まぜまぜ(^^♪ひふみ神示 その2

ブースカ明日香さんを真似て書いてみました(^^) スマホでしたら、横画面にすると見やすいかと思います。 5/11改題しました。

まぜまぜ 五七一~六〇〇

ひふみ神示 まぜまぜの第五七一帖~第六〇〇帖

 

 

第二十四巻 黄金(コガネ)の巻

全百帖・通し番号(五一二)~(六一一)のうち(五七一)~(六〇〇)

自  昭和二十四年十一月十七日

至  昭和二十五年 一月十八日

 

 

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黄金(コガネ)の巻、第六十帖(五七一)

 

ここはいと古い神まつりて、いと新しい道ひらくところ。

 

天狗さん鼻折りて早う奥山に詣れよ。

 

この世の仕事が あの世の仕事。

 

この道理判らずに、

この世の仕事すてて、神の為ぢゃと申して飛廻る鼻高さん、ポキンぞ。

 

仕事仕へまつれよ

 

徳つめばこそ天国へ昇るのぢゃ。

 

天国に行く人、この世でも天国にゐるぞ。

 

キタはこの世の始めなり。(十二月七日)一二十

 

 

黄金(コガネ)の巻、第八十九帖(六〇〇)

 

喜びは神から流れ、愛から流れ出るのであるが、

愛そのもの、善そのものではない。

 

生命であるぞ。

 

生命であるが生命の本体ではないぞ。

 

天地には天地のキ、民族には民族のキあるぞ。

 

そのキは時代によって変って来る。

 

その時のキが、その時のまことの姿であるぞ。

 

それに合はんものは亡んで了ふぞ。

 

火の洗礼、水の洗礼、ぶったり、たたいたり、

カ、ミの洗礼なくては銘刀は出来ん道理ぢゃ。(一月三日)

 

 

572>599

黄金(コガネ)の巻、第六十一帖(五七二

 

自分のみの信仰は、私心私情のため、

自己つくりてから人を導くのぢゃと理屈申してゐるが、

その心根洗って自分でよく見つめよ。

 

悪は善の仮面かぶって心の中に喰入ってゐるぞ。

 

仮面が理屈、理屈は隠れ蓑。(十二月七日)一二十

 

 

黄金(コガネ)の巻、第八十八帖(五九九)

 

日本は日本、唐は唐、オロシヤはオロシヤ、

メリカキリスはメリカキリスぢゃ。

 

分けへだてするのは神の心でないと申す人民 沢山あるが、

世界は一平ぢゃと申して、同じことぢゃ、同じ神の子ぢゃと申してゐるが、

頭は頭、手は手、足は足と申してあらうが。

 

同じことであって同じでないぞ。

 

悪平等悪平等ぞ。

 

世界丸つぶれのたくらみぞ。

 

この道理よく心得なされよ。

 

総てのものを先づ感受せよ。

 

その後に感謝せよ。

 

感謝すれば弥栄えるぞ。(一月三日)(五九九)

 

 

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黄金(コガネ)の巻、第六十二帖(五七三

 

洋服ぬいで和服着て又洋服着るのぢゃ。

 

仏の力と神の力と同じでないぞ。

 

同じ所までは同じであるが、もう此処まで来たら、

この先は神の道(ミチ)でなくては動きとれん。

 

神の大理(オオミチ)は上の上であるぞ。

 

神の理を明らかにすれば、神はその人を明らかにする。

 

天使は天と地の和合者、仁人は地と天の和合者。(十二月七日)一二十

 

 

黄金(コガネ)の巻、第八十七帖(五九八)

 

まことに改心出来たと、神が見届けたら、

今度はこの世はもとより、何の心配もないやうに守って、

肉体、顔まで変へてやるぞ。

 

宿命と運命は同じでない。

 

磨けばどんなにでも光るぞ。

 

放っておいても神に背くものは自滅して行き、

従ふものは弥栄えて行くぞ。

 

其処に神の能(ハタラキ)、よくさとりて下されよ。

 

人間の処理方法と神の処理方法と融和せねばならん。

 

急がねばならず、急いでは谷底に落ちて出来損なふぞ。

 

ありとあるもの、何んでも彼んでも天地の御用持ってゐるのぞ。

 

そのものの勝手な道は許さんぞ。

 

大き喜びの中に、小さい自分の喜び大きく栄えるぞ。

 

大きな生命の中にこそ小さい自分のマコトの喜びが弥栄えるのであるぞ。

 

判りたか。(一月三日)

 

 

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黄金(コガネ)の巻、第六十三帖(五七四)

 

奥山奥山と知らしてあろうが、

ふでは奥山から出て、奥山で分けるくらいのこと、

何故に分らんのじゃ。

 

誰でもが勝手にしてならん。

 

それぞれの順立てねば悪となるぞ。

 

判らんのは、われよしからぢゃ。

 

本から固めて行かねば何時までたっても小田原ぢゃ。

 

小田原も道筋ながら、それでは世界の人民 丸つぶれとなるぞ。

 

三分残したいために三千の足場と申してあるのぢゃ。

 

早う三千集めよ。

 

御役 御苦労。(十二月七日)一二十

 

 

黄金(コガネ)の巻、第八十六帖(五九七)

 

一分一厘、力一杯、違はんこと書かしてあるのぢゃ。

 

色眼鏡で見るから、違ったことに見えるのぢゃ。

 

神示、嘘ぢゃと申すやうになるのぞ。

 

眼鏡外して、落ち付いてみて、ハラで見て下されよ。

 

世の先々のことまで はっきりと写るぞ。

 

そなたの心の中にゐる獣(ケダモノ)、言向けねばならん。

 

善きに導かねばならん。

 

一生かかってもよいぞ。

 

それが天国に行く鍵であるぞ。

 

マコトの改心であるぞ。

 

智慧と、愛が主の座に居らねばならん。

 

物は愛から生れるぞ。

 

ウムものがもとぢゃ。

 

生まれるものはナルのぢゃ。

 

ナルには智慧でなるのぢゃぞ。(一月三日)

 

 

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黄金(コガネ)の巻、第六十四帖(五七五)

 

何処で何してゐても道さへふんで居れば弥栄えるぞ。

 

行き詰ったら省みよ。

 

己の心の狂ひ、判って来るぞ。

 

神から伸びた智と愛でないと、

人民の智や学や愛はすぐペシャンコ。

 

やりてみよれ。

 

根なし草には実は結ばんぞ。

 

お尻出したら お尻綺麗にふいてやれよ。

 

怒ってはならん。

 

子の尻と思うて拭いてやれよ。

 

判った人民よ。

 

今の内は阿呆結構ぞ。

 

一つに和して御座れ。

 

人間心で急ぐでないぞ。(十二月十四日)一二十

 

 

黄金(コガネ)の巻、第八十五帖(五九六)

 

裏の仕組にゝ入れると表の仕組となり、

表の仕組に〇入れると裏の御役となるなり。

 

ゝ抜けば悪のやり方となるのぢゃ。

 

どの仕組も判りて居らんと、

三千世界の先々まで判りて居らんと、何事も成就せんぞ。

 

神界の乱れ、イロからぢゃと申してあらう。

 

男女関係が世の乱れの因であるぞ。

 

お互に魂のやりとりであるぞ。

 

この世ばかりでなく、

あの世まで続くのであるから、くどう気つけておくぞ。

 

コトはモノになる。

 

悪いことすれば悪いもの生れて来て、生れ故郷に喰付いて悪くする。

 

善いことも同様ぞ。

 

因縁のあるみたまが集まって来て人のようせん辛抱して、

世界の立替立直しの御用致すのであるから、

浮いた心で参りて来ても御役に立たん。

 

邪魔ばかりぢゃ。

因縁のみたまは何んなに苦しくても心は春ぢゃ。

 

心勇まんものは、神示よんで馬鹿らしいと思ふものは、

遠慮いらんから、さっさと帰りて下されよ。

 

神はもう、気嫌とりは御免ぢゃ。(一月三日)

 

 

576>595

黄金(コガネ)の巻、第六十五帖(五七六)

 

自分に捉はれると局部の神、有限の神しか判らんぞ。

 

自分捨てると光さし入るぞ。

 

知はアイ、息は真ぞ。

 

平面の上でいくら苦しんでも何にもならん。

 

却ってめぐり積むばかり。

 

どうどうめぐりぢゃ。

 

てん曰(シ)は奥山にお出ましぞ。(十二月十四日)一二十

 

 

黄金(コガネ)の巻、第八十四帖(五九五)

 

神は人民に改心さして、

世の立替立直し致さうと思うたのであるが、

曇りがあまりにひどいから、

何事のびっくりが出るか、もう神も堪忍袋の緒 切れたぞ。

 

人間が恨みや怒りもつと、その持物までが争ふことになるぞ。

 

早う気持から洗濯して下されよ。

 

死んでも続くぞ。

 

結構に始末せねばならん。

 

上に立つ者 余計に働かねばならん時来てゐるぞ。

 

いくら古くから信心してゐると申しても【肝腎】が判りて居らんと何もならん。

 

よい御用出来ん。

 

想念の自由とは神に向上するより上の、よりよき方に進む自由であるぞ。

 

どの世界の人民も自由もつ。(一月三日)

 

 

577>594

黄金(コガネ)の巻、第六十六帖(五七七)

 

省みると道見出し、悟ると道が判り、改むると道進む。

 

苦しむばかりが能ではない。

 

自分の中にあるから近よって来るのであるぞ。

 

厭なこと起って来るのは、厭なことが自分の中にあるからじゃ。

 

肉体は親から受けたのざから親に似てゐるのぞ。

 

霊は神から受けたのざから神に似てゐるぞ。

 

判りた守護神 一日も早く奥山へ出て参りて、神の御用結構。(十二月十四日)一二十

 

 

黄金(コガネ)の巻、第八十三帖(五九四)

 

ひかる誠の行をさしたら、皆 逃げて了ふから、

ここまで甘くして引張って来たなれど、

もう甘く出来んから、

これからはキチリキチリと神の規則通りに行ふから、

御手柄結構に、褌しめて下されよ。

 

この世は神の国の移しであるのに、

幽界から移りて来たものの自由にせられて、

今の体裁、この世は幽界同様になってゐるぞ。

 

地は九二(クニ)のやり方せねば治まらん。

 

早う気付いた人民から、救ひの舟を出して下されよ。

 

これと信じたらまかせ切れよ。

 

損もよいぞ。

 

病気もよいぞ。

 

怪我もよいぞ。

 

それによって めぐり取っていただくのぞ。

 

めぐりなくなれば日本晴れぞ。

 

今がその借銭済しぞ。

 

世界のめぐり大きいぞ。

 

真理は霊、芸術は体であるぞ。

 

正し芸術から神の理(ミチ)に入るのもよいぞ。

 

説くのもよいぞ。

 

芸術の行き詰りは真理がないからぞ。

 

芸術は調和。

 

七つの花が八つに咲くぞ。(一月三日)一二十

 

 

578>593

黄金(コガネ)の巻、第六十七帖(五七八)

 

慢心出るから神示読まんやうなことになるのぞ。

 

肚の中に悪のキ這入るからぐらぐらと折角の屋台骨 動いて来るのぞ。

 

人の心がまことにならんと、まことの神の力 現はれんぞ。

 

みたまみがきとは善いと感じたこと直ちに行ふことぞ。

 

愛は神から出てゐるのであるから、

神に祈って愛さして戴くやうにすると弥栄えるぞ。

 

祈らずに自分でするから、本を絶つから、

われよしに、自分愛になるのぞ。

 

自分 拝(オロガ)むのは肉愛でないぞ。(十二月十四日)

 

 

黄金(コガネ)の巻、第八十二帖(五九三)

 

愈々となって助けてくれと走り込んでも、

その時では遅いから、間に合はんから、

早う神の心悟れと申してあるのざ。

 

笑のない教にして下さるなよ。

 

学問や金を頼ってゐる内は、まだまだ改心出来ないぞ。

 

今迄の宗教の力でも、法律でも、どうにもならん。

 

掃除が目の前に来てゐるぞ。

 

神の力を頼るより他に理(ミチ)ないことまだ判らんか。

 

中程まで進むと判らんことあるぞ。

 

神の試練 気つけてくれよ。

 

どちらの国も見当とれんことになるぞ。

 

肚立つのはめぐりあるからぞ。

 

善でつづくか悪でつづくか、

この世に善と悪とがあって、

どちらで立って行くか、末代つづくか、

得心ゆくまで致させてあったが、

もう悪ではつづかんことが、悪神にも判って来るのであるから、

今しばらくのゴタゴタであるぞ。

 

ものの調和が判れば、正しき霊覚が生れるぞ。

 

神の姿がうつって来るぞ。(一月三日)一二十

 

 

579>592

黄金(コガネ)の巻、第六十八帖(五七九)

 

神と人の和は神よりなさるものであるぞ。

 

本質的には人間から神に働きかけるものでないぞ。

 

働きかける力は神から出るのであるから人間から和し奉らねばならんのであるぞ。

 

信じ合ふ一人が出来たら一つの世界を得たこと。

 

一つ得たら二つになったことぞ。

 

祈りを忘れることは、

神を忘れること、神から遠ざかること、

それではならんのう。

 

安全な道通れ。

 

安全な教の所へ集まれよ。(十二月十四日)

 

 

黄金(コガネ)の巻、第八十一帖(五九二)

 

心に凸凹あるから幽界のものに取りつかれて、

つまらんことになるのぞ。

 

つまらんことをひろめて亡びるぞ。(一月三日)一二十

 

 

580>591

黄金(コガネ)の巻、第六十九帖(五八〇)

 

悪く云はれるのが結構ぞ。

 

何と云はれても びくつくやうな仕組してないぞ。

 

天晴れ、三千世界のみろくの仕組、天晴れぞ。

 

この先は神の力 戴かんことには、ちっとも先行かれんことになるぞ。

 

行ったと思うてふり返ると、後戻りしてゐたのにアフンぞ。

 

心得なされよ。

 

何も彼も存在許されてゐるものは、それだけの用あるからぞ。

 

近目で見るから、善ぢゃ悪ぢゃと騒ぎ廻るのぞ。

 

大き一神を信ずるまでには、部分的多神から入るのが近道。

 

大きものは一目では判らん。

 

この方 世に落ちての仕組であるから、落して成就する仕組、結構。

 

神様は親、四角張らずに近寄って来て親しんで下されよ。(十二月十四日)

 

 

黄金(コガネ)の巻、第八十帖(五九一)

 

慾が深いから先が見えんのぢゃ。

 

悪神よ、今迄は思ふ通りに、始めの仕組通りにやれたなれど、

もう悪の利かん時節が来たのであるから、

早う善に立ちかへりて下されよ。

 

善の神まで捲き入れての仕放題、

これで不足はもうあるまいぞや。

 

いくら信仰しても借銭なくなる迄は苦しまねばならん。

 

途中でへこたれんやうに、生命がけで信仰せねば借銭なし六ヶ敷いぞ。

 

途中で変る紫陽花(アジサイ)では、御用六ヶ敷いぞ。(一月三日)一二十

 

 

581>590

黄金(コガネ)の巻、第七十帖(五八一)

 

曰九千🌀(シクジリ)のミタマもあるなれど、この方の仕組ぢゃ。

 

めったに間違ひないのざから、欲しいものには一先づ取らせておけよ。

 

めぐりだけ取って行って下さる仕組ぞ。

 

苦しめたら改心中々ぢゃ。

 

喜ばせて改心結構ぢゃなあ。

 

総てを愛せよと申すのは、高い立場のことで御座るぞ。

 

九九(ココ)には九九の立場あるぞ。

 

よく心得なされよ。

 

世の中には順序あるぞ。

 

それがカズタマ(数霊)、動くと音出るぞ。

 

それがコトタマ(言霊)、ものには色あるぞ。

 

それがイロタマ(色霊)。(十二月十四日)

 

 

黄金(コガネ)の巻、第七十九帖(五九〇)

 

心、入れかへ奥山へ参りて、その場で荷物を持たすやうになるから、

ミタマを十分磨いておいて下されよ。

 

神が力添へるから、どんな見事な御用でも出来るのであるぞ。(一月三日)一二十

 

 

582>589

黄金(コガネ)の巻、第七十一帖(五八二)

 

世界がそなたにうつってゐるのぞ。

 

世界見て己の心早う改心致されよ。

 

世はグルグルと七変り、改心の為 世界の民皆、今度は引上げ一旦みなあるぞ。

 

経(タテ)のつながりを忘れ勝ちぢゃ。

 

平面のことのみ考へるから平面のキのみ入るぞ。

 

平面の気のみでは邪であるぞ。

 

動機善なれば失敗は薬。(十二月十四日)

 

 

黄金(コガネ)の巻、第七十八帖(五八九)

 

悪で行けるなら悪でもよいが、悪は影であるから、

悪ではつづかんから早う善に帰れと申すのぞ。

 

先祖は肉体人を土台として修業するぞ。

 

めぐりだけの業をせねばならん。(一月三日)一二十

 

 

583>588

黄金(コガネ)の巻、第七十二帖(五八三

 

世界の人民 皆改心せよと申すのぞ。

 

どんなめぐりある金でも持って居ればよいやうに思うて御座るなれど、

めぐりある金はめぐりそのものと判らんか。

 

家の治まらんのは女が出るからぞ。

 

夫立てると果報は女に来るぞ。

 

天界に住む者は一人々々は力弱いが和すから無敵ぞ。

 

幽界に住む者は一人々々は強いが孤立するから弱いのぞ。

 

仲よう和してやれと申す道理判りたか。

 

そなたは何万年の原因から生れ出た結果であるぞ。

 

不足申すでないぞ。十二月十四日。

 

 

黄金(コガネ)の巻、第七十七帖(五八八)

 

不二の仕組とは動かん真理、

🌀(ウズウミ)のナルト(成答)の仕組とは弥栄の限りなき愛のことであるぞ。

 

神の理(ミチ)に入り、理(ミチ)をふんで居れば、

やり方一つで何でもよく、嬉し嬉しとなるぞ。

 

世の元から出来てゐるミタマの建直しであるから、

一人の改心でも中々であると申してゐるのに、

ぐづぐづしてゐると間に合はん。

 

気の毒出来るぞ。

 

めぐりと申すのは自分のしたことが自分にめぐって来ることであるぞ。

 

めぐりは自分でつくるのであるぞ。

 

他を恨んではならん。

 

美の門から神を知るのが、誰にでも判る一番の道であるぞ。

 

芸術から神の道に入るのは誰にでも出来る。

 

この道理判るであらうが。

 

審判の廷(サバキのニワ)に出たならば、

世界は一人の王となるぞ。

 

御出まし近うなったぞ。

 

自分よくして呉れと申してゐるが、

それは神を小使に思うてゐるからぞ。

 

大きくなれよ。(一月三日)一二十

 

 

584>587

黄金(コガネ)の巻、第七十三帖(五八四)

 

四十八柱、四十九柱、

それぞれの血筋の者 引き寄せておいて、

その中から磨けた者ばかり選り抜く仕組。

 

磨けん者 代りのミタマいくらでもあるぞ。

 

お出直しお出直し。

 

世界が二分ぢゃなあ。

 

もの見るのは額でみなされ。

 

ピンと来るぞ。

 

額の判断 間違ひなし。

 

額の目に見の誤りなし。

 

霊界には時間、空間は無いと申してゐるが、無いのでないぞ。

 

違って現はれるから無いのと同様であるぞ。

 

あるのであるぞ。

 

悪の霊はミゾオチに集まり、頑張るぞ。

 

こがねの巻は百帖ぞ。

 

こがね しろがね とりどりに出るのぢゃ。

 

あわてるでないぞ。(十二月二十七日)一二十

 

 

黄金(コガネ)の巻、第七十六帖(五八七)

 

真理を知って、よくならなかったら、よく省みよ。

 

よくなるのがマコトであるぞ。

 

悪くなったら心せねばならん。

 

善人が苦しむことあるぞ。

 

よく考へて見い。

 

長い目で見てよくしようとするのが神の心ぞ。

 

目の前のおかげでなく、永遠の立場から、よくなるおかげがマコトのおかげ。

 

神徳は重いから腰ふらつかんやうにして下されよ。

 

その代り貫きて下されたら、永遠(トワ)にしぼまん九の花となるぞ。

 

二二(フジ)に、九(ク)の花どっと咲くぞ。

 

拍手は清めであるが、神様との約束固めでもあるぞ。

 

約束たがへるでないぞ。(一月三日)一二十

 

 

585>586

黄金(コガネ)の巻、第七十四帖(五八五)

 

貰うた神徳に光出す人民でないと、神徳をわれよしにする人民にはおかげやらん。

 

自分が自分で思ふやうになるまいがな。

 

自分が自分のものでないからぞ。

 

自分のものなら自由になると申してあらうが。

 

道を進めば楽に行ける。

 

道行かんで山や畠や沼に入るから苦しむのぞ。

 

神の仕組の判る人民二三分出来たら、いよいよにかかるぞ。

 

未だ未だ改心足らん。

 

神せけるぞ。

 

魂にめぐりあると何してもグラリグラリと成就せんぞ。

 

めぐりのままが出て来るのであるぞ。

 

心のよきもの、神にまつりて、この世の守護神と現はすぞ。

 

理屈は判らんでも真理は掴めるぞ。

 

信念と真念は違ふぞ。

 

信念は自分のもの。

 

信念超えて真念あるぞ。

 

任せきったのが真念ぞ。

 

迷信が迷信でなくなることあるぞ。

 

ぢゃと申して信念がいらんのでないぞ。

 

もう待たれんから判りた人民一日も早く奥山に参りて

神の御用結構につとめあげて下されよ。

 

世界中を天国にいたす御用の御役、つとめ上げて下されよ。

 

人間の念力だけでは何程のことも出来はせんぞ。

 

その念力に感応する神の力があるから人間に判らん、

びっくりが出て来るのざぞ。(一月三日)一二十

 

 

黄金(コガネ)の巻、第七十五帖(五八六

 

戦や天災では改心出来ん。

 

三千世界の建直しであるから、誰によらん。

 

下の神々様もアフンの仕組で、見事成就さすのであるが、

よく神示読めば、心でよめば、仕組九分通りは判るのであるぞ。

 

死ぬ時の想念がそのままつづくのであるから、

その想念のままの世界に住むのであるぞ。

 

この世を天国として暮す人 天国へ行くぞ。

 

地獄の想念、地獄生むぞ。

 

真理を知ればよくなるぞ。

 

そんなこと迷信と申すが、求めて見なされ。

 

百日一生懸命 求めて見なされ。

 

必ずおかげあるぞ。

 

神があるから光がさして嬉し嬉しとなるのであるぞ。(一月三日)一二十

 

 

 

まぜまぜ 五四一~五七〇

ひふみ神示 まぜまぜの第五四一帖~第五七〇帖

 

 

第二十四巻 黄金(コガネ)の巻

全百帖・通し番号(五一二)~(六一一)のうち(五四一)~(五七〇)

自  昭和二十四年十一月十七日

至  昭和二十五年 一月十八日

 

 

541>570

黄金(コガネ)の巻、第三十帖(五四一)

 

一四三〇(ビョーサマ)一四三〇(ビョーサマ)、改心 早う結構ぞ。

 

道知るのみでは何にもならん。

 

道味はへよ、歩めよ、大神の道には正邪ないぞ。

 

善悪ないぞ。

 

人の世にうつりて正と見え邪と見えるのぢゃ。

 

人の道へうつる時は曇りただけのレンズ通すのぢゃ。

 

レンズ通してもの見ると逆立するぞ。

 

神に善と悪あるやうに人の心にうつるのぢゃ。

 

レンズ外せよ。

 

レンズ外すとは神示読むことぞ。

 

無き地獄、人が生むぞ。

 

罪ぞ。曲ぞ。

 

今迄は影の守護であったが岩戸ひらいて表の守護となり、

裏表揃うた守護になりたら、まことの守護ぞ。

 

悪も善も、もう隠れるところ無くなるぞ。

 

かのととり。一二十

 

 

黄金(コガネ)の巻、第五十九帖(五七〇)

 

【ゝ(テン)忘れるなよ】。

 

世を捨て、肉をはなれて天国近しとするは邪教であるぞ。

 

合せ鏡であるから片輪となっては天国へ行かれん道理ぢゃ。

 

迷信であるぞ。

 

金で世を治めて、金で潰して、地固めして みろくの世と致すのぢゃ。

 

三千世界のことであるから、ちと早し遅しはあるぞ。

 

少し遅れると人民は、神示は嘘ぢゃと申すが、

百年もつづけて嘘は云へんぞ。

 

申さんぞ。

 

(十二月七日)一二十

 

 

542>569

黄金(コガネ)の巻、第三十一帖(五四二)

 

人民それぞれに用意して呉れよ。

 

自分出しては集団(マドイ)こはすぞ。

 

力出んぞ。

 

早うつくれよ。

 

的(マト)とせよ、と申してあろうがな。

 

マトは光りのさし入る所、的として月一度出せよ。

 

自分の小さいこと知れる者は、神の国に近づいたのであるぞ。

 

かのととり。一二十

 

 

黄金(コガネ)の巻、第五十八帖(五六九)

 

神々の数は限りないのであるが、

一柱づつ御名を称(タタ)へてゐては限りないぞ。

 

大日月f:id:satonory4949:20200215124119g:plain(オオヒツキ)の大神と称へまつれ。

 

総ての神々様を称へまつることであるぞ。

 

日は父、月は母、f:id:satonory4949:20200215124119g:plain(キ)は自分であるぞ。

 

自分拝まねば どうにもならんことになって来るぞ。

 

一日が千日になったぞ。(十二月七日)一二十

 

 

543>568

黄金(コガネ)の巻、第三十二帖(五四三)

 

神の道に進むために罵られることは人民の喜びぞ。

 

その喜び越えて神の喜びに入れば罵られることないぞ。

 

神敬ふはまだまだぢゃぞ。

 

早うサトリて、神に融け入れよ。

 

かのととりの日。一二十

 

 

黄金(コガネ)の巻、第五十七帖(五六八)

 

仲よしになって道伝へよ。

 

道を説けよ。

 

一切を肯定して二九(ジク)を伝へよ。

 

悪神かかりたなれば自分では偉い神様がうつりてゐると信じ込むものぞ。

 

可哀さうなれど それも己の天狗からぞ。

 

取違ひからぞ。

 

霊媒の行見ればすぐ判るでないか。

 

早う改心せよ。

 

霊のおもちゃになってゐる者多い世の中、

大将が誰だか判らんことになるぞ。

 

先生と申してやれば皆先生になって御座る。

 

困ったものぞ。(十二月七日)一二十

 

 

544>567

黄金(コガネ)の巻、第三十三帖(五四四)

 

神国、神の三八(ミヤ)早うつくれ。

 

今度 此処へ神が引寄せた者は、みなキリストぢゃ。

 

釈迦ぢゃぞと申してあらう。

 

磨けば今迄の教祖にもなれるミタマばかりぞ。

 

それだけに罪深いぞ。

 

岩戸あけて、めぐり果たせたいのぢゃ。

 

このこと肚によく判るであらうが。

 

かのととり。一二十

 

 

黄金(コガネ)の巻、第五十六帖(五六七)

 

逆怨みでも怨みは怨。

 

理屈に合はんでも飛んだ目に会ふぞ。

 

今迄の教では立ちて行かん。

 

生れ替らねば人も生きては行かれん。

 

平等愛とは、差別愛のことぞ。

 

公平と云ふ声に騙されるなよ。

 

数で決めるなと申してあらうがな。

 

群集心理とは一時的の邪霊の憑きものぞ。

 

上から乱れてゐるから下のしめしつかん。

 

われよしのやり方では世は治まらん。

 

(十二月七日)一二十

 

 

545>566

黄金(コガネ)の巻、第三十四帖(五四五)

 

世界平とう、胸の掃除からハラの掃除ぞ。

 

理智がまことの愛ぞ。

 

(ア九(ク))も神の御子。

 

絶対の責任は神、相対の責任は人民。

 

親よりも師よりも神愛せよ。

 

その親、師は神から更に愛されるぞ。

 

f:id:satonory4949:20200125135617g:plain九二十九十千(オークニトコタチ)の

f:id:satonory4949:20200215124047g:plainf:id:satonory4949:20200222155313g:plain(カミガ)

f:id:satonory4949:20200125135617g:plainf:id:satonory4949:20200215124047g:plain三🌀(オースサナル)の f:id:satonory4949:20200215124047g:plain三〇(カミサマ)なり。

 

かのととりの日。一二十

 

 

黄金(コガネ)の巻、第五十五帖(五六六)

 

今度 集まっても、まとまりつくまいがな。

 

世界の型出して実地に見せてあるのぢゃ。

 

骨が折れるなれど実地に見せねばならんし、

まとまらんのを纏めて、皆がアフンの仕組、

気のつく人民 早う元へかへりて下されよ。

 

心に誠あり、口にまこと伝へるとも実行なきもの多いぞ。

 

偽りに神の力は加はらない。

 

偽善者 多いのう。

 

祈り行じて洗濯すれば皆世界のサニワにもなれる結構なミタマばかり。

 

死産の子も祀らねばならん。(十二月七日)一二十

 

 

546>565

黄金(コガネ)の巻、第三十五帖(五四六)

 

お父様が Θの大Θ三〇(ヒのオーカミサマ)、

お母様が f:id:satonory4949:20200215124049g:plainの大Θ三〇 (ツキのオーカミサマ)なり。

 

おくやまから出たものは おくやまにかへり、

またおくやまから更に弥栄となって出るのであるぞ。

 

大切なもの皆与へてあるでないか。

 

人民は只それをどんなにするかでよいやうに、楽にしてあるぞ。

 

かのととり。一二十

 

 

黄金(コガネ)の巻、第五十四帖(五六五)

 

目的よくても実行の時に悪い念入ると悪魔に魅入られるぞ。

 

心せよ。

 

雨、風、岩、いよいよ荒れの時節ぢゃ。

 

世界に何とも云はれんことが、病も判らん病がはげしくなるぞ。

 

食ふべきものでない悪食うて生きねばならん時来るぞ。

 

悪を消化する胃袋、早うせねば間に合はん。

 

梅干大切心の。

 

五十二才 二(ツキ)の世の始。

 

五十六才七ヶ月 みろくの世。(十二月七日)一二十

 

 

547>564

黄金(コガネ)の巻、第三十六帖(五四七)

 

まことに求めるならば、神は何でも与へるぞ。

 

与へてゐるでないか。

 

御用は神示見んと判らん道理判らんか。

 

誰にも知れんこと知らして、型して見せてあるでないか。

 

かのととりのひ。一二十

 

 

黄金(コガネ)の巻、第五十三帖(五六四)

 

物も神として仕へば神となるぞ。

 

相談と申せば人民ばかりで相談してゐるが、神との相談結構ぞ。

 

神との相談は神示(フデ)よむことぢゃ。

 

行き詰ったら神示(フデ)に相談せよ。

 

神示(フデ)が教へて、導いてくれるぞ。

 

罪を憎んでその人を憎まずとは悪のやり方、

神のやり方はその罪をも憎まず。

 

生活が豊かになって来るのが正しい理(ミチ)ぞ。

 

行き詰ったら間違った道歩いてゐるのざ。

 

我では行かん。

 

学や金ではゆかん。

 

マコトの智一つと申してあらう。(十二月七日)一二十

 

 

548>563

黄金(コガネ)の巻、第三十七帖(五四八)

 

集団(マドイ)は天国の組織同様にせよ。

 

横にはウクスツヌフムユルウの十柱ぞ。

 

縦にはアイウエオの五柱、結構ぢゃなあ。

 

横だけでもかたわ、縦だけでもかたわ、

この方 見えんアであるぞ。

 

顕れは神示ぢゃ。

 

よく相談し合って結構致しくれよ。

 

弥栄えるぞ。

 

秘文読めば判る。

 

神業奉仕すれば自らめぐり取れるのぢゃ。

 

めぐりないもの一人もこの世には居らん。

 

かのととり。一二十

 

 

黄金(コガネ)の巻、第五十二帖(五六三)

 

何も知らんものが出て来て邪魔するぞ。

 

余程しっかり致しくれよ。

 

邪魔も御役ながら、時と所によりけり。

 

神徳積んだら人の前に自分かくせるやうになるぞ。

 

頭に立つ者 力かくせよ。

 

昨日より今日、今日より明日と、一歩一歩 弥栄えよ。

 

一足飛び、見てゐても危ない。

 

早く判れば後戻りさせねばならず、

判らんで後押しせねばならず、

少しの時の早し遅しはあるなれど、

何れは神示通りに出て来るぞ。

 

想念は形式をもって始めて力出るぞ。(十二月七日)一二十

 

 

549>562

黄金(コガネ)の巻、第三十八帖(五四九)

 

心次第で皆救はれる。

 

悪には悪の道、

それ知らん善の神では、悪抱き参らすこと出来ん。

 

因縁あっても曇りひどいと御用六ヶ敷いぞ。

 

この世の人民の悪は幽界にうつり、幽界の悪がこの世にうつる。

 

かのととり。一二十

 

 

黄金(コガネ)の巻、第五十一帖(五六二)

 

喜べよ。

 

よろこびは弥栄のたね蒔くぞ。

 

祈りは実行ぞ。

 

云はねばならんし、

云へば肉体が申すやうに思っておかげ落すし、

判らんこと申すやうに、

自分のものさしで測るし、

学の鼻高さんには神も閉口。

 

(十二月七日)一二十

 

 

550>561

黄金(コガネ)の巻、第三十九帖(五五〇)

 

見渡せば 見事咲きたり 天狗の鼻の。

 

二人でせよと申してあるのは裏表合せて一つぞ。

 

二人で一人でせねばならん。

 

統一ないところ力生れんぞ。

 

人民の奉仕は神への奉仕、生活は奉仕から生れる。

 

世界は大きな田畠、それ蒔け、それ蒔け、種を蒔け。

 

 

黄金(コガネ)の巻、第五十帖(五六一)

 

口で云ふことよくきけよ。

 

肉体で云ふこと、神の申すこと、よく聞きわけ下されよ。

 

霊媒通じてこの世に呼びかける霊の九分九分九厘は邪霊であるぞ。

 

はげしくなるぞ。

 

世界一平まだまだ出来さうで出来ない相談。

 

奥の奥、見通して下され。

 

うごきは必要であれど、皮むくぞ。

 

次も駄目、次も駄目、その次の次がまことの一家ぢゃ。

 

寒い所 暖かく、暑い所 涼しくなるぞ。

 

仏には仏の世界はあれど、三千年でチョンぞと申してあらう。

 

神示しめすに、順乱して来るぞ。

 

慾出して下さるなよ。

 

順乱れる所に神のはたらきないぞ。

 

人民 自由にせよと申して、悪自由してならん。(十二月七日)一二十

 

 

551>560

黄金(コガネ)の巻、第四十帖(五五一)

 

何うにも斯うにも手つけられまい。

 

この世は浮島ぞ。

 

人民の心も浮島ぞ。

 

油断禁物。

 

ひふみの食べ方 心得たら、

今度は気分ゆるやかに嬉しウレシで食べよ。

 

天国の食べ方ぞ。

 

一切は自分のものと申してあらう。

 

上も下も右も左も皆自分のものぞ。

 

自分ぞ。

 

其処にまこと愛生れるぞ。

 

かのととり。一二十

 

 

黄金(コガネ)の巻、第四十九帖(五六〇)

 

上の、一番の番頭、大将が悪いのではない。

 

一の番頭がよくないのざ。

 

親に背くはよくないが、真理に背くは尚悪い。

 

眷族さんにも御礼申せよ。

 

大神様だけでは仁義になりませんぞえ。

 

月日様では世は正されん。

 

日月様であるぞ。

 

日月様が、

f:id:satonory4949:20200215124047g:plainf:id:satonory4949:20200215124049g:plainf:id:satonory4949:20200215124119g:plain(ヒツキ)様となりなされて今度のイワトびらき、あけるぞ。

 

ふで当分二を通じて出せよ。

 

あたえよ。

 

f:id:satonory4949:20200222155625g:plain と二と千とセとワとホとは、先づ奥山。

十二月七日。一二十

 

 

黄金(コガネ)の巻、第四十一帖(五五二)

 

このほうの許へ引寄せた人民、

八九分通りは皆一度や二度は死ぬる生命を神が助けて、

めぐり取って御用さしてゐるのぞ。

 

奉仕せよ。

 

どんな御用も勇んで勉めよ。

 

肚に手あてて考へて見よ。

 

成程なあと思ひあたるであらうが。

 

喉元すぎて忘れて居らうが。かのととり。ひつ九十

 

 

黄金(コガネ)の巻、第四十八帖(五五九)

 

神の御用と申してまだまだ自分の目的立てる用意してゐるぞ。

 

自分に自分がだまされんやうに致しくれよ。

 

自分の中に善の仮面を被った悪が住んでゐるに気つかんか。

 

はらひ清めの神が Θ三🌀(スサナル)の神様なり。

 

サニワの神は l曰十🌀の九ん二ん(ウシトラのコンジン)様なり。

 

それぞれにお願ひしてから、それぞれのこと行ぜよ。

 

この道に入って始の間は、却って損したり馬鹿みたりするぞ。

 

それはめぐり取って戴いてゐるのぞ。

 

それがすめば苦しくても何処かに光見出すぞ。

 

おかげのはじめ。

 

次に自信ついて来るぞ。

 

胴がすわって来るぞ。

 

心が勇んで来たら、おかげ大きく光り出したのぢゃ。

 

悪の霊はみぞおちに止まりかちぞ。

 

霊の形は肉体の形、肉体は霊の形に従ふもの。

 

このこと判れば、この世のこと、この世とあの世の関係がはっきりするぞ。

 

足には足袋、手には手袋。

 

(十一月裏四日)l曰十🌀(ウシトラ)

 

 

553>558

黄金(コガネ)の巻、第四十二帖(五五三)

 

神示読めば神示の気通ふぞ。

 

神示読めよ。

 

神示うつせよ。

 

うつす御役 結構ぢゃなあ。

 

うつせ。うつせ。人にうつせよ。

 

世界にうつせよ。

 

悪のミタマなごめ抱き参らすには理解大切ぢゃ。

 

かのととり。一二十

 

 

黄金(コガネ)の巻、第四十七帖(五五八)

 

ナルとは成る言(コト)ぞ。成るは表、主(曰(シ)ゆ)ぞ。

ウムとはf:id:satonory4949:20200222155725g:plain(ウム)のこと。

生むは裏、従(二ゆ)ぞ。

 

ナルは内、ウムはソト。

 

ナルには内の陰陽合せ、ウムにはソトの陰陽合せよ。

 

成ると生むは同じであるぞ。

違ふのぢゃぞ。

成ることを生むと申すことあるぞ。

 

生むこと成ると見ることあるぞ。

 

ナルとは 🌀(ナル)こと、自分が大きく成ることぞ。

 

自分の中に自分つくり、内に生きることぞ。

 

ウムとは自分の中に自分つくり外におくことぞ。

 

このこと判れば石屋の仕組判る。(十一月裏四日)一二十

 

 

554>557

黄金(コガネ)の巻、第四十三帖(五五四)

 

野見よ。

 

森見よと申してあらう。

 

水の流れにも宗教あるぞ。

 

これを人民勝手に宗教に一度下げるから、

神冒すことになるのざ。

 

引下げねば判らんし、心で悟れよ。

 

覚(サ)めの生活 弥栄えるぞ。

 

天国の礎、出足の地場は(二二)からぢゃ。

 

二二(フジ)の道は秘文(ヒフミ)の道ぢゃ。

 

和ぢゃ。

 

かのととり。一二十

 

 

黄金(コガネ)の巻、第四十六帖(五五七)

 

今度の仕組、まだまだナルのぢゃ。

 

なってなってなりの果てに始めて成るぞ。

 

生むぞ。

 

先づ金が無ければと申してゐるが、その心まことないぞ。

 

キがもととあれ程申しても未だ判らんのか。

 

役員どうどうめぐり。(十一月裏四日)一二十

 

 

555>556

黄金(コガネ)の巻、第四十四帖(五五五)

 

奉る歌書かして置いたに何故読まんのぢゃ。

 

大き声で読み上げよ。

 

歌うたひ呉れと申してある時来てゐるぞ。

 

歌でイワトひらけるぞ。

 

皆 歌へ唄へ。

 

各も各も心の歌つくって奉れよ。

 

歌結構ぞ。

 

ひふみゆら、ひふみゆらゆら、ひふみゆらゆら。

 

かけまくも、かしこけれども、歌たてまつる。

 

御まへに、歌たてまつる、弥栄(ヤサカ)み歌を。

 

世を救ふ、大みゐわざぞ、みことかしこし。

 

まさに今、神のみことを、このみみに聞く。

 

三千世界、救ふみわざぞ、言(コト)ただし行かな。

 

大神の、しきます島の、八十島(ヤソシマ)やさか。

 

天かけり、地(クニ)かける神も、みひかりに伏す。

 

堪へに堪へし、三千年の、イワトひらけぬ。

 

したたみも、いはひもとほり、神に仕へむ。

 

大稜威(オオミイヅ)、あぎとふ魚も、ひれ伏し集ふ。

 

かむながら、みことの朝を、みたみすこやかに。

 

神の子ぞ、みたみぞ今の、この幸になく。

 

国原は、大波うちて、みふみを拝す。

 

天もなく、地もなく今を、みことに生きん。

 

大みつげ、八百万神も、勇みたつべし。

 

天地の、光となりて、みふで湧き出づ。

 

一つ血の、みたみの血今、湧きて止まらず。

 

大みこと、身によみがえる、遠つ祖神(オヤ)の血。

 

すでに吾れ、あるなし神の、辺にこそ生きん。

 

高鳴るは、吾か祖の血か、みつげ尊し。

 

吾れあらじ、神々にして、祈らせ給ふ。

 

天地も、極まり泣かん、この時にして。

 

かつてなき、大みつげなり、たたで止むべき。

 

天地も、極まりここに、御代生れ来ん。

 

大き日の、陽にとけ呼ばん、くにひらく道。

 

みことのり、今ぞ輝き、イワトひらけん。

 

宮柱、太しき建てて、神のまにまに

 

抱き参らせ、大御心に、今ぞこたへむ。

 

言いむけ、まつろはしめし、みことかしこし。

 

ただ涙、せきあへず吾(ア)は、御(オン)まへに伏す。

 

ささげたる、生命ぞ今を、神と生れます。

 

大まへに、伏すもかしこし、祈る術(スベ)なし。

 

今はただ、いのちの限り、太道(オミチ)伝へむを。

 

祈りつつ、限りつくさん、みたみなり吾れ。

 

いのち越え、大きいのちに、生きさせ給へ。

 

ひたすらに、みことかしこみ、今日に生き来し。

 

言霊の、言高らかに、太陽(オオヒ)にとけな。

 

天に叫び、吾れにむちうち、今日に生き来し。

 

あらしとなり、あまかけりなば、この心癒えむか。

 

走りつつ、今海出づる、大き月に呼ぶ。

 

みみかくし、生命と生れて、遠つ祖神(オヤ)さか。

 

神々の、智は弥栄え、此処に吾れたつ。

 

みたみ皆、死すてふことの、ありてあるべき。

 

あな爽け、みたみ栄(ハエ)あり、神ともに行く。

 

さあれ吾の、生命尊し、吾(ア)を拝(オロガ)みぬ。

 

みづくとも、苔むすとても、生きて仕へん。

 

いゆくべし、曲(マガ)の曲こと、断たで止むべき。

 

かへりごと、高ら白さんと、今日も死を行く。

 

追ひ追ひて、山の尾ことに、まつろはさんぞ。

 

追ひはらひ、川の瀬ことに、曲なごめなん。

 

みことなれば、天(アメ)の壁立つ、極み行かなん。

 

と心の、雄たけび天も、高く鳴るべし。

 

まさ言を、まさ言として、知らしめ給へ。

 

たな肱(ヒヂ)に、水泡(ミナワ)かきたり、御稲(ミトシ)そだてんを。

 

むか股に、ひぢかきよせて、たなつつくらむ。

 

狭田長田、ところせきまで、実のらせ給へ。

 

神々の、血潮とならん、ことに生き行く。

 

言さやぐ、民ことむけて、神にささげん。

 

にぎてかけ、共に歌はば、イワトひらけん。

 

大き日に、真向ひ呼ばん、神の御名を。

 

道端の、花の白きに、祈る人あり。

 

拍手(カシワデ)の、ひびきて中今(イマ)の、大きよろこび。

 

悔ゆるなく、御まへに伏し、祝詞(ノリト)申すも。

 

祝詞せば、誰か和し居り、波の寄す如。

 

のりと申す、わが魂に、呼ぶ何かあり。

 

御まへに、額(ヌカ)づきあれば、波の音きこゆ。

 

悔ゆるなき、一日(ヒトヒ)ありけり、夕月に歩す。

 

曇りなく、今を祝詞す、幸はへたまへ。

 

奉る、歌きこし召せ、幸はへ給へ。

 

ひふみよい、むなやここたり、ももちよろづう。

 

                                                                かのととりの日。

 

 

黄金(コガネ)の巻、第四十五帖(五五六)

 

相談相談と申して、見物を舞台にあげてならん。

 

見物は見物席。

 

祈り祈り結構と申して、邪の祈りは邪の道に落ちるぞ。

 

色々のお告げ出ると申してあらうが。

 

今その通りぢゃ。

 

お告げに迷ふぞ。

 

審神(サニワ)して聞けと申してあらう。

 

審神して聞け。

 

判らなくなれば神示見よ。(十一月裏四日)一二十

 

 

 

 

 

 

まぜまぜ 五一一~五四〇

ひふみ神示 まぜまぜの第五一一帖~第五四〇帖

 

 

第二十三巻 l三(ウミ)の巻

全十九帖・通し番号(四九三)~(五一一)のうち(五一一)

自  昭和二十二年 八月 十三日

至  昭和二十二年 八月二十三日

 

 

第二十四巻 黄金(コガネ)の巻

全百帖・通し番号(五一二)~(六一一)のうち(五一二)~(五四〇)

自  昭和二十四年十一月十七日

至  昭和二十五年 一月十八日

 

 

511>540

第二十三巻 l三(ウミ)の巻、第十九帖(五一一)

 

三三(みみ)に一二三(ひふみ)聞かするぞ、

愈々身実(みみ)に聞かす時ざぞ。

 

それぞれ人に応じて時によって、

口から耳に肚から肚に知らしてくれよ、

あなさやけ、あなすがすがし、

言答(いわと)開けたり、

二十三巻で此の方の神示(ふで)の終り、終りの終りぞ、

後の七巻は他から出してあるのざぞ、

いづれ判りて来るぞ、

合せて三十の巻、それが一つの節ざぞ、

天明 御身(みみ)に聞かすぞ、よきにはからへ、この行中々ぞ。

 

八月二十三日、ひつ九のΘ神示これまで。

(l三(ウミ)の巻了)

 

 

第二十四巻 黄金(コガネ)の巻、第二十九帖(五四〇)

 

二二の盗み合ひ、世の乱れ。

 

心して怪しと思ふことは、たとへ神の言葉と申しても一応は考へよ。

 

神の言葉でも裏表の見境なく唯に信じてはならん。

 

サニワせよ。

 

薬、毒となることあると申してあらうが。

 

馬鹿正直、まことの道 見失ふことあると申してあらうが。

 

道は易し、楽し、楽しないのは道ではないぞ、奉仕ではないぞ。

 

世界に呼びかける前に日本に呼びかけよ。

 

目醒まさねばならんのぢゃ。

 

それが順序と申すもの。

 

神示で知らしてあらうが。

 

ここは種つくるところ、種は人民でつくれんぞ。

 

神の申すやう、神の息 戴いて下されよ。

 

天の道、地の道、天地の道あるぞ。

 

人の道あるぞ。

 

何も彼も道あるぞ。

 

道に外れたもの外道ぢゃぞ。

 

前は一筋ぞ。

 

二筋ぞ。

 

三筋ぞ。

 

曲ってゐるぞ。

 

真直ぐであるぞ。

 

心得なされ。

 

節分から

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  ミ

(オーヒツキオーカミ)と現れるぞ。

 

讃えまつれ。

 

三年の大ぐれ。

 

かのととり。

 

一二十

 

 

512>539

第二十四巻 黄金(コガネ)の巻、第一帖(五一二)

 

元の元の元の神は何も彼も終ってゐるのであるぞ。

 

終なく始なく弥栄えてゐるのぞ。

 

友つくれよ、友つくることは己つくることぞ。

 

広めることぞ。

 

己を友の心の中に入れることぞ。

 

皆われの目的たてに来てゐるぞ。

 

それでは思惑たたんぞ。

 

御光が愛ぞ。

 

真ぞ。

 

愛はマぞ。

 

真は言ぞ。

 

これを誠と云うぞ。

 

誠は生きてゐるぞ。

 

三千世界の生命ぞ。

 

和つくれ。

 

和はむすびぞ。

 

何も彼も生れるぞ。

 

いきするぞ。

 

自分で勝手にしておいて親神を怨んでゐるぞ。

 

この巻から人民の道しるべであるぞ。

 

近いことから知らすぞ。

 

この神示出たら、すぐ血としておいて下されよ。

 

そなたの為であるぞ。

 

そなたの為は人の為、世の為、三千世界の為であるぞ。

 

この巻 黄金の巻。

 

心の眼ひらけよ。

 

十一月十七日。ひつ九のか三

 

 

第二十四巻 黄金(コガネ)の巻、第二十八帖(五三九)

 

外が悪くて中がよいといふことないのぢゃ。

 

外も中も同じ性もってゐるのぢゃ。

 

時節来てゐるから、このままにしておいても出来るが、

それでは人民 可哀さうなから、くどう申してゐるのぢゃ。

 

三千年花咲くぞ。

 

結構な花、三年、その後三年であるぞ。

 

二(ツギ)の三年めでたやなあ めでたやなあ、

ヒカリのふで裏迄 読んで見なされ、

よく解ってビシビシその通りになっておろうがな。

 

このほう念じてやれよ。

 

この火(ほう)この水(ほう)ぞ。

 

この火ばかりと思ふなよ。

 

火と水(ヒトミ)ざぞ。

 

善き火(ホー)に廻してやるぞ、

良き水(ホー)の御用も回してやるぞ。

 

しくじりも人間にはあるぞ。

 

しくじったらやり直せよ。

 

しくじりは火と水の違ひぞ。

 

このことよく心得てなされよ。

 

しくじり、しくじりでなくなるぞ。

 

何も思案投首 一番罪深い。

 

皆それぞれに喜び与へられてゐるでないか。

 

何不足申すのざ。

 

かのととり。

 

一二十

 

 

513>538

第二十四巻 黄金(コガネ)の巻、第二帖(五一三)

 

日本が日本がと、まだ小さい島国日本に捉はれてゐるぞ。

 

世界の日本と口で申してゐるが、生きかへるもの八分ぞ。

 

八分の中の八分は又生きかへるぞ。

 

生きかへっても日本に捉はれるぞ。

 

おはりの仕組はみのおはり。

 

骨なし日本を、まだ日本と思うて目さめん。

 

九十九十(コトコト)と申してカラスになってゐるぞ。

 

古いことばかり守ってゐるぞ。

 

古いことが新しいことと思うてゐるなれど、

新しいことが古いのであるぞ。

 

取違ひいたすなよ。

 

【神は生命ぞ】。

 

秩序ぞ。

 

秩序は法則ぞ。

 

為せよ。

 

行ぜよ。

 

考えよ。

 

考へたらよいのぢゃ。

 

為すには先づ求めよ。

 

神を求めよ。

 

己に求めよ。

 

求めて、理解した後 為せ。

 

為して顧みよ。

 

神のいのち其処に弥栄えるぞ。

 

今迄の日本の宗教は日本だけの宗教、

このたびは世界のもとの、三千世界の大道ぞ。

 

教でないぞ。

 

八分の二分はマコトの日本人ぢゃ。

 

日本人とは世界の民のことぢゃ。

 

一度日本すてよ。

 

日本がつかめるぞ。

 

日本つかむことは三千世界をつかむことぞ。

 

悪の大将も、そのことよく知ってゐて、天地デングリ返るのぢゃ。

 

物の食べ方に気つけよ。

 

皆の者、物ばかり食べて御座るぞ。

 

二分の人民、結構に生きて下されよ。

 

喜び神ぞ。

 

十一月十七日。

 

ひつ九のか三

 

 

第二十四巻 黄金(コガネ)の巻、第二十七帖(五三八)

 

何故、喜び受けぬのぢゃ。

 

宗教は無くなって了ふぞ。

 

誠光るのぢゃ。

 

光のマコトの宗教生れるのぢゃ。

 

その時は宗教でないぞ。

 

心得なされよ。

 

かしはでとカシハデと二つあるぞ。

 

拍手はちかひとチカヒのしるし。

 

手摺(す)るのは願ひのしるし。

 

かのととり。

 

一二十

 

 

514>537

第二十四巻 黄金(コガネ)の巻、第三帖(五一四)

 

神は神の中に、宇宙を生み給うたのであるぞ。

 

善の祈りには善、

悪の祈りには悪、

祈りの通りに何も彼も出て来ること、まだ判らんか。

 

時節には時節のことと申してあらう。

 

十一月十七日。

 

ひつ九のか三

 

 

第二十四巻 黄金(コガネ)の巻、第二十六帖(五三七)

 

与へてあるのに何故手出さぬ。

 

よりよき教に変るのは宗祖のよろこぶこと位 判るであらう。

 

うまいこと申して人集めると、

うまいこと申して人が去るのであるぞ。

 

二四(ニシ)と一ケ四(ヒガシ)に宮建てよ。

 

建てる時近づいたぞ。

 

間に合ふ守護神 九分通り悪になってゐるぞ。

 

経には差別あるぞ。

 

緯は無差別ぞ。

 

この道理判らねば一列一平とならん。

 

金欲しい者には金もうけさしてやれよ。

 

欲しいもの与へてやれよ。

 

人間心、神心、逆様ぢゃ。

 

与へることは戴くこと。

 

まだ判らんか。

 

皆何も天国に行くやうになってゐるではないか。

 

この世でも天国、あの世でも天国、目出度いなあ。

 

地獄説く宗教は亡びるぞ。

 

地獄と思ふもの、地獄つくって地獄に住むぞ。

 

地獄はげしくなるぞ。

 

人間の力だけでは、これからは何も出来ん。

 

アカの世からキの世になるぞ。

 

世は、七度の大変りと知らしてあらう。

 

二(ツギ)の世はキの世。

 

口静かせよ。

 

かのととり。

 

一二十

 

 

515>536

第二十四巻 黄金(コガネ)の巻、第四帖(五一五)

 

これだけに、世界にアラ事をさして見せて、

神示通りに出て来ても、まだ目醒めんのか。

 

まだまだ改心中々ぢゃなあ。

 

悔い改めよ。

 

顧みよ。

 

恥ぢ畏れよ。

 

慎めよ。

 

その日その時からよくなるぞ。

 

人間には神は知れんものぞ。

 

神のはたらきのみ、やっと知れるぞ。

 

神の能(ハタラ)きは千変万化、

能(ハタラ)き見て神そのものと思ふは人間心。

 

この神示、針の穴程も違はん。

 

書かしたこと そのまま出て来るぞ。

 

神は人となりたいのぢゃ。

 

人は神となりたいのぢゃ。

 

霊は形を形は霊を求めて御座るのぢゃ。

 

人は神のいれもの、【神は人のいのち】。

 

十一月十七日。

 

ひつ九のか三

 

 

第二十四巻 黄金(コガネ)の巻、第二十五帖(五三六)

 

こんなになったのも この方等が我が強過ぎたからであるぞ。

 

我出すなと申してあろう。

 

この度のイワト開きに使ふ身魂は、

我の強い者ばかりが、めぐりだけのこと償って、償ふことぞ。

 

天地かもう神でも我出せんことであるぞ。

 

神々様も懺悔して御座るぞ。

 

まして人民。

 

てん👁かいしん まだまだのまだであるぞ。

 

かのととりの日。

 

一二十

 

 

516>535

第二十四巻 黄金(コガネ)の巻、第五帖(五一六)

 

ものうむ始め女。目的たてるとスコタン。

 

種から生えたものは渋柿ぢゃ。

 

接木(つぎき)せねば甘柿とはならんぞ。

 

己のためすることは人のためにすることぞ。

 

思いは力、実在ぞ。

 

十一月十七日。

 

ひつ九のか三

 

 

第二十四巻 黄金(コガネ)の巻、第二十四帖(五三五)

 

口で知らすこと判る人には、判るぞ。

 

大切なことはミミに聞かしてあるぞ。

 

天狗ざから、軽く見るから分らんのざぞ。

 

神示はいらんのぢゃ、ふではカスぢゃぞ。

 

皆ゝ(テン)を見失ってゐるぞ。

 

ゝ(テン)あるのが判るまい。

 

云ふてならん。

 

仕組は出来上がらんと、人民には判らん。

 

仕上げ見て下され。

 

立派ぢゃなあ。

 

【心】で悟りて下されよ。

 

云ふだけで聞けば実地に出さんでもよいのぢゃ。

 

実地には出したくないのぢゃ。

 

この道理、よく悟りて呉れよ。

 

実地に出しては人民 可哀さうなから、

こらへこらへて くどう申してゐる内に、

早うさとりて下されよ。

 

かのととりの日。

 

一二十

 

 

517>534

第二十四巻 黄金(コガネ)の巻、第六帖(五一七)

 

天地まぜまぜになったら、まだまだなるのである。

 

彼れ是れ、何が何だか判らんことになると申してあらうが。

 

早う神示肚に入れておけよ。

 

己に逆ふは神に逆ふものぞ。

 

己拝むは神拝むもの。

 

キリキリ舞、目の前。

 

十一月十七日。

 

ひつ九のか三

 

 

第二十四巻 黄金(コガネ)の巻、第二十三帖(五三四)

 

この神示読むとミタマ磨けるぞ、ミガケルぞ。

 

神示読むと改心出来るぞ。

 

暮し向きも無理なく結構にヤサカ、弥栄えるぞ。

 

まだ判らんのか。

 

苦しいのは神示読まんからぢゃ。

 

金の世すみて、キンの世来るぞ。

 

三年目、五年目、七年目ぢゃ、心得なされよ。

 

欲しいもの欲しい時食べよ。

 

低うなるから流れて来るのぢゃ。

 

高うなって天狗ではならん道理。

 

頭下げると流れ来るぞ。

 

喜び、愛から来るぞ。

 

神様も神様を拝み、神の道を聞くのであるぞ。

 

それはΘと🌀(外から内に反時計回り)と

🌀(外から内に時計回り)とによって自分のものとなるのぢゃ。

 

融けるのぢゃ。

 

一つ境があるぞ。

 

世界の人民一人一柱 守りの神つけてあるぞ。

 

人に説くには人がいるぞ。

 

役員 取違ひしてゐるぞ。

 

われよし信仰だからぞ。

 

あまり大き過ぎるから判らんのも道理ながら、

判らんでは済まん時来てゐるぞ。

 

いざと云ふ時は日頃の真心もの云ふぞ。

 

付け焼刃は付け焼刃。

 

神拝むとは、頭ばかり下げることでないぞ。

 

内の生活することぞ。

 

内外共でなくてはならん。

 

残る一厘は悪の中に隠してあるぞ。

 

かのととり。

 

一二十

 

 

518>533

第二十四巻 黄金(コガネ)の巻、第七帖(五一八)

 

今はまだなるやうにして居りて下されよ。

 

悪いこと通して善くなる仕組、よく心得よ。

 

神体や神殿が神ではないぞ。

 

神でもあるぞ。

 

取違ひ禁物。

 

鼻高には困る困る。

 

他の教会は病治して一人でも信者多くつくって立派に教会をつくれば

それでよいやうにしてゐるが、

この道はそんな所でまごまごさしてはおかれんぞ。

 

高く光るぞ。

 

遠くから拝むやうになるぞ。

 

一切の未来も一切の過去も、【総てが現在ぞ】。

 

中今ぞ。このこと判るが善ぢゃ。

 

神は総てを知っているのぞ。

 

現在は永遠ぞ。

 

何処からともなく感じて来るもの尊べよ。

 

取り次ぎ、信者より曇りひどい。

 

十一月十七日。

 

 

第二十四巻 黄金(コガネ)の巻、第二十二帖(五三三)

 

神まつれ、祖先まつれ、子孫まつれ、心まつれ、

言葉まつれ、行まつれ、食物まつれ、着るものまつれ、

住居まつれ、土地まつれ、感謝感謝で喜び来るぞ。

 

奇跡では改心出来んのであるぞ。

 

かのととりの日。

 

ひつ九十

 

 

519>532

第二十四巻 黄金(コガネ)の巻、第八帖(五一九)

 

外にあるもの内にあるぞ。十一月十七日。

 

 

第二十四巻 黄金(コガネ)の巻、第二十一帖(五三二)

 

言はれる間はよいぞ。

 

読まれる間はよいぞ。

 

綱切れたら沖の舟、神信じつつ迷信に落ちて御座るぞ。

 

日本の国のミタマ曇ってゐることひどいぞ。

 

外国、同様ながら筋通ってゐるぞ。

 

型にはめると動きないことになるぞ。

 

型外せと申してあらうが。

 

自分で自分を監視せよ。

 

顕斎のみでも迷信、幽斎のみでも迷信、二つ行っても迷信ぞ。

 

二つ融け合って生れた一つの正斎を中として顕幽、

両斎を外としてまつるのが大祭りであるぞ。

 

荒、和、幸、奇、ミタマ統べるのが直日のみたま。

 

みすまるのたまぞ。

 

今度は直日のみでなくてはならん。

 

直日弥栄えて直日月f:id:satonory4949:20200215124119g:plainの能(ハタラキ)となるのぞ。

 

食物 気つけよ。

 

信仰は感情ぞ。

 

飢えた人には食物。

 

神よ勝て。

 

人間 勝ってはならんぞ。

 

かのととり。一二十

 

 

520>531

第二十四巻 黄金(コガネ)の巻、第九帖(五二〇)

 

この神示に縁あるものには、天使の働き位のこと、

すぐに判るミタマ授けあるのに、今の姿は何事ぞ。

 

ボタン押せよ。

 

燈台もとへ来て、明るうなると思ひ違ひ、もとへ来てあかりとなれよ。

 

光となれよ。

 

十一月十七日。

 

 

第二十四巻 黄金(コガネ)の巻、第二十帖(五三一)

 

動かんふじの仕組のなるとの仕組。

 

ことたま、かずたま、ひふみ、いろたま、いろは。

 

かのととり。

 

ひつ九十

 

 

521>530

第二十四巻 黄金(コガネ)の巻、第十帖(五二一)

 

もう化けては居られん。

 

化けの世はすんだのであるから、人民ウソしてはならんぞ。

 

嘘見分ける鏡 与へてあるぞ。

 

早う改心なされ。

 

仏の取り次ぎ、キリストの取り次ぎ、

天理、金光、大本の取り次ぎさん、早う改心結構ぞ。

 

アラーの取り次ぎさん、道教も同様ぞ。

 

人間はいつも創られつつあるものぞ。

 

これでよいと云ふことはないぞ。

 

ゴッドも仏も神も皆その通りざぞ。

 

世の中も、大千世界も亦同様ぞ、つくられつつあるのぞ。

 

愛と云ひ真と云ふも皆方便ぞ。

 

何れも誠の現われであるぞ。

 

はうべんの世はすみてハウベンの世となるぞ。

 

そのハウベンの世すみて誠の世となるのぢゃ。

 

善悪なき世となるのぢゃ。

 

判りたか。

 

かのととりの日。

 

一二十(ヒツキノカミ)

 

 

第二十四巻 黄金(コガネ)の巻、第十九帖(五三〇)

 

己の行 出来て居らんと、人の悪口 云はなならんことになるぞ。

 

己の心 日々夜々改めねばならん。

 

心とは身と心のことぞ。

 

元の活神が直接の、直々の守護を致す時来たぞ。

 

気つけおくぞ。

 

国々、所々、村々、家々、皆 何なりとして

めぐりだけの借銭済し致しくれよ。

 

大峠ぞ。

 

早合点するなよ。

 

小さい容れもの間に合はん。

 

かのととり。

 

一二十

 

 

522>529

第二十四巻 黄金(コガネ)の巻、第十一帖(五二二)

 

今度の【イワト】びらき、神と人との九十運動ぞ。

 

建替の守護が大切ぞ。

 

先づ一筋の天地の道から変へるのぢゃ。

 

次に人の道つくるのぢゃ。

 

経と緯であるぞ。

 

人の道と天地の道と間違へてゐるぞ。

 

人の道は花色々と咲き乱れ、織り交ぜて、

楽し楽しのそれぞれであるぞ。

 

自分で自分のことしてゐるのであるが、

又させられてゐるのであるぞ。

 

大き自分に融け入ったとて小さい自分無くなって了ふのでないぞ。

 

神人ぞ。

 

天地ぞと申してあらうが。

 

善もかりぞ。

 

悪もかりぞ。

 

よく心得なされよ。

 

かのととりの日。

 

一二十(ヒツキノカミ)

 

 

第二十四巻 黄金(コガネ)の巻、第十八帖(五二九)

 

祈れば祈る程 悪うなることあるぞ。

 

結構な道と判らんか。

 

心して迷ふでないぞ。

 

天国の門、貧者富者の別ないぞ。

 

別ある境界つくるでないぞ。

 

世界中一度にゆすぶると申してあらう。

 

釦(ボタン)一つででんぐり返ると申してあること、未だ判らんのか。

 

神罰はなし。

 

道は一つ二つと思ふなよ、無数であるぞ。

(但し内容は一つぞ。)

 

新しき道拓いてあるに、何故 進まんのぢゃ。

 

下腹からの怒は怒れ。

 

胸からの怒は怒るなよ。

 

昔から無いことするのであるから、

取違ひ もっともであるなれど、

分けるミタマ授けあるぞ。

 

高い天狗の鼻まげて自分の香 嗅いで見るがよいぞ。

 

鼻もちならんぞ。

 

今迄のこと ちっとも交らん新しき世になるのであるから、

守護神殿にも、判らんことするのであるから、

世界の民みな一度に改心するやうに、

どん詰りには致すのであるなれど、

それ迄に一人でも多く、一時も早く、改心さしたいのぢゃ。

 

気ゆるめたら肉体ゆるむぞ。

 

後戻りばかりぢゃ。

 

霊人と語るのは危ないぞ。

 

気つけくれよ。

 

人は人と語れよ。

 

かのととりの日。

 

一二十

 

 

523>528

第二十四巻 黄金(コガネ)の巻、第十二帖(五二三)

 

守護神守護神と申してゐるが、魂の守護神は肉ぞ。

 

肉の守護神は魂ぞ。

 

くるくる廻って又始めからぢゃ。

 

前の始と始が違ふぞ。

 

皆相談し合ってよきに弥栄えるぞ。

 

為さねば後悔ぞ。

 

始めからの神示読めば判るやうに示してあるでないか。

 

神示読まんから迷ふのぞ。

 

神は人民の気引くぞ。

 

神示読めよ。

 

神示出るぞ。

 

かのととり。

 

一二十

 

 

第二十四巻 黄金(コガネ)の巻、第十七帖(五二八)

 

【神、拝しても筋違ふと水の泡ぞ】。

 

まだ迷うてゐるが、それでは仕組成就せんぞ。

 

褌しめて一本道の真心結構。

 

金がよければ金拝め。

 

人がよければ人拝めよ。

 

神がよければ神拝め。

 

かのととり。

 

一二十

 

 

524>527

第二十四巻 黄金(コガネ)の巻、第十三帖(五二四)

 

神示はちっとも違はん。

 

違ふと思ふことあったら己の心顧みよ。

 

その心 曇ってゐるのであるぞ。

 

めぐりあるだけ神がうらめしくなるぞ。

 

めぐりなくなれば神が有難いのぢゃ。

 

人間無くて神ばかりでは、この世のことは出来はせんぞ。

 

神が人間になって働くのぞ。

 

判りたか。

 

新しき神国が生れるまで めぐりばかりがうようよと、

昔のしたことばかり恋しがってゐるが、

そんなこと何時までもつづかんぞ。

 

三年の苦しみ、五年もがき、七年でやっと気のつく人民多いぞ。

 

皆仲よう相談し合って力合せて進め進め。

 

弥栄えるぞ。

 

二つに分れるぞ。

 

三つに分れるぞ。

 

分れて元に納まる仕組。

 

結構結構。

 

理解大切。

 

理解結構。

 

思考しなければ これからは何も出来んぞ。

 

拝み合ふことは理解し合ふことぞ。

 

手合せて拝むばかりでは何も判りはせんぞ。

 

何故に、心の手 合せんのぢゃ。

 

心の手とは左行く心の手と右行く心の手と和すことぢゃ。

 

サトルことぢゃ。

 

苦しんで苦しんで苦しみぬいて得たことは楽に得たことぢゃ。

 

その楽に得たことのみ自分の身につくのぢゃ。

 

血ぢゃ。

 

肉ぢゃ。

 

かのととり。

 

一二十

 

 

第二十四巻 黄金(コガネ)の巻、第十六帖(五二七)

 

羹(アツモノ)に懲(コ)りて鱠(ナマス)吹いて御座る人民よ。

 

慾すてると判って来るぞ。

 

まことの慾深になれよ。

 

イロハの勉強とは、日々の生活を神示に合すことぞ。

 

この中から神示通りのカタ出せよ。

 

出さねばならんぞ。

 

判った人程、口静かになるぞ。

 

天狗が出て来て三日天下、それも御役、

御役 御苦労ぢゃなあ。

 

良けりゃ立ち寄り、悪くなれば立ち去るやうな人民、

早う退いて見物して御座れよ。

 

いつも日和見してゐると気の毒出来るぞ。

 

神に使はれるのは一通りや二通りの苦労では出来ん。

 

宗教によるもののみ天国に行くと考へるもの、

自分の教会のみ天国に通ずると思ふもの、

皆 悪の眷族ばかり。

 

迷ふなよ。迷ふは慾からぢゃ。

 

体験と理解のみ財産ぞ。

 

神示肚に入ったら、それでもうよいぞ。

 

去りて花咲かせ。

 

肚に入るまでは去ってはならん。

 

確か心得よ。

 

かのととり。

 

一二十

 

 

525>526

第二十四巻 黄金(コガネ)の巻、第十四帖(五二五)

 

しるしはΘと申してあらう、Θなかなかぢゃなあ。

 

為せ、為せ、為せば成る時ぞ。

 

為さねば後悔ぞ。

 

元たてよ。

 

かのととり。

 

一つ九十

 

 

第二十四巻 黄金(コガネ)の巻、第十五帖(五二六)

 

人から見てあれならばと云ふやうになれば、この方の光出るぢゃ。

 

行出来ねばお出直し、お出直し多いなあ。

 

独断 役には立たんぞ。

 

イワトびらきの九分九厘でひっくり返り、

又九分九厘でひっくり返る。

 

天明九十六才七ヵ月、ひらく。

 

かのととり。

 

一二十

 

まぜまぜ 四八一~五一〇

ひふみ神示 まぜまぜの第四八一帖~第五一〇帖

 

 

第二十二巻 ア火ハ(アホバ)の巻

全廿三帖・通し番号(四七〇)~(四九二)のうち(四八一)~(四九二)

自  昭和二十二年 一月二十六日

至  昭和二十二年 八月 十二日

 

 

第二十三巻 l三(ウミ)の巻

全十九帖・通し番号(四九三)~(五一一)のうち(四九三)~(五一〇)

自  昭和二十二年 八月 十三日

至  昭和二十二年 八月二十三日

 

 

 

481>510

ア火ハ(アホバ)の巻、第十二帖(四八一)

 

御神示通りにすれば、神の云ふ事聞けば、

神が守るから人民の目からは危ない様に見へるなれど、

やがては結構になるのざぞ、

疑ふから途中からガラリと変るのざぞ。

 

折角 縁ありて来た人民ぢゃ、

神はおかげやりたくてうづうづざぞ、

手を出せばすぐとれるのに何故手を出さんのぢゃ、

大き器持ちて来んのぢゃ。

 

神示聞きて居ると身魂太るぞ、身魂磨けるぞ。

 

下に居て働けよ、下で土台となれよ。

 

此処は始めて来た人には見当とれん様になってゐるのぢゃ、

人の悪口 此の方 聞きとうないぞ、

まして神の悪口。

 

八月四日、ひつ九のΘ。

 

 

l三(ウミ)の巻、第十八帖(五一〇)

 

人民の我では通らん時となった位 判って居らうがな、

早よ我捨ててこの方について参れよ、

素直にいたせば楽に行けるのざぞ、

大峠越せるのざぞ、

時節の仕組 中々人民には判るまいがな、

悪抱き参らす為には我が子にまで天のトガをおはせ、

善の地の先祖まで押し込めねば一応抱く事出来んのであるぞ、

ここの秘密知るものは

天の御先祖様と地の御先祖様より外には無いのであるぞ。

 

我が我がと早う出世したい様では、

心変へんと人民は御用六ヶ敷いぞ。

 

神に分けへだてなし、へだては人民の心にあるぞ。

 

此の道は因縁なくしては判らん六ヶ敷い道であれど、

此の道つらぬかねば、世界は一平にならんのぢゃ、

縁ある人は勇んで行けるのぢゃ、

神が守るからおかげ万倍ぢゃ、

神の帖面 間違ひないぞ、

思ふ様にならぬのは、

ならぬ時は我の心に聞いて見るがよいぞ、

神の仕組は変らねど、

此の世では、人民の心次第で良くも悪くも出て来るのぢゃ、

仕事は変らねど出て来るのが変るのざ、

悪く変ると気の毒なから くどう申してゐるのぢゃぞ。

 

八月二十三日、一二Θ。

 

 

482>509

ア火ハ(アホバ)の巻、第十三帖(四八二)

 

同じ名の神二つあると申してあろ、

同じ悪にも亦二つあるのぢゃ、この事 神界の火水ぞ、

この事判ると仕組段々とけて来るのざぞ、

鍵ざぞ。

 

七人に伝へよ、と申してあろ、

始めの七人大切ざぞ、

今度はしくじられんのざぞ、

神の仕組 間違ひないなれど、

人民しくじると、しくじった人民 可哀想なから、

くどう申しつけてあるのざぞ、

よう分けて聞きとりて折角のエニシと時を外すでないぞ、

世界中の事ざから、

いくらでも代へ身魂、代りの集団(まどひ)つくりてあるのざぞ。

 

尊い身魂と、尊い血統、忘れるでないぞ。

型は気の毒ながらこの中から。

 

八月四日、一二Θ。

 

 

l三(ウミ)の巻、第十七帖(五〇九)

 

天地ひっくり返ると云ふことはミタマがひっくり返ると云ふことぞ。

神示読みて聞かせよ、

目も鼻も開けておられん事が、建替への真最中になると出て来るぞ、

信仰の人と、無信仰の人と、

愈々立分けの時ぢゃぞ、

マコト一つで生神に仕へ奉(まつ)れよ。

 

八月二十三日、ひつ九Θ。

 

 

483>508

ア火ハ(アホバ)の巻、第十四帖(四八三)

 

今の世は頭と尻尾ばかり、

肝腎の胴体ないから力出ないぞ。

 

従ふ所へは従はなならんのざぞ、

と申してあろ、

時節に従って負けて勝つのざぞ、

負けが勝ちぞ、判りたか。

 

お詑びすれば誰によらん、許してよき方に廻してやるぞ、

口先ばかりでなく心からのお詑び結構いたしくれよ。

 

ダマシタ岩戸からはダマシタ神お出でましぞ、

と申してくどう知らしてあろがな、

ダマシて無理に引張り出して無理するのが無理ぞと申すのぞ、

無理はヤミとなるのざぞ、

それでウソの世ヤミの世となって、

続いてこの世の苦しみとなって来たのざぞ、

こうなることは此の世の始から判ってゐての仕組、

心配せずに、此の方に任せおけ任せおけ。

 

八月四日、一二Θ。

 

 

l三(ウミ)の巻、第十六帖(五〇八)

 

今はなれた人民、

此処がよくなったと云ふて帰る事ははづかしい事になって、

帰っても変なことになるぞ、

今の内に早う立ち返って御用結構ぞ。

 

世界に、人民に判らんめづらしき事を出すぞ、

皆この神の仕組であるから、

変りたこと、判らん事が愈々となったら、

神代近づいたのであるぞ。

 

役員には神示の肚に入った者がなるのざぞ、

役員の御魂は沢山あれど、

神示読まねば役員にはなれないのざぞ、

なればスコタンばかり、

長らく世に落ちて居た神人神々様を世にお上げせねば世はよくならんのざぞ、

軽く見るから神示分らんのぢゃ、

人も軽く見てはならんぞ。

 

八月二十三日、一二Θ。

 

 

484>507

ア火ハ(アホバ)の巻、第十五帖(四八四)

 

世の建替と申すのは、

身魂の建替へざから取違ひせん様致されよ、

ミタマとは身と霊(たま)であるぞ、

今の学ある人民 ミばかりで建替へするつもりでゐるから、

タマが判らんから、

いくらあせっても汗流しても建替へ出来んのざぞ。

 

天地(あめつち)の秋(とき)来てゐることは大方の人民には分って居りて、

さあ建替へぢゃと申しても、

肝腎のタマが分らんから成就せんのざぞ、

神示読んでタマ早う掃除せよ、

世界から見るから日本が日本ぞ、

も一つ上の世界から見れば世界は日本ぞ、

神国ざぞ、

今迄は大地の先祖の大神様の血統を落して了ふて途中からの代りの神でありたから、

まぜこぜしたから世が乱れに乱れて了ふたのぢゃぞ、

知らしてあらうがな、

よくなっとくしてくれよ、

人民 皆その通りになってゐるのぢゃ。

 

八月四日、一二Θ。

 

 

l三(ウミ)の巻、第十五帖(五〇七)

 

学や智や金がチラチラ出る様では、

マコトが磨けては居らんのぢゃ、

今の法律でも、教育でも、兵隊でも、宗教でも、

この世は建直らんぞ、

新しき光が生れて世を救ふのぢゃ、

新しき光とはこの神示ぢゃ、

この神ぢゃ。

 

七つの花が八つに咲くぞ、

此の神示八通りに読めるのぢゃ、

七通りまでは今の人民でも何とか判るなれど八通り目は中々ぞ。

 

一厘が、かくしてあるのぢゃ、

かくしたものは現はれるのぢゃ、

現はれてゐるのぢゃ。

 

何でもない事が中々のことぢゃ、判りたか。

 

八月二十三日、一二Θ。

 

 

485>506

ア火ハ(アホバ)の巻、第十六帖(四八五)

 

日の大神様は日の御働き、

月の大神様は月の御働き、

日の大神様も世の末となって来て

御神力うすくなりなされてゐるのざぞ、

日の大神様も二つ、三つ、

自分一人の力では何事もこれからは成就せんぞ、

心得なされよ、

神示で知らしただけで得心して改心出来れば大難は小難となるのぢゃ、

やらねばならん、

戦は碁、将棋、位の戦ですむのぢゃ、

人民の心次第、行ひ次第で空まで変ると申してあろがな、

この道理よく心得なさりて、

神の申すこと判らいでも、

無理と思ふ事も貫きて下されよ、

これがマコトぢゃ。

 

八月五日、ひつ九のかミ。

 

 

l三(ウミ)の巻、第十四帖(五〇六)

 

何も分らん枝葉の神に使はれてゐると気の毒出来るぞ、

早う其の神と共に此処へ参りて、

マコトの言(こと)を聞いて誠に早う立ち返りて下されよ、

〇九十(マコト)とは

 〇一二三四五六七八九十であるぞ、

一二三四五六七八かくれてゐるのざぞ。

 

縁あればこそ、そなた達を引寄せたのぢゃ、

此の度の二度とない大手柄の差添へとなって下されよ、

なれる因縁の尊い因縁をこわすでないぞ。

 

見て見よれ、

真只中になりたら学でも智でも金でもどうにもならん見当取れん事になるのぢゃ、

今は神を見下げて人民が上になってゐるが、

さうなってから神に助けてくれと申しても、

時が過ぎてゐるから時の神様がお許しなさらんぞ、

マコトになってゐれば何事もすらりすらりぞ。

 

八月二十三日、一二Θ。

 

 

486>505

ア火ハ(アホバ)の巻、第十七帖(四八六)

 

悪く云はれるとめぐり取って貰へるぞ、

悪く云ふとめぐりつくるのぢゃ。

 

今度の建替へは人間智恵の建替へとは大分違ふ大層ざぞ、

見当とれんのざぞ、

日の神ばかりでは世は持ちては行かれんなり、

月の神ばかりでもならず、

そこで月の神、日の神が御一体となりなされて

「ミロク」様となりなされるなり、

日月の神と現はれなさるなり。

 

「みろく」様が日月の大神様なり、

日月の大神様が「みろく」の大神様なり、

千(チ)の御先祖様 九二の御先祖様と御一体となりなされて

大日月の大神様と現はれなさるなり、

旧九月八日からは大日月の大神様とおろがみまつれよ。

 

八月五日、一二Θ。

 

 

l三(ウミ)の巻、第十三帖(五〇五)

 

表に出て居る神々様に和合して貰ふて世の建替にかかりて下されよ、

苦労なしには何事も成就せんぞ、苦を楽しめよ。

 

此の世を乱したのは神界から、

此の世乱した者が、此の世を直さねばならんのざぞ、

この道理判るであろがな、

建直しの御用に使ふ身魂は此の世乱した神々様であるぞよ。

 

秘密は秘密でないぞ、火水であるぞ、明らかな光であるぞ、

火水(ひみず)のマコトを悪神にたぶらかされて判らなくなったから、

秘密となったのであるぞ、

秘密は必ず現はれて来るぞ。

 

あと七つの集団(まどゐ)が出来るぞ、

一には🌀のしるしつけよ、

この世一切のことを建替へるのぢゃ、

神の道も変へるぞ、心のおき所も変へるぞ。

 

八月二十三日、一二Θ。

 

 

487>504

ア火ハ(アホバ)の巻、第十八帖(四八七)

 

改心とはアホになることざぞ、

世界中のアホ中々ぢゃ、中々アホになれまいがな。

 

世界中の人民に云ふて聞かして改心さすのではキリがないから

大変を致さなならんのざぞ。

 

六ヶ敷いこと申してゐるが平とう説かねば判らんぞ、

世界の説教をよく聞きてくれよ、

天の教、地の導き、よく耳すまして聞きとれよ、

神の心 段々に判りて来るぞ。

 

この者は見込ないとなったら物云わんぞ、

もの聞けん様になったら、

神示いやになったら其の守護神 可哀想になるのざぞ、

見込なくなれば神は何も申さんぞ、

今の内に神示肚に入れよ。

 

八月五日、ひつ九のΘミ。

 

 

l三(ウミ)の巻、第十二帖(五〇四)

 

神は人民には見へん、たよりないものであるが、

たよりないのが、たよりになるのであるぞ。

 

外国行きとは幽界行きの事ぞ。

 

時節来て居れど人民心でせくでないぞ、せくとしくじるぞ。

 

あちらに一人、こちらに一人、

と云ふ風に残る位むごい事にせなならん様になってゐるのざから、

一人でも多く助けたい親心汲みとりて、

早う云ふこと聞くものぢゃ。

 

ここ迄神示通りに出てゐても、まだ判らんのか、

疑ふのにも余りであるぞ。

 

地に高天原(たかあまはら)が出来るのざぞ、

天の神 地に降りなされ、

地(くに)の神と御一体と成りなされ

大日月の神と現はれなさる日となった、結構であるぞ、

肉体の事は何とか分るであろが、タマは判るまい、

永遠(とわ)にタマは生き通しであるから、

タマの因縁の判る所は

九九(ここ)の二(ふ)でより他にはいくらさがしてもないのざぞ。

 

八月二十三日、一二Θ。

 

 

488>503

ア火ハ(アホバ)の巻、第十九帖(四八八)

 

此の度の岩戸開きに御用に立つ身魂ばかり選り抜きて集めて

行さして御用に使ふのであるから、

他の教会とは天地の違ひであるぞ、

今度は人民の心の底まであらためて

一々始末せねばならんなり、

誰によらん、

今迄の様なゼイタクやめて下されよ。

 

せねばする様せなならんなり、

世界のハラワタ腐り切って居るのであるから愈々を致さねばならんなり、

愈々をすれば人民愈々となるから、

神がくどう気つけてゐるのざぞ。

 

此処へは善と悪とどんな身魂も引寄せてコネ廻し練り直す所であるから、

チットモ気緩(ゆる)しならん所であるぞ。

 

ここの仕組は天の仕組と地の仕組と、

カミとなりホトケとなり結びΘと和し雲と顕れ動き、

鳴り成りてマコトの世「みろく」の代と致して、

この世と致して、

この世を神の国と致す仕組ぢゃ。

 

今迄は天の神ばかり尊んで上ばかり見て居たから、

今度は地は地の神の世と致すのぢゃ、

天の神は地ではお手伝ひざと申してあろが、

下見て暮せ、足元に気付けと申してあらうが、

皆 地の神尊び斉き祀りて弥栄ましませ。

 

天の教許りではならず、

地の教許りでもならず、

今迄はどちらかであったから、

時が来なかったから、マコトがマコトと成らず、

いづれもカタワとなってゐたのざぞ、

カタワ悪ぞ、

今度上下揃ふて夫婦和して、

天と地と御三体まつりてあななひて、

末代の生きた教と光り輝くのざぞ。

 

八月九日、ひつ九のかミ。

 

 

l三(ウミ)の巻、第十一帖(五〇三)

 

だました岩戸からはだました神が出て、ウソの世となったのぢゃ、

この道理判るであろう、

ニセ神やら、だました神やら、

次々に五度の岩戸閉めと申してあろが、

タンバはタニハ、田庭とは日の本の国ぞ、世界の事ぞ、

タンバとはタンバイチとは世界の中心と云ふ事ぞ、

日の本と云ふ事ぞ、キミの国ざぞ、

扶桑の国ざぞ、地場ざぞ、判りたか。

 

地場を固めなならんぞ、

五十鈴の川はムツの川、和合の川ぞ。

 

社殿(やしろ)は八方に開く時来たら八尋殿(やひろどの)建てて下されよ、

マコトの八尋殿。

 

何も判らん無茶苦茶者が、

偉ら相な名の神がかりして、何も知らん人民をたぶらかしてゐるが、

今に尻尾を出して来るぞ、

尻尾つかまらん内に改心して神の道に従って来いよ。

 

八月二十三日、一二Θ。

 

 

489>502

ア火ハ(アホバ)の巻、第二十帖(四八九)

 

己の心見よ、いくさまだまだであろが、

違ふ心があるから違ふものが生れて違ふことになる道理分らんのかなあ。

 

世界の愈々のメグリが出て来るのはこれからであるぞ、

九月八日の九の仕組 近付いたぞ。

 

人民は早合点、我よしで神示よむから皆心が出て了ふて、

誠知らしたこと毒とならん様 気づけておくぞ。

 

薬のんで毒死せん様に気付けよ。

 

今は世間では何事も分らんから、疑ふのも無理ないなれど、

神の仕組は何事もキチリキチリと間違ひないのざぞ。

 

宗教連合会も世界連合も破れて了ふと申してあらうがな、

つくった神や神の許しなきものは皆メチャメチャぢゃ、

三千世界に手握る時と知らずに、

T(た)の世界、も十の世界を知らんからさうなるのぢゃ、

火火の世界、火火の人、水水の世界、水水の人、

と交通出来るのぢゃ、

人と云っても人間ではないぞ、

ヒトカミざぞ、手握って三千世界に天晴れぢゃ、

この道 神の道ぢゃ、光の道ぢゃ、教ぢゃ、

悪と悪と、善と善と、悪と善と、善と悪と握る手持ちて御座れよ、

心持ちて御座れよ、びっくり嬉し箱あくぞ。

 

八月十日、ひつ九Θ。

 

 

l三(ウミ)の巻、第十帖(五〇二)

 

この方 悪神、祟神(たたりがみ)と人民に云はれて

トコトン落されてゐた神であるぞ、

云はれるには云はれるだけの事もあるのぢゃ、

此の方さへ改心いたしたのであるぞ、

改心のおかげで此の度の御用の立役者となったのぢゃぞ、

誰によらん改心致されよ。

 

改心とは まつろふ事ぞ、中行くことぞ、判りたか。

 

今度は十人並のおかげ位では誠の信心とは申されんぞ、

千人万人のおかげを取りて下されよ、

千人力与へると申してあろが、

大事な御先祖様の血統を皆世に落して了ふて無きものにして了ふて、

途中からの代へ身魂を、

渡りて来た身魂を、まぜこぜの世と致して、

今の有様は何事ぞ、まだ判らんのかなあ、

人民もぐれんぞ。

 

八月二十三日、一二Θ。

 

 

490>501

ア火ハ(アホバ)の巻、第二十一帖(四九〇)

 

神が引寄せるからと申して懐手してゐては道は拡まらんぞ、

弥栄とは次々に限りなく喜びをふやして養って行くことざぞ、

喜びとはお互ひに仲よくすることぞ、

喜びは生きものぞ、形あるものぞ、

色あるものぞ、声あるものぞ、判りたか。

 

教会つくれと申しても今迄の様な教会ではならんぞ、

今迄の教会も元はよいのであるぞ、

いづれも取次役員がワヤにいたしたのぢゃ、

神の心からはなれて人間心となったからぢゃ。

 

神の動きは、

アヤワヤ(〇の中にヤ)ワ(〇の中にワ) ざと申してあろが、

それをヤワヤ(〇の中にヤ)ワ(〇の中にワ) となし

ワヤ(〇の中にヤ)ワ(〇の中にワ) と致し、

ヤ(〇の中にヤ)ワ(〇の中にワ) となし

ワ(〇の中にワ)ヤ(〇の中にヤ)

にして分らんことにいたしたのぢゃ、

タマなくなって

その上に上下、下ひっくり返ってゐると申してあらうがな、

分りたか。

 

八月十一日、ひつ九のΘ。

 

 

l三(ウミ)の巻、第九帖(五〇一)

 

マコトの改心は愈々とならねば出来んものぢゃが、

出来んことも無理もきかねば この峠越せんこともあるのざぞ。

 

天も近うなるぞ、地も近うなるぞ、

田舎に都、都に田舎が出来ると申してあろが、

も少し人民に判りて来んと、

今びっくり箱をあけたら助かる人民一分もないぞ、

早う知らしてくれよ。

 

神せけるなれど人民中々云ふこと聞かんから物事おそくなるばかり、

おそくなれば益々苦しむばかりぞ。

 

色はにほへど散るものぞ、

世の乱れ神界のいろからであるぞ、気つけておくぞ。

 

日の本(もと)の国を取らうとしても何とだましても、

御先祖様には何も彼も世の元からの仕組してこの事判ってゐるのであるから、

悪のやり方よ、早う善にまつろへよ、

まつろへば悪も善の花咲くのぢゃぞ。

 

八月二十三日、一二Θ神示(ふで)。

 

 

491>500

ア火ハ(アホバ)の巻、第二十二帖(四九一)

 

己の知では分らん、

大神様とはアベコベのこと考へてゐては逆さばかりぢゃ、

神示よく読んで誠の仕組仕へ奉れよ。

 

壁に耳あり、天井に目あり、道は一筋と申してあろ、

人民と云ふ者はアレコレと沢山に目に見せては迷ふものざから、

一つづつ目にもの見せて目標作って、

それで引張ってやりて下されよ、

一度に沢山見せたり教へたりしては迷ひ生む許りぢゃ、

役員殿 気付けてくれよ。

 

この道開けてくると敵が段々多くなって来るぞ、

敵結構ぞ、敵尊べよ、敵に親切せよ、何れも神の働きぞ、

敵も御役、悪も御役ぞ、敵ふへて来ると力出て来るぞ、

神の仕組一切。

 

八月十一日、ひつ九Θ。

 

 

l三(ウミ)の巻、第八帖(五〇〇)

 

折角 神が与えたおかげも今の人民では荷が重いから

途中で倒れん様に神示を杖として下されよ、

イキ切れん様になされよ。

 

一つでも半分でも神の御用つとめたらつとめ徳ざぞ、

何と申しても神程たよりになるものはないと判らんのか、

おかげ取り徳。

 

破れるは内からぞ、外からはビクとも致さんぞ。

 

天では月の大神様、ミ、ヤ、カ、ラ、ス、出て来るぞ、

始末よくして下されよ、

始末よく出来れば何事も楽になって来るぞ、

火のタキ方から水の汲み方まで変るのであるぞ、

大切なことであるぞ。

 

うそはちっとも申されん、この神示通りに出て来るのぢゃ、

先の先の先まで見通しつかん様な事では、

こんなタンカは切れんのざぞ、

おかげは其の心通りに与へてあるでないか。

 

下の神が上の神の名をかたりて来ることあるぞ、

それが見分けられん様では取違ひとなるぞ、

十人位は神示がそらで云へる人をつくっておかねばならんぞ。

 

八月二十三日、一二Θ。

 

 

492>499

ア火ハ(アホバ)の巻、第二十三帖(四九二)

 

かねて見してある弥栄祈願(やさかきがん)せよ、

やさかきがん、やさかきがん、やさかきがん、

やさ火(か)き火(か)ん、やさ水(か)き水(か)ん、

火と水の御恩、弥栄きがん、やさかのまつりぞ、

やさかまつりの秘訣(ひけつ)火水(ひみつ)は知らしてあらう。

 

神示よく読めよ。

これからの神示は「ひふみ」と申せよ。

 

弥栄。弥栄。

 

二六五曰曰一二五七三二八一六七一二三〇〇〇曰一三三三一六六六七二六八五二一七六六六三三〇〇〇八〇二八八一三三五二曰八二六一二三八八五五曰曰百千一二一二三曰五六七八九十百千卍ア火八の〇キ九🌀〇て八がつの十二にち。

 

ひつ九のΘ―🌀🌀 。

 

ア火ハの巻これまで。

 

八月十二日、ひつ九のΘ。

(ア火ハ(アホバ)の巻了)

 

 

l三(ウミ)の巻、第七帖(四九九)

 

今度は先づ心の建直しぢゃ、

どうしたら建直るかと云ふこと、この神示読んで覚りて下されよ、

今度は悪をのうにするのぢゃ、

のうにするは善で抱き参らすことぢゃ、

なくすることでないぞ、亡ぼすことでないぞ、

このところが肝腎のところぢゃから、

よく心にしめて居りて下されよ。

 

この世は一つの神で治めんことには治まらんぞ、

ゝでくくるのぢゃぞ、

人民の力だけでは治まらんのぢゃぞ、

一つの教となってそれぞれの枝葉が出て来るのぢゃ、

今では枝から根が出て大切なミキがなくなって居るのぢゃぞ、

中つ代からの神では何も出来んと申してあろがな、

神と人と一つになって一つの王となるのぢゃ、

上下揃ふて一つになるのぢゃ、善も悪もあななひて、

一つの新しき善となるのぢゃ、王となるのぢゃぞ。

 

八月二十三日、一二Θ。

 

 

493>498

l三(ウミ)の巻、第一帖(四九三)

 

海の巻 書きしらすぞ、

五つに咲いた桜花、五つに咲いた梅の花

皆始めは結構であったが段々と時経るに従って役員が集まって

ワヤにいたしたのぢゃ、

気の毒ぞ、神の名汚しておるぞ。

 

大日月と現はれたら、

何かの事キビシクなって来て、

建替の守護と建直の守護に廻るから、その覚悟よいか。

 

間違った心で信心すれば、信心せんより、

も一つキビシクえらい事がみちはじめみつようになるぞ。

 

今に此処の悪口申してふれ歩く人出て来るぞ、

悪口云われだしたら結構近づいたのざと申してあろ、

悪口は悪の白旗ざぞ。

 

飛んで来て上にとまってゐる小鳥、風吹く度にびくびくぢゃ、

大嵐来ん前にねぐらに帰って下されよ、大嵐 目の前。

 

此処は先づ苦労、その苦労に勝ちたら、

己に克ちたら魂磨けるぞ、

段々と楽になって嬉し嬉しとなるぞ、

結構な仕組、知らしたら邪魔入るなり、

知らさんので判らんなり、心でとりてくれよ、

世界の民の会なせばなる、なさねば後悔ぞ。

 

八月十三日、一二Θ。

 

 

l三(ウミ)の巻、第六帖(四九八)

 

いくら利巧でも今迄の人間心では神の仕組は分らんぞ、

帰るに帰れず、他を探しても根本のマコトを伝へる所はなし、

泣く泣くつらい思ひせねばならんぞ、

くどう気つけてゐるのざぞ、

慢心取違ひの鼻高さん、路頭に立たねばならんぞ。

 

一二四、結構な日に生れたのぢゃ、

この日に生れた仕事は皆よくなるぞ、

この神示よく読んでくれたら何を申さんでも、

何を聞かんでも、よいことになるのであるぞ、

戦や天災では人の心は直らんと申してあろが、

今迄のどんなやり方でも人の心は直らんぞ、心得なされよ。

 

八月二十三日、一二Θ。

 

 

494>497

l三(ウミ)の巻、第二帖(四九四)

 

権小道師から上は神の帖面につくのであるぞ、参道は仮ぞ。

 

合せて四十九かへミタマ六参道仮ざからそのつもり結構ぞ。

 

一帖、三十帖、二帖、二十九帖と云ふ風に読み直して下されよ、

三十帖一切りとして上下まぜまぜにして上下ひっくり返して読み直してくれよ。

 

火の守護から水の守護に変って居るのであるから、

水の蔭には火、火の蔭には水ぞ、この事忘れるなよ、

この中には化物ゐるのざぞ、

化物に化かされん様におかげ落さん様に致して下されよ、

神くどう気付けおくぞ。

 

八月十四日、ひつ九のΘ。

 

 

l三(ウミ)の巻、第五帖(四九七)

 

今日(こんにち)までの御教は、

悪を殺せば善ばかり、輝く御代が来ると云ふ、

これが悪魔の御教(みおしへ)ぞ、

この御教に人民は、すっかりだまされ悪殺す、ことが正しきことなりと、

信ぜしことのおろかさよ、

三千年の昔から、幾千万の人々が、

悪を殺して人類の、平和を求め願ひしも、

それははかなき水の泡、

悪殺しても殺しても、

焼いても煮てもしゃぶっても、

悪は益々ふへるのみ、

悪殺すてふ其のことが、

悪そのものと知らざるや、

神の心は弥栄ぞ、

本来 悪も善もなし、只み光の栄ゆのみ、

八股おろちも金毛も、ジャキも皆それ生ける神、

神の光の生みしもの、

悪抱きませ善も抱き、あななふ所に御力の、輝く時ぞ来るなり、

善いさかへば悪なるぞ、

善悪不二と云ひながら、悪と善とを区別して、導く教ぞ悪なるぞ、

只御光の其の中に、喜び迎へ善もなく、悪もあらざる天国ぞ、

皆一筋の大神の、働きなるぞ悪はなし、

世界一家の大業は、地の上ばかりでなどかなる、三千世界大和して、

只御光に生きよかし、

生れ赤児となりなりて、光の神の説き給ふ、誠の道をすすめかし、

マコトの道に弥栄ませ。

 

八月十五日、Θのひつ九のΘしるす。

 

言答(いわと)明けたる今日ぞ目出度し、二の言答(いわと)早よう明けてよ。

 

 

495>496

l三(ウミ)の巻、第三帖(四九五)

 

今迄は神様も別れ別れで勝手にしてゐたのであるから、

神様の申された事にも間違ひとなることあったのぢゃ、

今でも神様はウソを申されんのであるが、

和合なく離れ離れであったから、

自分の目で届くグルリは、自分の力の中では誠であっても、

広い世界へ出すと間違ったことになってゐたのぢゃ、

神のお示しが違ったと申して其の神様を悪く申すでないぞ、

今の上に立つ人も同様ざぞ、心得なされよ。

 

今度は愈々一致和合して、大神様の仕組結構が相判り来て、

大日月の神となりなされて現はれなさるのぢゃ。

 

判りたか、雨結構、風結構、岩結構、荒結構、地震結構。

 

八月十四日、ひつくのかミ。

 

 

l三(ウミ)の巻、第四帖(四九六)

 

出てきてから又同じ様なこと繰り返すぞ、

今度は魂抜けてゐるからグニャグニャぞ、

グニャグニャ細工しか出来んぞ、

それに迷ふでないぞ。

 

神示が肚に入って血になると、

何が起って来ても結構であるが、

始の内は、ちょっとの事で迷いの雲が出て悪のとりことなって苦しむぞ、

悪はないのであるが、

無い悪を人民の心から生むのざぞ、

悪のとりことなって苦しむが見へてゐるから、

苦も結構なれど いらん苦はいらんぞ、

神示よく読んで苦を楽とせよ、楽は喜びぞ、

苦のハタラキが楽ぞ、

楽は喜びぞ、光ぞ、神人共のまつりぞ、

楽で岩戸開けるぞ、

苦しんで開く岩戸は誠の岩戸でないぞ。

 

八月十四日、ひつくのかミ。

 

 

 

まぜまぜ 四五一~四八〇

ひふみ神示 まぜまぜの第四五一帖~第四八〇帖

 

 

第二十巻 ん👁(ウメ)の巻

全廿八帖・通し番号(四二八)~(四五五)のうち(四五一)~(四五五)

自  昭和二十一年 九月二十八日

至  昭和二十一年十二月 十四日

 

 

第二十一巻 三🌀(ソラ)の巻

全十四帖・通し番号(四五六)~(四六九)のうち(四五六)~(四六九)

自  昭和二十二年 一月 一日

至  昭和二十二年 四月 五日

 

 

第二十二巻 ア火ハ(アホバ)の巻

全廿三帖・通し番号(四七〇)~(四九二)のうち(四七〇)~(四八〇)

自  昭和二十二年 一月二十六日

至  昭和二十二年 八月 十二日

 

 

 

451>480

👁(ウメ)の巻、第二十四帖(四五一)

 

待てるだけ待ってゐるが世をつぶすわけには行かん、

人民も磨けば神に御意見される程に身魂に依ってはなれるのざぞ、

地(くに)の日月の神と栄えるのざぞ、

何より身魂磨き結構。

 

人気の悪い所程メグリあるのざぞ、

日本のやり方違って居たと云ふこと、

五度違ったと云ふ事判って来ねば、

日本の光出ないぞ。

 

表面(うわべ)飾るな。

 

コトもかめばかむ程味出て来るのが磨けた身魂。

 

中味よくなって来ると表面飾らいでも光出て来るぞ。

 

これまでの日本のやり方悪いから、

神が時々、神がかりて知らしてやったであらうが、

気付けてやったが気の付く臣民ほとんどないから、

今度五度の岩戸一度に開いてびっくり箱開いて、

天晴れ神々様に御目にかけ申すぞ、

お喜び載くのぢゃ。

 

神示通り出て来ても、まだ判らんか。

 

神示は神の息吹きぢゃ。

 

心ぢゃ。

 

口上手身振り上手で誠ない者この方嫌ひぢゃぞ。

 

とどめΘ(かみ)なり。

 

先見へるぞ、先見んのは途中からの神ぢゃ。

 

十二月十四日、ひつ九のかミしるΘ。

 

 

ア火ハ(アホバ)の巻、第十一帖(四八〇)

 

世界一目に見へるとは世界一度に見へる心に鏡磨いて掃除せよと云ふ事ぢゃ、

掃除結構ぞ。

 

善と悪と取違ひ申してあらうがな、

悪も善もないと申してあらうがな、

和すが善ざぞ、

乱すが悪ざぞ、

働くには乱すこともあるぞ、

働かねば育てては行けんなり、

気ゆるんだらすぐ後戻りとなるぞ、

坂に車のたとへぞと申してあろがな、

苦しむ時は苦しめよ、

苦の花咲くぞ。

 

世は七度の大変り、

変る代かけて変らぬは、

誠一つの九(こ)の花ぞ、

九(こ)の花咲くは二三(ふみ)の山、

二二(ふじ)は神山神住む所、

やがて世界の真中ぞ。

 

八月三日、ひつ九のΘ。

 

 

452>479

👁(ウメ)の巻、第二十五帖(四五二)

 

神のそばに引き寄せても、実地に見せても、

我が強いから中々に改心致さん臣民ばかり、

少しは神の心察して見るがよいぞ。

 

気の毒出来るから、少しは神の身にもなってみるものぢゃ、

此の儘では気の毒なことになるから、

早う守護神、節分迄に早う祀りくれよ、

何事もキリキリキリと云ふ事あるぞ。

 

世治めるは 九(こ)の花咲耶姫様なり。

 

十二月十四日、一二Θ。

 

 

ア火ハ(アホバ)の巻、第十帖(四七九)

 

よき神にはよき御用、

悪き神には悪き御用、

自分で自分がつとめあげるのぢゃ、

人になんと云はれても腹の立つ様では御用六ヶ敷いぞ、

腹立つのは慢心ぢゃと申してあろがな。

 

仕組途中でグレンと変り、

カラリと変る仕組してあるのぢゃ、

其処に一厘の仕組、

火水の仕組、

富士と鳴門の仕組、

結構々々大切致してあるのぢゃ。

 

仕組変り変りて人民には判らんなり、

よき世と致すのぢゃ、

いくら智あっても人間心では出来ん仕組ぞ、

智捨てて神にすがりて来ねば分らん仕組ぢゃ、

と云ふて人間世界は人間の智いるのぢゃ、

智でない智を神が与へるぞ、

神人共にと申してあろがな、

つとめ上げたら他にない結構な御用。

 

八月三日、ひつ九Θ。

 

 

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👁(ウメ)の巻、第二十六帖(四五三)

 

金(きん)では治まらん、

悪神の悪では治まらん、

ここまで申してもまだ判らんか、

金では治まらん、

悪の総大将も其の事知って居て、金で、きんで世をつぶす計画ざぞ、

判ってゐる守護神殿 早う改心結構ぞ、

元の大神様に御無礼してゐるから病神に魅入られてゐるのぢゃぞ、

洗濯すれば治るぞ、

病神は恐くて這入って来られんのぢゃぞ、

家も国も同様ざぞ。

 

神示幾らでも説けるなれど誠一つで説いて行(おこな)って下されよ、

口で説くばかりではどうにもならん、

魂なくなってはならん。

 

十二月十四日、ひつ九のかミ。

 

 

ア火ハ(アホバ)の巻、第九帖(四七八)

 

苦労いたさねば誠分らんなり、

人民と云ふ者は苦に弱いから、中々におかげのやり様ないぞよ、

欲出すから、心曇るから、

我よしになるから中々に改心出来んなり、

六ヶ敷いぞよ。

 

慾さっぱり捨てて下されよ、

慾出ると判らなくなるぞ。

 

大地の神の声 誰も知るまいがな、

だまって静かにまつりて清めて、育ててゐるのざぞ、

何もかも大地にかへるのざぞ、

親のふところに返るのざぞ。

 

次々に不思議出て来るぞ、

不思議なくなりたら神の国

ミロクの国となるのぢゃ。

 

八月三日、ひつ九Θ。

 

 

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👁(ウメ)の巻、第二十七帖(四五四)

 

苦しむと曲るぞ、楽しむと伸びるぞ、

此の方 苦しむこと嫌ひぢゃ、苦を楽しみて下されよ。

 

此の方に敵とう御力の神、いくらでも早う出て御座れ、

敵とう神 此の方の御用に使ふぞ、天晴れ御礼申すぞ。

 

世界のどんな偉い人でも、此の方に頭下げて来ねば今度の岩戸開けんぞ、

早う神示読んで神の心汲み取って、ミロクの世の礎 早う固めくれよ。

 

算盤のケタ違ふ算盤でいくらはじいても出来はせんぞ、

素直にいたしてついて御座れ、

見事 光の岸につれて参って喜ばしてやるぞ。

 

十二月十四日、ひつ九のかミ。

 

 

ア火ハ(アホバ)の巻、第八帖(四七七)

 

時節には従って下されよ、

逆らはず、後の立つ様致されよ、

後のやり方、神示で知らしてあろがな。

 

国々所々によって同じ集団(まどゐ)いくらでもつくりあるのぢゃ、

何れも我(が)折って一つに集まる仕組ぢゃ、

天狗禁物、いづれもそれぞれに尊い仕組ぞ、

又とない集団(まどひ)ざぞ。

 

神の心告げる手だても各々違ふのぢゃ、

心大きく早う洗濯致されよ、

とらわれるなよ、

とらわれると悪となるぞ。

 

一旦治るなれど、後はコンニャクぢゃ、

判らん仕組、判らなならんのぢゃぞ、

悪とは我(われ)よしのこと。

 

八月二日、ひつ九Θ。

 

 

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👁(ウメ)の巻、第二十八帖(四五五)

 

十二の流れ、六の流れとなり、三つの流れとなり、

二となり一と成り鳴りて、一つになり、

一つの王で治めるのぢゃぞ、

弥栄の仕組、普字と成答の仕組、いよいよとなったぞ。

 

あな嬉し、あなすがすがし普字は晴れたり日本晴れ。

 

此の巻 ん👁(ウメ) の巻と申せよ、

後の世の宝と栄へるぞ。

 

十二月十四日、一二Θ。

(ん👁(ウメ) の巻了)

 

 

ア火ハ(アホバ)の巻、第七帖(四七六)

 

いやな事は我が血統に致さすなり、

他人傷つけてはならんなり、

ひふみにも二十🌀(ふとまに)、五十🌀(いづら)、

いろはにも二十🌀(ふとまに)、五十🌀(いづら)、

よく心得なされよ。

 

何彼の事ひふみ、いろはでやり変へるのぢゃ、

時節めぐりて上も下も花咲くのぢゃぞ。

 

誰によらず改心せなならんぞ、

この方さへ改心致したおかげで今度の御働き出来るのぢゃ、

同じこと二度くり返す仕組ざぞ、

この事よく腹に入れておいて下されよ。

 

同じこと二度、この神示 神と仏のふで。

 

八月二日、一二Θ。

 

 

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🌀(ソラ)の巻、第一帖(四五六)

 

なる世、極まりて扶桑みやこぞ、みち足り足りて、

万世のはじめ、息吹き、動き和し、弥栄へ、

展き、睦び、結ぶ、扶桑の道 鳴りはじむ道、代々の道ひらき、

次に睦び、マコトの道にひかり極む、新しき世、出で、みちつづぎ、道つづき、

極みに極まりなる大道、極まる神の大道、

ひらく世、弥栄神、かく、千木高く栄ゆ世に、世かわるぞ、

太神、大神、神出でまして、道弥栄極む、

大道に神みち、極み、栄え、更に極む、

元津日の大神、元津月の大神、元津地(くに)の大神弥栄。

 

一月一日、ひつくのかみ。

 

 

ア火ハ(アホバ)の巻、第六帖(四七五)

 

へんな人が表に出るぞ、出たら気付けよ。

 

この道開くには誠ぢゃ、

誠とは嘉事(よごと)ぢゃ、

仕事ぢゃ、まつりぢゃ、あなないぢゃ、

〆松ぢゃ、むすびぢゃ。

 

わけへだては人間心、

何が何だか判らん内に時節めぐりて元に返るぞ、

神に分けへだてなし、

皆一様にするぞ、

お蔭やるぞ、病治してやるぞ、

小さい事、大きい事、皆それぞれに御役勇んで仕へまつれよ、

分け隔てと云ふ事なく一致和合して神に仕へまつれよ、

和合せねば誠のおかげないぞ。

 

先づ自分と自分と和合せよ、それが和合の第一歩、

アメツチ心ぢゃぞ、すべてはそこから生れ来るものなのぞ。

 

八月ぐらぐら。

 

八月二日、ひつ九のΘ。

 

 

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🌀(ソラ)の巻、第二帖(四五七)

 

ひふみゆらゆらと一回二回三回となへまつれよ、

蘇(よみがえへ)るぞ。

 

次に人は道真中にしてワとなり、

皆の者 集まりてお互に拝み、

中心にまつりまつり結構ぞ、

節分からでよいぞ。

 

このお道の導きの親 尊べよ、

どんな事あっても上に立てねばならんぞ、

順乱しては神の働きないと申してあろがな。

 

直会(なほらい)には神の座 上につくらなならんのざぞ、

神人共にと申してあろがな、末だ判らんのか、

順正しく礼儀正しく神にも人にも仕へまつれよ。

 

たばねの神は、束(たばね)の人は後からぢゃ、

後から出るぞ。

 

一月一日、一二Θ。

 

 

ア火ハ(アホバ)の巻、第五帖(四七四)

 

仕事、嘉事(よごと)と申してあろがな、

仕事マツリざぞ、

自分の仕事おろそかならんのざぞ、

仕事せよ、仕事仕へまつれと申してあろが、

ひかり教会の本部 元へ移してもよいぞ、

天明 表へ出てもよいぞ。

 

愈々ぞ、皆に早う伝へて呉れよ、マツリ結構。

 

七月三十一日、一二Θ。

 

 

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🌀(ソラ)の巻、第三帖(四五八)

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ひふみ四十九柱、五十九柱、神代の元ざぞ。

 

あめつち御中ムしの神、

あめつち御中ムしの神、

あめつちの御中ムしの神、

あめつち御中ウしの神、

あめつち御中ウしの神、

あめつち御中あめつち御中ウしの神、

あめつち御中あめつち御中ウしの神、

あめつち御中ウしの神、

あめつち御中ウしの神、

あめつち御中あめつち御中天地(アメツチ)御中ムしの神、

天地(アメツチ)御中ヌしの神。

 

天地(アメツチ)のはじめ。

 

一月三日、一二 。

 

 

ア火ハ(アホバ)の巻、第四帖(四七三)

 

三千年(みちとし)の不二は晴れたり、言答(イワト)あけたり。

 

実地ざぞ、遣り直し出来んのざぞ。

 

早う足場つくれと申してあろがな、

三千の足場つくったら神の光出ると申してあらうがな、

足場つくれよ、アジヤ足場ぞ。

 

足場なくては何も出来ん道理 人間にも判らうがな、

何より足場第一ざぞ、

世界の民の会二人でやれよ、一人でしてならんぞ、

くどう気つけあらうがな。

 

あなさやけ、あなすがすがし。

 

六月十日、ひつ九Θ。

 

 

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🌀(ソラ)の巻、第四帖(四五九)

 

建直しの道つづき、結び、展く、

日月出で、よろづのもの、一二三(ひふみ)とみち、

つづき鳴り成り、ひらく大道、

真理の出でそむ中心に、マコト動きて、元津神 栄ゆ、

元津神は真理、真愛、大歓喜の大道ぞ、

うづぞ、神々のうづぞ、ナルトぞ、

人のよろこびぞ、代々の大道ぞ、

真理、真愛、大歓喜は、中心にひかり、

ひらき極まる道ぞ、展き極まる世ぞ、

鳴り極み、ひらき、うごく大道、

うごき、和し、なり、大歓喜

足りに足り足る世、生れ出づる世、うごき更にひらき、

次々に栄え極みて、

新しきはたらきの湧く次の大御代の六合つづく道、

つづき睦びて、富士晴れ極み、鳴門は殊にひかり出でて、

大道は日神の中心にかへり、

亦出でて、ひらき、

大道いよいよ満つ、焼く神々、早くせよ。

 

一月六日、一二Θ。

 

 

ア火ハ(アホバ)の巻、第三帖(四七二)

 

ひかり教の教旨 書き知らすぞ、

人民その時、所に通用する様にして説いて知らせよ。

 

教旨

 

天地(てんち)不二、神人合一。

 

天(あめ)は地(つち)なり、

地(つち)は天(あめ)なり、

不二(ふじ)なり、

アメツチなり、

神は人なり、

人は神なり、

一体なり、

神人なり。

 

神、幽、現、を通じ、過、現、末、を一貫して神と人との大和合、

霊界と現界との大和合をなし、

現、幽、神、一体大和楽の光の国実現を以って教旨とせよ。

 

次に信者の実践のこと書き知らすぞ。

 

三大実践主義

 

弥栄実践

祓実践

Θ(まつり)実践

 

大宇宙の弥栄生成化育は寸時も休むことなく進められてゐるのざぞ、

弥栄が神の御意志ざぞ、神の働きざぞ、弥栄は実践ざぞ。

 

人としては其の刹那々々に弥栄を思ひ、

弥栄を実践して行かねばならんのざぞ。

 

宇宙の総てはΘとなってゐるのざぞ、

どんな大きな世界でも、どんな小さい世界でも、

悉く中心に統一せられてゐるのざぞ。

 

マツリせる者を善と云ひ、それに反する者を悪と云ふのざぞ、

人々のことごとマツリ合はすはもとより、

神、幽、現、の大和実践して行かねばならんのざぞ。

 

天地(あめつち)の大祓ひと呼応して

国の潔斎、人の潔斎、祓ひ清めせねばならんのざぞ、

与へられた使命を果たすには潔斎せねばならんのざぞ。

 

かへりみる、はぢる、くゆる、おそる、さとる、

の五つのはたらきを正しく発揮して、

みそぎ祓を実践せねばならんのであるぞ。

 

役員よきにして今の世に、よき様に説いて聞かして、

先づ七七、四十九人、三百四十三人、二千四百〇一人の信者早うつくれよ、

信者は光ぞ、それが出来たら足場出来るのざぞ。

 

産土の神様 祀りたら、信者出来たら、国魂の神様 祀れよ、

次に大国魂の神様 祀れよ、世光来るぞ。

 

五月十二日、ひつ九のかミ。

 

 

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🌀(ソラ)の巻、第五帖(四六〇)

 

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ア火ハ(アホバ)の巻、第二帖(四七一)

 

玉串として自分の肉体の清い所 供へ奉れよ、

髪を切って息吹きて祓ひて紙に包んで供へまつれよ、

玉串は自分捧げるのざと申してあろがな。

 

お供への始めはムとせよ、ムはウざぞ、

誠のキ供へるのざぞ、餅は三つ重ねよ、

天地人一体ざと申してあろがな。

 

御神前ばかり清めても誠成就せんぞ、

家の中 皆 御神前ぞ、

九二中 皆 御神前ざぞ、判りたか。

 

夜寝る前に守護神の弥栄ほめよ、

いたらざる自分悔いよ、

修業出来た信者の守りの神 道場に祀れよ、

万霊道場に祀れよ、役員の守りの神は本部に祀れよ、

神々様 本部に祀れよ。

 

外国とは幽界の事ぞ、

外国と手握るとは幽界と手握る事ざぞよ。

 

五月十二日、ひつ九のかミ。

 

 

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🌀(ソラ)の巻、第六帖(四六一)

 

天(アメ)之ひつ九Θ守る。

天之ひつ九Θ守る。

九二のひつ九Θ守る。

九二のひつ九Θ守る。

アメの神、カチのΘ、ゆわの神、ア🌀の神守る。

 

天明白す。第五、第六帖共、一月六日の神示)

 

 

ア火ハ(アホバ)の巻、第一帖(四七〇)

 

音秘会(おとひめかい)には別に神祀らいでもよいぞ、

光の大神様 斎き祀り結構いたしくれよ、

皆に音秘様の分霊(わけみたま)さずけとらすぞ。

 

お守り、さずけとらすぞ、

光の大神様の信者には御神名さずけとらせよ、

役員には御神石まつりくれよ、

光の大神様の日々の御給仕には十(とう)のカワラケにて供へまつれよ。

 

役員七つに分けよ、

大道師、権大道師、中道師、権中道師、小道師、権小道師、参道の七段階ぞ、

中道師から上は神人共ざぞ。

 

世界の民の会は三千世界に拝み合ふのざぞ、

何事も神まつり第一ざと申してあろがな。

 

大き器持ちて御座れよ、小さい心では見当とれんことになるぞ。

 

慢心取違いポキンぞ。

 

ミタマ何時でも変るのざぞ、

次々に偉い人出て来るから神示よく読んでグングン行って進めよ、

行ふ所 神現はれるぞ、

光の道 弥栄ぞ、なせばなるのざぞ、

人民どんどん行はなならんのざぞ、

この神示から、ひかり教会から世に出せよ、

この巻「ア火ハ(アオバ)の巻」、

前の巻は「三🌀(ソラ)の巻」とせよ。

 

四月二十六日、ひつ九のかミ。

 

 

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🌀(ソラ)の巻、第七帖(四六二)

 

これだけ細かに神示で知らしても未だ判らんか、

我があるからぞ、曇りてゐるからぞ、

先づ己の仕事せよ、五人分も十人分もせい出せと申してあろ、

五人分仕事すれば判りて来るぞ、

仕事とはよごとであるぞ、

仕事せよ、仕事仕へまつれよ、

それが神の御用ざぞ。

 

神の御用ざと申して仕事休んで狂人(きちがい)のまねに落ちるでないぞ、

静かに一歩々々進めよ、急がば廻れよ、

一足飛びに二階にはあがれんぞ、

今の仕事悪いと知りつつするは尚悪いぞ、

四五十(しごと)、四五十と神に祈れよ、

祈れば四五十与えられるぞ、

祈れ祈れとくどう申してあろが、

よき心よき仕事生むぞ、嘉事(よごと)うむぞ、

この道理まだ判らんのか、神にくどう申さすでないぞ。

 

大智大理交はり、道はあきらか、

大愛、大真出でひらく道、

ひらきて大智、大愛、和し、交はりて、

ひふみの極み、弥栄、弥栄の大道ぞ。

 

一月十三日、ひつ九Θ。

 

 

🌀(ソラ)の巻、第十四帖(四六九)

 

御光(みひかり)の輝く御代となりにけり、

嬉し嬉しの言答(一八十)明けたり。

 

あなさやけ、三千年の夜は明けて、

人、神、となる秋(とき)は来にけり。

 

日月(一二)大神、キリスト大神、

シャカ大神、マホメット大神、

黒住大神、天理大神、

金光大神、大本大神、

老子大神、孔子大神、

総て十柱の大神は、光の大神として斎き祀り結構致しくれよ、

二二晴れるぞ、一八十開けるぞ。

 

御神名書かすぞ、

ひかり教会のりとは、

ひかりの大神、弥栄ましませ弥栄ましませ、

ひかりの大神守り給へ、幸へ給へと、申せよ。

 

弥栄弥栄(やさかいやさか)。

 

四月五日、ひつくのかみ。

(三🌀(ソラ)の巻了)

 

 

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🌀(ソラ)の巻、第八帖(四六三)

 

衣類、食物に困った時は竜宮の音秘(オトヒメ)様にお願ひ申せよ。

 

五柱の生神様にお願ひ申せば災難のがらせて下さるぞ、

ゆわ、あれ、地震、風、雨、の神様なり、

いろはに泣く時来るぞ、いろは四十八ぞ、四十九ぞ。

 

神示はその時の心にとりて違はん、

磨けただけにとれて違はんのであるから、

我の心通りにとれるのであるから、

同じ神示が同じ神示でないのざぞ。

 

悪の世が廻りて来た時には、

悪の御用する身魂をつくりておかねば、

善では動きとれんのざぞ、

悪も元ただせば善であるぞ、

その働きの御用が悪であるぞ、

御苦労の御役であるから、悪憎むでないぞ、

憎むと善でなくなるぞ、天地にごりて来るぞ、

世界一つに成った時は憎むこと先づさらりと捨てねばならんのぞ、

この道理 腹の底から判りて、ガッテンガッテンして下されよ。

 

三月三日、ひつ九のか三。

 

 

🌀(ソラ)の巻、第十三帖(四六八)

 

我が勝手に解訳してお話して神の名汚さん様にしてくれよ、

曇りた心で伝へると、曇りて来る位 判って居ろがな、

神示通りに説けと申してあろが、忘れてならんぞ。

 

履物も今に変って来るぞ、

元に返すには元の元のキのマヂリキのない身魂と入れ替へせねばならんのぢゃ、

ゝ(タマ)が違って居るから世界中輪になっても成就せん道理分るであろがな、

一度申した事はいつまでも守る身魂でないと、

途中でグレングレンと変る様では御用つとまらんぞ、

人力屋、酒屋、料理屋、芸妓(げいこ)屋、娼妓(しょうぎ)、

無く致すぞ、世つぶす基(もと)ざぞ、

菓子、饅頭も要らんぞ、煙草もくせぞ、

よき世になったら別の酒、煙草、菓子、饅頭出来るぞ、

勝手に造ってよいのざぞ、それ商売にはさせんぞ。

 

 

旧五月五日からの礼拝の仕方書き知らすぞ。

朝は大神様には一拝、二拝、三拝、八拍手。

「ひふみゆらゆら、ひふみゆらゆら 々々 、ひふみゆらゆら 々々 々々 。」

ひふみ祝詞のりてから、

「御三体の大神様 弥栄(やさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ、

天之日月の大神様 弥栄ましませ弥栄ましませ、

地の日月の大神様 弥栄ましませ弥栄ましませ」

 

八拍手

 

「御三体の大神様」七回のれよ。

終りて大神様のキ頂けよ、

八拍手一拝二拝三拝せよ。

 

夜は同じ様にしてひふみ祝詞の代りにいろは祝詞のれよ。

三五七に切りて手打ち乍ら ひふみ祝詞と同じ様にのりて結構ぞ。

 

昼は大地に祈れよ、黙祷せよ。

 

時に依り所によりて、暫し黙祷せよ、

お土の息 頂けよ、

出来れば、はだしになってお土の上に立ちて目をつむりて足にて呼吸せよ、

一回、二回、三回せよ。

 

神々様には二拝四拍手。

 

「ひふみゆらゆら、 々々 々々 、 々々 々々 々々 。」

天(あめ)の数歌 三回唱へ。

「神々様 弥栄ましませ弥栄ましませ」とのりて四拍手せよ。

 

誓は時に依りてよきにせよ。

 

霊の宮には一拝、二拍手、天の数歌一回

「弥栄ましませ弥栄ましませ」二拍手、一拝。

でよいぞ、ひふみゆらゆら いらんぞ、

誓(ちかい)はその時々に依りてよきにせよ。

 

各々の先祖さんには今迄の祝詞でよいぞ。

 

当分これで変らんから印刷してよく判る様にして皆の者に分けて取らせよ、

弥栄に拝みまつれよ。

 

三月三日、ひつ九のΘしるす。

 

 

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🌀(ソラ)の巻、第九帖(四六四)

 

ミロク世に出づには神の人民お手柄致さなならんぞ、

お手柄 結構々々、神の人民 世界中に居るぞ。

 

この中に早くから来てゐて何も知りませんとは云はれん時来るぞ、

神示よく読んでゐて呉れよ。

 

時来たら説き出せよ、潮満ちてゐるぞ、潮時誤るなよ。

 

 

早う目覚めんと、別の御用に廻らなならんぞ、

ウシトラコンジン様、何事も聞き下さるぞ、

誠もってお願ひせよ、

聞かん事は聞かんぞ、聞かれる事は聞いてやるぞ。

 

神、仏、キリスト、ことごとく人民の世話もしてやるぞ。

 

時節到来してゐるに未だ気付かんか、

人民の物と云ふ物は何一つないのざぞ、

未だ金や学で行けると思ふてゐるのか、

愈々の蓋あいてゐるに未だ判らんか。

 

奥山に参りて来ねば判らんことになって来るぞ。

 

奥山、おく山ぞ、同じ奥山が、その時々により変って来るぞ、

身魂磨けば磨いただけ光りできておかげあるぞ、この道理判るであろがな。

 

三月三日、ひつ九のかミしるすぞ。

 

 

🌀(ソラ)の巻、第十二帖(四六七)

 

学の鼻高さん何も出来んことになるぞ、

今に世界から正真(しょうまつ)が段々判り来て、

あわてても間に合はんことになるぞ、

今の内に神示よく肚に入れておけよ、

この道には色々と神の試(ためし)あるから漫心するとすぐひっくり返るぞ、

考へでは判らん、素直結構ぞ。

 

日本には五穀、野菜、海、川、いくらも弥栄の食物あるぞ、

人民の食物 間違へるでないぞ、

食い過ぎるから足らんことになるのざぞ、

いくら大切な、因縁の臣民でも仕組の邪魔になると取り替へるぞ、

慢心取違ひ致すなよ、

代へ身魂いくらでもあるぞ。

 

学問の世はすみたぞ、学者は閉口するぞ、

商売の世も済みたから商売人も閉口するぞ、

力仕事は出来んし、

共喰するより他に道ないと申す人民許りになるぞ、

今迄とはさっぱり物事変るから今迄のやり方 考え方 変へて呉れよ、

神示通りに行へば其の日その時から嬉し嬉しざぞ、

此処は落した上にも落しておくから、

世の中の偉い人には中々見当とれんから、

身魂の因縁ある人には成程なあと直ぐ心で判るのぢゃぞ、

九の花咲けば皆よくなるのぞ、九の花中々ぞ。

 

三月三日、ひつ九のかミ。

 

 

465>466

🌀(ソラ)の巻、第十帖(四六五)

 

此の方 悪が可愛いのぢゃ、御苦労ぢゃったぞ、

もう悪の世は済みたぞ、悪の御用 結構であったぞ。

 

早う善に返りて心安く善の御用聞きくれよ。

 

世界から化物出るぞ、この中にも化物出るぞ、

よく見分けてくれよ、取違ひ禁物ぞ。

 

この神示よく見てゐると、いざと云ふ時には役に立つぞ、

肝腎の時に肝腎が成るぞ。

 

元は元、分れは分れ、元と分れ、同じであるぞ、別であるぞ、

それぞれに分れの集団(まどい)つくってよいぞ、

今日働いて今日食はなならん事に皆なりて来るのざから、

その覚悟せよ、

上に立つ番頭殿、下の下まで目届けておらんと、日本つぶれるぞ、

つぶれる前に、そなた達がつぶれるのざぞ、

早う改心して誠の政治仕へまつれよ。

 

いれものキレイにして居りたらこの方がよきに使ふぞ、

今の仕事仕へて居れよ、

神示腹に入れて、あせらず身魂磨き結構々々。

 

今度は世界のみか、三千世界つぶれる所まで行かなならんのざから、

くどう申してゐるのざぞ。

 

三月三日、ひつ九のかミ。

 

 

🌀(ソラ)の巻、第十一帖(四六六)

 

大層が大層でなくなる道が神の道ざぞ、

この道 中行く道、神示読みて早うガテン結構ぞ。

 

行い正しく口静かにしたら神の仕組分るぞ、

因縁ある身魂が、人民では知らん結構を致すぞ。

 

神示読んで、どんな人が来てもその人々に当る所読みて聞かすが一等ざぞ。

 

一分と九分との戦ひぢゃ、

皆九分が強いと思ふてゐるが、

今度の仕組、アフンの仕組ぞ。

 

早呑込 大怪我の基と申すのは我が心通りに写るからぞ。

 

くさい物喰ふ時来たぞ、ほんの暫くぞ、

我慢よくよくせ、よくなるぞ、

分れの集団の一つとして宗教も作れよ、

他の宗教とは違ふヤリ方でないと成就せんぞ。

 

大奥山はその儘ざぞ。

 

別れざぞ、この宗教には教祖は要らんぞ、

教祖は神示ぢゃ、

神示がアと申してあろがな、

ヤ、ワ、ヤ〇(〇の中にヤ)、ワ(〇の中にワ) 要るぞ、

なせばなる、なさねば後悔ぢゃぞ。

 

慎ましうして神に供へてから頂けば日本は日本で食べて行けるのざぞ、

理屈に邪魔されて有る物も無くして食へなくなるのは悪の仕組ぢゃ、

つ千の金神様を金(かね)の神様と申せよ。

 

三月三日、ひつ九のかミ。

 

 

まぜまぜ 四二一~四五〇

ひふみ神示 まぜまぜの第四二一帖~第四五〇帖

 

 

第十九巻 〇つ🌀(マツリ)の巻

全廿三帖・通し番号(四〇五)~(四二七)のうち(四二一)~(四二七)

自  昭和二十一年八月 八 日

至  昭和二十一年八月三十一日

 

 

第二十巻 ん👁(ウメ)の巻

全廿八帖・通し番号(四二八)~(四五五)のうち(四二八)~(四五〇)

自  昭和二十一年 九月二十八日

至  昭和二十一年十二月 十四日

 

 

 

421>450

〇つ🌀(マツリ)の巻、第十七帖(四二一)

 

集団(まどゐ)のアは神示ぢゃ、

ヤとワとは左と右ぢゃ、教左と教右じゃ、

ヤ(〇の中にヤ)とワ(〇の中にワ) はその補(たすけ)ぢゃ、

教左補、教右補ぢゃ、

ヤの補(たすけ)はワ(〇の中にワ)ぢゃ、

ワの補(たすけ)はヤ(〇の中にヤ)ぢゃ、

ア、ヤ、ワ、ヤ(〇の中にヤ)、 ワ(〇の中にワ)、が元ぢゃ、

その下に七人と七人ぢゃ、

正と副ぢゃ、

その下に四十九人ぢゃ、判りたか、集団(まどい)弥栄々々。

 

皆御苦労ながら二の御用手引き合って、天晴れやりて下されよ、

集団(まどい)つくってよいぞ。

 

強くふみ出せよ、くどい様なれど百十(もと)はそのままぢゃぞ。

 

今度の御用は一つの分れの御用ぢゃぞ、

神示よく読むのぢゃぞ、

身魂のしょうらい段々判りて来るぞ、

万民ミタマまつりの御用からかかりて呉れよ、

うつし世のそれの御用、結構ひらけ輝くぞ。

 

八月二十八日、一二Θ。

 

 

👁(ウメ)の巻、第二十三帖(四五〇)

 

これから三年の苦労ぢゃ、一年と半年と半年と一年ぢゃ。

 

手合はして拝むだけでは何にもならんぞ、

拝むとは御用することざぞ、

形体(かたち)だけ出来ても何にもならんぞ、

拝まないのは猶(なお)よくないぞ、

神に遠ざかることぢゃ。

 

此の道、ちっとも心許せんキツイやさしい道ぞ、

泰平の嬉し嬉しの道ざが、

何時も剣の上下に居る心構へ結構ぞ。

 

一の国は一の国の教、

二の国は二の国の教、

三の国は三の国、

四の国は四の国と、それぞれの教あるぞ。

 

道は一つぢゃ、取違ひせん様にせよ。

 

住む家も、食ふ物も違ふのざぞ、まぜこぜならんのぢゃ、

皆々不足なく、それぞれに嬉し嬉しざぞ、

不足ない光の世来るぞ、

早う身魂相当の御用 結構々々ぞ。

 

世 愈々開け行くと人民申しているが、愈々つまって来るぞ、

おそし早しはあるなれど何れは出て来るから

、神示肚に早う入れて置いてくれよ、

神示まだまだ判ってゐないぞ。

 

十二月十四日、ひつ九のかミ。

 

 

422>449

〇つ🌀(マツリ)の巻、第十八帖(四二二)

 

何(ど)の身魂も我(が)の強い身魂ばかり、

よく集まったものぢゃと思ふであろが、

その我の強い者がお互に我を折りて、

解け合って物事成就するのぢゃぞ。

 

旧九月八日迄にすっくりとまつりかへてくれよ。

 

真中に御三体の大神様、御三体の大神様、

天之日月の大神々様、地の日月の大神々様、

雨の神様、風の神様、岩の神様、荒の神様、地震の神様、

弥栄祀り結構ぞ、

其の左に仏、基、マホメットの神様、

世の元からの生神様、百々の神様、産土様、

よきにまつり結構致し呉れよ、

その右に地の日月の神々様、霊(たま)の諸々(もろもろ)の神様

厚く祀り呉れよ。

 

八月二十九日、一二Θ。

 

 

👁(ウメ)の巻、第二十二帖(四四九)

 

まだまだどえらい事出て来て日本の国は愈々つぶれたと云ふ処へなって来るから、

皆が誠の神魂になって来んと誠の神は出ないのざぞ、

誠ある処へ誠の神働くと申してあろが、誠ない処へ働く神は悪神ぢゃぞ、

よう気付けてくれよ。

 

いくら時節来たとて人民に誠ないと気の毒ばかりぢゃ、

気の毒 此の方嫌ひぢゃ。

 

道は神にも曲げられん、竜神は悪神ぢゃと云ふ時来るぞ、心せよ。

 

誠ない者 今に此の方拝む事出来んことになるぞ、

此の方に近よれんのは悪の守護神殿。

 

愈々天の御先祖様と地の御先祖様と御一体に成りなされ、

王の王の神で末代治める基(もとい)つくるぞ、

少しでもまじりけあってはならんのぢゃ、

早う洗濯掃除結構ぞ。

 

御用いくらでもあるぞ、お蔭取り徳ぢゃ。

 

出来るだけ大き器持ちて御座れよ、

皆々欲がチビイぞ、欲が小さいなあ。

 

話すことは放すことじゃ、放すとつかめるぞ。

 

十二月十四日、一二Θ。

 

 

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〇つ🌀(マツリ)の巻、第十九帖(四二三)

 

竜宮の音秘様が神力天晴れぞ、金神殿お手伝ひ。

 

外国では日の出の神様。

 

神界、幽界、現界、見定めて神示読まねば、

表面(うわつら)ばかりでは何もならんぞ、

気つけて結構ぞ。

 

神がもの申す内に聞くものぢゃ、帳面切ったら申さんぞ。

 

悪と学は長うは続かん事、そろそろ判りて来るぞ。

 

八月二十九日、一二Θ。

 

 

👁(ウメ)の巻、第二十一帖(四四八)

 

身欲信心スコタン許り、

天津日嗣の御位は幾千代かけて変らんぞ、

日の大神様、月の大神様、地(くに)の大神様、

御血統(おんちすじ)弥栄々々ぞ。

 

日本の人民アフンとするぞ、

皆それぞれのゆかりの集団(まどゐ)に ゝ 入れよ、

神示ひふみとなるぞ、

天明は画家となれ、絵描いて皆にやれよ、

弥栄となるぞ、やさかいやさか。

 

今度はキリスト教も仏教も何も彼も生かさなならんのぞ。

 

早くから此の方の元へ来て居ても因縁あっても肝腎が判らんと後戻りばかりぢゃ、

肝腎々々ぢゃ、学もよいが、それはそれの様なものぢゃぞ、

途中からの神は途中からの神、途中からの教は途中からの教、

今度の御用は元のキの道ざぞ、世の元からの神でないと判らんぞ、

出来はせんぞ、

生れ赤児の心とは、途中からの心、教、すっかり捨てて了へと云ふ事ざぞ。

 

十二月十四日、ひつ九のかみ。

 

 

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〇つ🌀(マツリ)の巻、第二十帖(四二四)

 

神々様の大前に申し上げます。

此の度の岩戸開きの御神業に尚一層の御活動願ひ上げます。

大神様の大御心と御心併せなされ、

いと高き神の能(はたらき)願ひ上げます。

 

世界の民等が日々犯しました罪、穢、過(あやまち)は、

何卒 神直日大直日に見直し聞き直し下さいまして、

此の上ながらの御守護願ひ上げます。

 

これは神々様への誓であるぞ。

 

八月二十九日、ひつぐの神。

 

 

👁(ウメ)の巻、第二十帖(四四七)

 

よくもまあ鼻高ばかりになったものぢゃなあ、

四足(よつあし)と天狗ばかりぢゃ、

まあまあやりたいだけやりて見なされ、

神は何もかもみな調べぬいて仕組みてあるのぢゃから、

性来だけの事しか出来んから、

愈々となりて神にすがらなならんと云ふ事判りたら、

今度こそはまこと神にすがれよ、

今度 神にすがること出来んなれば万劫末代 浮ばれんぞ。

 

したいことならやりて見て得心行く迄やりて見て改心早う結構ぞ。

 

ミロクの世のやり方 型出して下されよ、

一人でも二人でもよいぞ、

足場早うつくれと申してある事忘れたのか。

 

尾振る犬を打つ人民あるまいがな、

ついて来る人民殺す神はないぞ、

ミロク様が月の大神様。

 

十二月四日、一二Θ。

 

 

425>446

〇つ🌀(マツリ)の巻、第二十一帖(四二五)

 

建替が十年延びたと知らしてあろが、

建替遅くなりて、それから建直しに掛かりたのでは人民丸潰れとなるから、

建直し早うかかるからと聞かしてあろが、

人民には中々判らんなれど、世界の動きよく見て御用結構ぞ。

 

世の建替は水の守護、火の守護と知らしてあること忘れずに神示読めよ、

所々の氏神様は日本の内で御用なさるのぢゃ。

 

どんな集団(まどゐ)も神示が元ぢゃ、

神示で開かなならんぞ、

智や学も要るなれど、智や学では開けんぞ、

誠で開いて下されよ。

 

八月三十日、一二Θ。

 

 

👁(ウメ)の巻、第十九帖(四四六)

 

四十九、天明 神示(ふで)書かす御役ぞ。

 

一二三(ひふみ)となる日近づいたぞ、

節分迄に皆の守護神 同じ宮に祀りくれよ、

まつりまつりてまつり合せ、和合して物事成就するのぞ。

 

まつる心なき者 誠ないぞ、マコト判らんぞ。

 

靖国のミタマもそれ迄に奥山に祀りくれよ、

まつり替へてやりてくれよ。

 

世界の神々様、守護神様、人民のみたま、祀りくれよ、

まつり結構ぞ。

 

節分からの誓言(ちかひ)変へさすぞ、

大神様には御三体の大神様 御三体の大神様と七回くり返せよ、

それでよいぞ、

神々様には弥栄ましませと五回くり返せよ、

霊(タマ)の宮には弥栄ましませと三回繰り返せよ、

それでよいぞ、弥栄ざぞ。

 

十二月四日、ひつ九のΘ。

 

 

426>445

〇つ🌀(マツリ)の巻、第二十二帖(四二六)

 

「ヤマタ」の「オロチ」を始め 悪の神々様まつり呉れよ、

心して結構にまつり始め下されよ。

 

この事 役員のみ心得よ、岩戸開く一つの鍵ざぞ、

この巻、まつりの巻、八月三十日、一二Θ。

 

 

👁(ウメ)の巻、第十八帖(四四五)

 

自分で自分のしてゐること判るまいがな、

神がさしてゐるのざから、

人間の頭では判らん、

仕組通りに使はれて、身魂の掃除の程度に使はれて、

使ひ分けられてゐるのぢゃぞ、

早う人間心捨てて仕舞て神の申す通りに従ひて下されよ、

それがお主の徳と申すものぢゃぞ、

一家の為ぞ、国のためぞ、世界の民の為ざぞ、天地の御為ざぞ。

 

今迄になかったこと今度はするのぢゃから合点出来んも道理ぢゃ道理ぢゃ、

始めは戦(たたかい)で、

争(いくさ)で世の建替する積りであったが、

あまりに曇りひどいから、

イクサばかりでは、すみずみまでは掃除出来んから、

世界の家々の隅まで掃除するのぢゃから、

その掃除中々ぢゃから、

戦(イクサ)許りでないぞ、

家の中キチンと食物大切がカイの御用と申してあろがな、

今度の岩戸は、あけっぱなしぢゃ、褌いらんと申してあろう。

 

十二月四日、一二Θ。

 

 

427>444

〇つ🌀(マツリ)の巻、第二十三帖(四二七)

 

悪が善に立ち返りて弥栄なる様に、

取違へなき様まつり呉れよ、御用大切ぞ。

 

八月三十一日、一二Θ。

(〇〇🌀(まつり)の巻了)

 

 

👁(ウメ)の巻、第十七帖(四四四)

 

今の人民 少しは神示判って居らんと恥づかしい事出来て来るぞ、

なさけない事出来てくるぞ、

くやしさ目の前ぞ。

 

次の世がミロクの世、天の御先祖様なり、

地の世界は大国常立の大神様 御先祖様なり、

天の御先祖様 此の世の始まりなり、

お手伝いが弥栄のマコトの元の生神様なり、

仕上げ見事成就致さすぞ、御安心致されよ。

 

天も晴れるぞ、地も輝くぞ、

天地一つとなってマコトの天となりなりマコトの地となりなり、

三千世界一度に開く光の御代ぞ楽しけれ、

あな爽(さや)け、あなすがすがし、あな面白や、

いよいよ何も彼も引寄せるから その覚悟よいか、

覚悟せよ、

あな爽け、あなすがすがし、

四十七と四十八と四十九ぢゃ。

 

十二月四日、七つ九のかミしらす

 

 

428>443

👁(ウメ)の巻、第一帖(四二八)

 

今度の建替は敵と手握らねばならんのぢゃ、

敵役の神々様人民よ、早う尋ねて御座れ、

この方 待ちに待って居るぞ。

 

引張ったのでは、心からでないと役に立たんのぢゃ、

此の神示十三の巻からは肚の中の奥まで見抜かんでは、

見届けんでは見せて下さるなよ、

今にいろいろ身魂集まって来るから

十二の巻も申し付けてある様にちゃんとしておいて下されよ。

 

御剣(みつるぎ)の大神、

黄金(こがね)の大神、

白銀(しろがね)の大神と称へまつり結構結構ぞ、

結構致しまつりくれよ、

オロチ、九火(キュウビ)、ジャキ、

の三大将殿の御力まつりて弥栄よくよきに動くぞ、

ひらけ輝くぞ、

一火🌀(ひかり)の御代となるぞ。

 

九月二十八日、ひつ九のΘ。

 

 

👁(ウメ)の巻、第十六帖(四四三)

 

神代になりたら天地近うなるぞ、

天も地も一つになるのざぞ、

今の人民には分るまいなれど、

神も人も一つ、

上も下も一つとなって自づから区別出来て一列一平上下出来るのぢゃ。

 

この世はほって置いても自然にどうにか動いて行くものざ

と上に立つ守護神逃げて居るが、

そんな事で祭事(まつりごと)出来ると思ふてか、

自然には動かんのぞ、

その奥の奥の奥の 々々 々々 々々 々々 のキのイキから動いてゐること判るまい、

人民の思ふてゐることは天地の違ひざぞ、

 ゝの中に又〇がありその〇にΘがあり 々々 々々 々々 々々 々々 限り無いのざぞ。

 

人民の研究もよいなれど研究は神ぞ、

道にひたすら仕へまつれよ、

おろがめよ、

研究では誠のことは分らんのぢゃ、

我折りて判らんことは神の申すこと聞くのぢゃ、

分らんでも聞いて下されよ、

悪い様には致さんぞ。

 

まつりまつりとくどう申してあらう、

我捨てておろがめば神のキ通じて何でも分って来るのぢゃぞ。

 

十一月十八日、ひつ九のΘ。

 

 

429>442

👁(ウメ)の巻、第二帖(四二九)

 

代へ身魂いくらでもつくりあるぞ、

心して取違ひせん様に神の心早う汲みとれよ、

九の方の仕組 人民には判らんから、

どうなることかと役員も心配なさるなれど、

仕上げりうりう見て御座れ、

めったに間違ひないのぢゃぞ、

うまい口にのるでないぞ、

うまい口を今に持って来るが、

うまい口には誠ないから、

この方 三千世界の御道は誠よりないと申してあろが、

真実のマコトは神示読まねば判らんのぢゃぞ。

 

ひつぐの民の家には御神名か御神石か御神体として代表の大神様として、

天の日月の大神様 地の日月の大神様と称へ斎(いつ)き祀り結構致し呉れよ、

一の宮、二の宮等の祀り天明に知らしてあるぞ。

 

道院殿老祖様は中の宮に、

他は道院の神々様として次の宮に結構祀りてよいぞ、

いづれも弥栄々々ぞ。

 

九月二十八日、ひつ九の神

 

 

👁(ウメ)の巻、第十五帖(四四二)

 

この儘では世持ちて行かんと云ふこと判って居らうが、

所々の氏神様、今迄の様な氏子の扱ひでは立ちて行かんぞ、

天の規則通りにやり方変へて下されよ、

間に合はんことあるぞ。

 

血尊べよ、血は霊であるぞ神であるぞ、

血にごしてはならんぞ、血はまぜこぜにしてはならんのぢゃ、

黄金(こがね)は黄金の血、

白銀(しろがね)は白銀の血、

黄金白銀交ぜ交ぜて別の血つくってはならんのぢゃ、

外国にはまぜこぜもあるなれど、

元をまぜこぜならんのざぞ、

交ぜることは乱すことざぞ、

学はこの大事な血乱す様に仕組みてゐるのざぞ、

それがよく見える様にしたのは悪神ざぞ、

人民の目くらましてゐるのぢゃぞ、

科学科学と人民申してゐるが人民の科学では何も出来ん、

乱すばかりぢゃ、

神に尋ねて神の科学でないと何も成就せんぞ、

分らなくなったら神に尋ねと申してあること忘れるなよ、

一に一たす二ばかりとは限らんのぢゃ、判りたか。

 

十一月十八日、ひつ九のかミ。

 

 

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👁(ウメ)の巻、第三帖(四三〇)

 

皆の者 御苦労ぞ、「世界の民の会」つくれよ、

人民 拝み合ふのざぞ。

 

皆にまつろへと申してあろがな。

 

まどひつくれつくれ、皆おろがみ合ふのざぞ、

まどひのしるしはΘぞ、

おろがみ合ふだけの集団(まどゐ)でよいぞ。

 

理屈 悪ぢゃ、こんな事云はんでも判っておろが、

神示読めよ読めよ。

 

十月八日、ひつくの神しるす。

 

 

👁(ウメ)の巻、第十四帖(四四一)

 

日本には五穀、海のもの、野のもの、山のもの、

皆人民の食ひて生くべき物、作らしてあるのぢゃぞ、

日本人には肉類禁物ぢゃぞ。

 

今に食物の騒動激しくなると申してあること忘れるなよ、

今度は共喰となるから、共喰ならんから、

今から心鍛へて食物大切にせよ、

食物おろがむ所へ食物集まるのぢゃぞ。

 

ひたすらに神にすがりてお詑びせよ、

それより他に今は道なし。

 

外国を日本の地面にせなならん、

日本とにほんと取違ひすな。

 

何事も神第一ぞ、神よそになすこと云ふことスコタンばかりぢゃ。

 

分け隔てあると思ふは我が心に分け隔てあるからぢゃぞ、

世界中のそれぞれの国、皆、氏神様、産土様、愈々天の命令通りにかかり下されよ、

もう待たれん事に時節参りて居るぞ、

世界の人民 皆泥海の中に住んでゐるのぢゃぞ、

元の水流して清めてやらねばならんなり、

泥水を泥水と知らずに喜んでゐるので始末に困るぞ、

清い水に住めん魚は誠の魚ではないのぢゃぞ。

 

つらい役は因縁のミタマに致さすぞ。

 

心得なされるがよいぞ。

 

十一月十七日、ひつ九のかミ。

 

 

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👁(ウメ)の巻、第四帖(四三一)

 

この神示 食物(くいもの)に仕様とて、

出て来る者 段々にあるなれど、

皆あて外れて了ふぞ、

アテ外れて神の目的成るぞ、

役員殿ブチョウホウない様に気つけて呉れよ、

まつり結構。

 

神が預けてあるものは、

あづかった人民よきに取りはからへよ、

大き小さいの区別ないぞ、

塵一本でも神のものざと申してあろが、

 

塵一本動かすに一々神の心聞いてやって居るとは云はさんぞ、

預けるには預けるだけの因縁あるのざぞ、

預かった人民よきにせよ、

奥山 何処へ移ってもよいと申してあろがな、

神の道 弥栄々々。

 

十月十三日、ひつ九の神。

 

 

👁(ウメ)の巻、第十三帖(四四〇)

 

天(あめ)の岩戸ばかりでないぞ、

地(くに)の岩戸 臣民の手で開かなならんぞ、

誠一つで開くのぢゃ、

誠のタチカラオの神、

誠のウズメの命殿、御用結構ぞ。

 

ダマシタ岩戸開きではダマシタ神様お出ましざぞ、

この道理判らんか、

取違ひ禁物ぞ、

生れ赤子の心になれば分るのぢゃぞ。

 

今の臣民お日様明るいと思ふてゐるが、

お日様、

マコトの代のマコトのお日様どんなに明るいか見当とれまいがな。

 

見て御座れ、見事な世と致してお目にかけるぞ、

神示読みて聞かせてやれよ、

嫌な顔する人民 後廻しぢゃ、

飛び付く人民 縁あるのぢゃ、

早う読み聞かす神示より分けておいて下されよ、

間に合はんぞ、

御無礼ない様に致し下されよ。

 

十一月十七日、一二の神。

 

 

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👁(ウメ)の巻、第五帖(四三二)

 

ニニギの命(みこと)お出ましぞ、

ニニギとは二二(ふじ)のキの御役であるぞ。

 

神がかりて世界中のこと何でも判る様に思ふてゐると、

とんでもないことになるぞ、

このままにしてほっておくと戦済んだでもなく、

とどめもさせん、

世界中の大難となるから早う改心結構ぞ。

 

悪の上の守護神、

中の守護神、

下の守護神の改心出来ん者はいくら可愛い子ぢゃとて、

ようしゃは出来んぞ、

愈々天の大神様の御命令通りに神々様 総掛かりぞ。

 

十一月十六日、ひつ九の神。

 

 

👁(ウメ)の巻、第十二帖(四三九)

 

万物の長とは神の臣民の事であるぞ、

世界の人民も皆万物の長であるが、

この世の神は臣民ぢゃぞ、

神に次いでの良き身魂(みたま)ぞ、

臣民は地(くに)の日月の神様ざぞ。

 

火の粉でやけどするなよ、気付けおくぞ。

 

世に出てゐる守護神のする事知れてゐるぞ。

 

元の生神様 御一方(おんひとかた)御力出しなされたら

手も足も出んことになるのぢゃ、

神力と学力とのいよいよの力くらべぢゃ、

元の生神様の御息吹きどんなにお力あるものか、

今度は目にもの見せねばならんことになったぞ、

肉体ばかりか、魂までのうにならふやも知れんぞ、

震へ上がるぞ。

 

理が神ぞ。

 

理が神の御用ざと申してあろがな。

 

十一月十六日、ひつ九のかミ。

 

 

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👁(ウメ)の巻、第六帖(四三三)

 

雨の神、風の神、岩の神、荒の神、地震の神、

百々八百万の神々様 御活動激しくなったぞ、

人民 目開けておれん事になるぞ、

出来るだけおだやかに致したいなれど、

判りた臣民 日々おわびお祈り結構致し呉れよ、

大峠となりてからではいくら改心致しますと申しても、

許してくれと申しても、

許すことは出来んから、

日本には日本の守護の神、

支那には支那

外国には、外国のそれぞれの守護の神あること忘れるなよ。

 

神々様 持場々々清めて呉れよ。

 

御役結構ぞ。

 

十一月十六日、ひつ九の神。

 

 

👁(ウメ)の巻、第十一帖(四三八)

 

日本の上に立つ者に外国の教伝へて外国魂に致したのは今に始まった事ではないぞ、

外国の性根入れたのが岩戸閉めであるぞ、

五度ざぞ、判りたか。

 

それを元に戻すのであるから今度の御用中々であるぞ、

中つ枝からの神々様には判らん事ざぞと申してあることもガッテン出来るであろがな。

 

この神示肚に入れて居ればどんなことあっても

先に知らしてあるから心配ないのざ、

ソレ出たとすぐ判るから

胴すわってゐるから何事も結構におかげ頂くのざ。

 

死ぬ時は死んだがよく、

遊ぶ時には遊べ遊べ、嬉し嬉しざぞ。

 

十一月十六日、ひつ九のか三。

 

 

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👁(ウメ)の巻、第七帖(四三四)

 

四十七と四十八で世新しく致すぞ、

三人使ふて三人世の元と致すぞ、

三人を掘り出すぞ。

 

世に落ちてます神々様、

人民様を世にお上げせなならんぞ。

 

神の国から始まって世界の大戦(おおいくさ)愈々激しくなって来るぞ。

 

何事も清め呉れよ、清めるとはまつらふことぞ。

 

十一月十六日、ひつ九のかミ。

 

 

👁(ウメ)の巻、第十帖(四三七)

 

悪い事は陰口せずに親切に気付け合って仲良う結構ぞ、

陰口 世をけがし、己けがすのざぞ、

聞かん人民は時待ちて気付けくれよ、

縁ある人民 皆親兄弟ざぞ、

慢心取違ひ疑ひと、我(が)が此の道の大き邪魔となるぞ、

くどい様なれど繰り返し繰り返し気付けおくぞ。

 

時来たら説き出すものぢゃ、

親の心察して子から進んでするものぢゃ、

その心よきに幸(さき)はふぞ、

もの聞くもよいが、

聞かんでは、判らん様では幽国(がいこく)身魂ぞ、

神の臣民 親の心うつして云はれん先にするものぢゃぞ。

 

世は神界から乱れたのであるぞ、

人間界から世建直して、

地(くに)の岩戸 人間が開いて見せると云ふ程の気魄なくてならんのざぞ、

その気魄 幸(さき)はふのざぞ、

岩戸開けるぞ。

 

十一月十六日、ひつ九のか三。

 

 

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👁(ウメ)の巻、第八帖(四三五)

 

口と心と行と三つ揃ふたら今度は次にゝ入れて下されよ、

ゝは神ぢゃ、神示ぢゃ、神示元ぢゃ、と申してあろが、

三つ揃ふても肝腎の神示肚に入って居らんと何にもならん事になるぞ。

 

九分九分九厘となってゐる事も判るであろが、

御用 勇んで仕へまつれよ。

 

目覚めたら其の日の生命頂いたのぢゃと申してあろ、

新しき生命 弥栄に生れるのぢゃ。

 

今日一日 神に仕へまつれよ、

与へられた仕事 御用ざぞ、

生命ざぞ、取違ひ致すでないぞ。

 

七月になると上の人民番頭殿、

顔の色 悪うなって来るぞ、

八九月となれば愈々変って来るぞ、

秋の紅葉の色変るぞ。

 

いくら因縁ありてもミタマ曇ってゐると今度は気の毒出来るから、

今度 引寄せられた人民ぢゃとて役員ぢゃと云ふて、

ちっとも気ゆるし出来ん。

 

澄んだ言霊(ことだま)で神示よみ上げてくれよ、

三千世界に聞かすのぢゃ、

そんな事で世がよくなるかと人民申すであらうなれど神の申す通り、

判らいでも神の申す通りにやって下されよ、

三千世界に響き渡って神々様も臣民人民様も心の中から改心する様になるのざぞ、

世が迫って居ることは、

どの神々様人民にもよく判ってゐて、

誠求めて御座るのぢゃ、

誠知らしてやれよ。

 

何も彼も一度に出て来るぞ、

日増しにはげしくなって来るぞ、

どうすることも出来ん様に、

悪神、悪の人民、手も足も出せん事に、

何から何まで、何が何だか判らん事に折り重なって来るぞ、

キリキリ舞せなならん事になって来るぞ、

キリキリ舞にも良きと悪しきとあるぞ、

良きは結構ぢゃなあ、中々ぢゃ。

 

十一月十六日、一二Θ。

 

 

👁(ウメ)の巻、第九帖(四三六)

 

肉体がこの世では大切であるから肉体を傷つけたら苦しめたら、

その守護神は、それだけのめぐり負ふのざぞ、

霊々と申して肉体苦しめてはならんぞ、

今の人民とっておきの誠の智ないから、

持ってゐる智を皆出して了ふから、

上面許り飾りて立派に見せようとしてゐるから、

いざと云ふ時には間に合はんのぢゃ、

上面しか見えんから、

誠の事判らんから、

神の云ふ事判らんのも道理ぢゃなあ。

 

建直しの仕組 立派に出来てゐるから心配いたすでないぞ、

建替延ばしに延ばしてゐる神の心判らんから、

余り延ばしては丸つぶれに、

悪のわなに落ちるから艮(とど)めの一厘のふたあけるから、

目開けておれん事になるぞ、

早う知らせる人民には知らしてやれよ、

先づ七人に知らせと申してあろがな。

 

十一月十六日、ひつ九のΘ。

 

 

 

まぜまぜ 三九一~四二〇

ひふみ神示 まぜまぜの第三九一帖~第四二〇帖

 

 

第十七巻 二日ん(ジシン)の巻

全十七帖・通し番号(三七八)~(三九六)のうち(三九一)~(三九六)

自  昭和二十年九月 十日

至  昭和二十年十月三十日

 

第十八巻 一火 🌀(ヒカリ)の巻

全八帖・通し番号(三九七)~(四〇四)のうち(三九七)~(四〇四)

自  昭和二十一年二月二十四日

至  昭和二十一年七月二十七日

 

第十九巻 〇つ 🌀(マツリ)の巻

全廿三帖・通し番号(四〇五)~(四二七)のうち(四〇五)~(四二〇)

自  昭和二十一年八月 八 日

至  昭和二十一年八月三十一日

 

 

391>420

二日ん(ジシン)の巻、第十四帖 (三九一)

 

霊界には、時間がない。

 

故に、霊人は時間ということを知らない。

 

其処には、霊的事物の連続とその弥栄があり、

歓喜によって生命している。

 

即ち、時間はないが状態の変化はある。

 

故に、霊人たちは時間の考えはなく、

永遠の概念をもっている。

 

この永遠とは、時間的なものは意味せず、

永遠なる状態を意味するのである。

 

永遠と云うことは、時間より考えるものではなく、

状態より考えるべきである。

 

故に、霊人が地上人に接し、地上人に語る時は、

地上的固有的な一切をはなれて、

状態とその変化による

霊的なものによって語るのである。

 

しかし、この霊人の語る所を地上人がうけ入れる時は、

対応の理により、それが固有的地上的なものと映像されてくるのである。

 

また、地上人に感応して語る時は、

その霊媒の思念を霊人の思念として語るが故に、

固有的表現となり、地上人にも十分に理解しうるのである。

 

多くの地上人は、霊人を知らない。

 

霊人には、地上世界に顕現する総てのものの霊体が存在すると云うことを

中々理解しないし、

霊人は反対に、

霊界を物質的に表現した物質地上世界のあることを仲々に理解しない。

 

但し、死後の霊人は、

相当に長い間 地上世界のことを記憶しているものである。

 

地上人が、何故 霊界のことを理解し難いかと言うと、

それは、地上的物質的感覚と、地上的光明の世界のみが、

常にその対象となっているからである。

 

例えば霊人とは、

地上人の心に通じ、或いは、心そのものであると考えるためである。

 

つまり、霊人は、心であるから、目も、鼻も、口もなく、

また、手足などもない、と考えるからである。

 

所が実際は、

霊人そのものが手をもつが故に地上人に手があり、

指をもっているが故に、地上人に指が生ずることを知らなければならない。

 

しかも、霊人は、地上人より遥かに精巧にできていることは、

それを構成するものが精巧であることによって立証されるであろう。

 

霊人は、地上人にまして一段と光明の世界にあり、

一段とすぐれた霊体を有している。

 

霊界に於ける事物は総て霊界における太陽と、

太陰とによりて生れてくる。

 

それは、地上に於ける場合と同じである。

 

太陽と、太陰との交叉により生ずる歓喜によって、

その生れたるものは更に一層の光輝を放ち、弥栄となる。

 

また、霊界には物質世界の如く空間はない。

 

このことを地上人は中々に理解しないのである。

 

霊界に於ける場所の変化は、その内分の変化に他ならない。

 

霊界に距離はない。

空間もない。

 

只、あるものはその態の変化のみである。

 

故に、離れるとか、分れるとか云うことは、

内分が遠くはなれていて、同一線上にないことを物語る。

 

物質的約束に於ける同一場所にあっても、

その内分が違っている場合は、その相違の度に、

正比較、正比例して、遠ざかっているのである。

 

故に、地上的には、

同一場所に、同一時間内に存在する幾つかの、幾十、幾百、幾千万かの世界、

及びあらゆる集団も、

内分の相違によって、感覚の対象とならないから、

無いのと同様であることを知り得るのである。

 

 

〇つ 🌀(マツリ)の巻、第十六帖 (四二〇)

 

日本の人民よくならねば、世界の人民よくならんぞ、

日本の上の人よくならねば日本人よくならんぞ。

 

祈る土地はよつくれよ。

 

専一(せんいつ)、平和祈らなならんぞ、

その位 判って居ろが。

 

今ぢゃ口ばかりぢゃ、口ばかり何もならんぞ、

マコト祈らなならんぞ。

 

真中の国、真中に、膝まづいて祈り事されよ。

 

今度のおかげは神示よく読まねば見当とれんのざぞ。

 

神はその人民の心通りに、写るのであるから、

因縁深い者でも御用出来んこともあるから、

余程しっかり致して居りて下されよ。

 

八月二十日、一二Θ。

 

 

392>419

二日ん(ジシン)の巻、第十五帖 (三九二)

 

霊界には、山もあり、川もあり、海もあり、

また、もろもろの社会があり、

霊界の生活がある。

 

故に、其処には霊人の住宅があり、

霊人はまた衣類をもつ。

 

住宅は、その住む霊人の生命の高下によって変化する。

 

霊人の家には、主人の部屋もあれば、客室もあり、寝室もあり、

また、食堂もあり、風呂場もあり、物置もあり、

玄関もあり、庭園もある、と云ったふうに、

現実世界と殆ど変りがない。

 

と云うことは、霊人の生活様式なり、思想なりが、

ことごとく同様であると云うことを意味する。

 

また、内分を同じくする霊人たちは、

相集まり、住宅は互に並び建てられており、

地上に於ける都会や村落とよく似ている。

 

その中心点には多くの場合、

神殿や役所や学校等あらゆる公共の建物が、

ほどよく並んでいる。

 

そして、これらの総てが霊界に存在するが故に、

地上世界に、それの写しがあるのである。

 

霊界を主とし、霊界に従って、

地上にうつし出されたのが、地上人の世界である。

 

地上人は、物質を中心として感覚し、且つ考えるから、

真相が仲々につかめない。

 

これら総ての建物は、

神の歓喜を生命として建てられたものであって、

霊人の心の内奥にふさわしい状態に変形され得る。

 

また天人の衣類も、その各々がもつ内分に正比例している。

 

高い内分にいる霊人は高い衣を、

低いものは低い衣を自らにして着することとなる。

 

彼等の衣類は、彼らの理智に対応しているのである。

 

理智に対応すると云うことは、真理に対応すると云うことになる。

 

但し、最も中心に近く、太神の歓喜に直面する霊人たちは

衣類を着していないのである。

 

この境地に到れば、

総てが歓喜であり、他は自己であり、自己は他であるが故である。

 

しかし、他よりこれを見る時は、

見る霊人の心の高低によって、

千変万化の衣類を着せる如く見ゆるのである。

 

また、衣類は総て霊人の状態の変化によって変化して行くものである。

 

霊人はまた、いろいろな食物を食している。

 

云う迄もなく霊人の食物であるが、

これまたその霊人の状態によって千変万化するが、

要するに歓喜を食べているのである。

 

食べられる霊食そのものも、食べる霊人も何れも、

食べると云うことによって歓喜しているのである。

 

地上人の場合は、物質を口より食べるのであるが、

霊人は口のみでなく、

目からも、鼻からも、耳からも、皮膚からも、手からも、足からも、

食物を身体全体から食べるものである。

 

そして、食べると云うことは、

霊人と霊食とが調和し、融け合い、一つの歓喜となることである。

 

霊人から見れば、

食物を自分自身たる霊人の一部とするのであるが、

食物から見れば霊人を食物としての歓喜の中に引き入れることとなるのである。

 

これらの行為は、

本質的には、地上人と相通ずる食物であり、

食べ方ではあるが、

その歓喜の度合および表現には大きな差がある。

 

食物は歓喜であり、歓喜は神であるから、

神から神を与えられるのである。

 

以上の如くであるから、

他から霊人の食べるのを見ていると、

食べているのか、食べられているのか判らない程である。

 

また霊人の食物は、その質において、

その霊体のもつ質より遠くはなれたものを好む。

 

現実社会に於ける、山菜、果物、海草等に相当する植物性のものを好み、

同類である動物性のものは好まない。

 

何故ならば、

性の遠くはなれた食物ほど歓喜の度が強くなってくるからである。

 

霊人自身に近い動物霊的なものを食べると歓喜しないのみならず、

反って不快となるからである。

 

そして霊人は、これらの食物を歓喜によって調理している。

 

そしてまた与えられた総ての食物は、

悉く食べて一物をも残さないのである。

 

すべての善はゝより起り、ゝにかえるのと同様、

総ての悪もまたゝより起りゝにかえる。

 

故に、神をはなれた善はなく、

また神をはなれた悪のみの悪はあり得ないのである。

 

殊に地上人はこの善悪の平衡の中にあるが故に、

地上人たり得るのであって、

悪をとり去るならば、地上人としての生命はなく、

また善は無くなるのである。

 

この悪を因縁により、

また囚われたる感情が生み出す悪だ、

と思ってはならない。

 

この悪があればこそ、

自由が存在し、生長し、弥栄するのである。

 

悪のみの世界はなく、また善のみの世界はあり得ない。

 

所謂、悪のみの世界と伝えられるような地獄は存在しないのである。

 

地上人は、霊人との和合によって神と通ずる。

 

地上人の肉体は悪的な事物に属し、その心は善的霊物に属する。

 

その平衡するところに力を生じ、生命する。

 

しかし、地上人と、霊人と一体化したる場合は、

神より直接に地上人にすべてが通じ、

すべてのもののゝが与えられると見えるものである。

 

これを、直接内流と称し、この神よりの流入するものが、

意志からするときは理解力となり、真理となる。

 

また、愛より入るときは善となり、信仰力となって現われる。

 

そして、神と通ずる一大歓喜として永遠に生命する。

 

故に、永遠する生命は愛と離れ、

真と離れ、また信仰とはなれてはあり得ないのである。

 

神そのものも神の法則、秩序に逆らうことは出来ない。

 

法則とは歓喜の法則である。

 

神は歓喜によって地上人を弥栄せんとしている。

 

これは、地上人として生れ出ずる生前から、

また、死後に至るも止まざるものである。

 

神は、左手にて(左右反対のC)の動きをなし、

右手にての動きを為す。

 

そこに、地上人としては割り切れない程の、

神の大愛が秘められていることを知らねばならぬ。

 

地上人は、絶えず、善、真に導かれると共に、

また、悪、偽に導かれる。

 

この場合、その平衡を破るようなことになってはならない。

 

その平衡が、神の御旨である。

 

平衡より大平衡に、

大平衡より超平衡に、

超平衡より超大平衡にと進み行くことを

弥栄と云うのである。

 

左手は右手によりて生き動き、栄える。

 

左手なき右手はなく、右手なき左手はない。

 

善、真なき悪、偽はなく、

悪、偽なき善、真はあり得ない。

 

神は善、真、悪、偽であるが、

その新しき平衡が新しき神を生む。

 

新しき神は、常に神の中に孕み、神の中に生れ、

神の中に育てられつつある。

 

始めなき始めより、

終りなき終りに到る大歓喜の栄ゆる姿がそれである。

 

 

〇つ 🌀(マツリ)の巻、第十五帖 (四一九)

 

旧九月八日からの当分の礼拝の仕方 書き知らすぞ、

 

大神様には、先づ神前に向って静座し、

しばし目つむり、気しづめ、

一揖、一拝二拝八拍手、数歌(かずうた)三回、

終りて「ひふみ」三回のりあげ、

 

天(あめ)の日月の大神様、弥栄ましませ、弥栄ましませ、

地(くに)の日月の大神様、弥栄ましませ、弥栄ましませ

とのりあげ、

 

終って「誓の言葉」ちかへよ。

 

終りて神のキ頂けよ、三回でよいぞ、

終りて八拍手、一拝、二拝、一揖せよ、

 

 

次に神々様には一揖、一拝二拝四拍手、数歌三回のりて、

百々諸々(もももろもろ)の神様 弥栄ましませ弥栄ましませ、

と、宣りあげ、

 

終りて「ちかひの言葉」ちかへよ。

終りて四拍手、二拝一揖せよ。

 

 

霊(タマ)の宮には一揖一拝二拍手、数歌一回、

弥栄ましませ弥栄ましませと宣り、

二拍手、一拝一揖せよ、

各々の霊様(おのもおのもみたま)には

後で「ミタマのりと」するもよいぞ。

 

八月二十日、一二(ひつき)のΘ。

 

 

 

393>418

二日ん(ジシン)の巻、第十六帖 (三九三)

 

考えること、意志すること、

行為することの根本は、肉体からではない。

 

霊的な内奥の自分からである。

 

この内奥の自分は、神につながっている。

 

故に、自分自身が考え、意志し、行為するのではなく、

自分と云うものを通じ、肉体を使って、

現実界への営みを神がなし給うているのである。

 

其処に、人が地上に於ける司宰者たる、

また、たり得る本質がある。

 

地上人が死の関門をくぐった最初の世界は、

地上にあった時と同様に意識があり、

同様の感覚がある。

 

これによって、人の本体たる霊は、生前同様に、

霊界でも見、聞き、味わい、嗅ぎ、感じ、

生活することが出来るのである。

 

しかし肉体をすてて、霊体のみとなり、

霊界で活動するのであるから、

物質は衣にすぎないことが判明する。

 

肉体をもっている地上人の場合は、

その肺臓が想念の現われとなって呼吸する。

 

霊界に入った時は、

霊体の肺臓が同様の役目を果たすようになっている。

 

また、心臓は、その情動の現われとなって脈打つ。

 

霊体となってもまた同様であることを知らねばならぬ。

 

この二つのうごきが、一貫せる生命の現われであって、

生前も、生存中も、死後も、また同様である。

 

肉体の呼吸と脈拍とは、新しき霊体の呼吸と脈拍に相通じ、

死の直後に霊体が完全するまでは、

肉体のそれは停止されないのである。

 

かくて、霊界に入った霊人たちは、

総て生存時と同じ想念をもっている。

 

為に死後の最初の生活は

生存時と殆ど同一であることが判明するであろう。

 

故に、其処には地上と同様、

あらゆる集団と、限りなき段階とが生じている。

 

而して、霊界に於ては、

先に述べた如き状態であるが故に、

各人の歓喜は、

死後の世界に於ても、生前の世界に於ても、

これに対応する霊的の事物と変じて現われるものである。

 

この霊的事物は、地上の物質的事物に対応する。

 

人間が、物質界にいる時は、

それに対応した物質の衣、即ち肉体をもち、

霊界に入った時はそれに相応した霊体をもつ。

 

そして、それはまた完全なる人間の形であり、

人間の形は、霊人の形であり、神の形であり、

更に大宇宙そのものの形である。

 

大宇宙にも、頭があり、胴があり、手足があり、

目も、鼻も、口も、耳もあり、

又内臓諸器官に対応するそれぞれの器管があって、

常に大歓喜し、呼吸し、脈打っていることを知らねばならない。

 

歓喜は無限であり、且つ永遠に進展して行くのである。

 

変化、進展、弥栄せぬものは歓喜ではない。

 

歓喜は心臓として脈打ち、肺臓として呼吸し発展する。

 

故に、歓喜は肺臓と心臓とを有する。

 

この二つは、あらゆるものに共通であって、

植物にもあり、鉱物にすら存在するものである。

 

人間の場合は、

その最も高度にして精妙なる根本の心臓と肺臓に通ずる最奥の組織を有する。

 

これはもはや心臓と表現するには あまりにも精妙にして、

且つ深い広い愛であり、

肺臓として呼吸するにはあまりにも高く精巧なる真理である。

 

而して、この二者は一体にして同時に、

同位のものとなっていることを知らねばならない。

 

それは心臓としての脈拍でもなく、

肺臓としての呼吸でもない。

 

表現極めて困難なる神秘的二つのものが一体であり、

二つであり、三つの現われである。

 

其処に人間としての、他の動物に比して異なるもの、

即ち、大神より直流し来るものを感得し、

それを行為し得る独特のものを有しているのである。

 

人間が、一度 死の関門をくぐり、肉体をすてた場合は、

霊そのものの本来の姿に帰るのであるが、

それは直ちに変化するものではなくして、

漸次その状態に入るのである。

 

第一は極外の状態、

第二は外の状態、

第三は内的状態、

第四は極内的状態、

第五は新しき霊的生活

への準備的状態である。

 

七段階と見る時は、

内と外との状態を各々三段階に分け、

三つと見る時は内、外、準備の三つに区分するのである。

 

 

〇つ (マツリ)の巻、第十四帖 (四一八)

 

旧九月八日から、まつり、礼拝、すっくり変へさすぞ、

神代までにはまだまだ変るのぢゃぞ。

 

祓は祓清めの神様にお願いして

北、東、南、西、の順に柏手四つづつ打ちて

祓ひ下されよ。

 

神国の乱れ、こえキから。

 

世界の戦争、天災、皆人民の心からなり。

 

人民一人に一柱づつの守護神つけあるぞ、

日本真中、ボタン一つで世界動くぞ。

 

八月十九日、一二Θ。

 

 

394>417

二日ん(ジシン)の巻、第十七帖 (三九四)

 

地獄はないのであるが、

地獄的現われは、

生前にも、生後にも、また死後にもあり得る。

 

しかし、

それは第三者からそのように見えるのであって、

真実の地獄ではない。

 

大神は大歓喜であり、

人群万類の生み主であり、

大神の中に、すべてのものが生長しているためである。

 

死後、一先ずおかれる所は、

霊、現の中間の世界であり、

其処では中間物としての中間体をもっている。

 

意志のみでは力を生まない。

 

理解のみでも進展しない。

 

意志と、理解との結合によって弥栄する。

 

このことは、中間の状態、

即ち、死後の最初の世界に於て、

何人もはっきりと知り得る。

 

しかし、生存時に於て、既に過去を精算している霊人は、

この中間世界にとどまる必要はなく、

その結果に対応した状態の霊界に、

直ちに入るのである。

 

精算されていないものは、

精算が終るまで、

この中間世界にとどまって努力し、精進、教育される。

 

その期間は五十日前後と見てよいが、

最も長いものは十五、六年から二十年位を要する。

 

この中間世界から天国的世界をのぞむ時は、

光明にみたされている。

 

故に、何人も、この世界へ進み易いのである。

 

また、地獄的な世界は暗黒に満たされている故に、

この世界に行く扉は閉ざされているのと同様であって、

極めて進みにくいのである。

 

天国には昇り易く、

地獄にはおち難いのが実状であり、

神の御意志である。

 

しかし、

この暗黒世界を暗黒と感ぜずして進みゆくものもあるのであって、

そのものたちには、それがふさわしい世界なのである。

 

其所(そこ)に、はかり知れない程の大きく広い、神の世界が展かれている。

 

この地獄的暗黒世界は、暗黒ではあるが、

それは比較から来る感じ方であって、

本質的に暗黒の世界はなく、神の歓喜は限りないのである。

 

以上の如く、

中間世界からは、無数の道が無数の世界に通じており、

生前から生後を通じて、思想し、

行為したことの総決算の結果に現われた状態によって、

それぞれの世界に通ずる道が自らにして目前にひらかれてくるのである。

 

否、その各々によって自分自身が進むべき道をひらき、

他の道、他の扉は一切感覚し得ないのである。

 

故に、迷うことなく、自分の道を自分で進み、

その与えられた最もふさわしい世界に落ち付くのである。

 

他から見て、それが苦の世界、不純な世界に見えようとも、

当の本人には楽天地なのである。

 

何故ならば、

一の世界に住むものには、二の世界は苦の世界となり、

二の世界に住むものには、一の世界は また苦の世界と感覚するからであって、

何れも自ら求むる歓喜にふさわしい世界に住するようになっているのである。

 

また一の世界における善は、二の世界では善でなく、

二の世界の真が一の世界に於ては真でない場合も生じてくる。

 

しかし、その総ての世界を通じ、

更に高きゝに向って進むことが、彼等の善となるのである。

 

ゝは中心であり、大歓喜であり、神である。

 

死後の世界に入る時に、人々は先ず自分の中の物質をぬぎすてる。

 

生存時に於ては物質的な自分、

即ち肉体、衣類、食物、住宅等が主として感覚の対象となるから、

そのものが生命し、且つ自分自身であるかの如くに感ずるのであるが、

それは自分自身の本体ではなく、外皮に過ぎない。

 

生長し、考慮し、行為するものの本体は、

自分自身の奥深くに秘められた自分、即ち霊の自分である。

 

霊の自分は、物質世界にあっては物質の衣をつける。

 

故に、物質的感覚は、

その衣たる物質的肉体のものなりと錯覚する場合が多いのである。

 

しかし、肉体をすてて霊界に入ったからと云って、

物質が不要となり、物質世界との因縁がなくなってしまうのではない。

 

死後といえども、物質界とは極めて密接なる関係におかれる。

 

何故ならば、物質界と関連なき霊界のみの霊界はなく、

霊界と関連なき物質のみの物質界は、呼吸し得ないからである。

 

生前の霊界、生後の物質界、死後の霊界の何れもが

不離の関係におかれて、互に呼吸しあっている。

 

例えば、地上人は生前世界の気をうけ、

また死後の世界に通じている。

 

現実世界で活動しているのが、

半面に於ては生前の世界とも、

また死後の世界とも深い関連をもっており、

それらの世界に於ても、同時に活動しているのである。

 

 

〇つ 🌀(マツリ)の巻、第十三帖 (四一七)

 

九二の火水。

 

九二の日月の大神、黒住殿、天理殿、金光殿、大本殿、まつり呉れよ、

併せて神山にまつり結構致しくれよ。

 

八月十八日、一二Θ。

 

 

395>416

二日ん(ジシン)の巻、第十八帖 (三九五)

 

神から出る真、善、美、愛の用に奉仕するのが

霊人たちの生命であり、仕事であり、栄光であり、歓喜である。

 

故に、霊界における霊人たちの職業は、

その各々の有する内分により、段階によって自ら定まる。

 

為にその用は無数であり、且つ千変万化する。

 

歓喜第一、神第一の奉仕が霊人の職業である。

 

故に、自分自身の我が表に出た時は、

力を失い、仕事を失い、苦悩する。

 

霊人の仕事は限りなく、

地上人の仕事以上に多様であるが、

より良さ、より高さ、より神に近い霊人生活に入るための精進であり、

喜びであることが知られる。

 

そして、その何れもが神の秩序、

即ち大歓喜の秩序、法則によって相和し、相通じ、

全般的には一つの大きな神の用をなしているのである。

 

故に、何れの面の用をなすとも、

自己というものはなく、弥栄あるのみ、神あるのみとなる。

 

なお注意すべきことは、霊界において、権利なるものは一切感ぜず、

義務のみを感じているということである。

 

即ち、義務することが霊人の大いなる歓喜となるのである。

 

為に、命令的なものはない。

 

只、ひたすら奉仕があるのみである。

 

その奉仕は地上人であった時の職業と相通ずるものがある。

 

何故ならば、霊と物とは対応しているからである。

 

生前は生後であり、死後はまた生前であって、

春秋日月の用をくりかえしつつ弥栄えている。

 

従って、霊界に住む霊人たちも、両性に区別することができる。

 

陽人と、陰人とである。

 

陽人は、陰人のために存在し、陰人は、陽人の為に存在する。

 

太陽は、太陰によりて弥栄え、

太陰は太陽によりて生命し歓喜するのである。

 

この二者は、絶えず結ばれ、また絶えず反している。

 

故に、二は一となり、三を生み出すのである。

 

これを愛と信の結合、または結婚とも称えられている。

 

三を生むとは、新しき生命を生み、且つ歓喜することである。

 

新しき生命とは新しき歓喜である。

 

歓喜は物質的形体はないが、

地上世界では物質の中心をなし、

物質として現われるものである。

 

霊界に於ける春は、陽であり、日と輝き、且つ力する。

 

秋は、陰であり、月と光り、且つ力する。

 

この春秋のうごきを、また、歓喜と呼ぶのである。

 

春秋の動きあって、神は呼吸し、生命するとも云い得る。

 

また、悪があればこそ生長し、弥栄し、且つ救われるのである。

 

故に神は、悪の中にも、善の中にも、

また善悪の中にも、悪善の中にも呼吸し給うものである。

 

 

〇つ 🌀(マツリ)の巻、第十二帖 (四一六)

肉体ある内に身魂かまふて貰わねば、

今度身魂磨けて来たら末代の事、末代結構ざから、

それだけに大層ざから、

お互に手引き合って、磨き合って御用結構ぞ、

わけへだてならんぞ、判らん者はチョンに致すぞ。

 

元のキのことは、元のキの血統でないと判らんのぢゃ、

判る者は判らなならんぞ、判らんものは判らんのがよいのぢゃぞ。

 

何事も人民に判りかけ致さな、物事遅れるぞ、

十年おくれると申してあるが、おくれると益々苦しくなるから、

おくれん様 結構したいなれど、

大層な肝腎かなめは神々様にも申されんことであるが、

今の内に判って貰はねば、知らしてからでは十人並ぢゃ、

それまでは神のもとのコトは申されんぞ、元の身魂に輝くぞ。

 

八月十七日、一二Θ。

 

 

396>415

二日ん(ジシン)の巻、第十九帖 (三九六)

天国の政治は、歓喜の政治である。

 

故に、戒律はない。

 

戒律の存在する処は、

地獄的段階の低い陰の世界であることを知らねばならない。

 

天国の政治は、愛の政治である。

 

政治する政治ではない。

 

より内奥の、より浄化されたる愛そのものからなされる。

 

故に、与える政治として現われる。

 

天国は、限りなき団体によって形成されている。

 

そして、その政治は、

各々の団体に於ける最中心、最内奥の歓喜によりなされるのである。

 

統治するものは一人であるが、二人であり、三人として現われる。

 

三人が元となり、

その中心の一人は、ゝによって現わされ、

他の二人は、〇によって現わされる。

 

〇は、左右上下 二つの動きの🌀を為すところの立体🌀からなっている。

 

統治者の心奥のゝは、更に高度にして、

更に内奥に位するゝの中のゝによって統一され、統治され、立体🌀をなしている。

 

天国では、このゝを、スの神と敬称し、歓喜の根元をなしている。

 

スの神は、アの神と現われ給い、

オとウとひらき給い、続いて、

エとイと動き現われ給うのである。

 

これが総体の統治神である。

 

三神であり、二神である。

 

ア、オ、ウは愛であり、エ、イは真である。

 

これら天国の組織は、人体の組織と対応し、

天国の一切の事象と運行とは、人体のそれに対応している。

 

オ、ウなる愛は曲線であり、心臓である。

 

エ、イなる真は、直線であり、肺臓に対応して三五七と脈うち、

呼吸しているのである。

 

これらの統治者は権力を奪することなく、

また指令することもない。

 

よりよく奉仕するのみである。

 

奉仕するとは、如何にしてよりよく融和し、

善と、真との浄化と共に、悪と偽の調和をなし、

これらの総てを神の力として生かし、

更に高度なる大歓喜に到らんかと努力することである。

 

また統治者自身は、自分達を他の者より大なる者とはせず、

他の善と真とを先とし、その歓喜を先ずよろこび、

己はその中にとけ入る。

 

故にこそ、統治者は常にその団体の中心となり、

団体の歓喜となるのである。

 

指令することは、戒律をつくることであり、

戒律することが神の意志に反することを、

これらの統治者は、よく知っている。

 

天国に於ける政治の基本は、以上の如くであるが、

更に各家庭に於ては、同一の形体をもつ政治が行なわれている。

 

一家には、一家の中心たる主人、即ち統治者がおり、

前記の如き原則を体している。

 

またその家族たちは、主人の働きを助け、主人の意を意として働く。

 

その働くことは、彼等にとって最大の歓喜であり、弥栄である。

 

即ち、歓喜の政治であり、経済であり、生活であり、信仰である。

 

天国に於ける天人、霊人たちは、

常にその中心歓喜たる統治者を神として礼拝する。

 

歓喜を礼拝することは、歓喜流入を受け、

より高き歓喜に進んで行くことである。

 

けれども、天国における礼拝は、地上人のそれの如き礼拝ではない。

 

礼拝生活である。総てと拝み合い、且つ歓喜し合うことである。

 

与えられたる仕事を礼拝し、仕事に仕えまつる奉仕こそ、

天国の礼拝の基本である。

 

故に、各々の天人、天使の立場によって、礼拝の形式、表現は相違している。

 

しかし、歓喜の仕事に仕えまつることが礼拝であると云う点は一致している。

 

地上人的礼拝は、

形式の世界たる地上に於ては、一つのいき方であるが、

天国に於ける礼拝は、千変万化で、無限と永遠に対するものである。

 

無限と永遠は、常に弥栄えるが故に生ずるものであり、

その弥栄が神の用である。

 

森羅万象の多種多様、限りなき変化、弥栄を見て、

この無限と永遠を知り、あらゆる形において変化繁殖するを見て、

無限と、永遠が神の用なることを知らねばならぬ。

 

天国の政治は、光の政治である。

 

天国にも地上の如く太陽があり、

その太陽より、光と、熱とを発しているが、

天国の太陽は、一つではなく二つとして現われている。

 

一は月球の如き現われ方である。

 

一は火の現われ、火の政治であり、

一は水の現われ、水の政治である。

 

愛を中心とする天人は、常に神を太陽として仰ぎ、

智を中心とする天使は、常に神を月として仰ぐ。

 

月と仰ぐも、太陽と仰ぐも、

各々その天人、天使の情動の如何によるのであって、

神は常に光と、熱として接し給うのである。

 

またそれは、大いなる歓喜として現われ給う。

 

光と熱とは、太陽そのものではない。

 

太陽は、火と現われ、月は、水と現われるが、

その内奥はいずれも大歓喜である。

 

光と熱とは、

そこより出ずる一つの現われに過ぎないことを知らねばならぬ。

 

このことをよく理解するが故に、

天国の政治は、常に光の中にあり、

また熱の中に育ち栄え、歓喜するのである。

 

天国の太陽よりは、真と愛とが常に流れ出ているが、

その真と、愛とは、太陽の中にあるのではなく、

現われ出たものが真と見え、愛と感じられるのみである。

 

太陽の内奥は大歓喜が存在する。

 

故に高度の天人の場合は、

愛も真もなく、遥かにそれらを超越した歓喜のゝが感じられるのみである。

 

この歓喜のゝが、真、善、美、愛となって、

多くの天人、天使たちには感じられるのである。

 

歓喜は、そのうけ入れる天人、天使、霊人、地上人たちのもつ内質の如何によって、

千変万化し、また歓喜によって統一されるのであるということを知らねばならぬ

二日ん(ジシン)の巻了

 

 

〇つ🌀 (マツリ)の巻、第十一帖 (四一五)

 

村々に一粒二粒づつ因縁身魂落してあるぞ、芽生へて来るぞ。

日々天地に、臣民お詑び結構ぞ、つ千おろがめよ。

 

神国の臣民は神国の行、霊国は霊国の行。

 

八月十六日、一二Θ。

 

 

397>414

一火 🌀(ヒカリ)の巻、第一帖 (三九七)

 

光の巻しるすぞ、

地(くに)の日月の神とは臣民の事であるぞ、

臣民と申しても今の様な臣民ではないぞ、

神人共に弥栄の臣民の事ぞ、

今の臣民も掃除すれば九二(くに)の一二(ひつぎ)の神様となるのざぞ、

自分いやしめるでないぞ、皆々神々様ざぞ。

 

もの頂く時は拍手打ちて頂けよ、

神への感謝ばかりでないぞ、

拍手は弥栄ざぞ、祓ざぞ、清めぞと申してあらうが、

清め清めて祓ひてから頂くのざぞ、

判りたか、

次の五の巻の謄写(とうしゃ)は四十九でよいぞ、

十は神よきに使ふぞ、

前のも十はよきに使ふたぞ、

判りたか、皆に分けるぞよ、

次は十二の巻の中からよきに抜きて謄写よいぞ。

 

二月二十四日、ひつくの神。

 

 

〇つ 🌀(マツリ)の巻第十帖 (四一四)

 

日本の人民の身魂(みたま)が九分九分九厘まで悪になりてゐるから、

外国を日本の地に致さねばならんから、

日本の地には置かれんから、

どんなことあっても神はもう知らんぞよ。

 

八月十六日、一二Θ。

 

 

398>413

一火 🌀(ヒカリ)の巻、第二帖 (三九八)

 

天之日月の大神様は別として、

雨の神様、風の神様、岩の神様、荒の神様、地震の神様、

シャカ、キリスト、マホメットの神様、百々(もも)の神様、

皆同じ所に御神体集めてまつりて下されよ、

天(あめ)の奥山、地(くに)の奥山、皆同じぞ、

御神土(おつち)皆に分けとらせよ。

 

二月二十六日朝しるすぞ、ひつくの神。

 

 

〇つ 🌀(マツリ)の巻、第九帖 (四一三)

 

上は上、中は中、下は下、

の道と定まってゐるのぢゃ、

まぜこぜならん、ちゃんと礼儀作法正しく致さな神の光出ないぞ。

 

世に落ちてゐた鏡 世に出るぞ。

 

八月十六日、一二Θ。

 

 

399>412

一火 🌀(ヒカリ)の巻、第三帖 (三九九)

今の政治はむさぶる政治ぞ、

神のやり方は与へぱなしざぞ、

 🌀(ウズ)ぞ、マコトぞ。

 

今のやり方では世界は治まらんぞ、道理ぢゃなあ。

 

天にはいくらでも与えるものあるぞ、

地にはいくらでも、どうにでもなる、

人民に与へるものあるのざぞ、

おしみなく、くまなく与えて取らせよ、

与へると弥栄へるぞ、

弥栄になって元に戻るのざ、

国は富んで来るぞ、

神徳 満ち満つのぢゃ、

この道理判るであらうがな。

 

取り上げたもの何にもならんのぢゃ、

ささげられたものだけがまことじゃ、

乗るものも只にせよ、

田からも家からも税金とるでないぞ、

年貢とりたてるでないぞ、

何もかも只ぢゃ、

日の光見よ、と申してあらうが、

黄金(きん)はいらんと申してあろが、

暮しむきのものも只でとらせよ、

只で与へる方法あるでないか、

働かん者食ふべからずと申す事 理屈ぢゃ、

理屈は悪ぢゃ、悪魔ぢゃ、

働かん者にもドシドシ与へてとらせよ、

与へる方法あるでないか、

働かんでも食べさせてやれよ、

何もかも与へぱなしぢゃ、

其処に神の政治始まるのぢゃぞ、

神の経済あるのぢゃ。

 

やって見なされ、

人民のそろばんでは木の葉一枚でも割出せないであらうが、

この方の申す様にやって見なされ、

お上は幸でうもれるのぢゃ、

余る程与へて見なされ、お上も余るのぢゃ、

此の道理判りたか。

 

仕事させて呉れと申して、

人民 喜んで働くぞ、遊ぶ者なくなるぞ、

皆々神の子ぢゃ、

神の魂うゑつけてあるのぢゃ、

 

長い目で見てやれ、

おしみなく与へるうちに人民 元の姿あらはれるぞ。

 

むさぶると悪になって来るのぢゃ、

今のさま見て改心結構ぞ、そろばん捨てよ、

人民 神とあがめよ、神となるぞ、

泥棒と見るキが泥棒つくるのぢゃ、

元の元のキの臣民

 

地(くに)の日月の神ぢゃと申してあろがな。

 

六月十七日、かのととりの日、ひつくの神。

 

 

〇つ🌀 (マツリ)の巻、第八帖 (四一二)

 

旧九月八日で一切りぢゃ、

これで一(はじめ)の御用は済みたぞ、

八分通りは落第ぢゃぞ、

次の御用 改めて致さすから、

今度は落第せん様 心得なされよ。

 

何も彼も神は見通しざぞ、

神の仕組 人民でおくれん様

気付けて結構致し下されよ、

二(つぎ)の仕組、

御用は集団(まどい)作りてよいぞ。

 

大奥山はそのままにしておかなならんぞ、

天明まだまだ神示の御用結構ぞ、アホ結構ぞ、

リコウ出るとこわれるぞ。

 

天明ばかりでないぞ、皆同様ぞ、

皆リコウになったものぢゃナア、

クドウ神にもの申さすでないぞ。

 

八月十五日、一二Θ。

 

 

400>411

一火🌀 (ヒカリ)の巻、第四帖 (四〇〇)

まつりてない時はお日様とお月様おろがめよ、マトとせよ。

 

裁判所(しらす)いらんぞ、

牢獄(ろうや)いらんぞ、

法律いらんぞ、一家仲ようしたらいらんのぢゃ、

国も同様ざぞ。

 

そんな事すれば、世の中メチャメチャぢゃと申すであらうが、

悪人がとくすると申すであろが、

誰も働かんと申すであらうが、

与へる政治だめぢゃと申すであろ、

人間の小智恵ぢゃ。

 

其処に人間の算盤(そろばん)の狂うたところ気付かんか、

上に立つ人もっともっと大き心 結構ぞ、

算盤なしで梶とらすぞ、

神の申す通りに進むのぢゃ、

これが出来ねば一段さがって頭下げてござれ、

余り大き取違ひばかりぢゃぞ、

悪の守護となってゐるからぢゃ、

此処の道理判るまでは動きとれんのぢゃぞ。

 

世界国々所々に世の大洗濯知らす神柱(かむはしら)現はしてあろが、

これは皆この方の仕組ぢゃから、

皆 仲良う手引き合ってやって呉れよ。

 

六月十七日、かのととり、ひつくの神。

 

 

〇つ 🌀(マツリ)の巻、第七帖 (四一一)

 

金(かね)いらん事になると申してあろが、

世界の人民 皆青くなって、

どうしたらよいかと何処尋ねても判らん事近づいたぞ、

早うこの神示読ましてくれよ、

神の心が九分通り臣民に判りたら、

神の政治判るのぢゃ、

与へる政治いくらでもあるぞ、

一通りと思ふなよ、時と所によっていくらでもあるのぢゃ、

つまることない神のまつりごとぢゃ。

 

人民の政治 神国には用いられんのぢゃ、

三千世界天晴れの政治 早う心得て、まつり呉れよ。

 

悪神の眷族はまだよいのぢゃ、

箸にも棒にもかからん、話の判らん動物霊に化かされて、

玩具(おもちゃ)にされてゐて、まだ気付かんのか、

神は何時迄も待たれんから、

こんな身魂(ミタマ)は一所に集めて灰にするより外ないから心得て居りて下されよ。

 

八月十四日、一二Θ。

 

 

401>410

一火🌀 (ヒカリ)の巻、第五帖 (四〇一)

 

病神がそこら一面にはびこって、

すきさへあれば人民の肉体に飛び込んでしまう計画であるから、

余程 気付けて居りて下されよ。

 

大臣(おとど)は火と水と二人でよいぞ、

ヤとワと申してあろが、

ヤ、ワ、は火の中の水、

水の中の火であるぞ、

後はその手伝いぞ、手足ざぞ、

役人 自(おのづか)ら出来るぞ。

 

ヤクはヤクであるぞ、

今迄は神国と外国と分れてゐたが、

愈々一つにまぜまぜに致して

クルクルかき廻して

ねり直して世界一つにして自ら上下出来て、

一つの王で治めるのぢゃぞ。

 

人民はお土でこねて、神の息入れてつくったものであるから、

もう、どうにも人間の力では出来ん様になったら

お地(つち)に呼びかけよ、

お地(つち)にまつろへよ、

お地(つち)は親であるから親の懐(ふところ)に帰りて来いよ、

嬉し嬉しの元のキよみがへるぞ、

百姓から出直せよ。

 

ミロク様とはマコトのアマテラススメラ太神様のことでござるぞ。

 

六月十七日、ひつくの神。

 

 

〇つ🌀 (マツリ)の巻、第六帖 (四一〇)

 

取られたり取り返したりこねまわし、終りは神の手に甦(よみが)へる。

 

世の元のまし水 湧きに湧く所、やがて奥山移さなならんぞ。

 

神示判る臣民二三分できたなら、神愈々のとどめのさすなり。

 

三界を貫く道ぞ誠なり、誠の道は一つなりけり。

 

神界の誠かくれし今迄の道は誠の道でないぞや。

 

鬼おろち草木動物虫けらも一つにゑらぐ道ぞ誠ぞ。

 

八月十三日、一二Θ。

 

 

402>409

一火 🌀(ヒカリ)の巻、第六帖 (四〇二)

 

今に世界の臣民人民 誰にも判らん様になりて上げもおろしもならんことになりて来て、これは人民の頭や力でやってゐるのでないのざといふことハッキリして来るのざぞ。

 

何処の国、どんな人民も成程ナアと得心のゆくまでゆすぶるのであるぞ。

 

今度は根本の天の御先祖様の御霊統と

根元のお地(つち)の御先祖様の御霊統とが一つになりなされて、

スメラ神国とユツタ(ユダヤ)神国と一つになりなされて

末代動かん光の世と、影ない光の世と致すのぢゃ、

今の臣民には見当とれん光の世とするのぢゃ、

光りて輝く御代ぞ楽しけれ。

 

悪い者殺してしまふて よい者ばかりにすれば、

よき世が来るとでも思ふてゐるのか、

肉体いくら殺しても魂迄は、人民の力では何うにもならんであろがな。

 

元の霊(たま)まで改心させねば、今度の岩戸開けんのぢゃぞ、

元の霊(たま)に改心させず肉体ばかりで、

目に見える世界ばかり、理屈でよくしようとて出来はせんぞ、

それ位 判って居らうが、

判りて居り乍ら(ながら)外に道ないと、仕方ないと手つけずにゐるが、

悪に魅入られてゐるのぢゃぞ、

悪は改心早いぞ、悪神も助けなならんぞ、

霊(たま)から改心させなならんぞ、善も悪も一つぢゃ、

霊も身も一つぢゃ、

天地(アメツチ)ぢゃとくどう知らしてあろが。

 

何んなよいこと喜ばして知らしても、聞かせても、

今の臣民人民 中々云ふこときかんものぢゃぞ。

 

この道にゆかりある者だけで型出せよ、カタでよいのぢゃぞ。

 

六月三十日、ひつぐの神。

 

 

〇つ 🌀(マツリ)の巻、第五帖 (四〇九)

 

肉体 先づ苦しめたら、

今度その守護神にはそれだけの見せしめせなならんことになってゐるのざぞ。

 

神がかりで まだ世界の事何でも判ると思ふてゐる人民 気の毒出来るぞ。

 

八百八光の金神殿、愈々にかかりなされたぞ。

 

出雲の大神様 此の世かまひなさる大神様なり、

其の処得ないもの、人民ばかりでないぞ、

三千世界の迷ふミタマに所得さして嬉し嬉しにまつりてやれよ、

コトで慰め弥栄へしめよ、

コトまつりて神の列(つら)に入らしめよ。

 

その国々ぞ、あたまあたまで、まつり結構ぞ、まつり呉れよ。

 

邪はらふとは邪無くすることではないぞ、

邪を正しく導くことざぞ、

追払ふでないぞ、まつろへよ。

 

引寄せて抱き参らせよ、取違ひならん大切事ぞ。

 

八月十二日、一二Θ。

 

 

403>408

一火 🌀(ヒカリ)の巻、第七帖 (四〇三)

アは元のキの神の子ぞ。

 

ヤとワは渡りて来た神の子ぞ。

 

ヤ(〇の中にヤ)ワ(〇の中にワ)は渡りて来る神の子ざぞ。

 

十の流れ、十二の流れと今に判る時来るぞ、

三ツ巴現はれるぞ、

メリカ、キリスも、オロシヤも、

世界一つに丸めて一つの王で治めるのぢゃぞ、

外国人も神の目からはないのざぞ。

 

今一戦(ひといくさ)あるぞ。

 

早う目覚めて、け嫌ひいたさず、仲よう御用結構ぞ。

 

竜宮の音秘殿、岩の神殿、荒の神殿、

世界のカタハシから愈々に取り掛かりなされてゐるのざから、

世界の出来事気付けて、早う改心結構ぞ。

 

 Θ(す)と二(ふ)と四(よ)との大きいくさあると知らしてありたが、

一旦は二(ふ)と四(よ)の天下になる所まで落ち込むぞ、

行く所まで行きて、

ナのミタマとノのミタマの和合一致出来てから

スのミタマが天下統一、世界一平となるのぢゃぞ。

 

愈々大峠 取上げにかかるのざぞ。

 

七月十九日、ひつぐの神。

 

 

〇つ 🌀(マツリ)の巻、第四帖 (四〇八)

世こしらへてから臣民の種うゑて、臣民作ったのであるぞ。

 

世、こしらへた神々様は「ながもの」の御姿ぞ、今に生き通しぞ。

 

神が見て、これならと云ふミタマに磨けたら、

神から直々の守護神つけて、

天晴れにしてやるから御用見事に仕上げさすぞ、

臣民ばかりでは出来ん、

三千世界の大洗濯、

誰一人 落したうもない神心、

皆揃ふておかげやりたや、喜ぶ顔見たや、

遠い近いの区別なし、皆々我が子ぢゃ、可愛い子ぢゃ、

早う親の心汲みとれよ。

 

八月十日、一二Θ。

 

 

 

404>407

一火 🌀(ヒカリ)の巻、第八帖 (四〇四)

 

何によらず不足ありたら、

神の前に来て不足申して、心からりと晴らされよ、

どんな事でも聞くだけは聞いてやるぞ、

不足あると曇り出るぞ、曇り出ると、ミ

タマ曇るからミタマ苦しくなりて天地曇るから遠慮いらん、

この方に不足申せよ、

この方 親であるから、不足一応は聞いてやるぞ。

 

気晴らしてカラリとなって天地に働けよ、

心の不二晴れるぞ、はじめの岩戸開けるぞ。

 

早のみ込み大怪我の元、

じっくりと繰り返し繰り返し神示よめよ、

神示 肚の肚に入れよ、

神示が元ざぞ、

今度は昔からの苦労のかたまり、

いき魂(たま)でないと御用むつかしいぞ。

 

世のたとへ出て来るぞ。

 

神が人の口使ふて云はせてあるのぢゃぞ。

 

神国は神力受けねば立ちては行けんぞ、

神なくして神力ないぞ、神なくなれば丸潰れざぞ。

 

まわりに動く集団(まどひ)早うつくれよ。

 

数で決めやうとするから数に引かれて悪となるのざ、

数に引かれ困らん様 気付けよ。

 

この神示とくのはタマでないと少しでも曇りあったら解けんぞ。

 

悪に見せて善(ぜん)行はなならん事あるぞ。

 

この行 中々ざぞ。

 

此の世の鬼 平らげるぞよ。

 

鬼なき世となりけるのざぞ。

 

判りたか。

 

キリスト教の取次さん、

仏教の取次さん、

今の内に改心結構ぞ、丸潰れ近づいて御座るに気付かんのか。

 

同じ名の神二つあるぞ。

 

人民三つ四つにもおろがんで御座るぞ、

ふみ出すもよいなれど、神示読むのが先ざぞ。

 

神第一ざぞと申してあらうが。

 

暫し待て。

 

世界のふみ出す時来るぞ。

 

アワの様な今のふみ何にもならんぞ、時待てと申してあらうがな、

この巻から謄写もならんぞ、

時来る迄 写して皆に分けとらせよ。

 

七月二十七日、ひつくの神。三年のたてかへぞ。

 

一火🌀(ひかり)の巻了

 

 

〇つ 🌀(マツリ)の巻、第三帖 (四〇七)

 

旧九月八日からの誓(ちかひ)の言葉知らすぞ。

 

五三体の大神様 五三体の大神様、

天之日月の大神様、

雨の神様、風の神様、

岩の神様、荒の神様、地震の神様、

地(クニ)の日月の大神様、

世の元からの生神様、百々(もも)の神様の大前に、

日々弥栄の大息吹、御守護弥栄に御礼申し上げます。

 

この度の三千世界の御神業、

弥が上にも、千万弥栄の御働き祈り上げます。

 

三千世界の神々様、

臣民人民一時も早く改心いたし大神様の御心に添ひ奉り、

地(くに)の日月の神と成りなりて、

全き務め果たします様 何卒(なにとぞ)御守護願ひ上げます。

 

そがためこの身この霊(タマ)はいか様にでも御使ひ下さいませ、

何卒三千世界の神々様、

臣民人民が知らず知らずに犯しました罪、穢、過(あやまち)は、

神直日大直日に見直し聞き直し下さいます様、

特にお願ひ申し上げます。

 

元つ神えみためえみため。

 

八月十日、一二Θ。

 

 

405>406

〇つ 🌀(マツリ)の巻、第一帖 (四〇五)

 

五つに咲いた桜花、五つに咲いた梅の花、どちら採る気ぢゃ。

 

今迄の教ではこの道判らんぞ、

益々食ふ物なく曇りてくるぞ、

その国その所々で当分暮しむき出来るぞ、

野見よ、森見よと申してあろ、

青山も泣き枯る時来ると申してあろ、

海川も泣き枯る時来るぞ、

まだきかず我さへよけらよいと、我

れよしして御座る人民神々様 気の毒来るぞ、

今迄は神も仏も同じぞと申してゐたが神と仏とは違ふのざぞ、

十(かみ)の動くが卍(ほとけ)ぞ、

卍の動くが 🌀(か三)ぞ、

🌀の澄みきりが Θ(おおかみ)ぞ、

神と仏と臣民とは違ふのぢゃぞ。

 

八月八日、一二Θ。

 

 

〇つ 🌀(マツリ)の巻、第二帖 (四〇六)

 

これまでは「いろは」でありたが、

愈々一二三(ひふみ)の力 加はるぞ、

「いろは」はやさしいが

「一二三」は新(あら)いから、

新事(あらごと)もするから その覚悟致されよ、

その覚悟よいか、

きたない心すててゐると、

小さい心大きくなって自分でもびっくりする様 結構が来るぞ。

 

警察いらんと申してあるぞ。

 

八月九日、一二Θ。