まぜまぜ(^^♪ひふみ神示 その2

ブースカ明日香さんを真似て書いてみました(^^) スマホでしたら、横画面にすると見やすいかと思います。 5/11改題しました。

まぜませ 一五一~一八〇

ひふみ神示 まぜまぜの第一五一帖~第一八〇帖

 

第五巻 地(くに)つ巻
全三十六帖・通し番号(一三八)~(一七三)のうち(一五一)~(一七三)
自 昭和十九年九月十五日
至 昭和十九年十月十一日 

 

第六巻 日月(ひつ九)の巻
全四十帖・通し番号(一七四)~(二一三)のうち(一七四)~(一八〇)
Θ(ヒ)の巻、第一帖(一七四)~第二十七帖(二〇〇)
月(ツキ)の巻、第二十八帖(二〇一)~第四十帖(二一三)
自 昭和十九年旧九月一日
至 昭和十九年十一月三十日 

 


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地つ巻、第十四帖 (一五一)

 

この道分りた人から一柱でも早う出てまゐりて神の御用なされよ。

どこに居りても御用はいくらでもあるのざぞ。

神の御用と申して稲荷(いなり)下げや狐つきの真似はさせんぞよ。

この道はきびしき行(みち)ざから楽な道なのぞ。

上にも下(しも)にも花さく世になるのざぞ、
後悔は要らぬのざぞ。

カミは見通しでないとカミでないぞ、
今のカミは見通しどころか目ふさいでゐるでないか。

蛙(かえる)いくら鳴いたとて夜あけんぞ。

赤児になれよ、ごもく捨てよ、
その日その時から顔まで変るのざぞ、
神烈しく結構な世となりたぞ。

九月二十三日、ひつくのか三。

 


日月の巻、第七帖 (一八〇)

 

ツギ、タカミムスビ
ツギ、カミムスビノミコトトナリタマイキ、
コノミハシラ スニナリマシテ スミキリタマイキ。

岩戸ひらく道、神々苦むなり、弥ひらき苦む道ぞ、
苦しみてなりなり、なりゑむ道ぞ、
神諸々なり、世は勇むなり、
新しき道、ことごとなる世、
神諸々(もろもろ)四方(よも)にひらく、
なる世の道、ことごとくの道、みいづぞ。

十月二十四日、一二Θ。

 


152>179
地つ巻、第十五帖 (一五二)

 

神の国のカミの役員に判りかけたらバタバタに埒(らち)つくなれど、
学や智恵が邪魔してなかなかに判らんから、
くどう申しているのざぞ。

臣民物言はなくなるぞ、この世の終り近づいた時ぞ。

石物言ふ時ぞ。

神の目には外国もやまともないのざぞ。

みなが神の国ぞ。

七王(ななおう)も八王(やおう)も作らせんぞ、
一つの王で治めさすぞ。

てん詞様が世界みそなはすのざぞ。

世界中の罪負ひておはします素盞雄の大神様に気附かんか、
盲つんぼばかりと申してもあまりでないか。

九月の二十三日、ひつ九のか三。

 


日月の巻、第六帖 (一七九)

 

アメツチノトキ、アメミナカヌシノミコト、アノアニナリマシキ、
タカアマハラニ ミコトトナリタマヒキ。

今の経済は悪の経済と申してあろがな、もの殺すのぞ。

神の国の経済はもの生む経済ぞ。

今の政治はもの毀(こわ)す政治ぞ、
神の政治は与へる政治と申してあろが。

配給は配給、統制は統制ぞ。

一度は何もかも天地に引上げと申してあるが、
次の四(よ)の種だけは字に埋めておかねばならんのざぞ。

それで神がくどう申してゐるのぞ。

種は落ちぶれてゐなさる方(かた)で守られてゐるぞ。

上下に引繰り返ると申してある事近づいて来たぞ。

種は百姓に与へてあるぞ。

種蒔くのは百姓ぞ。

十月の二十二日、ひつ九かみ。

 


153>178
地つ巻、第十六帖 (一五三)

 

神が臣民の心の中に宝いけておいたのに、
悪にまけて汚して仕まうて、
それで不足申してゐることに気づかんか。

一にも金、二にも金と申して、
人が難儀しようがわれさへよけらよいと申してゐるでないか。

それはまだよいのぞ、
神の面(めん)かぶりて口先ばかりで

神さま神さま てんしさま てんしさま と申したり、
頭下げたりしてゐるが、こんな臣民一人もいらんぞ、
いざと云ふときは尻に帆かけて逃げ出す者ばかりぞ、
犬猫は正直でよいぞ、こんな臣民は今度は気の毒ながらお出直しぞ、
神の申したこと一分一厘ちがはんのざぞ、
その通りになるのざぞ。

うへに唾(つば)きすればその顔に落ちるのざぞ、
時節ほど結構なこわいものないぞ、時節来たぞ、あはてずに急いで下されよ。

世界中うなるぞ。陸が海となるところあるぞ。

今に病神(やまいがみ)の仕組にかかりてゐる臣民苦しむ時近づいたぞ、
病はやるぞ、この病は見当とれん病ぞ、
病になりてゐても、人も分らねばわれも分らん病ぞ、
今に重くなりて来ると分りて来るが、
その時では間に合はん、手おくれぞ。

この方の神示(ふで)よく腹に入れて病追ひ出せよ、
早うせねばフニャフニャ腰になりて四ツん這ひで這ひ廻らなならんことになると申してあらうがな、
神の入れものわやにしてゐるぞ。

九月二十三日、ひつ九のか三。

 


日月の巻、第五帖 (一七八)

 

神の国には神も人も無いのざぞ。

忠も孝もないのざぞ。

神は人であるぞ。

山であるぞ。

川であるぞ。

めである。

野である。

草である。

木である。

動物であるぞ。

為すこと皆忠となり孝とながれるのぞ。

死も無く生も無いのぞ。

神心あるのみぞ。

やがては降らん雨霰(あめあられ)、役員 気つけて呉れよ。

神の用意は出来てゐるのざぞ。

何事からでも早よう始めて呉れよ。

神の心に叶ふものは どしどしとらち明くぞ。

十月二十一日、一二Θ。

 


154>177
地つ巻、第十七帖 (一五四)

 

まことの善は悪に似てゐるぞ、まことの悪は善に似てゐるぞ、
よく見分けなならんぞ、
悪の大将は光り輝いてゐるのざぞ、悪人はおとなしく見えるものぞ。

日本の国は世界の雛形であるぞ、
雛形でないところは真の神の国でないから、
よほど気つけて居りて呉れよ、
一時は敵となるのざから、ちっとも気許せんことぞ、
神が特に気つけておくぞ。

今は日本の国となりて居りても、
神の元の国でないところもあるのざから、
雛型見てよく腹に入れておいて下されよ、
後悔間に合はんぞ。

九月二十三日、ひつ九のか三。

 


日月の巻、第四帖 (一七七)

 

戦済みても後の紛糾なかなかに済まんぞ。

人民いよいよ苦しくなるぞ。

三四五(みよいづ)の仕組出来ないで、
一二三(ひふみ)の御用はやめられんぞ。

此の神示読んで三四五の世の仕組よく腹の中に入れておいて
上(かみ)の人に知らしてやりて下されよ。

三四五とはてんし様の稜威(みいづ)出づことぞ。

十月二十日、ひつ九のか三。

 


155>176
地つ巻、第十八帖 (一五五)

 

われよしの政治ではならんぞ、今の政治経済はわれよしであるぞ。

臣民のソロバンで政治や経済してはならんぞ、
神の光のやり方でないと治まらんぞ、
与へる政治がまことの政治ぞよ、
臣民いさむ政治とは上下まつろひ合はす政治のことぞ、
日の光あるときは、いくら曇っても闇ではないぞ、
いくら曇っても悪が妨げても昼は昼ぞ、
いくらあかりつけても夜は夜ぞ、
神のやり方は日の光と申して、
くどう気つけてあらうがな。

政治ぞ、これは経済ぞと分けることは、まつりごとではないぞ。

神の臣民、魂と肉体の別ないと申してあること分らぬか、
神のやり方は人の身魂(からたま)人のはたらき見れは直ぐ分るでないか。

腹にチャンと神鎮まって居れば何事も箱さした様に動くのざぞ、
いくら頭がえらいと申して胃袋は頭のいふ通りには動かんぞ、
この道理分りたか、ぢゃと申して味噌も糞も一つにしてはならんのざぞ。

神の政治はやさしい六ヶしいやり方ぞ、
高きから低きに流れる水のやり方ぞ。

神の印(しるし)つけた悪来るぞ。

悪の顔した神あるぞ。

飛行機も船も臣民もみな同じぞ。

足元に気つけて呉れよ、向ふの国はちっとも急いでは居らぬのぞ、
自分で目的達せねば子の代、
子で出来ねば孫の代と、
気長くかかりてゐるのざぞ、
神の国の今の臣民、気が短いから、しくじるのざぞ。

しびれ切らすと立ち上がれんぞ、
急いではならんぞ、急がねばならんぞ。

神の申すこと取り違ひせぬ様にして呉れよ。

よくこの神示(ふで)よんで呉れよ、
元の二八基(じゃき)光理(こり)てわいて出た現空(あく)の種は
二八基(じゃき)と大老智(おろち)と世通足(よつあし)となって、
二八基には仁本の角、大老智は八ツ頭、八ツ尾、四通足(よつあし)は
金母であるから気つけておくぞ。

世通足はお実名に通(つ)いて分けてゐるから、
守護神どの、臣民どの、だまされぬ様に致して下されよ。

九月二十三日、あのひつ九のか三。

 


日月の巻、第三帖 (一七六)

 

此の神示 声立てて読みて下されと申してあろがな。

臣民ばかりに聞かすのでないぞ。

守護神殿、神々様にも聞かすのぞ、声出して読みてさへおればよくなるのざぞよ。

じゃと申して、仕事休むでないぞ。

仕事は行であるから務め務めた上にも精出して呉れよ。

それがまことの行であるぞ。

滝に打たれ断食する様な行は幽界(がいこく)の行ぞ。

神の国のお土踏み、神国の光いきして、
神国から生れる食物(たべもの)頂きて、
神国のおん仕事してゐる臣民には行は要らぬのざぞ。

此の事よく心得よ。

十月十九日、一二Θ。

 

 

156>175
地つ巻、第十九帖 (一五六)

 

世成り、神国の太陽足り満ちて、皆みち足り、
神国の月神、世をひらき足り、弥栄にひらき、月光、
総てはみち、結び出づ、道は極みに極む、
一二三(ひふみ)、三四五(みよいづ)、五六七(みろく)、弥栄々々ぞ、
神、仏、耶ことごと和し、和して足り、
太道ひらく永遠(とわ)、富士は晴れたり、
太神は光り出づ、神国のはじめ。

九月二十四日、一二Θふみ。

 


日月の巻、第二帖(一七五)

 

三千年三千世界乱れたる、罪やけがれを身において、
此の世の裏に隠(か)れしまま、
此の世構ひし大神のみこと畏み此の度の、
岩戸開きの御用する、身魂は何れも生きかはり、死にかはりして練りに練り、
鍛へに鍛へし神国の、まことの身魂
天駈けり、国駈けります元の種、昔の元のおん種ぞ、
今 落ちぶれてゐるとても、軈(やが)ては神の御民とし、
天地(あめつち)駈けり神国の、救ひの神と現はれる、
時近づきぬ御民等よ。

今一苦労二苦労、とことん苦しき事あれど、
堪へ忍びてぞ次の世の、まこと神代の礎と、磨きて呉れよ神身魂、
いやさかつきに栄えなむ。

みたまさちはへましまさむ。

旧九月二日、ひつ九のか三。

 


157>174
地つ巻、第二十帖 (一五七)

 

世界に変りたこと出来たら、それは神々様の渡られる橋ぞ。

本清めねば末は清まらんぞ、
根絶ちて葉しげらんぞ、元の田根(たね)が大切ざぞ、
種はもとから択(よ)り分けてあるのざぞ、ぜんぶり苦(にが)いぞ。

九月の二十四日、ひつ九のか三。

 


日月の巻、第一帖 (一七四)

 

富士は晴れたり日本晴れ。

Θの巻 書き知らすぞ。

此の世に自分の物と云ふ物は何一つないのであるぞ。

早う自分からお返しした者から楽になるのざぞ。

今度の大洗濯は三つの大洗濯が一度になって居るのざから、
見当取れんのざぞ。

神の国の洗濯と外国の洗濯と世界ひっくるめた洗濯と一度になってゐるのざから、
そのつもりで少しでも神の御用務めて呉れよ。

此れからがいよいよの正念場と申してあろがな。

今はまだまだ一の幕で、せんぐり出て来るのざぞ。

我(が)出したら判らなくなるぞ、てんし様おがめよ、てんし様まつりて呉れよ、
臣民 無理と思ふ事も無理でない事 沢山にあるのざぞ、
神はいよいよの仕組にかかったと申してあろがな。

毀(こわ)すのでないぞ、練り直すのざぞ。

世界を摺鉢(すりばち)に入れて捏(こ)ね廻し、練り直すのざぞ。

日本の中に騒動起るぞ。

神の臣民 気つけて呉れよ。

日本も神と獣に分れているのざから、

いやでも応でも騒動となるのざぞ。

小さくしたいなれど。

旧九月一日、ひつくのか三。

 


158>173
地つ巻、第二十一帖 (一五八)

 

神界のことは顕界ではなかなかに分るものでないと云ふこと分りたら、
神界のこと分るのであるぞ。

一に一足すと二となると云ふソロバンや物差しでは見当取れんのざぞ。

今までの戦でも、神が蔭から守ってゐること分るであらうがな、
あんな者がこんな手柄立てたと申すことあらうが、
臣民からは阿房に見えても、
素直な人には神がかかり易いのであるから、早う素直に致して呉れよ。

海のつなみ気をつけて呉れ、前に知らしてやるぞ。

九月二十五日、ひつ九のか三。

 


地つ巻、第三十六帖 (一七三)

 

二二は晴れたり日本晴れ、てんし様が

富士(二二)から世界中にみいづされる時近づいたぞ。

富士は火の山、火の元の山で、汚してならん御山ざから臣民登れんやうになるぞ、
神の臣民と獣と立て別けると申してあろうが、
世の態(さま)見て早う改心して身魂洗濯致して神の御用つとめて呉れよ。

大き声せんでも静かに一言いえば分る臣民、一いへば十知る臣民でないと、
まことの御用はつとまらんぞ、
今にだんだんにせまりて来ると、
この方の神示(ふで)あてにならん だまされてゐたと申す人も出て来るぞ、
よくこの神示読んで神の仕組、心に入れて、息吹として言葉として世界きよめて呉れよ。

分らんと申すのは神示読んでゐないしるしぞ、
身魂 芯(しん)から光り出したら人も神も同じことになるのぞ、
それがまことの臣民と申してあらうがな、
山から野(ぬ)から川から海から何が起っても神は知らんぞ、
みな臣民の心からぞ、改心せよ、掃除せよ、洗濯せよ、雲霧はらひて呉れよ、
み光出ぬ様にしてゐてそれでよいのか、
気つかんと痛い目にあふのざぞ、誰れかれの別ないと申してあらうがな。

いづれは天(アメ)の日つくの神様 御かかりになるぞ、
おそし早しはあるぞ、この神様の御神示は烈しきぞ、
早う身魂みがかねば御かかりおそいのざぞ、
よくとことん掃除せねば御かかり六ヶしいぞ、
役員も気つけて呉れよ、御役ご苦労ぞ、
その代り御役すみたら二二晴れるぞ。

十月十一日、一二か三。
(地つ巻了)

 


159>172
地つ巻、第二十二帖 (一五九)

 

われが助かろと思ふたら助からぬのざぞ、その心われよしざぞ。

身魂みがけた人から救ふてやるのざぞ、神うつるのざぞ、
Θのうつりた人と〇のかかりた人との大戦ぞ、
「ゝ」と「〇」 とが戦して、やがては「ゝ」を中にして「〇」がおさまるのぞ。

その時は「〇」でなく、 「ゝ」も「ゝ」 でないのざぞ、Θとなるのざぞ、
「ゝ」と「〇」のまつりぞと申してあらうがな。

どちらの国も潰れるところまでになるのぞ、
臣民同士は、もう戦かなはんと申しても、
この仕組成就するまでは、神が戦はやめさせんから、神がやめる訳に行かんから、
今やめたらまだまだわるくなるのぞ、
「〇」 の世となるのぞ、「〇」の世界となるのぞ。

今の臣民九分通り「〇」になりてゐるぞ、早う戦すませて呉れと申してゐるが、
今 夜明けたら、臣民九分通りなくなるのざぞ。

お洗濯第一ざぞ。九月の二十六日、ひつ九のか三。

 


地つ巻、第三十五帖 (一七二)

 

日本の国はこの方の肉体であるぞ。

国土おろがめと申してあらうがな、
日本は国が小さいから一握りに握りつぶして喰ふ積りで攻めて来てゐるなれど、
この小さい国が、のどにつかえて何うにも苦しくて勘忍して呉れといふやうに、
とことんの時になりたら改心せねばならんことになるのぞ。

外国人もみな神の子ざから、一人残らずに助けたいのがこの方の願ひと申してあらうがな、
今に日本の国の光出るぞ、
その時になりて改心出来て居らぬと臣民は苦しくて日本のお土の上に居れんやうになるのぞ、
南の島に埋めてある宝を御用に使ふ時近づいたぞ。

お土の上り下りある時近づいたぞ。

人の手柄で栄耀してゐる臣民、もはや借銭済(な)しの時となりたのぞ、改心第一ぞ。

世界に変りたことは皆この方の仕組のふしぶしだから、
身魂みがいたら分るから、早う身魂みがいて下されよ。

身魂みがくにはまつりせねばならんぞ、
まつりはまつらふことぞと申して説いてきかすと、
神祭りはしないでゐる臣民居るが、神祭り元ぞ、神迎えねばならんぞ、
とりちがへと天狗が一番恐いのざぞ、
千匁(せんじん)の谷へポンと落ちるぞ。

神の規則は恐いぞ、隠し立ては出来んぞ、
何もかも帳面にしるしてあるのざぞ、
神の国に借銭ある臣民はどんなえらい人でも、
それだけに苦しむぞ、家は家の、国は国の借銭済(な)しがはじまってゐるのぞ、
済(す)ましたら気楽な世になるのぞ、
世界の大晦日(おおみそか)ぞ、みそかは闇ときまってゐるであらうがな。

借銭(かり)返すときつらいなれど、返したあとの晴れた気持よいであらうが、
昔からの借銭ざから、素直に苦しみこらへて神の申すこと、さすことに従って、
日本は日本のやり方に返して呉れよ、
番頭どの、下にゐる臣民どの、国々の守護神どの、外国の神々さま、人民どの、
仏教徒キリスト教徒もすべての徒もみな聞いて呉れよ、
その国その民のやり方伝へてあらうがな、
九十に気つけて用意して呉れよ。

十月十日、ひつ九のか三。

 


160>171
地つ巻、第二十三帖 (一六〇)

 

この神示 心で読みて呉れよ、九エ(こえ)だして読みて呉れよ、
病も直るぞ、草木もこの神示よみてやれば花咲くのざぞ。

この道広めるには教会のやうなものつとめて呉れるなよ、まとゐを作りて呉れるなよ。

心から心、声から声、身体(からだ)から身体へと広めて呉れよ、
世界中の臣民みなこの方の民ざから、早う伝へて呉れよ。

神も人も一つであるぞ、考へてゐては何も出来ないぞ、
考へないで思ふ通りにやるのが神のやり方ぞ、
考へは人の迷ひざぞ、
今の臣民 身魂くもりてゐるから考へねばならぬが、
考へればいよいよと曇りたものになる道理分らぬか。

一九(ひく)れを気つけて呉れよ、日暮れよくなるぞ、
日暮れに始めたことは何でも成就するやうになるのざぞ、
一九(ひく)れを日の暮れとばかり思うてゐると、臣民の狭い心で取りてゐると間違ぶぞ。

Θのくれのことを申すのざぞ。

九月の二十八日、ひつ九のか三。

 


地つ巻、第三十四帖 (一七一)

 

神は言波ぞ、言波とはまことぞ、いぶきぞ、道ぞ、
まこととはまつり合はした息吹ぞ、言葉で天地にごるぞ、
言波で天地澄むぞ、戦なくなるぞ、神国になるぞ、言波ほど結構な恐いものないぞ。

十月十日、あめの一二か三。

 


161>170
地つ巻、第二十四帖 (一六一)

 

この方 明神(みょうじん)とも現はれてゐるのざぞ、
臣民守護の為に現われてゐるのであるぞ。

衣(ころも)はくるむものであるぞ、
くるむとは、まつらふものぞ、
神の衣は人であるぞ、汚(けが)れ破れた衣では神はいやざぞ。

衣は何でもよいと申すやうなものではないぞ、
暑さ寒さ防げばよいと申す様な簡単なものではないぞ。

今は神の衣なくなってゐる、九分九厘の臣民、神の衣になれないのざぞ。

悪神の衣ばかりぞ、今に臣民の衣も九分九厘なくなるのざぞ。

Θの国、霊の国とこの世とは合せ鏡であるから、
この世に映って来るのざぞ、
臣民 身魂洗濯して呉れとくどう申してあらうがな、この道理よく分りたか。

十月とは十(かみ)の月ぞ、「一」と「l」との組みた月ぞ。

九月の二十八日、ひつ九のか三。

 


地つ巻、第三十三帖 (一七〇)

 

エドの仕組すみたらオワリの仕組にかからすぞ。

その前に仕組む所あるなれど、今では成就せんから、その時は言葉で知らすぞ。

宝持ちくさりにして呉れるなよ、猫に小判になりて呉れるなよ。

天地一度に変ると申してあること近づいたぞ、
世は持ちきりにはさせんぞよ、
息吹(いぶ)き払ひて議論(ろん)なくするぞ、ことなくするぞ、物言はれん時来るぞ、
臣民見当とれんことと申してあらうが、上の人つらくなるぞ、頑張りて呉れよ。

十月八日、ひつ九のか三。

 


162>169
地つ巻、第二十五帖 (一六二)

 

新しくその日その日の生まれ来るのぞ、
三日は三日、十日は十日の神どの守るのざぞ、
時の神ほど結構な恐い神ないのざぞ、
この方とて時節にはかなはんことあるのざぞ。

今日なれば九月の二十八日であるが、
旧の八月十一どのを拝みて呉れよ、二十八日どのもあるのざぞ。

何事も時待ちて呉れよ、炒豆(いりまめ)にも花咲くのざぞ、
この世では時の神様、時節を忘れてはならんぞ、時は神なりぞ。

何事もその時節来たのざぞ、時過ぎて種蒔いてもお役に立たんのであるぞ、草物いふぞ。

旧の八月の十一日、ひつ九のか三。

 


地つ巻、第三十二帖 (一六九)


仕組通りに出て来るのざが大難を小難にすること出来るのざぞ。

神も泥海は真っ平ぞ、臣民喜ぶほど神うれしきことないのざぞ、
曇りて居れど元は神の息入れた臣民ぞ、うづであるのぞ。

番頭どの、役員どのフンドシ締めよ。

十月の七日、ひつ九のか三。

 


163>168
地つ巻、第二十六帖 (一六三)

 

雨の日は傘いるのざと申して晴れたら要らぬのざぞ、
その時その時の御用あるのざぞ、
晴れた日とて傘いらぬのでないぞ、
今 御用ある臣民と、明日 御用ある臣民とあるのざぞ、
二歳(ふたつ)の時は二歳の着物、五歳(いつつ)は五歳、十歳(とう)は十歳の着物あるのざぞ。

十柱の御役もその通りざぞ、役変るのぞ。

旧八月の十二日、ひつ九のか三。

 


地つ巻、第三十一帖 (一六八)

 

この神示読ますやうにするのが役員の務めでないか、
役員さへ読んでゐないではないか。

神示に一二三(ひふみ)つけたもの先づ

大番頭、中番頭、小番頭どのに読まして呉れよ、

道さへつければ読むぞ、
腹に這入るものと這入らぬものとはあるなれど、
読ますだけは読ませてやるのが役員の勤めでないか。

旧九月になったら、いそがしくなるから、
それまでに用意しておかんと悔しさが出るぞよ。

いざとなりて地団太ふんでも間に合はんぞ。

餅搗くには、搗く時あるのざぞ、
それで縁ある人を引き寄せてゐるのざぞ、神は急けるのぞ。

十月の七日、ひつ九のか三いそぐ。

 


164>167
地つ巻、第二十七帖 (一六四)

 

天地には天地の、国には国の、びっくり箱あくのざぞ、
びっくり箱あけたら臣民みな思ひが違ってゐること分るのぞ、
早う洗濯した人から分るのぞ、
びっくり箱あくと、神の規則通りに何もかもせねばならんのぞ、
目あけて居れん人出来るぞ、
神の規則は日本も支那も印度もメリカもキリスもオロシヤもないのざぞ、
一つにして規則通りが出来るのざから、
今に敵か味方か分らんことになりて来るのざぞ。

学の世はもう済みたのぞ、日に日に神力あらはれるぞ、一息入れる間もないのぞ。

ドシドシ事を運ぶから後れんやうに、取違ひせんやうに、慌てぬやうにして呉れよ。

神々様もえらい心配なされてござる方あるが、仕組はりうりう仕上げ見て下されよ。

旧九月になればこの神示(ふで)に変りて天(アメ)の日つくの神の御神示出すぞ、
初めの役員それまでに引き寄せるぞ、
八分通り引き寄せたなれど、あと二分通りの御役の者 引き寄せるぞ。

おそし早しはあるなれど、神の申したこと一厘もちがはんぞ、
富士は晴れたり日本晴れ、おけ。

十月の四日、ひつ九のか三ふみ。

 


地つ巻、第三十帖 (一六七)

 

一度に立替へすると世界が大変が起るから、
延ばし延ばしてゐるのざぞ、目覚めぬと末代の気の毒できるぞ。

国取られた臣民、どんなにむごいことになりても何も言ふこと出来ず、
同じ神の子でありながら余りにもひどいやり方、
けものよりもむごいことになるのが、よく分りてゐるから、
神が表に出て世界中救ふのであるぞ、
この神示腹に入れると神力出るのざぞ、
疑ふ臣民沢山あるが気の毒ざぞ。

一通りはいやがる臣民にもこの神示一二三(ひふみ)として読むやうに上の人してやりて下されよ。

生命あるうちに神の国のこと知らずに死んでから神の国に行くことは出来んぞ、
神の力でないと、もう世の中は何うにも動かんやうになってゐること、
上の番頭どの分かりて居らうがな、
何うにもならんと知りつつ まだ智や学にすがりてゐるやうでは上の人とは申されんぞ、
智や学越えて神の力にまつはれよ、
お土拝みて米作る百姓さんが神のまことの民ぞ、神おろがみて神示取れよ、
神のない世とだんだんなりておろがな。

真通(まつ)ることは生かす事ぞ。

生かす事は能(はたら)かす事ぞ。

神の国には何でもないものないのざぞ、
神の御用なら何でも出て来る結構な国ぞ、
何もなくなるのは やり方わるいのぞ、
神の心に副はんのぞ。

十月七日、一二Θ。

 


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地つ巻、第二十八帖 (一六五)

 

神の国には神の国のやり方、
外国には外国のやり方あると申してあらうがな、
戦もその通りぞ、
神の国神の国のやり方せねばならんのざぞ、
外国のやり方真似ては外国強いのざぞ、
戦するにも身魂みがき第一ぞ。

一度に始末することは易いなれど、
それでは神の国を一度は丸つぶしにせねばならんから、
待てるだけ待ってゐるのざぞ、
仲裁する国はなく、
出かけた船はどちらも後へ引けん苦しいことになりて来るぞ、
神気つけるぞ。

十月六日、ひつくのか三。

 


地つ巻、第二十九帖 (一六六)

 

天明は神示書かす御役ぞ、蔭の役ぞ、
この神示は「ア」と「ヤ」と「ワ」のつく役員から出すのざぞ、おもてぞ。

旧九月までにはその御方お揃ひぞ、
「カ」のつく役員うらなり、
「タ」のつく役員おもてなり、
うらおもてあると申してあらうがな、
コトが大切ぞコトによりて伝へるのが神はうれしきぞ、
文字は通基(つき)ぞ、このことよく心得よ。

天の異変は人の異変ぞ、
一時は神示も出んことあるぞ、神示よんで呉れよ、
神示よまないで臣民勝手に智恵絞りても何にもならんと申してあらうがな、
神にくどう申さすことは神国の臣民の恥ぞ。

神示は要らぬのがまことの臣民ぞ、
神それぞれに宿りたら神示要らぬのざぞ、
それが神世の姿ぞ。

上に立つ人にこの神示分るやうにして呉れよ、
国は国の、団体(まとひ)は団体(まとひ)の上の人に早う知らして呉れよ。

「ア」 と「ヤ」と「ワ」から表に出すと上の人も耳傾けるのざぞ。
「ア」 とはアイウエオぞ、「ヤ」も「ワ」も同様ぞ、
「カ」はうらぞ、「タ」はおもてぞ、
「サ」と「ナ」と「ハ」と「マ」とまつはりて呉れよ、
「ラ」は別の御役ぞ、御役に上下ないぞ、
みなそれぞれ貴い御役ぞ。

この神示 上つ巻と下つ巻 先づ読みて呉れよ、
腹に入れてから神集(かむつど)ふのぞ、
神は急けるぞ。

山の津波に気つけよ。

十月の七日、七つ九のか三。