まぜまぜ(^^♪ひふみ神示 その2

ブースカ明日香さんを真似て書いてみました(^^) スマホでしたら、横画面にすると見やすいかと思います。 5/11改題しました。

まぜまぜ 二一一~二四〇

ひふみ神示 まぜまぜの第二一一帖~第二四〇帖


第六巻 日月(ひつ九)の巻
全四十帖・通し番号(一七四)~(二一三)のうち(二一一)~(二一三)
Θ(ヒ)の巻、第一帖(一七四)~第二十七帖(二〇〇)
月(ツキ)の巻、第二十八帖(二〇一)~第四十帖(二一三)
自 昭和十九年旧九月一日
至 昭和十九年十一月三十日 


第七巻 日の出の巻
全二十三帖・通し番号(二一四)~(二三六)のうち(二一四)~(二三六)
自 昭和十九年十二月一日
至 昭和十九年十二月二十九日 


第八巻 磐戸(一八十)の巻
全二十一帖・通し番号(二三七)~(二五七)のうち(二三七)~(二四〇)
自 昭和十九年十二月三十日
至 旧昭和十九年旧十一月三十日 

 


211>240
日月の巻、第三十八帖 (二一一)

 

大きアジアの国々や、島々八十(やそ)の人々と、
手握り合ひ神国の、光り輝く時来しと、皆喜びて三千年、
神の御業(みわざ)の時来しと、思へる時ぞ神国の、
まこと危なき時なるぞ、夜半に嵐のどっと吹く、
どうすることもなくなくに、手足縛られ縄付けて、
神の御子等を連れ去られ、後には老人(としより)不具者(かたわ)のみ、
女子供もひと時は、神の御子たる人々は、悉々暗い臭い屋に、暮さなならん時来るぞ、
宮は潰され御文(みふみ)皆、火にかけられて灰となる、
この世の終り近づきぬ。

この神示(ふで)心に入れ呉れと、申してある事わかる時、
愈々間近になりたぞよ。

出掛けた船ぞ、褌締めよ。

十一月三十日、ひつ九のか三。

 


磐戸の巻、第四帖 (二四〇)

 

この方この世のあく神とも現はれるぞ、閻魔とも現はれるぞ、
アクと申しても臣民の申す悪ではないぞ、善も悪もないのざぞ、
審判(さばき)の時来てゐるのにキづかぬか、
其の日 其の時さばかれてゐるのざぞ、
早う洗濯せよ、掃除せよ、磐戸(ゐわと)いつでもあくのざぞ、
善の御代来るぞ、悪の御代来るぞ。

悪と善とたてわけて、どちらも生かすのざぞ、
生かすとは神のイキに合すことぞ、イキに合へば悪は悪でないのざぞ。
この道理よく肚に入れて、神の心 早うくみとれよ、それが洗濯ざぞ。

一月二日、Θのひつ九のか三。

 


212>239
日月の巻、第三十九帖 (二一二)

 

喜べば喜ぶ事出来るぞ、悔やめば悔やむ事出来るぞ。
先の取越苦労は要らんぞ、心くばりは要るぞと申してあろがな。

神が道つけて楽にゆける様に嬉し嬉しでどんな戦も切抜ける様にしてあるのに、
臣民 逃げて眼塞いで、懐手してゐるから苦しむのぞ。

我れよしと云ふ悪魔と学が邪魔してゐる事にまだ気付かぬか。
嬉し嬉しで暮らせるのざぞ。
日本の臣民は何事も見えすく身魂授けてあるのざぞ、神の御子ざぞ。

掃除すれば何事もハッキリとうつるのぞ。
早よ判らねば口惜しい事出来るぞ。
言葉とこの神示と心と行と時の動きと五つ揃たら誠の神の御子ぞ、神ぞ。

十一月三十日、ひつ九のか三のふで。

 


磐戸の巻、第三帖(二三九)

 

二二は晴れたり、日本晴れ、びっくりばこ いよいよとなりたぞ。

春マケ、夏マケ、秋マケ、冬マケてハルマゲドンとなるのざぞ、
早う改心せんとハルマゲドンの大峠こせんことになるぞ。

大峠となりたら どんな臣民もアフンとして もの云へんことになるのざぞ、
なんとした取違ひでありたかと じだんだふんでも、其の時では間に合はんのざぞ、
十人なみのことしてゐては今度の御用は出来んのざぞ。

逆様にかへると申してあろが、
大洗濯ざぞ、大掃除ざぞ、ぐれんざぞ、二二に花咲くぞ。

一月一日、 Θのひつ九か三。

 


213>238
日月の巻、第四十帖 (二一三)

 

ここに伊邪那美の命 語らひつらく、あれみましとつくれる国、
末だつくりおへねど、時まちてつくるへに、よいよ待ちてよと宣り給ひき。

ここに伊邪那岐命、みましつくらはねば吾とつくらめ、
と宣り給ひて、帰らむと申しき。

ここに伊邪那美命 九(こ)聞き給ひて、
御頭(みかしら)に大雷(おおいかつち)、オホイカツチ、
胸に火の雷(ホのいかつち)、ホノイカツチ、
御腹には黒雷(くろいかつち)、黒雷(クロイカツチ)、
かくれに折雷(さくいかつち)、サクイカツチ、

左の御手に若雷(わきいかつち)、ワキ井カツチ、
右の御手に土雷(つちいかつち)、ツチイカツチ、

左の御足に鳴雷(なるゐかつち)、ナルイカツチ。
右の御足に伏雷(ふしいかつち)、フシ井カツチ、
なり給ひき。

伊邪那岐の命、是見(こみ)、畏みてとく帰り給へば、
伊邪那美命は、よもつしこめを追はしめき、
ここに伊邪那岐命 黒髪かつら取り、また湯津々間櫛(ゆつつまぐし)引きかきて、
なげ棄(う)て給ひき。

伊邪那美命 二(つき)の八くさの雷神(いかつちかみ)に
黄泉軍(よもついくさ)副(そ)へて追ひ給ひき。

ここに伊邪那岐命 十挙剣(とづかのつるぎ)抜きて後手(しりへて)にふきつつさり、
三度 黄泉比良坂(よもつひらさか)の坂本に到り給ひき。

坂本なる桃の実一二三(ひふみ)取りて待ち受け給ひしかば、ことごとに逃げ給ひき。

ここに伊邪那岐命 桃の実に宣り給はく、汝(みまし)吾助けし如、
あらゆる青人草の苦瀬(うきせ)になやむことあらば、助けてよと宣り給ひて、
また葦原の中津国にあらゆる、うつしき青人草の苦瀬に落ちて苦しまん時に助けてよとのり給ひて、
おほかむつみの命、
オオカムツミノ命
と名付け給ひき。

ここに伊邪那美命 息吹き給ひて千引岩(ちびきいわ)を黄泉比良坂に引き塞(そ)へて、
その石なかにして合ひ向ひ立たして つつしみ申し給ひつらく、
うつくしき吾が那勢命(なせのみこと)、
時廻り来る時あれば、この千引の磐戸、共にあけなんと宣り給へり、
ここに伊邪那岐命しかよけむと宣り給ひき。

ここに妹(いも)伊邪那美の命、
汝(みまし)の国の人草、日にちひと死(まけ)と申し給ひき。

伊邪那岐命 宣り給はく、
吾は一日(ひとひ)に千五百(ちいほ)生まなむと申し給ひき。
この巻二つ合して日月の巻とせよ。

十一月三十日、ひつ九のか三。
(日月の巻了)

 


磐戸の巻、第二帖(二三八)

 

キつけてくれよ、キがもとざぞ、キから生れるのざぞ、
心くばれと申してあろが、心のもとはキざぞ、
総てのもとはキであるぞ、
キはΘ(よろこび)ざぞ、臣民みなにそれぞれのキうへつけてあるのざぞ、
うれしキは うれしキことうむぞ、
かなしキは かなしキことうむぞ、
おそれはおそれうむぞ、
喜べば喜ぶことあると申してあろがな、
天災でも人災でも、臣民の心の中にうごくキのままになるのざぞ。

この道理わかるであろがな。
爆弾でもあたると思へばあたるのざぞ、
おそれるとおそろしことになるのざぞ、
ものはキから生れるのざ、キがもとぞ、くどくキづけておくぞ。

ムのキ動けばムくるぞ、ウのキうごけばウ来るぞ、
どんな九十(コト)でもキあれば出来るぞ、キからうまれるぞ、
勇んで神の御用つとめて下されよ。

十二月三十一日、Θの一つ九Θ。

 


214>237
日の出の巻、第一帖 (二一四)

 

春とならば萌(もえ)出づるのざぞ、草木許りでないぞ、何もかも もえ出づるのぞ、
此の方の申す事 譬(たとへ)でないと申してあろが、少しは会得(わか)りたか。

石もの云ふ時来たぞ、此の道 早く知らして呉れよ、岩戸は五回閉められてゐるのざぞ、
那岐(なぎ)、那美(なみ)の尊の時、
天照大神の時、
神武天皇の時、
仏来た時と、
大切なのは須佐之男神様に罪着せし時、
その五度の岩戸閉めであるから此の度の岩戸開きはなかなかに大そうと申すのぞ。

愈々きびしく成ってきたが此れからが正念場ざぞ、
否でも応でも裸にならなならんぞ、
裸程結構なもの無い事 始めて会得(わか)りて来るぞ。

十二月一日、一二Θ。

 


磐戸の巻、第一帖 (二三七)

 

イワトの巻かき知らすぞよ、イワトひらくには神人共にゑらぎにぎはふのざぞ、
ミカカリして唱ひ舞ふのざぞ、ウズメノミコトいるのざぞ。

ウズメとは女(おみな)のみでないぞ、男(おのこ)もウズメざぞ、
女のタマは男、男のタマは女と申してあろがな。

ヤミの中で踊るのざぞ、唄ふのざぞ、皆のものウズメとなりて下されよ、
暁(あけ)つげる十理(とり)となりて下されよ、
ミカカリて舞ひ唄ひ下されよ、
ミカカリでないと、これからは何も出来ぬと申してあろがな。

十二月三十日、Θの一二Θ。

 


215>236
日の出の巻、第二帖(二一五)

 

九歳(とし)は神界の紀(もと)の年ぞ、神始めの年と申せよ。

一二三(ひふみ)、三四五(みよいづ)、五六七(みろく)ぞ、
五の歳は子の歳ざぞよ。取違ひせん様にせよ。

月日の巻 十人と十人の役員に見せてやりて呉れよ、
時節到来したのであるぞ。

桜咲き神の御国は明けそめにけり。

十二月二日、ひつ九のか三しらす

 


日の出の巻、第二十三帖 (二三六)

 

此の世の位もいざとなれば宝も富も勲章も役には立たんのざぞ、
此の世去って、役に立つのは身魂の徳だけぞ、身についた芸は其の儘役立つぞ。

人に知れぬ様に徳つめと申してあろがな、
神の国に積む徳のみが光るのざぞ、
マアカタの御用結構であったぞ、
富士晴れるぞ、湖(うみ)晴れるぞ。

此の巻、日の出之巻として纒めて役員に読ませて
一二三として皆に知らせて呉れよ、神急ぐぞ。

十二月二十九日、ひつ九のか三。
(日の出の巻了)

 


216>235
日の出の巻、第三帖 (二一六)

 

次の世とは通基(月)の世の事ざぞ、
一二(ひつき)の通基(二)の世ぞ、
Θ(〇にゝ)「🌙」の月の世ぞ、
取違ひせん様に致して呉れよ。

智や学がありては邪魔になるぞ、無くてもならぬ六ヶ敷い仕組ぞ、
月の神様 祀りて呉れよ、
素盞鳴(すさなる)の神様 祀りて呉れよ、今に会得(わか)る事ぞ、
日暮よくなるぞ、日暮(一九れ)に祀り呉れよ、
十柱揃ふたら祀り呉れいと申してあらうがな、神せけるのざぞ。

十二月二日、ひつくのかみふで。

 


日の出の巻、第二十二帖 (二三五)

 

左は火ぞ、右は水ざぞ、
Θの神と「🌀」の神ぞ、
日の神と月の神ざぞ、
日の神許り拝んで月の神忘れてはならんぞ、
人に直接(じきじき)恵み下さるのは「🌀」の神、月神ぞ、
ぢゃと申して日の神 疎(おろそ)かにするでないぞ、
水は身を護る神さぞ、
火は魂護る神ざぞ、
火と水とで組み組みて人ぞ、
身は水で出来てゐるぞ、
火の魂入れてあるのざぞ、国土も同様ぞ。
「🌀」海の御用大切ざぞ。

十二月二十八日、ひつ九のか三。

 


217>234
日の出の巻、第四帖 (二一七)

 

旧十月八日、十八日、五月五日、三月三日は幾らでもあるぞと申してあろが、
此の日は臣民には恐い日であれど神には結構な日ざぞと申してあろが、
神心になれば神とまつはれば神とあななへば臣民にも結構な日となるのぞ。

其の時は五六七(みろく)の世となるのざぞ。

桜花(さくらばな)一度にどっと開く世となるのざぞ、
神激しく臣民静かな御代となるのざぞ、
日日(ひにち)毎日富士晴れるのざぞ、
臣民の心の富士も晴れ晴れと、
富士は晴れたり日本晴れ、心晴れたり日本晴れぞ。

十二月二日、ひつくのかみ。

 


日の出の巻、第二十一帖 (二三四)

 

神かかりと申しても七つあるのであるぞ、
その一つ一つがまた七つに分れてゐるのざぞ、
Θガカり、かみかかり、か三かゝりぞ、
「ゝ」(カミ)ガカリぞ、〇(かみ)かかり、か三かゝり、かみかゝりざぞ、
神かゝってゐないと見える神カカリが誠の神カカリと申してあろが。

そこらに御座る神憑りは五段目六段目の神憑りぞ。

神カカリとは惟神(かむながら)の事ぞ、これが神国の真事(まこと)の臣民の姿ぞ。

神の国、惟神ぞ、神と人と融け合った真事の姿ぞ、
今の臣民のいふ惟神では無いぞ、此の道理 会得りたか、真事の神にまつりあった姿ぞ。

悪の大将の神憑りは、神憑りと分らんぞ、気つけて呉れよ、
これからは神カカリでないと何も分らん事になるのざぞ、
早う神カゝリになる様 掃除して呉れよ、神の息吹に合ふと神カカリになれるのぞ。
一二三唱へよ、祓えのれよ、神称へよ、人称へよ、
神は人誉め 人は神称へてまつり呉れよ、まつはり呉れよ、あななひ呉れよ。

十二月二十七日、ひつ九のか三。

 


218>233
日の出の巻、第五帖 (二一八)

 

右(みぎり)に行かんとする者と左りに行かんとするものと結ぶのが「🌀」の神様ぞ、
「🌀」の神様とは素盞鳴の大神様ざぞ、
この御用(おんはたらき)によりて生命あれるのぞ、力生れるのぞ、
「🌀」がまつりであるぞ、神国の祀「🌀」 であるぞ、神はその全き姿ぞ、神の姿ぞ。
男の魂は女、女の魂は男と申して知らしてあろがな。十二月三日、ひつ九のかみ。

 


日の出の巻、第二十帖 (二三三)

 

今度は世に落ちておいでなされた神々様をあげねばならぬのであるぞ、
臣民も其の通りざぞ、
神の申す通りにすれば何事も思ふ通りにすらすらと進むと申してあろがな。

此れからは神に逆らふものは一つも埓あかんぞ、やりてみよれ、九分九厘でぐれんざぞ。

神の国は何うしても助けなならんから、神が一日一日と延ばしてゐること会得らんか。

皆の者がかみを軽くしてゐるからお蔭なくなってゐるのざぞ、
世の元の神でも御魂となってゐたのではまことの力出ないのざぞ。

今度の経綸(しぐみ)は世の元の生き通しの神でないと間に合はんのざぞ。

何処の教会も元はよいのであるが、取次役員がワヤにしてゐるのぞ、今の様(さま)は何事ぞ。

此の方は力あり過ぎて失敗(しくじ)った神ざぞ、此の世かもう神でも我出すと失敗るのざぞ、
何んな力あったとて我出すまいぞ、此の方がよい手本(みせしめ)ぞ。

世界かもう此の方さへ我で失敗ったのぞ、執念(くど)い様なれど我出すなよ、
慢心と取違ひが一等気ざはりざぞ。

改心ちぐはぐざから物事後先になりたぞ、経綸少しは変るぞ。

今の役員、神の道広めると申して我(われ)を弘めてゐるでないか、
そんな事では役員とは言はさんぞ。

今迄は神が世に落ちて人が神になりておりたのぞ、これでは世は治まらんぞ。

神が上(かみ)で、臣民、人民 下におらねばならんぞ。

吾が苦労して人救ふ心でないと、今度の岩戸開けんのざぞ、
岩戸開きの御用する身魂は吾の苦労で人助けねばならんのざ。


十年先は、五六七(みろく)の世ざぞ、今の人間 鬼より蛇より邪見ざぞ、
蛇の方が早う改心するぞ、早う改心せねば泥海にせなならんから、神は日夜の苦労ぞ。

道は一つと申してあろがな、二つ三つ四つあると思ふてはならんぞ、
足元から鳥立つと申してあろが、臣民 火がついてもまだ気付かずにゐるが、
今に体に火ついてチリチリ舞ひせなならんことになるから、神、執念気つけておくのざぞ。

三四気つけて呉れよ、神の国は神の力で何事も思ふ様に行く様になりてゐるのに、
学や智に邪魔されてゐる臣民ばかり、早う気付かぬと今度と云ふ今度は取返しつかんぞ。

見事なこと神がして見せるぞ、見事なことざぞ、人間には恐しいことざぞ、
大掃除する時は棚のもの下に置く事あるのざぞ、下にあったとて見下げてはならんぞ、
この神は神の国の救はれること一番願ってゐるのざぞ、
外国人も神の子ではあるが性来が違ふのざぞ、神の国の臣民がまことの神の子ざぞ、
今は曇りてゐるなれど元の尊い種植えつけてあるのざぞ、神の国の臣民がまことの神の子ざぞ、
今は曇りてゐるなれど元の尊い種植えつけてあるのざぞ、
曇り取り去りて呉れよ、
依怙(えこ)の様なれど外国は後廻しぞ、
同じ神の子でありながら神の臣民の肩持つとは公平でないと申す者あるなれど、
それは昔からの深い経綸であるから臣民には会得(わから)んことであるぞ、
一に一足す二でないと申してあろが、何事も神の国から神の臣からぞ、洗濯も同様ぞ。

今度の御用外(はず)したら何時になりても取返しつかんことになるのざから、
心して御用して呉れよ、遣り損なひ出来ないことになりてゐるのざぞ。

天に一柱 地に一柱 火にも焼けず水にも溺れぬ元の種隠しておいての今度の大建替ぞ、
何んなことあっても人間心で心配するでないぞ、
細工は隆々仕上げ見て呉れよ、此の神はめったに間違いないぞ。

三千年 地に潜りての経綸で、悪の根まで調べてからの経綸であるから、
人間殿 心配せずに神の申す様 素直に致して下されよ。

末法の世とは地の上に大将の器(うつわ)無くなりてゐることざぞ。

オロシヤの悪神(あく)と申すは泥海の頃から生きてゐる悪の親神であるぞ。

北に気つけて呉れよ、
神の国は結構な国で世界の真中の国であるから、
悪の神が日本を取りて末代の住家とする計画で
トコトンの智恵出して何んなことしても取る積りで
愈々を始めてゐるのざから余程褌締めて下されよ、
日本の上に立ちて居る守護神に分りかけたら ばたばたに埓あくぞ。

早う改心して呉れよ。

十二月二十六日、一二Θ。

 


219>232
日の出の巻、第六帖 (二一九)

 

神界の事は人間には見当取れんのであるぞ、
学で幾ら極め様とて会得(わか)りはせんのざぞ、
学も無くてはならぬが囚はれると悪となるのざぞ、
しもの神々様には現界の事は会得りはせんのざぞ、
会得らぬ神々に使はれてゐる肉体気の毒なから身魂磨け磨けと
執念(くどう)申してゐるのざぞ。

三、四月に気つけて呉れよ、どえらい事出来るから何うしても磨いておいて下されよ、
それまでに型しておいて呉れよ。

十二月五日、ひつ九のかみ。

 


日の出の巻、第十九帖 (二三二)

 

海には神の石鎮め祀り呉れよ、山には神の石立てて樹植えて呉れよ、
石は神の印つけて祀る処に置いてあるぞ、祀り結構ぞ、
富士奥山には十柱の石あるぞ、十柱祀りて呉れよ、
祀る処に行けば分る様にしてあるぞ。

十二月二十二日、ひつ九のか三。

 


220>231
日の出の巻、第七帖 (二二〇)

 

おろしやにあがりておりた極悪の悪神、愈々神の国に攻め寄せて来るぞ。

北に気つけと、北が愈々のキリギリざと申して執念(くどう)気つけてありた事近ふなりたぞ。

神に縁深い者には、深いだけに見せしめあるのざぞ。

国々もその通りざぞ、神には依怙(えこ)無いのざぞ。

ろしあの悪神の御活動と申すものは神々様にもこれは到底かなはんと思ふ様に激しき御力ぞ。

臣民と云ふものは神の言葉(こと)は会得らんから
悪神の事に御とつけるのは会得らんと申すであろが、
御とは力一杯の事、精一杯の事を申すのであるぞ。

何処から攻めて来ても神の国には悪神には分らん仕組致してあるから、
心配ないのざぞ、
愈々と成りた時には神が誠の神力出して、
天地ゆすぶってトコトン降参ざと申す処までギュウギュウと締めつけて
万劫末代、いふ事聞きますと改心する処までゆすぶるから、
神の国、神の臣民 心配致すでないぞ、心大きく御用して呉れよ、
何処に居ても御用してゐる臣民助けてやるぞ。

十二月六日、ひつ九か三。

 


日の出の巻、第十八帖 (二三一)

 

富士の御用は奥山に祀り呉れよ、カイの御用も続け呉れよ、
江戸一の宮作りて呉れよ、道場も同じぞ、
「🌀」海の御用とは
「🌀」海の鳴門(なると)と 「🌀」海の諏訪と 「🌀」海のマアカタと三所へ祀りて呉れよ。

その前の御用、言葉で知らした事済みたぞ、 「🌀」海マアカタとは印幡ぞ。

十柱とは火の神、木の神、金の神、日の出の神、
竜宮の乙姫、雨の神、風の神、地震の神、荒の神、岩の神であるぞ。

辛酉の日に祀りて呉れよ。

暫く御神示出ないぞ。
皆の者 早く今迄の神示肚に入れて呉れよ、神せけるぞ。

神示読めば神示出て来るぞ。
神祀り早く済せて呉れよ。

十二月二十一日朝、一二のか三。

 


221>230
日の出の巻、第八帖 (二二一)

 

一二三(ひふみ)の食物(たべもの)に病無いと申してあろがな、
一二三の食べ方は一二三唱(十七)へながら噛むのざぞ、
四十七回噛んでから呑むのざぞ、これが一二三の食べ方頂き方ざぞ。

神に供へてから此の一二三の食べ方すれば何んな病でも治るのざぞ、
皆の者に広く知らしてやれよ。

心の病は一二三唱へる事に依りて治り、
肉体の病は四十七回噛む事に依りて治るのざぞ、
心も身も分け隔て無いのであるが会得る様に申して聞かしてゐるのざぞ、
取り違い致すでないぞ。

日本の国は此の方の肉体と申してあろがな、何んな宝もかくしてあるのざぞ、
神の御用なら、何時でも、何んなものでも与へるのざぞ、
心大きく持ちてどしどしやりて呉れよ。

集団(まどい)作るなと申せば、
ばらばらでゐるが裏には裏あると申してあろが、心配(こころくば)れよ。

十二月七日、ひつくのかみふで。

 


日の出の巻、第十七帖 (二三〇)

 

何もかもひっくるめて建直しするのであるから、
何処から何が出て来るか分らんぞ、
御用はそれぞれの役員殿 手分けて努めて呉れよ、
皆のものに手柄さし度いのぞ、
一ヶ処(ひとところ)の御用 二人宛(づつ)でやりて呉れよ、
結構な御用であるぞ、
いづこも仮であるぞ、世が変りたら結構に真通理(まつり)呉れよ、
今は型であるぞ、祀れと申してあること忘れるなよ、
まつはらねばならぬのざぞ、
神がついてゐるのざから神の申す通りにやれば箱指した様に行くのざぞ。
産土神(うぶすなさま)忘れずにな。

十二月十九日、ひつ九か三。

 


222>229
日の出の巻、第九帖 (二二二)

 

人、神とまつはれば喜悦(うれ)しうれしぞ、まつはれば人でなく神となるのぞ、
それが真実(まこと)の神の世ぞ、神は人にまつはるのざぞ、
「ゝ」と「〇」と申してあろが、戦も「ゝ」と「〇」と壊し合ふのでは無いぞ、
「ゝ」と「〇」とまつらふことぞ、岩戸開く一つの鍵ざぞ、和すことぞ、
神国真中に和すことぞ。

それには「〇」掃除せなならんぞ、それが今度の戦ぞ、戦の大将が神祀らねばならんぞ。

二四(にし)は剣(つるぎ)ざぞ。

神まつりは神主ばかりするのではないぞ、
剣と鏡とまつらなならんぞ、
まつはれば霊(たま)となるのざぞ。

霊なくなってゐると申して知らせてあろがな、
政治も教育も経済の大将も神祀らねばならんのぞ。

天の天照皇大神様は更なり、
天の大神様、地(くに)の天照大神様、天照皇太神様、月の神様、特に篤く祀り呉れよ、
月の大神様 御出でまして闇の夜は月の夜となるのざぞ。

素盞鳴の大神様も篤く祀りて呉れよ、
此の神様には毎夜毎日御詑びせなならんのざぞ、
此の世の罪穢(つみけがれ)負はれて陰から守護されて御座る尊い御神様ぞ、
地の御神様、土の神様ぞ、祓ひ清めの御神様ぞ、
国々の産土の神様 祀り呉れよ、
遅くなればなる程 苦しくなるのざぞ、人ばかりでないぞ。

十二月八日、ひつ九のか三。

 


日の出の巻、第十六帖 (二二九)

 

悪の衣(ころも)着せられて節分に押込められし神々様御出でましぞ。

此の節分からは愈々神の規則通りになるのざから気つけておくぞ、
容赦(ようしゃ)は無いのざぞ、
それまでに型さしておくぞ、
御苦労なれど型してくれよ。

ヤの身魂 御苦労、石なぜもの言はぬのぞ、
愈々となりてゐるではないか、
春になりたら何んな事あるか分らんから今年中に心の洗濯せよ、
身辺(みのまわり)洗濯せよ、
神の規則 臣民には堪(こば)れんことあるも知れんぞ、気つけておくぞ。十二月十九日、一二Θ。

 


223>228
日の出の巻、第十帖 (二二三)

 

桜咲き神の御国は明けそめにけり。

十月になったらぼつぼつ会得るぞと申してあろがな。

叩(はたき)かけてばたばたと叩く処もあるぞ、
箒(ほうき)で掃く処もあるぞ、
雑巾かけしたり水流す処もあるのざぞ、
掃除始まったらばたばたに埒(らち)つくと申してあろがな、
めぐりだけの事は、今度は何うしても借銭無しにするのざぞ、
花咲く人もあるぞ、花散る人もあるぞ。

あめのひつ九のかミの御神名書かすぞ、それを皆の者に分けてやれよ。
聴き度い事はサニワで聞けよ、何んなことでも聞かしてやると申してあろがな、神せけるぞ。

火吹くぞ。火降るぞ。十二月十日、ひつくのか三。

 


日の出の巻、第十五帖 (二二八)

 

十柱の神様 奥山に祀りて呉れよ、九柱でよいぞ、
何れの神々様も世の元からの肉体持たれた生き通しの神様であるぞ、
この方合はして十柱となるのざぞ。

御神体の石 集めさしてあろがな、篤く祀りて、辛酉(かのととり)の日にお祭りして呉れよ。

病あるかないか、災難来るか来ないかは、手届くか届かないかで分ると申してあろがな。

届くとは注(そそ)ぐ事ぞ、
手首と息と腹の息と首の息と頭の息と足の息と胸の息と臍の息と脊首(せくび)の息と手の息と
八所十所の息合ってゐれば病無いのざぞ、
災難見ないのざから、毎朝 神拝みてから克く合はしてみよ、
合ってゐたら其日には災難無いのざぞ、
殊に臍の息一番大切ざぞ、
若しも息合ってゐない時には一二三(ひふみ)唱へよ、
唱へ唱へて息合ふ迄 祷(ゐの)れよ、何んな難儀も災難も無くしてやるぞ、
此の方 意富加牟豆美神(オホカムツミノカミ)であるぞ。

神の息と合はされると災難、病無くなるのざぞ、大難小難にしてやるぞ、生命助けてやるぞ、
此の事は此の方信ずる人でないと誤るから知らすではないぞ、
手二本 足二本いれて十柱ぞ、手足一本として八柱ぞ、
此の事 早う皆に知らしてどしどしと安心して働く様にしてやれよ。

飛行機の災難も地震罪穢の禍も、大きい災難ある時には息乱れるのざぞ、
一二三祝詞と祓え祝詞と神の息吹と息と一つになりておれば災難逃れるのぞ、
信ずる者ばかりに知らしてやりて呉れよ。

十二月十八日、ひつ九か三。

 


224>227
日の出の巻、第十一帖 (二二四)

 

江戸に道場作れよ、先づ一二三(ひふみ)唱へさせよ、
神示読みて聞かせよ、
鎮魂(みたましずめ)せよ、鎮神(かみしずめ)せよ、
十回で一通り会得る様にせよ、神祀りて其の前でせよ、神がさすのであるからどしどしと運ぶぞ。

誠の益人作るのぞ、此んな事申さんでもやらねばならぬ事ざぞ、
神は一人でも多く救ひ度さに夜も昼も総活動してゐる事 会得るであろがな、
神かかれる人 早う作るのぞ、身魂せんだくするぞ、
神かかりと申しても狐憑きや天狗憑や行者の様な神憑りでないぞ、
誠の神憑りであるぞ、役員 早う取りかかり呉れよ。

十二月十一日、一二Θ。

 


日の出の巻、第十四帖 (二二七)

 

お太陽(ひ)様円いのでないぞ、
お月様も円いのではないぞ、
地球も円いのではないぞ、
人も円いのが良いのではないぞ、
息してゐるから円く見えるのざぞ、
活(はたら)いてゐるから円く見えるのざぞ、
皆形無いものいふぞ、息してゐるもの皆円いのざぞ。

神の経済この事から生み出せよ、
大きくなったり小さくなったり、神の御心通りに活(はたら)くものは円いのざぞ、
円い中にも心(しん)あるぞ、
神の政治、この事から割り出せよ、
神は政事(まつりごと)の姿であるぞ、
神の政治生きてゐるぞ、人の政治死んでゐるぞ。

十二月十五日、一二Θ。

 


225>226
日の出の巻、第十二帖 (二二五)

 

日に日に厳しくなりて来ると申してありた事 始まってゐるのであるぞ、
まだまだ激しくなって何うしたらよいか分らなくなり、
あちらへうろうろ、こちらへうろうろ、
頼る処も着るものも住む家も食ふ物も無くなる世に迫って来るのざぞ。

それぞれにめぐりだけの事はせなならんのであるぞ、
早い改心はその日から持ちきれない程の神徳与へて喜悦(うれ)し喜悦(うれ)しにしてやるぞ、
寂しくなりたら訪ねて御座れと申してあろがな、
洗濯次第で何んな神徳でもやるぞ、神は御蔭やりたくてうづうづしてゐるのざぞ、
今の世の様見ても未だ会得らんか。

神と獣とに分けると申してあろが、
早う此の神示(ふで)読み聞かせて一人でも多く救けて呉れよ。

十二月十二日、ひつ九のか三。

 


日の出の巻、第十三帖 (二二六)

 

此れまでの仕組や信仰は方便のものでありたぞ。

今度は正味(せうまつ)の信仰であるぞ、神に真直(ますぐ)に向ふのざぞ。

日向(ひむか)と申してあろがな。

真上(まうへ)に真すぐに神を戴いて呉れよ、
斜めに神戴いても光は戴けるのであるが、
横からでもお光は戴けるのであるが、
道は真すぐに、神は真上に戴くのが神国のまことの御道であるぞ。

方便の世は済みたと申してあろがな、理屈は悪ざと申して聞かしてあろが、
今度は何うしても失敗(しくじる)こと出来んのざぞ。

神の経綸(しぐみ)には狂ひ無いなれど、臣民 愈々苦しまなならんのざぞ、
泥海に臣民のたうち廻らなならんのざぞ、
神も泥海にのたうつのざぞ、
甲斐ある御苦労なら幾らでも苦労甲斐あるなれど、
泥海のたうちは臣民には堪(こば)られんから早う掃除して神の申す事真すぐに肚に入れて呉れよ。

斜めや横から戴くと光だけ影がさすのざぞ、影させば闇となるのざぞ、
大きいものには大きい影がさすと臣民申して、
己(や?)むを得ぬ事の様に思ふてゐるが、それはまことの神の道知らぬからぞ、
影さしてはならんのざぞ、影はあるが、それは影でない様な影であるぞ、
悪でない悪なると知らせてあろが。

真上に真すぐに神に向へば影はあれど、影無いのざぞ、闇ではないのざぞ。

此の道理 会得るであろがな、神の真道(まみち)は影無いのざぞ、
幾ら大きな樹でも真上に真すぐに光戴けば影無いのざぞ、
失敗(しくじり)無いのざぞ、
それで洗濯せよ掃除せよと申してゐるのぞ、
神の真道(まみち)会得(わか)りたか。

天にあるもの地にも必ずあるのざぞ、天地合せ鏡と聞かしてあろがな、
天に太陽様ある様に地にも太陽様(おひさま)あるのざぞ、
天にお月様ある様に地にもお月様あるのざぞ。

天にお星様ある様に地にもお星様あるのざぞ。

天からい吹(ぶ)けば地からもい吹くのざぞ、
天に悪神あれば地にも悪神あるのざぞ。

足元気つけと申してあろがな。

今の臣民 上許り見て頭ばかりに登ってゐるから分らなくなるのざぞ、
地に足つけよと申してあろが、
地 拝(おろが)めと、地にまつろへと申してあろが、地の神様 忘れてゐるぞ。

下と申しても位の低い神様のことでないぞ、
地の神様ぞ、地にも天照皇太神様、天照大神様、月読大神様、須佐鳴之大神様あるのざぞ、
知らしてあること、神示克く読んで下されよ、
国土の事、国土のまことの神を無いものにしてゐるから世が治まらんのざぞ。

神々祀れと申してあろがな、改心第一と申してあろがな、
七人に伝へと申してあろがな、吾れ善しはちょんぞ。

十二月十四日、ひつくのかみ。