、

神示頂いたとて役員面(やくいんづら)すると鼻ポキンぞ、

と気付けてあろがな、

五十九柱いくらでもあるのざぞ、

かへミタマあると申してあろがな、

務めた上にも務めなならんぞ、

因縁深い程 罪も借銭も深いのざぞ、

岩戸閉めにもよき身魂あるぞ、岩戸開きにも悪きあるぞ、

気付け合ってよき御用結構ざぞ、

勇んで務め下されよ。

 

心から勇む仕事よき事ぞ、此の方の好く事ざぞ。

 

木の葉落ちて冬となれば淋しかろがな、

紅葉(もみじ)ある内にと気付けおいたが紅葉の山も落ちたであろがな、

他で判らん根本のキのこと知らす此の方の神示ぢゃ、

三千世界のこと一切の事 説いて聞かして得心させて上げますぞや。

 

落ち付いて聞き落しのない様になされよ、

悔しさ目に見へておろがな、

どぶつぼに我と落ち込む人民許り出て来て、

神の国 臭くて足の踏場もないぞ、なれども見て御座れ、

三千世界一度にひらいて世界一列一平一つのてん詞(四)で治めるぞ。

 

地の世界に大将なくなって五大州引繰り返りてゐると申すことまだ判らんのか、

目に見せても耳に聞かしても、まだ判らんか、

尻の毛まで悪魔に抜かれてゐて まだ判らんのか、

あんまりな事ぢゃなあ。

 

是までは高し低しの戦でありたが、

是からは誠の深し浅しの戦(いくさ)ざぞ、

誠とはコトざぞ 口でないぞ、筆でないぞ コトざぞ、

コト気付けと申してあろがな。

 

コト、コト、コト、ざぞ。

始めウタあったぞ、終もウタぞ、今も昔もウタざぞ、

人民も動物もウタ唄ふのざぞ、終の御用の始はウタぞ、

ウタの集団(つどひ)とせよ。

 

此の神示ウタとして知らす集団とせよ、

ウタの集団 始ざぞ、表ざぞ、裏の裏ざぞ、表の表ぞ、道開く表の終の御用ぞ、

江戸の御用すみたから、尾張の御用と申してあろがな、

カイの御用も忘れてならんのざぞ。

 

食物(おしもの)の集団も作らなならんぞ、

カイの御用の事ぞ、此の集団も表に出してよいのざぞ、

時に応じてどうにでも変化(へんげ)られるのがまことの神の集団ざぞ。

 

不動明王殿も力あるに、あそこ迄落してあるは神に都合ある事ぞ。

 

世に落ちて御座る守護神と

世に落ちてゐる神々様と

世に出てゐる神々様と

世に落ちて出てゐる守護神殿と

和合なさりて物事やって下されよ、

二人でしてくれと申してあろがな、判りたか。

 

十二月十八日、ひつくのかみ神示。

 

 

345>346

 アメの巻、第十一帖 (三四五)

 

日の出の神様お出ましぞ、日の出はイであるぞ、

イの出であるぞ、キの出であるぞ、判りたか。

 

めんめめんめに心改めよと申してあろがな、

人民と云ふ者は人に云はれては腹の立つ事あるものぢゃ、

腹立つと邪気起るから めんめめんめに改めよと、くどう申すのぢゃぞ、

智や学ではどうにもならんと云ふ事よく判りておりながら、

未だ智や学でやる積り、神の国の事する積りでゐるのか。

 

判らんと申して余りでないか、

何事も判った臣民 口に出さずに肚に鎮めておけよ、

言ふてよい時は肚の中から人民びっくりする声で申すのざ、

神が申さすから心配ないぞ、それまでは気(ケ)も出すなよ。

 

二十二日の夜に実地が見せてあろうがな、

一所だけ清いけがれん所残しておかな足場なく、

こうなってはならんぞ、

カタ出さねばならんぞ、神国、神の子は元の神の生神が守ってゐるから、

愈々となりたら一寸の火水で うでくり返してやる仕組ざぞ、

末代の止(とど)めの建替であるから、

よう腰抜かさん様 見て御座れ、

長くかかりては一もとらず二もとらさず、

国は潰れ、道は滅びてしもうから早う早うと気もない時から気つけてゐるのぢゃが、

神の申すこと聞く臣民人民まだまだぞ。

 

此の道 難しい道でないから その儘に説いて聞かしてやれよ、

難し説くと判らん様になるのぞ。

 

平とう説いてやれよ、難しいのは理屈入るのざぞ、

難しい事も臣民にはあるなれど理屈となるなよ、

理屈悪ざぞ。霊術も言霊(ことだま)もよいなれど程々に、

三分位でよいぞ、中行かな行かれんのざぞ、

銭儲けて口さへすごして行けばよい様に今の臣民まだ思ってゐるが、

それは四つ足の四つの悪の守護である位

判りておろがな。

 

悪とは他を退ける事であるぞ、

まつりまつりとくどう申してあること未だ判らんのか、

今 外国よいと申してゐる臣民は外国へ行っても嫌はれるぞ、

外国にも住むところ無くなるぞ、外国も日本もないのざぞ、

外国とは我よしの国の事ぞ、

神国は大丈夫ざが、

外国や日本の国 大丈夫とは申されんぞ、

と事分けて申してあろがな、

日月の集団作り、境界作ってもならんが「ゝ」入れた集団作らなならんぞ、

「〇」も作らず「ゝ」も入らずに力出ない位 判りておろがな、

馬鹿正直ならんと申してあること忘れたのか、

集団のつくり方知らしてあろが、

盲(めくら)には困る困る。

 

人の苦労あてにして我が進んで苦労せん様な人民では神の気感(きかん)に適はんから、

今度は苦労のかたまりの花咲くのざ、

苦の花咲くのざぞ、

二二に 九(コ)の花咲耶姫の神 祀りて呉れと申してあろがな、

永遠にしぼまん誠の花咲く世来たぞ。

 

十二月七日、ひつくのか三。

 

 

アメの巻、第十二帖 (三四六)

 

上面(うわっつら)洗へばよくなるなれど、肚の掃除なかなか出来んぞ、

道広める者から早う掃除まだまだであるぞ、

今度 神から見放されたら末代浮ぶ瀬ないぞ。

 

食ひ物大切に家の中キチンとしておくのがカイの御用ざぞ、

初めの行ざぞ。

 

出て来ねば判らん様では、それは神力無いのぞ、軽き輩(やから)ぢゃぞ、

それで神示読めとくどう申してゐるのざぞ、

神の申す事 誠ざと思ひながら出来んのは

守護神が未だ悪神の息から放れてゐぬ証拠ざぞ、

息とは初のキであるぞ、気であるぞ。

 

悪神は如何様にでも変化(へんげ)るから、

悪に玩具にされてゐる臣民人民 可哀想なから、

此の神示読んで言霊高く読み上げて悪のキ絶ちて下されよ、

今の内に神示じっくりと読んで肚に入れて高天原となっておりて下されよ。

 

未だ未だ忙しくなって神示読む間もない様になって来るのざから

くどう申してゐるのざぞ、

悪魔に邪魔されて神示読む気力も無くなる臣民

沢山出て来るから気付けておくのざ。

 

まだまだ人民には見当取れん妙な事が次から次にと湧いて来るから、

妙な事 此の方がさしてゐるのざから、

神の臣民 心配ないなれど、さうなった神の臣民 未だ未だであろがな、

掃除される臣民には掃除する神の心判らんから妙に見えるのも道理ぢゃ。

 

天の様子も変りて来るぞ。

 

何事にもキリと云ふ事あるぞ、

臣民 可哀想と申してもキリあるぞ、

キリキリ気付けて下され、

人に云ふてもらっての改心では役に立たんぞ、

我と心から改心致されよ、

我でやらうと思ってもやれないのざぞ、

それでも我でやって鼻ポキンポキンか、

さうならねば人民得心出来んから やりたい者はやって見るのもよいぞ、

やって見て得心改心致されよ、

今度は鬼でも蛇(ぢゃ)でも改心さすのであるぞ。

 

これまでは夜の守護であったが、

愈々日の出の守護と相成ったから物事誤魔化しきかんのぞ、

まことの人よ、よく神示見て下され、裏の裏まで見て下され、

神国の誠の因縁判らいで、三千年や五千年の近目ではスコタンぞ、

と申してあろがな、

天四天下平げて、誠の神国に、世界神国に致すのざぞ、

世界は神の国神の国 真中の国は十万や二十万年の昔からでないぞ、

世の元からの誠一つの神の事判らな益人とは申されんぞ、

神の申すこと一言半句も間違ひないのざぞ。

 

人民は其の心通りに写るから、小さく取るから物事判らんのさぞ、

間違ひだらけとなるのざ、人民が楽に行ける道作りて教へてやってゐるのに、

我出すから苦しんでゐるのざ、

神が苦しめてゐるのでないぞ、

人民 自分で苦しんでゐるのざと申してあろがな。

 

十二月七日、七つ九のか三神示。