まぜまぜ(^^♪ひふみ神示 その2

ブースカ明日香さんを真似て書いてみました(^^) スマホでしたら、横画面にすると見やすいかと思います。 5/11改題しました。

まぜまぜ 五七一~六〇〇

ひふみ神示 まぜまぜの第五七一帖~第六〇〇帖

 

 

第二十四巻 黄金(コガネ)の巻

全百帖・通し番号(五一二)~(六一一)のうち(五七一)~(六〇〇)

自  昭和二十四年十一月十七日

至  昭和二十五年 一月十八日

 

 

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黄金(コガネ)の巻、第六十帖(五七一)

 

ここはいと古い神まつりて、いと新しい道ひらくところ。

 

天狗さん鼻折りて早う奥山に詣れよ。

 

この世の仕事が あの世の仕事。

 

この道理判らずに、

この世の仕事すてて、神の為ぢゃと申して飛廻る鼻高さん、ポキンぞ。

 

仕事仕へまつれよ

 

徳つめばこそ天国へ昇るのぢゃ。

 

天国に行く人、この世でも天国にゐるぞ。

 

キタはこの世の始めなり。(十二月七日)一二十

 

 

黄金(コガネ)の巻、第八十九帖(六〇〇)

 

喜びは神から流れ、愛から流れ出るのであるが、

愛そのもの、善そのものではない。

 

生命であるぞ。

 

生命であるが生命の本体ではないぞ。

 

天地には天地のキ、民族には民族のキあるぞ。

 

そのキは時代によって変って来る。

 

その時のキが、その時のまことの姿であるぞ。

 

それに合はんものは亡んで了ふぞ。

 

火の洗礼、水の洗礼、ぶったり、たたいたり、

カ、ミの洗礼なくては銘刀は出来ん道理ぢゃ。(一月三日)

 

 

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黄金(コガネ)の巻、第六十一帖(五七二

 

自分のみの信仰は、私心私情のため、

自己つくりてから人を導くのぢゃと理屈申してゐるが、

その心根洗って自分でよく見つめよ。

 

悪は善の仮面かぶって心の中に喰入ってゐるぞ。

 

仮面が理屈、理屈は隠れ蓑。(十二月七日)一二十

 

 

黄金(コガネ)の巻、第八十八帖(五九九)

 

日本は日本、唐は唐、オロシヤはオロシヤ、

メリカキリスはメリカキリスぢゃ。

 

分けへだてするのは神の心でないと申す人民 沢山あるが、

世界は一平ぢゃと申して、同じことぢゃ、同じ神の子ぢゃと申してゐるが、

頭は頭、手は手、足は足と申してあらうが。

 

同じことであって同じでないぞ。

 

悪平等悪平等ぞ。

 

世界丸つぶれのたくらみぞ。

 

この道理よく心得なされよ。

 

総てのものを先づ感受せよ。

 

その後に感謝せよ。

 

感謝すれば弥栄えるぞ。(一月三日)(五九九)

 

 

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黄金(コガネ)の巻、第六十二帖(五七三

 

洋服ぬいで和服着て又洋服着るのぢゃ。

 

仏の力と神の力と同じでないぞ。

 

同じ所までは同じであるが、もう此処まで来たら、

この先は神の道(ミチ)でなくては動きとれん。

 

神の大理(オオミチ)は上の上であるぞ。

 

神の理を明らかにすれば、神はその人を明らかにする。

 

天使は天と地の和合者、仁人は地と天の和合者。(十二月七日)一二十

 

 

黄金(コガネ)の巻、第八十七帖(五九八)

 

まことに改心出来たと、神が見届けたら、

今度はこの世はもとより、何の心配もないやうに守って、

肉体、顔まで変へてやるぞ。

 

宿命と運命は同じでない。

 

磨けばどんなにでも光るぞ。

 

放っておいても神に背くものは自滅して行き、

従ふものは弥栄えて行くぞ。

 

其処に神の能(ハタラキ)、よくさとりて下されよ。

 

人間の処理方法と神の処理方法と融和せねばならん。

 

急がねばならず、急いでは谷底に落ちて出来損なふぞ。

 

ありとあるもの、何んでも彼んでも天地の御用持ってゐるのぞ。

 

そのものの勝手な道は許さんぞ。

 

大き喜びの中に、小さい自分の喜び大きく栄えるぞ。

 

大きな生命の中にこそ小さい自分のマコトの喜びが弥栄えるのであるぞ。

 

判りたか。(一月三日)

 

 

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黄金(コガネ)の巻、第六十三帖(五七四)

 

奥山奥山と知らしてあろうが、

ふでは奥山から出て、奥山で分けるくらいのこと、

何故に分らんのじゃ。

 

誰でもが勝手にしてならん。

 

それぞれの順立てねば悪となるぞ。

 

判らんのは、われよしからぢゃ。

 

本から固めて行かねば何時までたっても小田原ぢゃ。

 

小田原も道筋ながら、それでは世界の人民 丸つぶれとなるぞ。

 

三分残したいために三千の足場と申してあるのぢゃ。

 

早う三千集めよ。

 

御役 御苦労。(十二月七日)一二十

 

 

黄金(コガネ)の巻、第八十六帖(五九七)

 

一分一厘、力一杯、違はんこと書かしてあるのぢゃ。

 

色眼鏡で見るから、違ったことに見えるのぢゃ。

 

神示、嘘ぢゃと申すやうになるのぞ。

 

眼鏡外して、落ち付いてみて、ハラで見て下されよ。

 

世の先々のことまで はっきりと写るぞ。

 

そなたの心の中にゐる獣(ケダモノ)、言向けねばならん。

 

善きに導かねばならん。

 

一生かかってもよいぞ。

 

それが天国に行く鍵であるぞ。

 

マコトの改心であるぞ。

 

智慧と、愛が主の座に居らねばならん。

 

物は愛から生れるぞ。

 

ウムものがもとぢゃ。

 

生まれるものはナルのぢゃ。

 

ナルには智慧でなるのぢゃぞ。(一月三日)

 

 

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黄金(コガネ)の巻、第六十四帖(五七五)

 

何処で何してゐても道さへふんで居れば弥栄えるぞ。

 

行き詰ったら省みよ。

 

己の心の狂ひ、判って来るぞ。

 

神から伸びた智と愛でないと、

人民の智や学や愛はすぐペシャンコ。

 

やりてみよれ。

 

根なし草には実は結ばんぞ。

 

お尻出したら お尻綺麗にふいてやれよ。

 

怒ってはならん。

 

子の尻と思うて拭いてやれよ。

 

判った人民よ。

 

今の内は阿呆結構ぞ。

 

一つに和して御座れ。

 

人間心で急ぐでないぞ。(十二月十四日)一二十

 

 

黄金(コガネ)の巻、第八十五帖(五九六)

 

裏の仕組にゝ入れると表の仕組となり、

表の仕組に〇入れると裏の御役となるなり。

 

ゝ抜けば悪のやり方となるのぢゃ。

 

どの仕組も判りて居らんと、

三千世界の先々まで判りて居らんと、何事も成就せんぞ。

 

神界の乱れ、イロからぢゃと申してあらう。

 

男女関係が世の乱れの因であるぞ。

 

お互に魂のやりとりであるぞ。

 

この世ばかりでなく、

あの世まで続くのであるから、くどう気つけておくぞ。

 

コトはモノになる。

 

悪いことすれば悪いもの生れて来て、生れ故郷に喰付いて悪くする。

 

善いことも同様ぞ。

 

因縁のあるみたまが集まって来て人のようせん辛抱して、

世界の立替立直しの御用致すのであるから、

浮いた心で参りて来ても御役に立たん。

 

邪魔ばかりぢゃ。

因縁のみたまは何んなに苦しくても心は春ぢゃ。

 

心勇まんものは、神示よんで馬鹿らしいと思ふものは、

遠慮いらんから、さっさと帰りて下されよ。

 

神はもう、気嫌とりは御免ぢゃ。(一月三日)

 

 

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黄金(コガネ)の巻、第六十五帖(五七六)

 

自分に捉はれると局部の神、有限の神しか判らんぞ。

 

自分捨てると光さし入るぞ。

 

知はアイ、息は真ぞ。

 

平面の上でいくら苦しんでも何にもならん。

 

却ってめぐり積むばかり。

 

どうどうめぐりぢゃ。

 

てん曰(シ)は奥山にお出ましぞ。(十二月十四日)一二十

 

 

黄金(コガネ)の巻、第八十四帖(五九五)

 

神は人民に改心さして、

世の立替立直し致さうと思うたのであるが、

曇りがあまりにひどいから、

何事のびっくりが出るか、もう神も堪忍袋の緒 切れたぞ。

 

人間が恨みや怒りもつと、その持物までが争ふことになるぞ。

 

早う気持から洗濯して下されよ。

 

死んでも続くぞ。

 

結構に始末せねばならん。

 

上に立つ者 余計に働かねばならん時来てゐるぞ。

 

いくら古くから信心してゐると申しても【肝腎】が判りて居らんと何もならん。

 

よい御用出来ん。

 

想念の自由とは神に向上するより上の、よりよき方に進む自由であるぞ。

 

どの世界の人民も自由もつ。(一月三日)

 

 

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黄金(コガネ)の巻、第六十六帖(五七七)

 

省みると道見出し、悟ると道が判り、改むると道進む。

 

苦しむばかりが能ではない。

 

自分の中にあるから近よって来るのであるぞ。

 

厭なこと起って来るのは、厭なことが自分の中にあるからじゃ。

 

肉体は親から受けたのざから親に似てゐるのぞ。

 

霊は神から受けたのざから神に似てゐるぞ。

 

判りた守護神 一日も早く奥山へ出て参りて、神の御用結構。(十二月十四日)一二十

 

 

黄金(コガネ)の巻、第八十三帖(五九四)

 

ひかる誠の行をさしたら、皆 逃げて了ふから、

ここまで甘くして引張って来たなれど、

もう甘く出来んから、

これからはキチリキチリと神の規則通りに行ふから、

御手柄結構に、褌しめて下されよ。

 

この世は神の国の移しであるのに、

幽界から移りて来たものの自由にせられて、

今の体裁、この世は幽界同様になってゐるぞ。

 

地は九二(クニ)のやり方せねば治まらん。

 

早う気付いた人民から、救ひの舟を出して下されよ。

 

これと信じたらまかせ切れよ。

 

損もよいぞ。

 

病気もよいぞ。

 

怪我もよいぞ。

 

それによって めぐり取っていただくのぞ。

 

めぐりなくなれば日本晴れぞ。

 

今がその借銭済しぞ。

 

世界のめぐり大きいぞ。

 

真理は霊、芸術は体であるぞ。

 

正し芸術から神の理(ミチ)に入るのもよいぞ。

 

説くのもよいぞ。

 

芸術の行き詰りは真理がないからぞ。

 

芸術は調和。

 

七つの花が八つに咲くぞ。(一月三日)一二十

 

 

578>593

黄金(コガネ)の巻、第六十七帖(五七八)

 

慢心出るから神示読まんやうなことになるのぞ。

 

肚の中に悪のキ這入るからぐらぐらと折角の屋台骨 動いて来るのぞ。

 

人の心がまことにならんと、まことの神の力 現はれんぞ。

 

みたまみがきとは善いと感じたこと直ちに行ふことぞ。

 

愛は神から出てゐるのであるから、

神に祈って愛さして戴くやうにすると弥栄えるぞ。

 

祈らずに自分でするから、本を絶つから、

われよしに、自分愛になるのぞ。

 

自分 拝(オロガ)むのは肉愛でないぞ。(十二月十四日)

 

 

黄金(コガネ)の巻、第八十二帖(五九三)

 

愈々となって助けてくれと走り込んでも、

その時では遅いから、間に合はんから、

早う神の心悟れと申してあるのざ。

 

笑のない教にして下さるなよ。

 

学問や金を頼ってゐる内は、まだまだ改心出来ないぞ。

 

今迄の宗教の力でも、法律でも、どうにもならん。

 

掃除が目の前に来てゐるぞ。

 

神の力を頼るより他に理(ミチ)ないことまだ判らんか。

 

中程まで進むと判らんことあるぞ。

 

神の試練 気つけてくれよ。

 

どちらの国も見当とれんことになるぞ。

 

肚立つのはめぐりあるからぞ。

 

善でつづくか悪でつづくか、

この世に善と悪とがあって、

どちらで立って行くか、末代つづくか、

得心ゆくまで致させてあったが、

もう悪ではつづかんことが、悪神にも判って来るのであるから、

今しばらくのゴタゴタであるぞ。

 

ものの調和が判れば、正しき霊覚が生れるぞ。

 

神の姿がうつって来るぞ。(一月三日)一二十

 

 

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黄金(コガネ)の巻、第六十八帖(五七九)

 

神と人の和は神よりなさるものであるぞ。

 

本質的には人間から神に働きかけるものでないぞ。

 

働きかける力は神から出るのであるから人間から和し奉らねばならんのであるぞ。

 

信じ合ふ一人が出来たら一つの世界を得たこと。

 

一つ得たら二つになったことぞ。

 

祈りを忘れることは、

神を忘れること、神から遠ざかること、

それではならんのう。

 

安全な道通れ。

 

安全な教の所へ集まれよ。(十二月十四日)

 

 

黄金(コガネ)の巻、第八十一帖(五九二)

 

心に凸凹あるから幽界のものに取りつかれて、

つまらんことになるのぞ。

 

つまらんことをひろめて亡びるぞ。(一月三日)一二十

 

 

580>591

黄金(コガネ)の巻、第六十九帖(五八〇)

 

悪く云はれるのが結構ぞ。

 

何と云はれても びくつくやうな仕組してないぞ。

 

天晴れ、三千世界のみろくの仕組、天晴れぞ。

 

この先は神の力 戴かんことには、ちっとも先行かれんことになるぞ。

 

行ったと思うてふり返ると、後戻りしてゐたのにアフンぞ。

 

心得なされよ。

 

何も彼も存在許されてゐるものは、それだけの用あるからぞ。

 

近目で見るから、善ぢゃ悪ぢゃと騒ぎ廻るのぞ。

 

大き一神を信ずるまでには、部分的多神から入るのが近道。

 

大きものは一目では判らん。

 

この方 世に落ちての仕組であるから、落して成就する仕組、結構。

 

神様は親、四角張らずに近寄って来て親しんで下されよ。(十二月十四日)

 

 

黄金(コガネ)の巻、第八十帖(五九一)

 

慾が深いから先が見えんのぢゃ。

 

悪神よ、今迄は思ふ通りに、始めの仕組通りにやれたなれど、

もう悪の利かん時節が来たのであるから、

早う善に立ちかへりて下されよ。

 

善の神まで捲き入れての仕放題、

これで不足はもうあるまいぞや。

 

いくら信仰しても借銭なくなる迄は苦しまねばならん。

 

途中でへこたれんやうに、生命がけで信仰せねば借銭なし六ヶ敷いぞ。

 

途中で変る紫陽花(アジサイ)では、御用六ヶ敷いぞ。(一月三日)一二十

 

 

581>590

黄金(コガネ)の巻、第七十帖(五八一)

 

曰九千🌀(シクジリ)のミタマもあるなれど、この方の仕組ぢゃ。

 

めったに間違ひないのざから、欲しいものには一先づ取らせておけよ。

 

めぐりだけ取って行って下さる仕組ぞ。

 

苦しめたら改心中々ぢゃ。

 

喜ばせて改心結構ぢゃなあ。

 

総てを愛せよと申すのは、高い立場のことで御座るぞ。

 

九九(ココ)には九九の立場あるぞ。

 

よく心得なされよ。

 

世の中には順序あるぞ。

 

それがカズタマ(数霊)、動くと音出るぞ。

 

それがコトタマ(言霊)、ものには色あるぞ。

 

それがイロタマ(色霊)。(十二月十四日)

 

 

黄金(コガネ)の巻、第七十九帖(五九〇)

 

心、入れかへ奥山へ参りて、その場で荷物を持たすやうになるから、

ミタマを十分磨いておいて下されよ。

 

神が力添へるから、どんな見事な御用でも出来るのであるぞ。(一月三日)一二十

 

 

582>589

黄金(コガネ)の巻、第七十一帖(五八二)

 

世界がそなたにうつってゐるのぞ。

 

世界見て己の心早う改心致されよ。

 

世はグルグルと七変り、改心の為 世界の民皆、今度は引上げ一旦みなあるぞ。

 

経(タテ)のつながりを忘れ勝ちぢゃ。

 

平面のことのみ考へるから平面のキのみ入るぞ。

 

平面の気のみでは邪であるぞ。

 

動機善なれば失敗は薬。(十二月十四日)

 

 

黄金(コガネ)の巻、第七十八帖(五八九)

 

悪で行けるなら悪でもよいが、悪は影であるから、

悪ではつづかんから早う善に帰れと申すのぞ。

 

先祖は肉体人を土台として修業するぞ。

 

めぐりだけの業をせねばならん。(一月三日)一二十

 

 

583>588

黄金(コガネ)の巻、第七十二帖(五八三

 

世界の人民 皆改心せよと申すのぞ。

 

どんなめぐりある金でも持って居ればよいやうに思うて御座るなれど、

めぐりある金はめぐりそのものと判らんか。

 

家の治まらんのは女が出るからぞ。

 

夫立てると果報は女に来るぞ。

 

天界に住む者は一人々々は力弱いが和すから無敵ぞ。

 

幽界に住む者は一人々々は強いが孤立するから弱いのぞ。

 

仲よう和してやれと申す道理判りたか。

 

そなたは何万年の原因から生れ出た結果であるぞ。

 

不足申すでないぞ。十二月十四日。

 

 

黄金(コガネ)の巻、第七十七帖(五八八)

 

不二の仕組とは動かん真理、

🌀(ウズウミ)のナルト(成答)の仕組とは弥栄の限りなき愛のことであるぞ。

 

神の理(ミチ)に入り、理(ミチ)をふんで居れば、

やり方一つで何でもよく、嬉し嬉しとなるぞ。

 

世の元から出来てゐるミタマの建直しであるから、

一人の改心でも中々であると申してゐるのに、

ぐづぐづしてゐると間に合はん。

 

気の毒出来るぞ。

 

めぐりと申すのは自分のしたことが自分にめぐって来ることであるぞ。

 

めぐりは自分でつくるのであるぞ。

 

他を恨んではならん。

 

美の門から神を知るのが、誰にでも判る一番の道であるぞ。

 

芸術から神の道に入るのは誰にでも出来る。

 

この道理判るであらうが。

 

審判の廷(サバキのニワ)に出たならば、

世界は一人の王となるぞ。

 

御出まし近うなったぞ。

 

自分よくして呉れと申してゐるが、

それは神を小使に思うてゐるからぞ。

 

大きくなれよ。(一月三日)一二十

 

 

584>587

黄金(コガネ)の巻、第七十三帖(五八四)

 

四十八柱、四十九柱、

それぞれの血筋の者 引き寄せておいて、

その中から磨けた者ばかり選り抜く仕組。

 

磨けん者 代りのミタマいくらでもあるぞ。

 

お出直しお出直し。

 

世界が二分ぢゃなあ。

 

もの見るのは額でみなされ。

 

ピンと来るぞ。

 

額の判断 間違ひなし。

 

額の目に見の誤りなし。

 

霊界には時間、空間は無いと申してゐるが、無いのでないぞ。

 

違って現はれるから無いのと同様であるぞ。

 

あるのであるぞ。

 

悪の霊はミゾオチに集まり、頑張るぞ。

 

こがねの巻は百帖ぞ。

 

こがね しろがね とりどりに出るのぢゃ。

 

あわてるでないぞ。(十二月二十七日)一二十

 

 

黄金(コガネ)の巻、第七十六帖(五八七)

 

真理を知って、よくならなかったら、よく省みよ。

 

よくなるのがマコトであるぞ。

 

悪くなったら心せねばならん。

 

善人が苦しむことあるぞ。

 

よく考へて見い。

 

長い目で見てよくしようとするのが神の心ぞ。

 

目の前のおかげでなく、永遠の立場から、よくなるおかげがマコトのおかげ。

 

神徳は重いから腰ふらつかんやうにして下されよ。

 

その代り貫きて下されたら、永遠(トワ)にしぼまん九の花となるぞ。

 

二二(フジ)に、九(ク)の花どっと咲くぞ。

 

拍手は清めであるが、神様との約束固めでもあるぞ。

 

約束たがへるでないぞ。(一月三日)一二十

 

 

585>586

黄金(コガネ)の巻、第七十四帖(五八五)

 

貰うた神徳に光出す人民でないと、神徳をわれよしにする人民にはおかげやらん。

 

自分が自分で思ふやうになるまいがな。

 

自分が自分のものでないからぞ。

 

自分のものなら自由になると申してあらうが。

 

道を進めば楽に行ける。

 

道行かんで山や畠や沼に入るから苦しむのぞ。

 

神の仕組の判る人民二三分出来たら、いよいよにかかるぞ。

 

未だ未だ改心足らん。

 

神せけるぞ。

 

魂にめぐりあると何してもグラリグラリと成就せんぞ。

 

めぐりのままが出て来るのであるぞ。

 

心のよきもの、神にまつりて、この世の守護神と現はすぞ。

 

理屈は判らんでも真理は掴めるぞ。

 

信念と真念は違ふぞ。

 

信念は自分のもの。

 

信念超えて真念あるぞ。

 

任せきったのが真念ぞ。

 

迷信が迷信でなくなることあるぞ。

 

ぢゃと申して信念がいらんのでないぞ。

 

もう待たれんから判りた人民一日も早く奥山に参りて

神の御用結構につとめあげて下されよ。

 

世界中を天国にいたす御用の御役、つとめ上げて下されよ。

 

人間の念力だけでは何程のことも出来はせんぞ。

 

その念力に感応する神の力があるから人間に判らん、

びっくりが出て来るのざぞ。(一月三日)一二十

 

 

黄金(コガネ)の巻、第七十五帖(五八六

 

戦や天災では改心出来ん。

 

三千世界の建直しであるから、誰によらん。

 

下の神々様もアフンの仕組で、見事成就さすのであるが、

よく神示読めば、心でよめば、仕組九分通りは判るのであるぞ。

 

死ぬ時の想念がそのままつづくのであるから、

その想念のままの世界に住むのであるぞ。

 

この世を天国として暮す人 天国へ行くぞ。

 

地獄の想念、地獄生むぞ。

 

真理を知ればよくなるぞ。

 

そんなこと迷信と申すが、求めて見なされ。

 

百日一生懸命 求めて見なされ。

 

必ずおかげあるぞ。

 

神があるから光がさして嬉し嬉しとなるのであるぞ。(一月三日)一二十