まぜまぜ(^^♪ひふみ神示 その2

ブースカ明日香さんを真似て書いてみました(^^) スマホでしたら、横画面にすると見やすいかと思います。 5/11改題しました。

(更新2・編集中) (番外編)三のくくり まぜまぜ

(番外編)三のくくり まぜまぜ

 

2回目(4/28 18:40 390帖まで)

  初回(4/27 18:35 174帖まで)

 

ひふみ神示の通し番号を

一桁になるまで足して、

三になる帖を抜き出します。

 

 

 

上つ巻、第三帖 (三)

 

善言(よごと)は神、

なにも上下、

下ひっくり返ってゐるから、

分らんから、

神の心になれば何事も分るから、

鏡を掃除して呉れよ。

 

今にこのおつげが

一二三(ヒフミ)ばかりになるから、

それまでに身魂をみがいて置かんと、

身魂の曇った人には何ともよめんから、

早く神こころに返りて居りて呉れ、

何も一度に出て来る。

海が陸になり陸が海になる。

 

六月十一日の朝のお告げ、みよみよみよひつくの神。

 

 

 

12

上つ巻、第十二帖 (一二)

 

大将を誰も行かれん所へ

連れて行かれんやうに、

上の人、気をつけて呉れよ。

 

この道はちっとも心ゆるせん

まことの神の道ぞ。

 

油断すると神は代りの身魂使うぞ。

 

六月の二十一日の朝、ひつくのか三。

 

 

 

21

上つ巻、第二十一帖 (二一)

 

世の元の大神(かみ)の仕組といふものは、

神々にも分らん仕組であるぞ、

この仕組 分りてはならず分らねばならず、

なかなかに六ヶ敷い仕組であるぞ、

知らしてやりたいなれど、

知らしてならん仕組ぞ。

 

外国がいくら攻めて来るとも、

世界の神々がいくら寄せて来るとも、

ぎりぎりになりたら

神の元の神の神力出して

岩戸開いて

一つの王で治める神のまことの世に

致すのであるから、

神は心配ないなれど、

ついて来れる臣民少ないから、

早う掃除して呉れと申すのぞ、

掃除すれば何事も、

ハッキリと映りて楽なことになるから、

早う神の申すやうして呉れよ。

 

今度はとことはに変らぬ世に致すのざから、

世の元の大神でないと分らん仕組ざ。

洗濯できた臣民から手柄立てさして

うれしうれしの世に致すから、

神が臣民にお礼申すから、

一切ごもく捨てて、

早う神の申すこと聞いて呉れよ。

 

因縁の身魂は

何うしても改心せねばならんのざから、

早う改心せよ、

おそい改心なかなか六ヶ敷ぞ。

 

神は帳面につける様に何事も見通しざから、

神の帳面間違ひないから、

神の申す通りに、

分らんことも神の申す通りに従ひて呉れよ。

 

初めつらいなれど

だんだん分りて来るから、

よく言うこと聞いて呉れよ、

外国から攻めて来て日本の国丸つぶれといふところで、

元の神の神力出して世を建てるから、

臣民の心も同じぞ、

江戸も昔のやうになるぞ、

神の身体から息出来ぬ様にしてゐるが、

今に元のままにせなならんことになるぞ。

 

富士から三十里四里離れた所へ祀りて呉れよ、

富士にも祀りて呉れよ、

富士はいよいよ動くから、

それが済むまでは三十里離れた所へ、

仮に祀りて置いて呉れよ。

 

富士は神の山ざ、

いつ火を噴くか分らんぞ、

神は噴(ふ)かん積りでも、

いよいよとなれば噴かなならんことがあるから、

それまでは離れた所へ祀りて呉れよ、

神はかまはねど、

臣民の肉体大切なから、

肉体もなくてはならんから、

さうして祀りて呉れ。

まつりまつり結構。

 

六月の二十八日、ひつ九のか三。

 

 

 

30

上つ巻、第三十帖 (三〇)

 

富士を開いたら

まだ開くところあるのざ、

 

鳴戸へ行くことあるのざから

このこと役員だけ心得て

置いて呉れよ。

 

七月一の日、ひつくのか三。

 

 

 

39

上つ巻、第三十九帖 (三九)

 

地震かみなり火の雨降らして大洗濯するぞ。

よほどシッカリせねば生きて行けんぞ。

ミカカリが沢山出来て来て、

わけの分らんことになるから、

早く此の理(みち)をひらいて呉れよ。

神界ではもう戦の見通しついてゐるなれど、

今はまだ臣民には申されんのぞ。

改心すれば分りて来るぞ、

改心第一ぞ、

早く改心第一ざ。

ひつくのか三。

 

 

 

48

下つ巻、第六帖 (四八)

 

今までの神示 縁ある臣民に早う示して呉れよ、

神々さま臣民まつろひて言答(いわと)開くもと出来るから、

早う知らせて呉れよ、

誰でも見て読める様に写して神前に置いて、

誰でも読めるやうにして置いて呉れよ、

役員よく考へて、

見せるとき間遠へぬ様にして呉れよ、

 

七月の十五日、ひつくのか三神示。

 

 

 

57

下つ巻、第十五帖 (五七)

 

この方祀りて神示(ふで)書かすのは一所なれど、

いくらでも分け霊(みたま)するから、

ひとりひとり祀りてサニワ作りてもよいぞ。

 

祀る時は先づ鎮守様によくお願いしてから祀れよ、

鎮守様は御苦労な神様ぞ、

忘れてはならんぞ、

この神には鳥居と注連(しめ)は要らんぞ。

追ひ追ひ分かりて来るぞ、

一二七七七七七わすれてはならんぞ、

次の世の仕組であるぞ。

身魂みがけば何事も分りて来ると申してあろがな、

黙ってゐても分るやうに早うなって下されよ、

神の国近づいたぞ。

 

七月の二十一日、ひつ九のか三。

 

 

 

66

下つ巻、第二十四帖 (六六)

 

一が十にと申してありたが、

一が百に、一が千に、一が万になるとき

いよいよ近づいたぞ。

 

秋立ちたらスクリと厳しきことになるから、

神の申すこと一分一厘ちがはんぞ。

 

改心と申すのは、

何もかも神にお返しすることぞ、

臣民のものといふもの何一つもあるまいがな、

草の葉一枚でも神のものぞ。

 

七月の三十日、ひつくのか三。

 

 

 

75

下つ巻、第三十三帖 (七五)

 

親となり子となり夫婦となり、

兄弟(はらから)となりて、

生きかわり死にかわりして御用に使ってゐるのぞ、

臣民同士、世界の民、

みな同胞(はらから)と申すのは喩へでないぞ、

血がつながりてゐるまことの同胞ぞ、

はらから喧嘩も時によりけりぞ、

あまり分らぬと神も堪忍袋の緒切れるぞ、

何んな事あるか知れんぞ、

この道の信者は神が引き寄せると申せば

役員ふところ手で居るが、

そんなことでこの道開けると思ふか。

 

一人が七人の人に知らせ、

その七人が済んだら、

次の御用にかからすぞ、

一聞いたら十知る人でないと、

この御用つとまらんぞ、

うらおもて、よく気つけよ。

 

因縁の身魂はどんなに苦しくとも

勇んで出来る世の元からのお道ぞ。

 

七人に知らしたら役員ぞ、

神が命ずるのでない、

自分から役員になるのぞと申してあろがな、

役員は神のぢきぢきの使ひぞ、

神柱ぞ。

肉体男なら魂(たま)は女(おみな)ぞ、

この道 十(と)りに来る悪魔あるから気つけ置くぞ。

 

八月の三日、ひつ九のか三。

 

 

 

84

富士の巻、第四帖 (八四)

 

一二三(ひふみ)の仕組が済みたら

三四五(みよいづ)の仕組ぞと申してありたが、

世の本の仕組は

三四五の仕組から五六七(みろく)の仕組となるのぞ、

五六七の仕組とは弥勒(みろく)の仕組のことぞ、

獣と臣民とハッキリ判りたら、

それぞれの本性出すのぞ、

今度は万劫末代のことぞ、

気の毒出来るから洗濯大切と申してあるのぞ。

今度お役きまりたら そのままいつまでも続くのざから、

臣民よくこの神示(ふで)よみておいて呉れよ。

 

八月十三日、 Θのひつくのか三。

 

 

 

93

富士の巻、第十三帖 (九三)

 

何もかもてんし様のものではないか、

それなのにこれは自分の家ぞ、

これは自分の土地ぞと申して

自分勝手にしているのが神の気に入らんぞ、

一度は天地に引き上げと知らしてありたこと忘れてはならんぞ、

一本の草でも神のものぞ、

野(ぬ)から生れたもの、

山から取れたもの、

海の幸もみな神に供へてから

臣民いただけと申してあるわけも、

それで分るであろうがな。

 

この神示よく読みてさへ居れば

病気もなくなるぞ、

さう云へば今の臣民、

そんな馬鹿あるかと申すが

よく察して見よ、必ず病も直るぞ、

それは病人の心が綺麗になるからぞ、

洗濯せよ掃除せよと申せば、

臣民 何も分らんから、

あわててゐるが、

この神示よむことが洗濯や掃除の初めで終りであるぞ、

神は無理は言はんぞ、神の道は無理してないぞ、

よくこの神示読んで呉れよ。

 

よめばよむほど身魂みがかれるぞ、

と申しても仕事をよそにしてはならんぞ。

 

臣民と申すものは馬鹿正直ざから、

神示よめと申せば、

神示ばかり読んだならよい様に思うてゐるが、

裏も表もあるのぞ。

 

役員よく知らしてやれよ。

 

八月二十二日、 Θのひつ九のか三のお告。

 

 

 

102

富士の巻、第二十二帖 (一〇二)

 

まつりまつりと、くどく申して知らしてあるが、

まつり合はしさへすれば、

何もかも、うれしうれしと栄える仕組で、

悪も善もないのぞ、

まつれば悪も善ぞ、まつらねば善もないのぞ、

この道理分りたか、

祭典と申して神ばかり拝んでゐるやうでは何も分らんぞ。

 

そんな我れよしでは神の臣民とは申せんぞ、

早うまつりて呉れと申すこと、

よくきき分けて呉れよ。

 

われがわれがと思ふてゐるのは調和(まつり)てゐぬ証拠ぞ、

鼻高となればポキンと折れると申してある道理よく分らうがな、

この御道は鼻高と取りちがひが一番邪魔になるのぞと申すのは、

慢心と取りちがひは調和(まつり)の邪魔になるからぞ。

 

ここまでわけて申さばよく分かるであろう、

何事も真通理(まつり)が第一ぞ。

 

八月の二十九日、Θの一二Θ。

 

 

 

111

天つ巻、第四帖 (一一一)

 

この方は元の肉体のままに生き通しであるから、

天明にも見せなんだのざぞ、

あちこちに臣民の肉体かりて予言する神が沢山出てゐるなれど、

九分九厘は分りて居れども、

とどめの最后は分らんから、

この方に従ひて御用せよと申してゐるのぞ。

砂糖にたかる蟻となるなよ。

 

百人千人の改心なれば、

どんなにでも出来るなれど、

今度は世界中、

神々様も畜生も悪魔も餓鬼も外道も三千世界の大洗濯ざから、

そんなチョロコイ事ではないのざぞ。

 

ぶち壊し出来ても建直し分かるまいがな。

 

火と水で岩戸開くぞ、

知恵や学でやると、グレンと引繰り返ると申しておいたが、

さう云へば知恵や学は要らんと臣民早合点するが、

知恵や学も要るのざぞ。

 

悪も御役であるぞ、

この道理よく腹に入れて下されよ。

 

天の神様 地に御降りなされて、

今度の大層な岩戸開きの指図なされるのざぞ、

国々の神々様、うぶすな様、

力ある神々様にも御苦労になっているのざぞ。

 

天照皇太神宮様初め神々様、

あつくまつりて呉れと申してきかしてあろがな、

神も仏もキリストも元は一つぞよ。

 

八月三十一日、ひつ九のΘ。

 

 

 

120

天つ巻、第十三帖(一二〇)

 

空に変りたこと現はれたなれば

地に変りたことがあると心得よ、

いよいよとなりて来てゐるのざぞ。

 

神は元の大神様に延ばせるだけ延ばして頂き、

一人でも臣民助けたいのでお願ひしてゐるのざが、

もうおことはり申す術(すべ)なくなりたぞ。

 

玉串 神に供へるのは衣(ころも)供へることぞ、

衣とは神の衣のことぞ、

神の衣とは人の肉体のことぞ。

 

臣民をささげることぞ、

自分をささげることぞ、

この道理分りたか。

人に仕へるときも同じことぞ、

人を神として仕へねばならんぞ、

神として仕へると神となるのざから、

もてなしの物出すときは、

祓ひ清めて神に仕へると同様にして呉れよ、

喰べ物 今の半分で足りると申してあるが、

神に献げたものか祓ひ清めて神に献げると

同様にすれば半分で足りるのぞ、

てんのゐへん気つけて居れよ。

神くどう気つけて置くぞ。

 

神世近づいたぞ。

 

九月六日、一二のか三。

 

 

129

天つ巻、第二十二帖(一二九)

 

十柱の世の元からの活神様 御活動になりてゐること分りたであろうがな、

けものの入れものには分るまいなれど、

神の臣民にはよく分りてゐる筈ぞ。

 

まだだんだんに烈しくなりて外国の臣民にも分る様になりて来るのざぞ。

 

その時になりて分りたのではおそいおそい、

早う洗濯いたして呉れよ。

 

八月の九日、ひつ九のか三。

 

 

 

138

第一帖 (一三八)

 

地つ巻 書き知らすぞ、

世界は一つの実言(みこと)となるのぞ、

それぞれの言の葉はあれど、実言(みこと)は一つとなるのであるぞ。

 

てん詞様の実言(みこと)に従ふのざぞ、

命(みこと)の世近づいて来たぞ。

 

九月十五日、一二Θ。

 

 

 

147

地つ巻、第十帖 (一四七)

 

何事も方便と申して自分勝手なことばかり申してゐるが、

方便と申すもの神の国には無いのざぞ。

 

まことがことぞ、まの事ぞ、ことだまぞ。

 

これまでは方便と申して逃げられたが、

も早 逃げること出来ないぞ、

方便の人々早う心洗ひて呉れよ、

方便の世は済みたのざぞ、

いまでも仏の世と思うてゐるとびっくりがでるぞ、

神の国、元の神がスッカリ現はれて富士の高嶺から天地(あめつち)へのりとするぞ、

岩戸しめる御役になるなよ。

 

九月の二十日、ひつ九のか三。

 

 

 

156

地つ巻、第十九帖 (一五六)

 

世成り、神国の太陽足り満ちて、皆みち足り、

神国の月神、世をひらき足り、弥栄にひらき、月光、

総てはみち、結び出づ、道は極みに極む、

一二三(ひふみ)、三四五(みよいづ)、五六七(みろく)、弥栄々々ぞ、

神、仏、耶ことごと和し、和して足り、

太道ひらく永遠(とわ)、富士は晴れたり、

太神は光り出づ、神国のはじめ。

 

九月二十四日、一二Θふみ。

 

 

 

165

地つ巻、第二十八帖 (一六五)

 

神の国には神の国のやり方、

外国には外国のやり方あると申してあらうがな、

戦もその通りぞ、

神の国神の国のやり方せねばならんのざぞ、

外国のやり方真似ては外国強いのざぞ、

戦するにも身魂みがき第一ぞ。

 

一度に始末することは易いなれど、

それでは神の国を一度は丸つぶしにせねばならんから、

待てるだけ待ってゐるのざぞ、

仲裁する国はなく、

出かけた船はどちらも後へ引けん苦しいことになりて来るぞ、

神気つけるぞ。

 

十月六日、ひつくのか三。

 

 

 

174

日月の巻、第一帖 (一七四)

 

富士は晴れたり日本晴れ。

 

Θの巻 書き知らすぞ。

 

此の世に自分の物と云ふ物は何一つないのであるぞ。

 

早う自分からお返しした者から楽になるのざぞ。

 

今度の大洗濯は三つの大洗濯が一度になって居るのざから、

見当取れんのざぞ。

 

神の国の洗濯と外国の洗濯と世界ひっくるめた洗濯と一度になってゐるのざから、

そのつもりで少しでも神の御用務めて呉れよ。

 

此れからがいよいよの正念場と申してあろがな。

 

今はまだまだ一の幕で、せんぐり出て来るのざぞ。

 

我(が)出したら判らなくなるぞ、てんし様おがめよ、てんし様まつりて呉れよ、

臣民 無理と思ふ事も無理でない事 沢山にあるのざぞ、

神はいよいよの仕組にかかったと申してあろがな。

 

毀(こわ)すのでないぞ、練り直すのざぞ。

 

世界を摺鉢(すりばち)に入れて捏(こ)ね廻し、練り直すのざぞ。

 

日本の中に騒動起るぞ。

 

神の臣民 気つけて呉れよ。

 

日本も神と獣に分れているのざから、

 

いやでも応でも騒動となるのざぞ。

 

小さくしたいなれど。

 

旧九月一日、ひつくのか三。

 

 

 

183

日月の巻、第十帖 (一八三)

 

ツギ、アメノトコタチノミコト、

ツギ、クニノトコタチノミコト、

ツギ、トヨクモヌノミコトトナリナリテ、

アレイデタマイ、ミコトスミキリタマヒキ。

 

辛酉(かのととり)の日と年はこわい日で、よき日と申してあろがな。

 

九月八日は結構な日ざが、こわい日ざと申して知らしてありた事少しは判りたか。

 

何事も神示通りになりて、せんぐりに出て来るぞ。

 

遅し早しはあるのざぞ。

 

この度は幕の一ぞ。

 

日本の臣民これで戦済む様に申してゐるが、戦はこれからぞ。

 

九、十月八日、十八日は幾らでもあるのざぞ。

 

三月三日、五月五日はよき日ぞ。

 

恐ろしい日ざぞ。

今は型であるぞ。

 

改心すれは型小(ち)さくて済むなれど、掃除大きくなるぞ。

 

猫に気付けよ、犬来るぞ。

 

臣民の掃除遅れると段々大きくなるのざぞ。

 

神が表に出ておん働きなされてゐること今度はよく判りたであろがな。

 

Θと神との戦でもあると申してあろがな。

 

戦のまねであるぞ。

 

神がいよいよとなりて、びっくり箱開いたら、臣民ポカンぞ。

 

手も足も動かすこと出来んぞ。

 

たとへではないのざぞ。

 

くどう気付けておくぞ。

 

これからがいよいよの戦となるのざぞ、鉄砲の戦はかりでないぞ。

 

その日その日の戦烈しくなるぞ、褌締めて呉れよ。

 

十月二十五日、ひつ九のか三。

 

 

 

 

192

日月の巻、第十九帖 (一九二)

 

今のやり方、考へ方が間違ってゐるからぞ。

洗濯せよ掃除せよと申すのはこれまでのやり方考へ方をスクリと改める事ぞ。

一度マカリタと思へ。

掃除して何もかも綺麗にすれば神の光スクリと光り輝くぞ。

ゴモク捨てよと申してあろがな。

人の心ほど怖いものないのざぞ。

奥山に紅葉(もみじ)あるうちにと申すこと忘れるなよ。

北に気付けよ。

神の詞(よ)の仕組よく腹に入れておいて下されよ。

今度のさらつの世の元となるのざぞ。

 

十一月七日、ひつ九のか三。

 

 

 

201

日月の巻、第二十八帖 (二〇一)

 

岩戸あけたり日本晴れ、富士ひかるぞ。

この巻 役員読むものぞ。

世の元と申すものは火であるぞ、水であるぞ。

くもでて くにとなったぞ。

出雲(いずも)とはこの地(くに)の事ぞ。

スサナルの神はこの世の大神様ぞ。

はじめは「🌀」であるなり、

「🌀」(うご)いて月となり地となりたのざぞ。

アは「🌀」(ヒツキクニ)の神様なり、

(ヨ)は月の神様ぞ「ヨ=〇の中に(ワヤ)の字が書いてある記号」【>読みは(ヨ)】、

クニの神様はスサナルの神様ぞ。

この事はじめに心に入れれば掃除タワイないぞ、

グレンとは上下かへる事と申してあろうがな、

云ふてはならぬ事ぞ。

いはねばならぬ事ぞ。

 

アメのΘつ九のΘ。

 

 

 

210

日月の巻、第三十七帖 (二一〇)

 

天にも あまてらすすめ大神様、あまてらす大神様ある様に、

地にも あまてらすすめ大神様、あまてらす大神様あるのざぞ。

 

地にも月読の大神様 隠れて御座るのざぞ。

 

素盞鳴の大神様 罪穢れ祓ひて隠れて御座るのざぞ。

 

結構な尊い神様の御働きで、何不自由なく暮して居りながら、

その神様あることさへ知らぬ臣民ばかり。

 

これで此の世が治まると思ふか。

 

神々まつりて神々にまつはりて神国のまつりごといたして呉れよ。

 

詰らぬ事申してゐると愈々詰らぬ事になりて来るぞ。

 

十一月三十日、ひつ九の神しらすぞ。

 

 

 

219

日の出の巻、第六帖 (二一九)

 

神界の事は人間には見当取れんのであるぞ、

学で幾ら極め様とて会得(わか)りはせんのざぞ、

学も無くてはならぬが囚はれると悪となるのざぞ、

しもの神々様には現界の事は会得りはせんのざぞ、

会得らぬ神々に使はれてゐる肉体気の毒なから身魂磨け磨けと

執念(くどう)申してゐるのざぞ。

 

三、四月に気つけて呉れよ、どえらい事出来るから何うしても磨いておいて下されよ、

それまでに型しておいて呉れよ。

 

十二月五日、ひつ九のかみ。

 

 

 

228

日の出の巻、第十五帖 (二二八)

 

十柱の神様 奥山に祀りて呉れよ、九柱でよいぞ、

何れの神々様も世の元からの肉体持たれた生き通しの神様であるぞ、

この方合はして十柱となるのざぞ。

 

御神体の石 集めさしてあろがな、篤く祀りて、辛酉(かのととり)の日にお祭りして呉れよ。

 

病あるかないか、災難来るか来ないかは、手届くか届かないかで分ると申してあろがな。

 

届くとは注(そそ)ぐ事ぞ、

手首と息と腹の息と首の息と頭の息と足の息と胸の息と臍の息と脊首(せくび)の息と手の息と

八所十所の息合ってゐれば病無いのざぞ、

災難見ないのざから、毎朝 神拝みてから克く合はしてみよ、

合ってゐたら其日には災難無いのざぞ、

殊に臍の息一番大切ざぞ、

若しも息合ってゐない時には一二三(ひふみ)唱へよ、

唱へ唱へて息合ふ迄 祷(ゐの)れよ、何んな難儀も災難も無くしてやるぞ、

此の方 意富加牟豆美神(オホカムツミノカミ)であるぞ。

 

神の息と合はされると災難、病無くなるのざぞ、大難小難にしてやるぞ、生命助けてやるぞ、

此の事は此の方信ずる人でないと誤るから知らすではないぞ、

手二本 足二本いれて十柱ぞ、手足一本として八柱ぞ、

此の事 早う皆に知らしてどしどしと安心して働く様にしてやれよ。

 

飛行機の災難も地震罪穢の禍も、大きい災難ある時には息乱れるのざぞ、

一二三祝詞と祓え祝詞と神の息吹と息と一つになりておれば災難逃れるのぞ、

信ずる者ばかりに知らしてやりて呉れよ。

 

十二月十八日、ひつ九か三。

 

 

 

237

磐戸の巻、第一帖 (二三七)

 

イワトの巻かき知らすぞよ、イワトひらくには神人共にゑらぎにぎはふのざぞ、

ミカカリして唱ひ舞ふのざぞ、ウズメノミコトいるのざぞ。

 

ウズメとは女(おみな)のみでないぞ、男(おのこ)もウズメざぞ、

女のタマは男、男のタマは女と申してあろがな。

 

ヤミの中で踊るのざぞ、唄ふのざぞ、皆のものウズメとなりて下されよ、

暁(あけ)つげる十理(とり)となりて下されよ、

ミカカリて舞ひ唄ひ下されよ、

ミカカリでないと、これからは何も出来ぬと申してあろがな。

 

十二月三十日、Θの一二Θ。

 

 

 

246

磐戸の巻、第十帖(二四六)

 

悪の仕組は、日本魂をネコソギ抜いて了ふて、

日本を外国同様にしておいて、一呑みにする計画であるぞ。

 

日本の臣民、悪の計画通りになりて、

尻の毛まで抜かれてゐても、まだキづかんか、

上からやり方かへて貰はねば、

下ばかりでは何うにもならんぞ。

 

上に立ちてゐる人、日に日に悪くなりてきてゐるぞ。

 

メグリある金でも物でも持ちてゐたらよい様に思ふてゐるが、

えらい取違ひであるぞ。

 

早う神の申すことききて下されよ。

 

世界の何処さがしても、

今では九九(ここ)より外に、

神のマコトの道知らす所ないのざぞ。

 

此の道の役員、

上から見られん所によきことないと今度の御用、

なかなかにつとまらんぞ、

洗濯急げよ、掃除急げよ、

家の中が治まらんのは女にメグリあるからぞ、

このことよく気付けておくぞ、

村も国々も同様ぞ。

 

女のメグリはコワイのざぞ。

節分からは八回拍手うちて下されよ。

神はげしくなるぞ。

 

一月十二日、Θのひつ九のΘ。

 

 

 

255

磐戸の巻、第十九帖 (二五五)

 

向ふの国いくら物ありても、人ありても、

生神が表に出て働くのざから、

神なき国は、いづれは往生ざぞ。

 

この神の申すことよく肚に入れて、

もうかなはんと申す所こらへて、

またかなはんと申す所こらへて愈よどうにもならんといふ所こらへて、

頑張りて下されよ、

神には何も彼もよくわかりて帳面に書きとめてあるから、

何処までも、死んでも頑張りて下されよ、

其処迄 見届けねば、この方の役目果たせんのざ、

可哀さうなれど神の臣民殿、

こらえこらえてマコト何処迄も貫きて下されよ、

マコトの生神がその時こそ表に出て、

日本に手柄さして、神の臣民に手柄たてさして、

神からあつく御礼申してよき世に致すのであるぞ、

腹帯しっかり締めてくれよ。

 

重ねて神が臣民殿にたのむぞよ、

守護神殿にたのむぞよ。

 

一月十四日、Θのひつ九のか三。

 

 

 

264

キの巻、第七帖 (二六四)

 

物、自分のものと思ふは天の賊ぞ、

皆てんし様の物ざと、

クドウ申してあるのにまだ判らんか。

 

行(おこない)出来て口静かにして貰ふと、

何事もスラリとゆくぞ、

行(ぎょう)が出来ておらんと何かの事が遅れるのざぞ、

遅れるだけ苦しむのざぞ。

 

神の国の半分の所にはイヤな事あるぞ、

洗濯出来た臣民に元の神がうつりて、

サア今ぢゃと云ふとこになりたら、

臣民の知らん働きさして悪では出来ん手柄さして、

なした結構な事かとビックリ箱あくのざぞ。

 

天と地との親の大神様のミコトでする事ぞ、

いくら悪神じたばたしたとて手も出せんぞ、

この世 三角にしようと四角にしようと元のこの方等の心のままぞ。

 

後から来た守護神 先になるから、

今の役員さうならん様に神示で知らしてあるのざから、

よく裏の裏まで読んで肚に入れて、

何一つ分らん事ない様にして呉れよ、今に恥づかしい事になるぞ。

 

元の大和魂の誠の身魂揃ふたら、

人は沢山なくても この仕組成就するのざと申してあろが、

末代動かぬ世の元の礎きづくのざから、

キマリつけるのざから、気つけおくぞ。

 

キが元と申してあろがな、

上は上の行、中は中、下は下の行ひ、作法あるのざぞ、

マゼコゼにしてはならんぞ、

この中からキチリキチリと礼儀正しくせよ。

 

三月十一日、ひつ九の神。

 

 

 

273

キの巻、第十六帖 (二七三)

 

元津神代の道は満つ、一時は闇の道、ひらき極み、

富士の代々、鳴り成るには弥栄に変わり和すの道、道は弥栄。

 

ひふみ道出で睦び、月の神 足り足りて成り、新しき大道みつ。

 

神々みち、ゑらぎ百千万のよきこと極む。

 

いよいよとなり、何も彼も百千とひらき、道栄え道極み進み、道極み真理の真理極む。

 

元の光の神々ゑらぎ、更に進む世、和合まずなりて百(もも)の世極みなる。

 

世に光る神々の大道、神々ことごとにゑらぎて大道いよいよ展き進みて、

大真理世界の三つは一と和し、

鳴り成りて始めて、まことの愛の代 極み来る、

弥栄の代の神、人、神人わけへだてなく光り輝き、

道は更に極みの極みに進み動き、

ありとあることごとくの成り結び、

更に新しく更に極むるの大道、神代歓喜の代々。

 

三月二十日、ひつ九の神。

 

 

 

282

水の巻、第八帖 (二八二)

 

鎮座は六月の十日であるぞ。神示書かしてまる一年ぞ。

神示で知らしてあろが、それからがいよいよの正念場ざぞ。

 

びっくり箱あくぞ。

 

五月四日、みづのひつ九のか三。

 

 

 

291

水の巻、第十七帖 (二九一)

 

カイの御用はキの御用であるぞ。

臣民はミの御用つとめて呉れよ。

キとミの御用であるぞ。

 

ミの御用とは体(からだ)の御用であるぞ。

身 養ふ正しき道開いて伝へて呉れよ。

今迄の神示読めばわかる様にしてあるぞ。

キの御用に使ふものもあるぞ。

 

キミの御用さす者もあるぞ、お守りの石どしどしさげてよいぞ。

水の巻これで終りぞ。

 

六月二十三日、三(みず)の一二Θ。

(水の巻了)

 

 

 

300

松の巻、第九帖 (三〇〇)

 

悪のやり方は始めはどんどん行くなれど、九分九厘でグレンぞ、

善のやり方 始め辛いなれど先行く程よくなるぞ。

 

この世に何一つ出来んと云ふことない此の方のすることぞ。

 

云ふ事聞かねば、きく様にしてきかすぞ。

 

因縁だけのことはどうしてもせねば、今度の峠は越せんのざぞ。

 

ここの役員は皆因縁ミタマばかり、苦労しただけお蔭あるぞ。

 

六月二十四日、あめのひつ九のかみしるす。

 

 

 

309

松の巻、第十八帖 (三〇九)

 

人民同士の戦ではかなはんと云ふ事よく判りたであろがな。

 

神と臣民融け合った大和魂でないと勝てんことぞ。

悪神よ。

日本の国を此処までよくも穢したな、

これで不足はあるまいから、

いよいよ此の方の仕組通りの、とどめにかかるから、

精一杯の御力でかかりて御座れ。

 

学問と神力の、とどめの戦ざぞ。

 

七月三日、あめのひつ九のかみ。

 

 

 

318

松の巻、第二十七帖 (三一八)

 

天も地も一つにまぜし大嵐、

攻め来る敵は駿河灘(するがなだ)、

富士を境に真二つ。

 

先づ切り取りて残るもの、七つに裂かん仕組なり。

 

されど日本は神の国

 

最後の仕組神力に、寄せ来る敵は魂まで、

一人残らずのうにする。

夜明けの御用つとめかし。

 

晴れたる富士のすがすがし。

 

七月十四日、あめのひつくのかみ。

 

 

 

327

夜明けの巻、第七帖 (三二七)

 

神の臣民に楽な事になるぞ。

理屈無い世にするぞ。

 

理屈は悪と申してあろが、理屈ない世に致すぞ。

 

理屈くらべのきほひ無くして仕舞ふぞ。

 

人に知れん様によいことつとめと申してあろが。

人に知れん様にする好い事 神こころぞ。

神のした事になるのざぞ。

 

行けども行けども白骨と申したが、

白骨さへなくなる所あるぞ。

 

早よ誠の臣民ばかりで固めて呉れよ。

 

神世の型 出して呉れよ。

 

時、取違へん様に、時、来たぞ。

 

八月一日、あめのひつく神。

 

 

 

336

アメの巻、第二帖 (三三六)

 

天の大神様は慈悲深くて何んな偉い臣民にも底知れぬし、

地の大神様は力ありすぎて、人民には手におへん見当取れん、

そこで神々様を此の世から追い出して悪神の云ふこと聞く人民許り

となりてゐたのであるぞ。

 

七五三(しめ)は神々様をしめ込んで出さぬ為のものと申してある事

これで判るであろがな、

鳥居は釘付けの形であるぞ、

基督(キリスト)の十字架も同様ぞ、

基督信者よ改心致されよ、

基督を十字架に釘付けしたのは、

そなた達であるぞ、懺悔せよ、

〇とは外国の事ぞ、Θが神国の旗印ぞ、

神国と外国との分けへだて誤ってゐるぞ。

 

大き心持てよ、かがみ掃除せよ、

上中下三段に分けてある違ふ血統(ちすじ)を段々に現すぞよ、

びっくり箱あくぞ、

八九の次は「+」であるぞよ。

 

何事もウラハラと申してあろが、

ひとがひとがと思ってゐた事 我の事でありたであろがな、

よく神示読んでおらんと、キリキリ舞ひせんならんぞ、

日本が日本がと思って居た事 外国でありた事もあるであろがな、

上下ひっくり返るのざぞ、判りたか。

 

餓鬼までも救はなならんのであるが、

餓鬼は食物やれば救はれるが、

悪と善と取違へてゐる人民、守護神、神々様 救ふのはなかなかであるぞ、

悪を善と取違へ、天を地と信じてゐる臣民人民なかなかに改心六ヶ敷いぞ。

 

我と改心出来ねば今度は止むを得ん事出来るぞ、

我程偉い者ないと天狗になりてゐるから気を付ける程

悪ふとりてゐるから、

こんな身魂は今度は灰ざぞ、

もう待たれん事になったぞ。

 

十月の十四日、ひつ九のかみしるす。

 

 

 

345

アメの巻、第十一帖 (三四五)

 

日の出の神様お出ましぞ、日の出はイであるぞ、

イの出であるぞ、キの出であるぞ、判りたか。

 

めんめめんめに心改めよと申してあろがな、

人民と云ふ者は人に云はれては腹の立つ事あるものぢゃ、

腹立つと邪気起るから めんめめんめに改めよと、くどう申すのぢゃぞ、

智や学ではどうにもならんと云ふ事よく判りておりながら、

未だ智や学でやる積り、神の国の事する積りでゐるのか。

 

判らんと申して余りでないか、

何事も判った臣民 口に出さずに肚に鎮めておけよ、

言ふてよい時は肚の中から人民びっくりする声で申すのざ、

神が申さすから心配ないぞ、それまでは気(ケ)も出すなよ。

 

二十二日の夜に実地が見せてあろうがな、

一所だけ清いけがれん所残しておかな足場なく、

こうなってはならんぞ、

カタ出さねばならんぞ、神国、神の子は元の神の生神が守ってゐるから、

愈々となりたら一寸の火水で うでくり返してやる仕組ざぞ、

末代の止(とど)めの建替であるから、

よう腰抜かさん様 見て御座れ、

長くかかりては一もとらず二もとらさず、

国は潰れ、道は滅びてしもうから早う早うと気もない時から気つけてゐるのぢゃが、

神の申すこと聞く臣民人民まだまだぞ。

 

此の道 難しい道でないから その儘に説いて聞かしてやれよ、

難し説くと判らん様になるのぞ。

 

平とう説いてやれよ、難しいのは理屈入るのざぞ、

難しい事も臣民にはあるなれど理屈となるなよ、

理屈悪ざぞ。霊術も言霊(ことだま)もよいなれど程々に、

三分位でよいぞ、中行かな行かれんのざぞ、

銭儲けて口さへすごして行けばよい様に今の臣民まだ思ってゐるが、

それは四つ足の四つの悪の守護である位

判りておろがな。

 

悪とは他を退ける事であるぞ、

まつりまつりとくどう申してあること未だ判らんのか、

今 外国よいと申してゐる臣民は外国へ行っても嫌はれるぞ、

外国にも住むところ無くなるぞ、外国も日本もないのざぞ、

外国とは我よしの国の事ぞ、

神国は大丈夫ざが、

外国や日本の国 大丈夫とは申されんぞ、

と事分けて申してあろがな、

日月の集団作り、境界作ってもならんが「ゝ」入れた集団作らなならんぞ、

「〇」 も作らず「ゝ」も入らずに力出ない位 判りておろがな、

馬鹿正直ならんと申してあること忘れたのか、

集団のつくり方知らしてあろが、

盲(めくら)には困る困る。

 

人の苦労あてにして我が進んで苦労せん様な人民では神の気感(きかん)に適はんから、

今度は苦労のかたまりの花咲くのざ、

苦の花咲くのざぞ、

二二に 九(コ)の花咲耶姫の神 祀りて呉れと申してあろがな、

永遠にしぼまん誠の花咲く世来たぞ。

 

十二月七日、ひつくのか三。

 

 

 

354

カゼの巻、第三帖 (三五四)

 

愈々の大建替は国常立の大神様、豊雲野の大神様、

金の神様、竜宮の乙姫様、先づ御活動ぞ。

 

キリギリとなりて岩の神、雨の神、風の神、荒の神様なり、次に地震の神様となるのざぞ。

 

今度の仕組は元のキの生き神でないとわからんぞ、

中津代からの神々様では出来ない、わからん深い仕組ざぞ、

猿田彦殿、天鈿女命(あめのうずめのみこと)殿、

もとのやり方では世は持ちて行けんぞ。

 

今一度 悪栄えることあるぞ、

心して取違ひない様にいたされよ。

口と心と行ひとで神示とけよ、堂々説けよ。

 

一月四日、一二のかみ。

 

 

 

363

カゼの巻、第十二帖 (三六三)

 

日本の人民 餌食(えじき)にしてやり通すと、

悪の神申してゐる声 人民には聞こへんのか。

 

よほどしっかりと腹帯締めおいて下されよ。

 

神には何もかも仕組てあるから、心配ないぞ。

 

改心出来ねば気の毒にするより方法ないなれど、

待てるだけ待ってゐるぞ、

月の大神様が水の御守護、

日の大神様が火の御守護、

お土つくり固めたのは、大国常立の大神様。

 

この御三体の大神様、三日この世構ひなさらねば、

此の世、くにゃくにゃぞ。

 

実地を世界一度に見せて、世界の人民一度に改心さすぞ。

 

五十になっても六十になっても、

いろは、一二三(ひふみ)から手習ひさすぞ。

 

出来ねばお出直しぞ。

 

慢心、早合点 大怪我のもと、

今の人民、血が走り過ぎてゐるぞ、

気付けおくぞ。

 

二月十六日、ひつ九のか三。

 

 

 

372

一八(イハ)の巻、第七帖 (三七二)

 

この神の許へ来て信心さへして居たら

よい事ある様に思ふてゐるが、

大間違ひざぞ。

 

この方の許へ参りて

先づ借銭なしに借銭払ひして下されよ。

 

苦しいこと出来て来るのが御神徳ぞ。

 

この方の許へ来て悪くなったと云ふ人民

遠慮いらん、帰りて呉れよ。

 

そんな軽い信心は信心ではないぞ。

 

結構な苦しみがわからん臣民一人も要らんのぞ。

 

しかと褌締めてついて御座れよ。

 

此の方 悪神とも見えると申してあらうがな。

 

わかりてもわからん、出来ん事致さすぞ、

神が使ふのざから楽でもあるのざぞ。

 

静かに神示よく肚に入れて御用して下されよ。

 

神の道 光るぞ。

旧一月十五日、一二Θ。

 

 

 

381

二日ん(ジシン)の巻、第四帖 (三八一)

 

同気同類の霊人は、

同一の情態で、同じ所に和し、弥栄え、

然らざるものは、その内蔵するものの度合に正比例して遠ざかる。

 

同類は相寄り、相集まり、睦び栄ゆ。

 

生前の世界は、地上人の世界の原因であり、

主体であるが、また死後の世界に通ずる。

 

同気同一線上にいる霊人たちは、

且って一度も会せず語らざるも、

百年の友であり、兄弟姉妹である如くに、

お互いに、その総てを知ることができる。

 

生前の世界に於ける、

かかる霊人が肉体人として生れ出でた場合の多くは、

同一の思想系をもつ。

 

但し、地上人としては、

時間と空間に制限されるが故に相会し、

相語られざる場合も生じてくる。

 

また、生前の生活と同様のことを繰り返すこともある。

 

霊人の同一線上にある場合は、

その根本的容貌は非常に似ているが、

部分的には相違し、同一のものは一つとしてない。

 

そこに、存在の意義があり、真実の道が弥栄え、

愛を生じ、真が湧き出てくるのである。

 

生前の霊人の場合は、

自分自身のもつ内の情動はそのままに、

その霊体の中心をなす顔面に集約され、

単的に現われていて、

いささかも反する顔面をもつことは許されない。

 

一時的に満たすことはできても、長くは続かない。

 

この情態の原理は、地上人にも、反影している。

 

生前の世界は、以上の如くであるから、

同一状態にある霊人が多ければ、

その団体の大きく、少なければ、その集団は小さい。

 

数百万霊人の集団もあれば、

数百、数十名で一つの社会をつくる団体もある。

 

各々の団体の中には、

また特に相似た情動の霊人の数人によって、

一つの家族的小集団が自らにしてでき上がっている。

 

そしてまた、各々の集団の中心には、

その集団の中にて最も神に近い霊人が座を占め、

その周囲に幾重にも、

内分の神に近い霊人の順に座をとりかこみ運営されている。

 

若しそこに、

一人の場所、位置、順序の間違いがあっても、

その集団は呼吸しない。

 

而して、

それは一定の戒律によって定められたものではなく、

惟神の流れ、則ち歓喜によって自ら定まっているのである。

 

またこれら集団と集団との交流は、地上人の如く自由ではない。

 

総てはf:id:satonory4949:20200319171350g:plainのゝを中心として f:id:satonory4949:20200319171350g:plainの姿を形成しているのである。

 

 ゝと〇とを、生前の世界に於て分離することは極めて至難ではあるが、

或る段階に進むときは一時的に分離が生ずる。

 

しかし、この場合もゝはゝであり〇は〇である。

 

これが地上世界の行為に移りたる場合は、

不自由不透明な物質の約束があるため、

その分離、乱用の度が更に加わって、

真偽混乱に及ぶものである。

 

悪人が善を語り、善をなし、

真を説くことが可能となるが如く写し出されるのである。

 

生前界では、悪を意志して悪を行なうことは、

御用の悪として自ら許されている。

 

許されているから存在し行為し現われているのである。

 

この場合の悪は、

悪にあらずして f:id:satonory4949:20200319171350g:plain  の〇であることを知らねばならない。

 

即ち、道を乱すが故である。

 

地上人の悪人にも善人にも、

それは強く移写される。

 

愛は真により、真は愛により向上し、弥栄する。

 

その根底力をなすは歓喜である。

 

故に、歓喜なき所に真実の愛はない。

 

歓喜の愛は、これを愛の善と云う、

歓喜なき愛を、愛の悪と云うのである。

 

その歓喜の中に、

また歓喜があり、真があり、真の真と顕われ、f:id:satonory4949:20200319171350g:plainとなり、

ゝと集約され、その集約のゝの中にf:id:satonory4949:20200319171350g:plain を生じ、

更に尚ゝと弥栄ゆる。

 

生前の世界、死後の世界を通じて、

一貫せる大神の大歓喜の流れ行く姿がそれである。

 

大神は常に流れ行きて、一定不変ではない。

 

千変万化、常に弥栄する姿であり、大歓喜である。

 

完成より大完成へ向い進む大歓喜の呼吸である。

 

されど、地上人に於ては、地上的物質に制限され、

物質の約束に従わねばならぬ。

 

其処に時間を生じ、距離を生じ、

これを破ることはできない。

 

故に同時に、善と悪との両面に通じ、

両面に生活することとなるのである。

 

其処に、

地上人としての尊きかなしさが生じてくる。

 

霊人に於ては、

善悪の両面に住することは、原則として許されない。

 

一時的には仮面をかむり得るが、

それは長くつづかず、自分自身 耐え得ぬこととなる。

 

地上人と雖(いえど)も、

本質的には善悪両面に呼吸することは許されていない。

 

しかし、悪を抱き参らせて、

悪を御用の悪として育て給わんがために課せられたる地上人の

光栄ある大使命なることを自覚しなければならない。

 

悪と偽に、同時にはいることは、

一応の必要悪、必要偽として許される。

 

何故ならば、それがあるために弥栄し、進展するからである。

 

悪を殺すことは、善をも殺し、神を殺し、歓喜を殺し、

総てを殺す結果となるからである。

 

霊物のみにて神は歓喜せず、

物質あり、物質と霊物との調和ありて、始めて力し、

歓喜し、弥栄するからである。

 

霊は絶えず物を求め、物は絶えず霊を求めて止まぬ。

 

生長、呼吸、弥栄は、そこに歓喜となり、

神と現われ給うのである。霊人も子を生むが、

その子は歓喜である。歓喜を生むのである。

 

 

 

390

二日ん(ジシン)の巻、第十三帖 (三九〇)

 

地上人が、限りなき程の想念的段階をもち、

各々の世界をつくり出している如く、

霊界にも無限の段階があり、

その各々に、同一想念をもつ霊人が住んでおり、

常に弥栄しつつある。

 

下級段階で正なりとし、善を思い、美を感じ、真なりと信じ、愛なりと思う、

その想念も上級霊界に於ては必ずしもそうではない。

 

美も醜となり、愛も憎となり、善も真も そのままにして善となり、

真と現われ得ない場合がある。

 

其処に偉大にして、はかり知られざる弥栄の御神意がある。

と同時に、「+」(真善)f:id:satonory4949:20200125143843g:plain  (真善美愛)  f:id:satonory4949:20200125143817g:plain歓喜)  f:id:satonory4949:20200125143817g:plain(大歓喜)と

現われる神秘なる弥栄があり、

悪の存在、偽の必然性などが判明するのである。

 

故に、下級霊人との交流は、

地上人にとっても、霊人にとっても、

極めて危険極まりないものではあるが、

半面に於ては、極めて尊いものとなるのである。

 

下級霊人自身が  🌀(善)(「の」の2回書き)なりと信じて行為することが、

地上人には  🌀(悪)(「逆の」の2回書き)と現われることが多いのである。

 

何故ならば、かかる下級霊と相通じ、感応し合う内的波調をもつ地上人は、

それと同一線上にある空想家であり、

極めて狭い世界のカラの中にしか住み得ぬ性をもち、

他の世界を知らないからである。

 

それがため、感応してくる下級霊の感応を、

全面的に信じ、唯一絶対の大神の御旨なるが如くに独断し、

遂には、自身自らが神の代行者なり、

と信ずるようになるからである。

 

所謂(いわゆる)、無き地獄をつくり出すからである。

 

地獄的下級霊の現われには、多くの奇跡的なものをふくむ。

 

奇跡とは大いなる動きに逆行する動きの現われであることを

知らねばならない。

 

かかる奇跡によりては、霊人も地上人も向上し得ない。

 

浄化し、改心し得ないものである。

 

また、霊人と地上人との交流によるのみでは向上し得ない。

 

脅迫や、賞罰のみによっても向上し得ない。

 

総て戒律的の何ものによっても、

霊人も地上人も何等の向上も弥栄も歓喜もあり得ない。

 

半面、向上の如くに見ゆる面があるとも、

半面に於て同様の退歩が必然的に起ってくる。

 

それは強(シ)いるが為である。

 

神の歓喜には、強いることなく、戒律する何ものもあり得ない。

 

戒律あるところ必ず影生じ、

暗(闇?)を生み出し、カスが残るものである。

 

それは、大神の内流によって弥栄する世界ではなく、

影の世界である。

 

中心に座す太神のお言葉は、

順を経て霊人に至り、地上人に伝えられるのであるが、

それはまた霊界の文字となって伝えられる。

 

霊界の文字は、主として直線的文字と曲線的文字の二つから成る。

 

直線的なものは、月の霊人が用い、

曲線的な文字は、太陽の霊人が使用している。

 

但し、高度の霊人となれば文字はない。

 

ただ文字の元をなす「ゝ」と「〇」と「+」があるのみ。

 

また高度の霊界人の文字として、

殆ど数字のみが使用されている場合もある。

 

数字は、他の文字に比して多くの密意を蔵しているからである。

 

しかし これは不変のものではなく、

地上人に近づくに従って漸次変化し、

地上人の文字に似てくるのである。

 

 

 

399